君は神様を見たことがあるかい?
――いいや。
なら、目には見えない神様を何故君は信じていられるの?
――決まってる。目に見えないからこそ信じていられるんだ。
***
俺は礼拝堂の長椅子に腰掛けていた。
いつここに来たのか、何故ここにいるのか、記憶が曖昧だ。頬を掌で撫でて意識を集中してみた。しかし、粉雪のようにぼんやりと思考が溶けていく。きっと疲れているんだろう。
億劫な心に飽き飽きして、長椅子の背もたれに体重をかけ身を任す。ぎしり、と断末魔に似た軋みが礼拝堂に響き渡った。その音が余計に礼拝堂の静寂を浮き出させた。
この数ヶ月、色々なことがあった。
妹の墓参りの帰路の途中、訳も分からず俺はストーンハースト修道院に迷い混んでいた。修道士たちの暮らしや外の話を聞き鑑みると……おそらく俺は中世ヨーロッパにタイムスリップしてしまったのだろう。
詳しい時代分析は歴史家でもないので分からない。ただ、アマルやベネディクト修道司祭が、アメリカ、フランスやイギリスと言った国々の名前を知らないということは、それらの国々がまだ成立していない、あるいは別の名前で呼ばれていた時代である可能性が高い。
更に言うと、彼らはヨーロッパという言葉も知らなかった。それはヨーロッパというある種の共通概念が生まれていない時代であるということだ。
間違いなく近世や近代ではないだろうし、暮らしていて古代と言うほど文化や生活が整っていない訳でもなさそうだった。後は、地球に似た異世界に転移したとか。もしくは、オルタナティブの世界、平行世界とやらに迷い混んだとか……。
そこまで考えて、思わず失笑してしまう。
自分でも正気を疑うが、それ以上の考えは浮かんでこないのだ。ひょっとして、これは夢なのかもしれない。長い夢を見続けているだけかもしれない。そう思うと、外国であるはずなのに通じる言葉も説明がつく気がした。
(……馬鹿馬鹿しいことだ。ああ、ほんと夢なら早く覚めて欲しい)
視線を礼拝堂の奥、大理石の石像に向ける。
両手を空に掲げ、深くフードを被った人物。
キリスト教のことを俺はあまり知らないので、彼が誰なのかは分からない。聖人なのか、殉教者なのか。キリスト教徒ではないのに、すがりつき祈りたくなる。
(……神様なんて信じていない。でも、こういうときにだけどしようもなく頼りたくなる。救いを与えることはできないくせに、救いを与えて欲しいと祈ってる)
もともこもないことだ。
弱気になっているから、ネガティブなことばかり頭に浮かぶ。こんな自分にも嫌気がさす。毎日うじうじ悩んでばかりだ。このヘタレめ。心で自身に喝をいれる。
その時だ。
ひんやりと冷たい風が後ろから吹き抜けた。
俺は怠惰に首だけ、後ろに振り向く。
「――ああ、アマルか」
「……アンディ様」
礼拝堂の大きな扉の前に、独り佇む女性。
ひっそりと、という表現がぴったりだ。すぐ側に居るはずなのに、存在感が希薄で揺らめく蝋燭の光のように弱々しい。彼女は俺の元へと歩みより、顔を覗き込んできた。
「顔色が悪い。大丈夫、ですか?」
「うん、大丈夫だ。すこしぼんやりしてただけだから」
そうですか、とアマルは小さく頷いた。それから、遠く彼方を見るように目を細める。
「……貴方様にはこの空気は酷でしょう。ここは、あまりにも淀んでいる」
そう言って、アマルはぎこちなく笑う。どこか歪な笑顔をどうしてこの少女が浮かべたのか。俺には分からなかった。そして、それを問おうとも思わない。むしろ、そうしてはいけないとさえ思った。
「アンディ様。ここから出て、光を浴びていらしてください。貴方様はそこに行くべきです。光輝く場所こそアンディ様に相応しい」
アマルは遠慮がちに呟く。そして、乞うように右手を差し出した。しかし、それも長くは続かない。
手を差し出したのは、無意識の行動だったのだろう。アマルは自身の差し出した右手を視界に入れ、びくりと身を震わせた。はっ、と浅く息を吐き出し、直ぐに右手を下ろす。そして、咎めるように左手で強く押さえ付けた。
「アマル」
「は、はい」
視線を泳がせ、おどおどとした様子のアマルを安心させるために微笑む。
「心配してくれてありがとう。うん、そうだな。そうするよ」
