聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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死穢を纏い、彼女は待っている。

……ずっとずっと、待っていた。

だから、これは前日譚。
全てはここから始まった。




第4章 罪深い愛の歌
悪夢の始まり


 

 

 

 

 

 恋とは無邪気で清らか、そして何より尊いもの。

 

  

 愛とは孤独で狂おしく、そして何より罪深いもの。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 空が茜色に染まっていた。

 

 西の空から夕日が消えれば、薄暗い闇が静かに這いよる禍時が始まる。俺は空を見上げながら、参道を歩く足の速度を早めた。

 

 石段をかけ上がる。

 自身の荒い息音が辺りに響く。背負ってた重いリュックサックが肩に食い込む。じっとりと汗ばむ肌に不快感を覚えるが、それでも足の速度を緩めることはしなかった。

 

 必死の思いで石段を踏破し、息を整えながら前を向く。

 目の前には、幼い頃二人で良く遊んだ御柱神社がひっそりと佇んでいる。華美な装飾は一切ない古ぼけた社。律儀にも一礼してから石鳥居の脇を通り抜ける。

 

 周囲に人がいないかを入念に確認してから、俺は社の中に入った。社内は薄暗く、埃と腐った木の臭いに包まれている。思わず、顔をしかめる。

 

「――――兄、さん」

 

 湧水のような綺麗な声が聞こえた。その声を聞いて、喜びで胸が高鳴る。

 

「静代……良かった。ちゃんと来てくれたんだな」

 

 声の先には、俺の双子の妹、安藤静代が姿勢良く正座をしていた。

 

 長い黒髪が赤紫の着物に流れ、肉親の俺でさえどこか艶やかさを感じる。全く同じ血を継いだとは思えない程、美しい少女だった。静代は俺にとって何より大切な存在だ。だからこそ、幸せになって欲しい。

 

「さぁ、時間がない。静代、行こう!」

 

 手を差し伸べる。

 静代は俺の手をじっと見詰めて、小さく首を振った。

 

「し、静代? どうしたんだ? ほら、一刻も早くこの村から出ないと」

 

「……いいえ、兄さん。私には、ここを出て行く理由がありません」

 

 静代は、落ち着いた声でそう告げた。そこに迷いは一切ない。曇りない眼差しで、真っ直ぐ俺を見る。

 

「何を……何を言ってるんだ。理由なんてハッキリしているだろう。こんなことが許されるはずがない。許されてはいけないんだ。だから、1秒でも早くここを出る。その後のことが心配なら、俺が絶対何とかする。だから、だから……!」

 

「兄さんは……」

 

 俺の声に被せるように、静代は言葉を発した。

 

「……兄さんは、そんなにお嫌ですか」

 

「嫌って。そういうことじゃないだろ。こんなことおかしい。古くさい因習に縛られて、このまま生きていくのか? ……そんなこと、許されない。許されないことだ」

 

「兄さん、私は許されなくても良い。むしろ、ずっと望んでいました」

 

「お前は……何を、言って」

 

 声が震えた。

 思考が追い付かない。

 ああ、目の前にいる相手は、本当に妹なのだろうか。

 

 

 

「兄さん、私は――――」

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 職場に出勤してきた渋谷さんが、デスクに座る俺の表情を見て、一言。

 

「――――酷い顔ね」

 

 そりゃとんだ挨拶ですね、と思わず苦笑する。

 だが、明け透けなその物言いが渋谷さんらしい。几帳面にアップされた黒髪、パリッと着こなしたパンツスーツ。その凛とした姿は惚れ惚れするほど格好いい。女性に対して格好いいと言うのはいかがなものかと自分でも思うが、渋谷さんに対してはその言葉が一番ぴったりなのだから仕方ない。心の中でそんな言い訳をしてみる。

 

「まあ、宿直明けですから」

 

 勤め先の病院では、夜勤中の不測の事態に対処するために、男性の事務職員が持ち回りで当直を勤めている。仮眠室で寝ていても、それが深夜であれ何かあればPHSが鳴り響き、問答無用で叩き起こされてしまうのだ。今日は特に呼び出されることもなく、一日を終えたのだが……。

 

 渋谷さんは少し考えるように、顎に手を当てた。美人は何をしていても絵になる。

 

「本当のところは?」

 

「少し……夢見が悪くて」

 

 そう、と渋谷さんは頷いた。

 

「安藤君、これあげる」

 

 そう言われ、慌てて手を広げる。

 掌にポトリと、アメが数個落とされた。

 

「そう言う時には、甘いものが良いのよ。舐め終わる頃には、悪い夢のことなんて忘れているわ」

 

「そう言うもんですかね」

 

「ええ、そう言うものよ」

 

 思わず、俺が情けない顔をした。

 渋谷さんは、それを見て小さく笑う。

 

「何を見たのか知らないけれど、仕方ないことだってあるの。夢は結局のところ夢でしかないもの。どうすることもできないのなら、思い悩むだけ無駄というものよ」

 

「……そう、ですよね」

 

「安藤君は働きすぎ。きっと、ストレスが夢にも出たのよ。だから、きちんとリフレッシュすること!」

 

「はい」

 

 素直に頷く。

 本当のところは、明日から妹の墓参りに行く、ということが大きいだろう。だから、きっと10年以上前の夢を見てしまったのだ。

 

「その、安藤君。……約束、忘れてないわよね」

 

 渋谷さんには珍しく歯切れが悪い。頬を染めて、上目使い。

 

「ああ、食事を一緒食べに行く件ですよね。ちゃんと覚えてますよ」

 

「そう、なら良かったわ」

 

 ほっとしたように渋谷さんは、淡く微笑んだ。その可愛らしい姿に、胸が高鳴る。流石の俺でも、渋谷さんから好意を向けられていることは分かっている。とても、ありがたいことだ。

 

「戻って来たら、必ず行きましょう」

 

「ええ、楽しみにしてるわね」

 

「はい。俺も」

 

 俺は笑ってみせた。上手く笑えていたら、良いなと思った。渋谷さんは満足げに頷くと、自身の席に戻って行った。俺はその後ろ姿を見ながら、目を伏せる。

 

(でもね、渋谷さん……この夢を忘れることは、きっとできない。もう、一度だけ。もう一度だけ、会いたい。俺が、そう思っている限り。ずっと、ずっと、終わりなく)

 

 逃げて、置いて来てしまったもの。

 何より大切だったもの。

 それが今でも俺を苛む。

 

 あの時の判断が間違っていたとは、思えない。因習に従うことは、どうしてもできなかった。でも、もっとやりようがあったはずだ。だから、俺は後悔し続けている。

 

 静代は、俺を恨んでいるだろうか。

 

 そこまで考えて、俺はため息を吐いた。

 そんなこと今となってはどう足掻いても知りようもないことだ。

 

 渋谷さんから貰った飴の袋を破いて、口の中に放り込む。柑橘系の甘酸っぱい味が口一杯に広がった。

 

 

 

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