聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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善良なる心

 

 

 

 

 空の器を手にし、母なるカエルラへの恭順を示せ。

 

 ああ、ペレグリヌス、外から(きた)る者。

 

 その血をもって器を満たすのだ。

 

 

 

 ーーーさあ、新たなる血を捧げよ。

 

 

 

 

  ***

 

 

 

 穴だ。

 

 ぽっかりと空いた穴。

 

 それを見つけたのは、本当に偶然だった。

 

 

 俺がこのストーンハーストに来て、早1ヶ月がたっていた。まさに光陰矢の如しである。

 

 ……とは言ったものの、正直まだまだ慣れないことばかりで不安が隠せない。俺はそんな憂鬱な気分をまぎらすために、俺は青空の元ゆっくり修道院の敷地内を散策をしていた。

 

 修道院の敷地を囲うよう張り巡らせた石壁を沿って歩いていると、大きな落葉樹が生える場所があった。

 何故だか妙にその場所が気になる。蜜蜂が花に惹かれる気持ちというのは、このような感じなのだろうか。そんなくだらないことを考えながら、木の裏に生えている茂みを掻き分けて進んでみる。

 

「……あっ」

 

 口から間抜けな声がこぼれ落ちた。何故なら、俺の視界の先には、人がやっと通り抜けられるサイズの穴が石壁に空いていたからだ。

 

「驚いた。まさかこんなところに、穴があいてるなんてな」

 

 大発見をしたような気分だった。無意味に誇らしい。誰も見ていないことを良いことに、ふふんと得意気に笑ってみた。

 

 ひとりで笑っていると無性に虚しくなってきた。頭を乱暴にかいて溜め息をひとつ漏らす。

 

(んで、この向こうはどうなってんだろう。修道院の石壁は高くて、外が見えないんだよな)

 

  そんなことを考えながら、俺は膝を落として穴を覗き込んだ。しかし、穴の向こうは薄暗くあまり良く見えない。日差しの向きを考えると、逆光で見えないだけだろう。ただ、穴から風が唸る恐ろしく低い音だけが耳に入った。

 

 数秒そうして穴の奥に目を凝らしていたものの、俺はそこを通り抜けようとは到底思えなかった。ただでさえ、修道院の中の生活さえ馴染んでいないのに、無謀にも外に出ようと思えなかったのだ。

 

 そっと立ち上がって、茂みを掻き分け元いた道に戻る。そして、振り返らずに足を踏み出し散策を再開した。

 

 唸り声にも聞こえる低い風の音が、暫く耳にこびりついていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

  散策を終え、修道院に戻り自室に繋がる廊下を歩いていたところだった。曲がり角の先から話し合う声が聞こえてきた。そっと身を隠し、覗き見る。いや、別に隠れる必要はなかったのでは? と、隠れてから思ったが、考えるよりも身体が動いてしまった。

 

「――ベネディクト修道司祭。今ならまだ間に合います。どうか、救いをお与え下さい。元より我らと何ら関係もない」

 

(あれは……ヨハンナとベネディクト修道司祭か?)

 

 顔を伏せ、沈黙を守るベネディクト修道司祭へヨハンナは鋭い眼差しを向けさらに語気を強めた。

 

「――優しく慈悲深く、何より善良なお方です。巻き込むべきではない」

 

「それでは、今までの者たちはどうなる。彼らも我らと全く関わりのない者たちだった。悪人だから、血を流しても良いと、救われなくても良いと、君はそう言うのだな」

 

「それは……」

 

  ヨハンナは唇を強く噛んだ。眉間にしわを寄せ、沈痛な表情を浮かべる。それを見たベネディクト修道司祭は、浅く溜め息を吐いて首を振った。

 

 とてもじゃないが、出ていけるような雰囲気じゃなかった。隠れたのは正解だったな。それにしても、一体何の話をしているのだろう。とりあえず、息を潜めて、聞き耳を立てる。

 

「ああ――いや、許してくれたまえ。君を責めるつもりは毛頭ない。そして、私にその資格もないだろう。それは自分が一番分かっている」

 

「っ……では、何故!」

 

「それが、我らに残された唯一の道だからだ」

 

「――修道司祭、貴殿はそれを良しとするのか」

 

 ヨハンナは静かに言葉を発した。激情を押さえ込んだざらつく低い声。鋭く尖った空気が場を満たした。

 はっ、とベネディクト修道司祭は諦めと嘆きがない交ぜになった笑みを漏らした。それから、表情を隠すよう天井を見上げる。

 

「迷いがないと、そう言い切れるのであればどんなに良かったか。私は常に罪にまみれている。だからこそ、神にすがり生きていく道しか知らない」

 

「ベネディクト修道司祭……しかし、私は」

 

「分かっている。分かっているよ。君にも曲げられない矜持があるのだろう。忠告はしよう。そして、その上でここを出ていったとしても決して追うことはしまい。それで良いだろう?」

「……貴殿に感謝を」

 

 目を瞑ってヨハンナは十字を切った。ベネディクト修道司祭もそれに続き十字を切る。

 

 もう話すことはないと言うように、ヨハンナは会釈をしてから彼の脇を通り抜けた。

 

「ああ、君……」

 

 ぼそりと、ベネディクト修道司祭は独り言を呟くように言葉を発した。

 

「……修道女ヨハンナ・スコトゥス。君こそあまり深入りせぬようにしたまえ。もしこの地に留まることになれば、後が辛くなるぞ。その慈悲の心は君を苛み、焼き付くすことになろう」

 

  ヨハンナは立ち止まり肩を震わせた。ただ、それだけだった。その言葉に応えることはせず、後ろを振り返ることもなく、彼女は薄暗い廊下の先へと消えていった。

 

 ベネディクト修道司祭は暫くその場に立ち止まり、彼女が消えていった廊下を見詰め続けた。

 

 

 

 

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