聖者の牢獄   作:桂太郎(テムヒ)

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閑話 アマルティア 祝福の朝

 

 

 

 

(……もう、朝か)

 

 ぼんやり世界をうつす視界。ふわふわと曖昧な思考。ふぁ、っと小さく欠伸が出る。

 

 元々、私は寝起きが悪い方ではなかった。それは、常に気を張って生きていたから……なのかもしれない。昔のことは、あまり覚えていない。覚える価値もないからだ。

 

 夢に癒しはなく、また現実もしかり。故に、私は本当の意味で安眠を得たことなど一度もない。

 

(でも、今は違うーー)

 

 アンディ様が側に居てくださる。柔らかい日溜まりのように安らげる場所がある。寝起きが悪くなったというよりも、安心して微睡みに身を任せることができるようになった、と言うべきなのだろう。

 

 闇が後退し、室内はぼやけたような薄青色に染まっていた。朝日はまだ暫く顔を出さないだろうが、それでも十分部屋の中を見渡すことができる明るさだ。

 

(そろそろ、起きないといけないな。水浴びをして、身を整えないと。……あっ、ん、アンディ様の、ぬるぬる、する)

 

 胸を手でなぞると、粘液が指に絡み付いた。独特の匂いを発する白濁したそれを見て頬が緩む。

 

(はぁ、昨晩もアンディ様は、とても素敵だった。逞しくて、激しくて、あんなにも強く私を求めてくださった)

 

 私の身体は、抱き心地が良いらしい。

 アンディ様が以前そうおっしゃっていた。私は、私の身体が良いと思ったことは一度もないけれど、アンディ様がおっしゃるならそうなのだ。アンディ様が間違ったことを言うはずがない。

 

 この身体がアンディ様の役に立てるなら、いかようでも好きにして欲しい。アンディ様に与えられるものであれば、痛みさえも愛おしい。乱暴に扱われても良い。

 

 隣で眠るアンディ様に抱きつこうとして、何とか踏み留まる。アンディ様のこれは、決して汚いものでも穢らわしいものでもない。むしろ、神聖なものだ。しかし、アンディ様にとって、そうではないらしい。残念だが、身綺麗にするしかない。枕元に置いている布巾で丁寧に拭う。

 

 胸やお腹に張り付いたそれを拭き、起き上がろうとして……布団の中に入り、アンディ様の胸に身を寄せた。起きないと、そう頭では分かってはいるが、離れがたい。

 

 私は未練がましく、アンディ様の厚い胸板に頬を擦り付ける。こうすることで私の匂いが一生アンディ様の身に纏わり付けば良いのにと思った。そうすれば、この浅ましい独占欲も満たされるだろうか。

 

 そこまで考えて、思わず失笑してしまった。この強烈な独占欲は決して無くなることはない。私が私であるかぎり、その炎は胸を焦がし、心を燻る。

 

 それほどまで、私はアンディ様をお慕いしている。

 好きで好きで好きで好きで好きで、自分でもどうしようもないくらい。

 

 ――アンディ様と出会って、私は愛を知った。

 

 それはどうしようもなく甘美な想い。

 愛とはきっとこの想いを抱き続けることを言うのだろう。

 

 布団から顔を出す。

 アンディ様はまだ目覚めていなかった。

 起こさないように細心の注意を払って、彼の少し荒れ乾いた唇を吸う。舌を這わせて、その唇を潤してみる。

 

 アンディ様はむずかるように小さく唸って、眉をひそめた。

 

(……アンディ様は見ていて飽きない)

 

 なんて、素敵な表情なのだろう。いつも凛々しいのに、寝顔はどこか幼い。頬が緩むのを自覚した。

 

 枕に頭を預け、私はじっとアンディ様の顔を見詰める。彫りの浅いこちらでは見かけない顔立ち。男らしい眉に、真っ直ぐ伸びた鼻筋。象牙色の肌はエキゾチックで艶やか。相変わらず男前な顔立ちだ。アンディ様以上の男などこの世界に存在しないと確信する。

 

 まだ身支度をしていないため、少し伸びたお髭が目に入る。アンディ様は人一倍清潔に気を遣う。毎日きちんとお髭を剃るのでこのような姿が見れるのは早朝だけ。後で頬を擦り付けて、思う存分じょりじょりを味わおうと心に決めた。

 

 安心しきった無防備な表情。

 それだけ私に気を許してくれているのだ。誇らしい気持ちになる。

 

(……早起きした甲斐があった)

 

