鮮紅の瞳が俺を捕らえて離さない。さっきから、無言で俺を見詰めてくる少女、アマル。流石に見られすぎて、居心地が悪い。誤魔化すように、うなじを手で押さえた。
「……なぁ、アマル」
沈黙に耐えられなくなり、名前を呼ぶ。アマルは数秒間固まった。まだあだ名で呼ばれることに慣れていないのだろう。視線をさ迷わせてから、おずおずと頷く。
「ここストーンハースト修道院って言ったよな」
「……は、はい」
「それって、どこら辺にあるんだ?」
「トートヴァルト、です」
聞きなれない言葉に、思わず聞き直す。
「トート……何だって?」
「トートヴァルト……です」
聞き直してみたが、そこがどこにあるのか分からなかった。少なくとも日本の地名ではなさそうだ。外国、なのだろうか?
眉間を揉んでから、問いかける。
「あー、まさかここってヨーロッパなのか?」
「ヨー、ロッパ?」
アマルは目を瞬かせた。こてん、と首を傾げる。小動物のような仕草。冷涼とした面持ちの女性が、可愛らしい動作をするというギャップに心が癒される。
ふっ、と浅く息を吐き気持ちを落ち浮かせてから、俺はアマルに話しかけた。
「ヨーロッパって知らない? ほら、イギリスやフランス、ドイツとかさ」
「……そのような国は知らない。私は、何も知らない、です」
「じ、じゃあ、日本って聞いたことないか? ジャパン、ええっと、他にはヤーパンやジャポネとか」
アマルは弱々しく首を振った。
思わず頭を抱える。世間知らずにもほどがある。いや、これは世間知らずで片付けて良いようなもんじゃない。ヨーロッパを知らないって、どんだけなんだ。
そもそも日本を知らないなら、なぜ彼女は日本語を話せる? おかしなことばかりで頭がくらくらしてきた。
(でも……嘘をついてるような感じじゃないんだよなぁ)
トートヴァルトという場所にあるストーンハースト修道院。ただ電車に乗り眠っていただけの俺が、なぜこんな場所にいるのだろう。本格的に分からなくなってきた。
「アマル、この修道院に他の人っているのか? いたら話してみたいんだけど案内して貰っていいかな?」
「…………っ」
アマルは顔を伏せた。肩を震わし、手を強く握り締める。様子がおかしい。体調が悪いのだろうか。そこまで考えて、ここが妙に寒いことに気が付いた。真冬という程ではないが、半袖の俺にはかなり堪える。
俺は気を取り直して、アマルに声をかける。
「……アマル、大丈夫か?」
「……はい」
「あの、調子が悪いなら、道を教えてくれるだけで良いよ。後は自分で行くからさ。この修道院で一番偉い人に会いたいんだけど」
「偉い、人?」
「ああ、ここが修道院なら司祭様? 牧師様か? 取りあえずここの責任者に会いたい」
「……ベネディクト司祭なら司祭室に居ます。礼拝堂を出て、右手に歩き、扉を開け回廊を左手に曲がった先の扉を抜ける。そこから歩いて直ぐにある道を曲がって、突き当たりの部屋に彼はいるはずです」
「右手、左手、突き当たりで曲がる……だな。オッケーだ」
アマルの言葉を繰り返して、自身に落とし込む。それこら、俺はアマルに向け笑ってお礼を言う。
「よし、行ってみるよ。アマル、ありがとう」
「………………っ」
アマルはびくりと身体を震わせ、静かに俺を見詰めた。それから、鼓動を確かめるように胸を押さえる。
(ーー何故だろう)
目の前にいるのに、彼女は存在感が薄い。自己を確立できていない赤子みたいだ。
「はい。アンドリュー様」
今更なんだが、アンドリューって姓名を同時に言ってることになるんだよな。違和感がかなりある。
「安藤隆……あー、アンドリューってさ、俺呼ばれなれてないんだ。できたら、俺にもあだ名につけてくれないか?」
「……アンドリュー様のあだ名を私、が?」
「ああ、うん。嫌か? できたらアマルに付けて欲しいんだけど」
アマルは数秒沈黙した。それが、妙に長く感じた。
「……では、アンディ様と」
それは囁くような声だった。
自信なさげに上目遣いに俺を見るアマル。そんな顔しなくても良いのに。にしても、アンドリューの愛称がアンディになるのか。
「アンディか。……うん、良いあだ名だ。アマル、改めてよろしくな」
「……はい、アンディ様」
アマルは安心したように目を細めた。
「じゃあ、アマル。俺、その司祭様に会ってくるよ」
断りを入れて、俺は扉へと向かった。とても大きな木製の扉だ。俺はそれを押し開こうと、取っ手に手をかける。
「ーーアンディ様」
静かで綺麗な声音に呼び止められ、俺は顔だけ振り向いた。
銀糸の髪が揺らめく。完成されたすぎた美貌が蝋燭の灯火に照らされる。鮮紅の瞳が俺を見据えた。
「……また、お会いして頂けますか。私に、それをお赦し頂けますか」
「そんなの当たり前だろ」
間髪いれず応える。
というか、なんだその質問は? 意図が良く分からん。心の中で、首を捻る。
「ああ……。嘘でも嬉しい」
アマルは、淡く微笑んだ。風が吹けば飛んでいきそうな儚げな笑みだ。彼女が何故そんな笑い方をするのか不思議だったが、それよりも安心させてやりたいという気持ちが勝った。
「……あのな、そんな嘘つく訳ないだろ? 司祭様に会ってきたら、また戻ってくるよ」
「……はい、ずっと待っています。私は……いえ、アマルは待ってます。ここで、アンディ様を」
アマルは胸の前で手を合わせ、俺に向けて祈るような動作をした。