俺は立ち上げって、肩を鳴らす。ぐっと屈伸をしてから、息を吐く。
「そういや。アマル」
「はい。なんでしょう?」
「ずっと気になってたんだけど、あれって誰の石像なんだ?」
――――沈黙。
「アマル……?」
不思議に思い、アマルの名前を呼んだ。アマルは石像を見詰めながら、唇を震わした。
「ストーンハースト」
「えっ?」
「この石像はストーンハースト。カエルム・ストーンハースト。このストーンハーストを造りし者」
俺は改めて石像を眺めた。
「……神からの天啓を求めトートヴァルトにやって来た
アマルの言葉にとりあえず頷く。
正直後半の意味は全く分からなかったが、この修道院を建てた人物ということだけ理解した。
「すごい人なんだな」
アマルは何も答えず、曖昧に微笑んだ。
「さて、じゃあ外の空気を吸いに行くとするか」
「……はい」
扉に向かって歩き出す。
数歩足を動かして、俺は振り向いた。
「アマルも付き合ってくれ。一緒に日向ぼっこしよう」
「……えっ?」
アマルはポカンと口を開けて俺を見た。こいつはなに言ってるんだという表情。
「いや、だから一緒に外に行こうって言ってるんだ。独りより二人の方が楽しいだろ? ……嫌か?」
「嫌なんて、そんな。でも、私」
顔を伏せて、ぎゅっと拳を握るアマル。それに合わせて、銀髪がさらりと流れた。
(アマル、どうしたんだろう? そんなに外に出るのがいやなのか。日差しに当てると日焼けするから、とか。まあ、アマルの肌すごく白いし……ん、白い?)
そこまで考えて、はっとする。
透き通る程白い肌、銀色の髪、鮮紅の瞳。
それって、アルビノの特徴なんじゃ。あっ、だから日光に当たっちゃ駄目なんだ。日焼けすると火傷みたいになるって聞いたことある。
(でも……アルビノだからって、気を使いすぎると悪いし、そんなこと言ってたら何もできなくなる)
何より俺は、アマルを独りここに置いて行きたくなかった。我が儘だと自覚しているが、どうしようもない。それに今アマルはローブ着てるし、フードを深く被ってたら大丈夫……なはずだ。
「嫌じゃないなら問題ないな。行こう、アマル」
「……アンディ様」
「そんで、一緒に空を見ような。ぽかぽかして、気持ちいぞ」
彼女は眩しげに目を細めた。
そして、小さく頷く。
「貴方様と見上げる空なら、例え嵐を孕む空も、血潮を溶かした黄昏、蠢くように底知れぬ闇夜さえも、きっと何より尊く……美しく見えるのでしょう」
鈴の音のような凛とした声で、アマルは朗々と語る。その姿があまりにも綺麗で、数秒固まってしまう。
「――お前って、詩人みたいなことを言うんだな」
きょとんとした顔。
アマルは困ったように眉を落として、上目遣いで俺を見る。
「……そのようなこと、初めて言われました」
「そうか? でも、アマルの言葉が綺麗だからそう思うのかもしれないな」
「ひぅ……あ、アンディ様ぁ!」
いきなり大声を出されて、ビックリした。
えっ、何、どうしたんだ?
「ずるい……」
「えー、何でだよ?」
「ずるい、ずるいっ!」
駄々っ子か。
地団駄を踏むアマルに呆れる。
いつもはクールであまり表情を変えないから、子どもみたいな行動が余計に微笑ましく感じる。最近は気を許してくれたのか、そんな姿を見せてくれるようになった。それがとても嬉しい。
「分かった。俺が悪かった」
両手を上げて降参のポーズ。まさに無血開城である。
「……全然分かっていませんねっ」
アマルは頬を限界まで膨らませた。
どうしよう可愛い。ここに栗鼠がいるぞ。
ニヤニヤして見ていると、アマルは拗ねてツーンと顔を反らした。
「いや、ほんとごめんって。なあ、機嫌直してくれよ」
「……ちゃんとエスコートして下さるなら、アンディ様と一緒に参ります」
「あはは、任せろ」
「はい、任せました」
頬を染めて、アマルは噛み締めるよう呟いた。
「――ーー貴方様は私たちの光」
讃美歌を歌うような荘厳とした表情を浮かべ、手を胸の前で組むアマル。
「ん? それってどういう意味だ?」
「ふふっ、そのままの意味です」
アマルは笑った。
その純真な笑みに、俺は安らぎを覚えていた。顔は全く似ていないのに、その笑い方はどこか静代に似ているような気がした。