ストーンハーストの広大な敷地には様々な施設が存在する。
養蜂所や醸造所、チーズ生産・保管所、巡礼棟、診療所、大聖堂、大工所、農牧用施設、養鶏所、菜園、薬草園等々。
修道士は自給自足の生活を行っているため、修道院の敷地には生活する上で、またミサや聖体祭儀を営む上で必要な物を全てを生産している。この修道院という独自の共同体は、その領内で需要と配給を完結させているのである。
そのサイクルを円滑に回すためには、当たり前だが毎日労働をしなければならない。修道院は、「全ての労働は祈りに繋がる」という考えが根本にある。それ故、1日の大半は労働と礼拝をして過ごすのだ。
そんなこんなで、今日のお仕事は放牧である。
牛舎から牛を出して、餌を食べさせる。農作物を食べられてしまわないように、また草を食べ尽くさないように見張り、移動をさせる。これが結構な重労働で、全てを終わらせた後は疲労を強く感じる。
放牧が終わり休憩する。脇にある広葉樹にもたれかけ、木陰で涼む。農牧地一面には白詰草が生えており、これを牛たちが餌として食べている。俺はおもむろに白詰草を摘んだ。
「おや、黒の旦那。クレーを摘んでどうしたんですかい?」
「クレー?」
「ほら、その花の名前ですよ」
「ああ、白詰草のことか。ここではクレーって言うんだな」
ひょっこりと顔を出したフランチェスコの言葉を受け、俺は白詰草を掲げくるくると回した。
「ええ、そうでさぁ。旦那の所では、シロツメグサって呼ぶんですね」
「うん。昔外国から輸入されたガラス製品の緩和材にこの花が入れられていたんで、『白詰草』って名前になったらしい」
「へぇ、なるほどでさぁ。面白いいわれなもんですね」
フランチェスコは感心したように頷く。その少年のような表情がなんだか微笑ましい。
「俺もここにきて、言葉の違いで驚くことがあるな。人の名前とかもそうだ。場所によって呼び方が変わるだろ?」
「そうですね。あっしの名前もフランツやフランソワと呼ばれることもありますし」
「フランチェスコはフランソワって感じがしないな。フランソワとか優美なイメージだし」
「ええー、そりゃ、どういう意味でさぁ」
「……悪い、本音が出てしまった」
「えー、旦那、マジで謝る気全くないですよねぇ」
肩を落とし、情けない顔をするフランチェスコ。面白い。俺は肩を軽く叩いて励ます。
「フランチェスコは、やっぱりフランチェスコって名前が似合っていて良いってことだよ」
「何か丸め込まれている気もしますが、そう言われりゃ嬉しいもんですねぇ」
彼はニコっと愛嬌ある笑みを浮かべた。人好きするフランチェスコの性格を表した笑顔だ。
「ちなみに、ヨハンナはどう呼ばれるんだ?」
ふと、ヨハンナの顔を思い出してフランチェスコに問いかける。フランチェスコは顎に手当て、唸る。
「むむっ、そうですな。ヨハンナ殿は、ジョアンナ、ジェーン。ええっと、後はジャンヌとかですかねぇ」
「………ジャンヌか」
ジャンヌという名前で思い浮かぶのは、やはりオルレアンの乙女、聖女ジャンヌ・ダルクだ。
神の声を聞いたと救国の英雄として祭り上げられた少女は、弱冠19歳で異端者として弾劾され、火刑に処された。牢獄に入れられていた期間に19歳になったので、年齢に関して諸説はあるだろうが、戦場に立ったのは17歳から18歳の間。実際の活動期間は1年程度なのだそうだ。
そんな短い期間であれだけのことをやってのけたのだから、その勇気、行動力、何よりも信仰心は目に見張るものがある。
今で言うと高校生という若さで、屈強で荒々しい男性たちに混ざり血と死が蔓延する戦場に旗を持って立ち向かったのだ。現代の価値観では考えられない。
(……ヨハンナとは全く関係のない人物なのに、不思議とイメージが重なるんだよな)
「黒の旦那? いきなり、ぼーっとしてどうしたんですかい?」
「ーーいや、何でもない。そういや、フランチェスコ。そろそろ礼拝の時間じゃないのか?」
「おっと、マジですねぇ。さてさて、旦那。あっしはお先に失礼しやす」
