葡萄畑の手入れが終わり、俺は自室へと戻って来ていた。アマルはまだ礼拝から戻ってきていないようだ。
ベットに腰かけ、先程の違和感について考える。
『あっしには兄がいるので』
『同胞の姉がいます』
アマルとフランチェスコの表現の決定的な違い。
それは、「
そもそも同胞とは、同じ母から産まれた兄弟姉妹を指す言葉だ。しかし、そう説明するだけならわざわざ同胞なんて言葉を使う必要はない。何故なら、兄弟姉妹と言えば(勿論例外はあるが)、大抵の人々は同じ母から産まれた血の繋がりがある人間のことを想像するからだ。
そしてもうひとつ、白昼夢の少女がアマルの姉であったとしても、あまりにも似ているのだ。いや、似すぎていると言って良い。
(そう、まるで同一の存在であるかのように……)
俺はそこまで考えて、脳に衝撃が走った。
待て。
ああ、そうだ。
こんな簡単なこと、何故今まで気付かなかったのだろう。
顔や姿、形。雰囲気や匂い。
同一の存在かと思うほど、似ている少女たち。
「……双子」
双子。
そうならば、説明がつく。似ているのは当然だ。おそらく、一卵性の双子だったのだろう。
それに同胞というのは、同じ母から産まれた意味以外にも、双子として同じお腹で育ったという意味があるのではないか。
以前、アマルは自身のこと「忌み子」と称したことがあった。もしかして、それはアマルが双子として産まれたことに起因しているのではないだろうか。
昔の日本でもそうだったが、双子は不吉であると考えられてきた。一産一子が普通とされた時代の中で、人々には双子が異質の存在として映っていたのだろう。双子を産む者は、1度に複数の子を孕む動物に準え畜生腹と蔑まれていた事実がその証左に他ならない。
更には、双子は忌み子あるいは、鬼子と称され、殺されることさえあったという。
そこまで考えて、首筋に寒気が走る。
(もしかしてアマルの姉は死んだのではなく、人の手で
双子の片割れを忌み子として殺した。もしそうだとしたら、なんと残酷な話だ。反吐が出る。俺からしたら、双子を忌み子と扱うこと自体、迷信であり非科学的な考え方である。
俺は以前羊皮紙を探すために、アマルの部屋に訪れたときのことを思い出した。仕掛け机に隠された臍の緒が脳裏に浮かぶ。
「アマルの部屋で見つけたあの臍の緒は、もしかしてアマルのお姉さんのもの?」
形見として持っていたのだろうか。
床に視線を落とす。
今までの考えが合っているのであれば、沈黙の廻廊であの夜会ったアマルはアマルの姉だったのか? だから、その時漠然とした違和感を感じたのだろうか。
だが、待てよ。
アマルは同時にこうも言っていた。
『―――産まれて直ぐに、亡くなりました』
そうアマルの姉は
で、あるならば彼女が何故赤子ではなく少女の姿で現れたのか。そもそも、彼女は本当にアマルの姉なのか。それとももっと別の
ただどちらにせよ、彼女が今も本当にこのストーンハーストに存在するとすれば……超自然的な力が働いていると考えざるを得ない。
「……双子、か」
呟きが漏れる。
それに気付いて、苦笑する。
そっと瞳を閉じて、静代のことを思い出す。俺の双子の妹。何より大切な存在。一卵性ではないので、双子とは言え俺たちは全く似ていない兄妹だったが、それでも両親や他の親族よりもずっと強い絆で結ばれていた。
(静代……)
ああ、妹の美しい出で立ち、女性らしく柔らかな微笑みが脳裏に甦る。静代、と心の中で何度も名前を呼ぶ。応えてくれるはずもないのに、と自身に向け嘲笑しながらも止めることはできなかった。
優しく頬を撫でられたような感覚に思わず瞼を開く。
視線の先には、誰もいない。代わり映えしない年季の感じさせる木製の机があるだけだった。
ため息を吐いて、改めて考える。
今思えば、アマルと俺には共通点がある。
それは双子として産まれ、その片割れを亡くしているという点だ。
双子は元々1人の存在が、別れて産まれてしまったと考えられていた。言うなれば、二人でやっと一人前。だから、双子は魂が繋がっている。アマルたちが一卵性の双子だとすれば、心身共により強い結び付きを持っていてもおかしくない。
そう、魂が強く結び付いているからこそ、片割れが死んでも真の意味での完全な死は訪れない。
生きている俺とアマル。死んでいる静代と少女。そう分けるのではなく、繋がっていると考えなければならない。
生きながら死んでいる、アマルと俺。
死にながら生きている、静代と少女。
現世と常世。
その境界線上に俺たちは立っているのだ。