聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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聞こえるはずのない囁き

 

 

 

「ここが黒殿のお部屋です」

 

 ヨハンナさんはそう言って、静かに扉を開いた。俺はヨハンナさん越しに部屋の中を覗き込む。

 

「ヨハンナさん、入っても良いですか?」

 

「……どうぞ、お好きに」

 

 了解を得て、室内に入る。

 質素な内装だ。机にタンス、そしてベッド。その華のない室内に安らぎさえ感じる。

 

 部屋の広さは四畳半といったところだろうか。そこまで広くはないが、1人で暮らすならこれぐらいが丁度良い。

 

 こんな個室を借りてしまって良いのだろうか。気を使わせたのなら申し訳ないな。

 

「本当にここに住んでも大丈夫なんですか?」

 

「ええ。……何かご不満でも?」

 

  ヨハンナさんは、訝しげに首を傾げた。

 

「いや、むしろシンプルで気に入りました」

 

  笑顔で答える。

  華美すぎる内装は逆に落ち着かない。日本人の感性を持つ俺としては、これで十分なのである。

 

 ヨハンナさんは、俺の顔を暫く見つめた。そして、そうですか、と小さく頷いた。瞳を微かに細め、確かめるように再度頷く。

 

「……この部屋にあるものは自由にお使い下さい。それと、その装いは少し目立ちすぎます。タンスに入っている衣服を着用するように」

 

「分かりました。とても助かります」

 

「結構」

 

  短く答えが帰ってきた。簡潔さを好むクールな性格なんだろう。素っ気ない受け答えに思わず苦笑した。中々お目にかかれない程の美人、ということもあり気遅れするというのが本音だ。

 

「きちんとした寝床もあります故、ごゆるりとお休みください。……ああ、流石に木の幹は固くて寝心地がよろしくなかったでしょう?」

 

 彼女は僅かに……本当に僅かに口角を上げた。

 

(からかわれている……のだろうか? )

 

 それに対して悪感情は湧かなかったものの、どう答えて良いものか分からず、うなじに手を当てて情けなく眉を下げた。この人、割かしSっ気があるのかもしれないな。

 

「えっと、まあ……そうですね。お気遣い、ありがとうございます?」

 

 思わず疑問系になってしまった言葉に、ヨハンナさんは目を伏せて返礼した。それから、思い出したように、俺の顔を見詰めた。

 

「……ああ、では私はこれで。食事の際はまたお呼びに伺います」

 

 淡々とした口調。平坦に変わらない表情。何を考えているのか全く分からない。アマルやベネディクト修道司祭もそうだが、このストーンハースト修道院では、こういう感情の起伏が少ない人が多いのだろうか。

 

  ……まぁ、どちらにせよ、そんなことは些細なことだ。だって、彼らはこんな見ず知らずな上、怪しい男を受け入れてくれたのだから。

 

 

 だからこそ、俺は―――

 

 

「……ヨハンナさん、ありがとう」

 

 

 ―――彼らに、感謝せずにはいられない。

 

 

 俺、安藤隆はこのストーンハーストにとって突然現れた身元不明な外国人だ。幸い……なのかどうかはこの際置いておくとして、言葉は通じる。だが、それだけだ。

 

 異質な存在を受け入れるというのは、独立した共同体に所属する人間にとって存外難しいことだ。何故なら、彼らにとって異質な存在は薬にもなり得るが、毒にもなり得るからだ。そして、厄介なことにそれは蓋を開けてみなければ分からない。

 

 薬か毒か、その二者択一に共同体の命運を預ける……そんなリスクを誰が好んで背負う?

 

 ならば、答えなど決まっている。最初から蓋を開けなければいいだけの話だ。

 

 だが、ベネディクト司祭はそうしなかった。その根本に、何があるのかは分からない。慈悲の心か、聖職者としての義務感か、そしてそれ以外の何かか。そこにどんな意図があれど、俺は確かに救われた。それが全てだ。

 

「ああ……貴殿が」

 

  ヨハンナさんは、そこまで言って言葉を止めた。

 

「ヨハンナさん?」

 

「いや……何でもありません」

 

  頭を振って、彼女は浅く息を吐いた。狼狽えている心を落ち着かせている動作。呑まれかけている気持ちを、掬いだすよう右胸を押さえる。その行動の理由を話すわけでもなく、背を向けたヨハンナさんの姿を目で追う。

 

 古びた木製の取手に手をかけて、彼女は扉に額を押し付けた。たった数秒の出来事であったが、俺にはその時間が妙に長く感じた。俺は彼女に声をかけることができなかった。彼女の背中は、全て拒絶するように頑だったのだ。

 

 ヨハンナさんは、そっと扉を開いた。そして、振り返ることもなく部屋を後にした。

 

  少しして、扉の向こうで囁く声が聞こえた。本来は扉に遮られ、聞こえる筈もないその微かな呟きをどうしてか俺の耳は拾い上げた。

 

 

「――貴殿が、真に悪人であったなら、どれ程幸いだっただろう」

 

 

 俺は、最後まで彼女が呟いた言葉の意味を理解することはできなかった。

 

 

 

 

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