ぎしり、とベッドの軋む音が聞こえた。
浅い眠りから意識が浮上する。ぼんやりとした視界に、鮮紅の瞳が怪しく瞬いた。
「……アマル?」
「はい、アンディ様」
アマルは優しい手付きで、俺の頬を撫でる。それから、俺の額にキスを落とした。少女の煌めく銀河のような髪がさらりと流れ、首筋をくすぐった。すごく良い匂いがする。俺は深く息を吸って、アマルの甘い体臭を堪能してから上半身を起こす。
窓を見ると、陽光が差し込み室内を照らしていた。太陽は東の空にあり、まだ正午にも満たない時間帯だろう。それほど、長い時間寝ていた訳でも無さそうだ。
「もう礼拝終わったのか?」
「ええ。アンディ様にお会いしたくて、すぐに終わらせてまいりました」
「おいおい、シスターがそんなことを言ってても良いのか?」
「良いのです。私にとって何より優先すべきはアンディ様ですから」
「全く……そんなことばっかりしてると神様が泣くぞ。この不良シスターめ」
苦笑しながら、アマルのおでこを軽くつつく。
額を押さえて、幼い子どものようにアマルは笑った。
「うふふ、怒られちゃいました」
「全く反省していない顔だな。……まぁ、可愛いから良いけどさ」
「ああ、嬉しい。アンディ様」
そっと、身を寄せてくるアマルを抱きとめる。アマルは身体を揺らして、いつものようすりすりと俺の胸板にマーキング。
それに満足いくと、俺の首に手を回し唇を奪う。
「ん……アンディ様、お慕いしております」
言い回しは古風なのに、行動は積極的だった。
アマルは唾液で濡れた桃色の唇を見せつけるように指でなぞる。15歳とは思えない淫らな仕草に胸がざわめいた。それを落ち着かせるように、深呼吸。アマルはそんな俺を見て、小さく首を傾げた。
「……アンディ様?」
「ああ。いや、なんでもない」
首に回された手を優しくほどいて立ち上がる。身体を軽く伸ばし、気持ちを切り替えた。
寝てしまう前に考えていたアマルの姉の謎。いかんせん情報が少なすぎる。これ以上思考を巡らしても答えは出てこないだろう。
むしろ、違う視点で物事を見るのも良いかもしれない。全く別の事象だと思われていたことが、実は大きな輪で繋がっていたりすることもある。
(そういや、ソフィアさんの様子を見に行っていなかったな)
三日前のことを思い出す。
何かを見たと錯乱したソフィアさん。あのときは、フランチェスコに任せて場を離れてしまったが、その後どうなったのかを確かめていなかった。ああ、自分の不誠実さに嫌気がさす。
「俺、ちょっと出てくるよ」
「えっ……どちらへですか?」
「巡礼棟。ちょっと、ソフィアさんの見舞いに」
「……あの巡礼者なら心配しなくても大丈夫です。単に疲れて幻覚でも見たのでしょう。後、数日安静にしていれば、良くなります。アンディ様が、そこまで心配する必要はないかと」
「いや、いいんだ。直接お見舞いに行くよ」
ぎりっ、強く歯をくいしばる音が聞こえた。
それから、そうですか、とアマルは頷いた。頷いて、笑った。人工物めいた綺麗な笑みに、どこか薄ら寒いものを感じる。その笑顔の裏には、一体何が渦巻いているのか。考えるのも恐ろしい。
「そんな顔するな。少しの間だけだ。寂しくても泣かないように」
「……アンディ様が必ずアマルの元に帰って来ると、そう約束してくださるなら泣きません」
祈るように胸の前で手を組んだ少女を抱き寄せる。
「分かった。約束するから」
「はい。でしたら、待っています。いつまでも、ずっとずっと、ここでアンディ様を」
「少しの間って言っただろ? 全くお前は何でも重く考えすぎだ」
頭を撫でて、安心しろと微笑んだ。アマルの身体を離し、行ってくるよと声をかけ部屋を出る。
***
巡礼棟へと足を進めながら考える。
アマルは何故あそこまで俺を止めようとしたのか。勿論、恋人が他の女に会いに行くことを嫌がった。巡礼者であるソフィアさんの話を聞き、ストーンハーストの外へ俺の意識が向くことを良しとしなかった。それも十分ありえる。
(……だが、本当にそれだけか?)
アマルのあの表情。人工物めいた笑顔を思い出す。あれは強い感情を胸の内に仕舞こみ、押さえつけているからこそ、でたものではないだろうか。
(そもそも、何故アマルがソフィアさんの状態を知っているんだ。俺はあの出来事のことを、アマルに一言も話していなかったはずだ)
アマルはどこで知った。
あの出来事のことを誰から聞いたんだ。
修道院の者と関わることができないアマルが、まるで見てきたかのような口振りでどうしてそんなことを言える。
(アマル……お前は一体何者なんだ)
心の中で、呟く。
そう呟いて反芻しても、答えは出ない。
いや、俺はその答えを知りたくないのかもしれない。
それを知ってしまえば……それを知ってしまえば、俺はどうなるのだろうか?
「……それこそ、神のみぞ知るってやつか」
思わず口から出た言葉に苦笑する。
そうだ。
神のみぞ知る。
当たり前だが、俺は神様じゃない。
知っていることしか、知らない。ちっぽけな人間だ。
だから、今精一杯できることをするしかない。
答えを得る前から尻込みしてどうする。
アマルが何者であれ、ずっと一緒にいると誓ったじゃないか。
頬を両手で叩いて、気合いを入れ直す。
俺は意識して、一歩前に足を踏み出した。