「ああ、じゃあまたな」
軽快な足取りで、大聖堂に走り去るフランチェスコを見送る。相変わらず、丸々としている癖に足の早いこと。思わず笑みが溢れた。
俺は手元にある白詰草に視線を向ける。
(久しぶりにアレをやってみるか……)
再び白詰草をくるくる回して、足元に生える花々を見下ろした。
***
「ただいま」
そう言って、部屋に入る。
「アンディ様、おかえりなさいっ!」
アマルが嬉々として俺を出迎えてくれる。
満面の笑みを浮かべ、勢い良く抱きつかれた。そして、くいくいと服を下に引っ張られる。
分かった分かった。
苦笑しながら、少女の希望通りに身体を屈ませた。アマルは待ってました、とばかり俺の首に手を回して唇を差し出す。俺はそっと触れるだけのキスをした。
もはや日課になっている、いってきますとおかえりなさいのキス。まさか自分がそんなバカップルみたいな行為を毎日するなんて思ってもみなかった。……いや、みたいなじゃない。今の俺たちはどうみてもバカップルだ。
幸せそうに頬を染めるアマルを見ると、もうバカップル良いやと思う。俺も相当である。
「アマル、これやるよ」
「これは……クレー、ですか?」
「ああ、クレーの花冠だよ。お前に似合うと思って。久しぶりに作ってみた」
そう言って、頭にそっと花冠をかける。
アマルの銀髪に、白い花が良く映えて見えた。その美貌と相まって、本物のお姫様みたい。
「うん、思った通り似合う。とても可愛いよ」
「……アンディさまぁ」
アマルは瞳を潤ませ、肩を震わせた。
「それと、まだあるんだ。ほら、左手」
手を差し出すと、すぐその上に手を置いてくれた。白く細い薬指に白詰草で作った指輪を通す。すこし大きかったので、調整を加える。
「よしっ、と。どうだ? 結構様になってるだろ?」
「はいっ。嬉しい。嬉しいですっ! アンディ様、ありがとうございますっ!」
「喜んで貰えて良かった」
「大切にします。一生、大事に致します」
「ありがたいけど、花だから一生は難しいかな。まぁ、ドライフラワーにしたら半年くらいは持つかもしれないけど」
「……うう、半年、だけですか」
しょんぼりと肩を落とすアマル。青い花を贈った時もこんな感じだった。俺は少女の頬を撫でて、慰める。
「そんな顔するな。お前が16歳になったら、ちゃんとした指輪を渡してやる。その、アマルとなら、幸せな家庭を築けると思うから……あっ」
言葉を発してから、プロポーズのような言葉を口にしていたことに気が付き思わず赤面する。強烈な羞恥心が襲ってくるが、自身の言葉を訂正しようとは思わなかった。
前々から、俺はアマルとの関係について考えていた。
俺はアマルが好きだ。
彼女との関係は日溜まりのように穏やかで心地が良い。だが、本当にアマルのことを想うなら、きちんと今後について考えていかなければならない。
修道女は生涯婚姻をしない。
ならば、正式でなくても良い。事実婚という形式でも、アマルと一緒になってあげたい。そうすれば、きっと彼女の不安や孤独も癒してあげられるだろう。
家族を亡くした俺と、家族の温もりさえ知らないアマル。どこか歪で不完全な俺たちだからこそ、お互い足りないものを補い合い、ひとつの家族になれる。たどたどしい足取りでも、一緒に生きていける。俺はそう思うのだ。
「あ、アンディ様、それって……っ!」
アマルは目を見開き、俺を見つめた。俺はアマルの両肩に手を置いて、笑いかける。
「ああ、うん。そうだな。あー、それまで待って、くれるか?」
「……はいっ、待っています。ずっと、ここで。この場所で、待っています。何があっても、待っていますっ!」
「そっか。ありがとな」
「ああ、アマルの愛しい人。アンディ様がずっと側に居てくださるなら、もう何もいらない。それだけで、幸せ。本当に幸せなの。ーー身も心も、そして貴方様が望むならこの
アマルは、泣きながら笑った。
その姿はどこか儚げで、今にも消えてしまいそうだった。俺は確かめるように彼女を抱き締めた。
……そうしないといけないと思った。