待ち人きたり
黄昏空で影おくり。
くるくるくるくる踊り出す。
夜の帳は下りきった。
君の影はいずこやら。
答えは真っ暗闇の中。
その先に一体何がある?
***
緑葉の薫りが鼻を擽った。意識がそれにつられて覚醒する。
目を数回擦って、頭を上げる。
辺りは薄暗く、窓から夕日が差し込んでいる。立ち上がろうとして、俺は誰かの手を握っていることに気が付いた。
さらりと流れる明るい茶髪。長い睫毛にすっと通った鼻筋。スレンダーな身体付きだが、どこか色気を感じさせる容貌の女性。
「……ソフィアさん」
彼女は身動ぎさえせずに、安心しきった表情を浮かべ深い眠りに落ちているようだった。
「―――そうか。俺、ソフィアさんに付き添って、そのまま寝てしまったんだな」
繋いだ手を見る。ソフィアさんは何かを見て、強く怯えていた。せん妄状態に陥ってひどく取り乱し、俺は彼女を落ち着かせるために手を握ってあげていたんだ。
彼女の手を優しくほどいて、俺は小さく溜め息を吐いた。
長い夢を見ていた。
それは俺がストーンハーストに来た時の夢だ。懐かしく、どこかもの悲しい夢を見ていた。
そのお陰で、甦った記憶がある。
「……ペレグリヌス。それに、カエルム・ストーンハースト」
ストーンハーストに来たばかりのとき、自分のことで精一杯だった。それ故、記憶の彼方に追いやり、いつしか忘れてしまった言葉。
―――ペレグリヌス。
そう俺はベネディクト修道司祭に当初そう呼ばれていた。そして、アマルはその言葉を「異邦人」と表現していた。
更にこのストーンハーストの創設者であるカエルム・ストーンハーストという人物。ストーンハースト修道院の名前は、彼から取られたものなのだろう。そして、彼もまたペレグリヌス……異邦人であった。
カエルムがこのストーンハースト修道院の秘密に深く関わっていることは間違いないだろう。
そして、彼と同じくペレグリヌスと称された俺も、このストーンハーストにおいて何らかの役割を担わされている、そう考えるべきだったのだ。
ペレグリヌスという言葉が純粋に異邦人という意味で使われているのであれば、ソフィアさんのような巡礼者も該当するはずだ。
しかし、ソフィアさんがペレグリヌスと呼ばれている事実はなく、俺とは違い修道士からも本名で呼ばれている。そう、俺と彼女では明確な差があった。
それはつまるところ、ペレグリヌス足り得るには何かしらの条件があるということを示唆している。
何より一番重要なことは、ペレグリヌスという存在がこのストーンハーストにとってどのような意味があるのか、ということである。それこそ俺が禁忌の存在であるアマルと話し、触れて、愛し合うことができ、それを黙認されている理由なのかもしれない。
(……くそっ、俺は最初から間違っていたんだ)
今まで俺は、無意識に自身を蚊帳の外に置いてしまっていた。一番始めに、修道院での一連の出来事はあくまで彼らのものである、という先入観を捨てなければならなかったのだ。
ここを訪れたときから、俺はストーンハーストの深淵に触れていたのである。
ああ、そうだ。
何故、俺はそれを忘れていたのだろう。
……忘れてしまって、いたのだろう?
***
ソフィアさんの様子を暫く見てから、俺は修道院の自室へと戻ってきていた。
扉を開き中に入ると、夕日が部屋に差し込み壁が黄昏色に染まっていた。そして、立ち尽くし窓の外をじっと眺めているアマルが目に入る。
「アマル……ただいま」
俺は少し声を落としてアマルに声をかける。彼女は髪を舞わせ、ゆっくりと振り向いた。逆光で黒塗りしたような顔が俺を見詰める。表情が見えない。
「アンディ様、おかえりなさい」
どこか機械的な声音で、彼女は俺を迎え入れた。
「……ずいぶんと遅かったですね」
「ごめん。ちょっと、色々あって」
「そうですか」
アマルは小さく頷いた。それから、俺に歩み寄りそっと抱きついてきた。
「こんなに、他の女の臭いを纏わせて……一体何をしていたのですか?」
きつく締め上げられる。どうやったら、少女の細腕でこんな力が出せるのか。火事場の馬鹿力というやつなのだろうか。いや、こんなところでそれを発揮されても困るのだが。……アマルからすれば、俺が他の女と居ること自体、きっと自身の命を揺るがす状況と等しいということなのだろう。
だから、これは決して逃がさないという意思表示だ。苦しくて、ふっと息を浅く吸う。
「あのな、勘違いするな。誓ってお前が思うようなことはしていない。ソフィアさんを看病してただけだ」
それだけ言って、俺はアマルの背中を優しく擦ってやる。彼女は小さく肩を震わせた。何度も詰まらせながら、必死に言葉を紡ごうとしている。
「う、っ、あ、アンディ様は、すぐ、戻る、と言いましたっ。そう言ったのに、言ってたのにっ!」
「……それは、ごめん。でも、ソフィアさんとは何もない」
「本当、ですか……?」
「ああ、本当だ。俺を信じてくれ」
肯定する。
信じて欲しいと甘く囁き、俺にはお前だけだと、行動で示めす。アマルは常に飢えている。アマルは常に不安を抱えている。
―――アマルには俺しかいないから。
アマルは俺に泣いてすがり付くことはあっても、膝まずいて俺に愛を乞うことはあっても、俺の生き方を決して否定しない。それは、きっと何より俺が離れていくことを恐れているからだ。
「信じます。……だって、今度はちゃんと戻って来てくれたから」
背中に回した腕をほどいて、俺の服を下に強く引っ張る。いつもの無言の催促。
俺は急いで屈み、アマルに顔を寄せる。そうすると、すぐさま噛みつくようにキスをされた。
それは俺の愛を渇望するアマルの心を写しているように思えた。