 この表情を見るために、最近毎日早起きをしている。アンディ様の胸に顔を埋めるのも好きだが、寝顔を眺めるのも捨てがたい。

 

(アンディ様。アマルは貴方様を愛しています)

 

 目が覚めて一番最初に目に入るお方がアンディ様であり、眠りにつく時、私を優しく抱いて包んで下さるのもアンディ様だ。それがどんなに尊いことか、それはきっと私にしか分からない。

 

 それで良い。

 

 それが良い。

 

 だって、この立場を私以外の何者にも譲るつもりはないのだから。……決して、誰にも。アンディ様は永遠に私だけの光だ。

 

 私はもう一度アンディ様の唇に自身の唇を重ねた。そうすると、身体が暖かくなる。

 アンディ様の唇を吸って、そのまま舌を割り入れる。歯茎を舐め、唾液を啜る。寝ていらっしゃるからか、アンディ様の口内は少し苦い味がした。

 

「んんっ……むっ、むぐ、あ、あふぁる?」

 

「あ、んで、ひゃま、ん、ちゅっ……れろ、じゅる」

 

 流石に起こしてしまった。

 少し反省するものの、口吸いをそのまま強行。驚いて縮こまった舌を絡め取り、引っ張り出す。

 

 アンディ様は諦めたとでも言うように、私の好きにさせて下さった。嬉しい。更に激しく舌を絡め、アンディ様の唾液を吸う。

 

 数十秒して唇を離すと、アンディ様にコツンと優しく頭を小突かれた。  

 

「っはぁ、全く……アマルは、吃驚する起こし方をしてくるな」

 

「はい。ごめんなさい」

 

「そんな満面の笑みで、謝られても。というか、そもそも悪いって思ってないだろう」

 

「はい。ごめんなさい」

 

「こら、アマルのおバカ。……全く、言ったそばからこれだもんな」

 

 困ったように眉を下げて、苦笑するアンディ様。

 アンディ様は体勢を横向きに変えて、肘枕をつく。その動きで布団がずり下がり、逞しい胸筋と腹筋が露になった。無駄なく鍛えられ、しなやかで美しいお身体。なんて男らしい。素敵すぎて、目が釘付けになる。

 

「じろじろ見すぎ」

 

 そう言われて、頬が熱くなった。舐め回すように見てしまっていた。あまりにも不躾すぎたと自戒する。

 

「……アマルは変なところで初だよな。俺の裸なんて毎晩見てるのに、まだ慣れないのか?」

 

「ううっ、アンディ様が素敵すぎるのがいけないのですっ!」

 

「はぁ、俺のせいかよ……」

 

 呆れた声。アマルはしょうがない娘だな、という眼差しを向けてくる。しょうがなくありません。むうっ、と頬を膨らませる。

 

「おお、アマル栗鼠がお出ましだ」

 

 両手で膨らませた頬をむにむにと揉まれた。

 

「あ、アマルは栗鼠では、ありません!」

 

「そうか? 良いじゃないか、栗鼠。可愛いと思うぞ」

 

「……なら、栗鼠で良いです」

 

 アンディ様はずるいと思う。簡単に私の心を虜にする。……私以外の女人には絶対にして欲しくない。そんなことをしたらどうしてやろうか、アンディ様の虜となった他の女人を。

 

 惨たらしくーー

 

(いけない。それ以上、越えてはいけない)

 

 アンディ様は誰よりも優しいお方だ。近しい者がいなくなると、嘆くだろう。そんなこと、あってはならない。私は決してアンディ様を傷つけたくない。悲しませることもしたくない。そんなことになれば、私は私を許せない。

 

「アマル」

 

 闇に沈みかけた思考を払うように、アンディ様は頭を撫でてくれた。ふふっ、気持ちいい。ずっとそうして欲しい。

 

「ああ、そういや言い忘れてたな」

 

 一拍置いて、ぐっと手を引かれ抱き締められる。お互いの肌が直接触れあう。身体も心も暖かい。

 

 アンディ様は私の頬に手を当て、日溜まりのように笑った。

 

「――おはよう、アマル」

 

 ああ。

 

 アンディ様。

 

 貴方様がその笑顔を私に向ける度に、私は心から幸せだと実感するのです。貴方様の側では、世界が素晴らしく見える。過ぎ去った日々に愛しさすら覚えるのです。それは貴方様が私に与えてくれた祝福。

 

 私は貴方様のために祈り、希望を歌いましょう。

 

 貴方様は私の喜び、私の愛、私の幸福……私の全て。

 

 

  ――私の心には、今もあの青い花が咲いています。

 

 

 

 

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