マレビト。
あるいは、まろうど。
それは古来からある信仰概念。
共同体に訪れた外部の人間。
客人、稀人、異人、異邦人、それらを指す言葉だ。そして、同時に異界から来た神……来訪神を指す言葉でもある。
隔離された共同体の外部から訪れた異界の住人は、幸福をもたらすとされていた。それ故、古の人々は彼らを歓待し奉るのだ。そう定義付けると、マレビトである来訪神は身近に存在する。
思えば、「六部殺し」もマレビト信仰の体系をもった昔話であると言えるのではないだろうか。
一晩の宿を貸した旅の六部から、百姓は結果的に金品という福をもたらされた。マレビトである六部は来訪神としての一面があるととらえることができる。
もっと身近に考えてみよう。
例えば、お盆は異界から戻り、守護を与えてくれる祖先の霊……来訪神を迎え歓待する行事である。家々を訪れ厄を払い怠け者を戒め、福をもたらす男鹿のナマハゲもしかり。また、西洋のサンタクロースも一種の来訪神だとも考えられる。
――マレビトは、異邦人でありまた神でもある。
俺はそこまで考えを纏めて、軽く屈伸をする。ぐっと、唸ってから目を閉じる。
アマルと水浴びをした後、彼女はいつものように礼拝に行き、俺は書庫を訪れていた。今まで情報や経験を改めて整理し、関連付け紐解くためには、やはりここがちょうど良いと思ったからだった。
「うーん。アイツの話をもっとちゃんと聞いていたら良かった。まさかこんなところで、その弊害が出るとは思わなかったな」
当時、民俗学にあまり興味がなく、熱心に話してきた友人に辟易すらしていた。そのつけが今になって跳ね返ってきたのだ。
友人から与えられたうろ覚えの知識を繋ぎ合わせて、並べていく。その並びが正しいのか分からないし、今論じるべきではない。この時点で考え得ること、できることを全力でする。結果論というより方法論の問題だ。
「マレビト信仰の定義に当てはめるなら、このストーンハーストにおいて、俺の立ち位置は
はっ、と乾いた笑みが零れた。それは誰でもなく自身に向けた嘲笑だった。
「俺が神様なんて、悲劇を通り越して喜劇だ。くそ、くそったれ。そもそも、俺は神様なんて信じていない。それ以上に、俺はーーーー」
そこまで言いかけ、俺は掌で口を覆った。
ああ、畜生。
まったく、嫌になる。俺はいつもこうだ。攻撃的なネガティブさなんて、録な感情じゃない。そうだ。怒りにまみれた昏く汚泥のようなこの思考は、あまりにも醜い。ぐしゃり、と髪をかき上げ深く息を吐いた。
落ち着け。まずは、落ち着け。
どくりどくり、と大きく脈打つ心臓を押さえるように、左胸に手を置く。暫くそうして、心を落ち着かせてから俺は再度考えを巡らせた。
俺が人ではなく、来訪神であることを望まれているとしよう。ならば、どのような幸福をもたらすことを期待されているのだろうか。
「……間違いなくアマルとの関係について、だよな」
俺だけがアマルと話すこと、見ること、触ること、話しかけることができる。いや、暗黙の了解として許されている、と言うべきか。それは俺がマレビト……神であり、現世の者ではないから。人でなければ、アマルと触れ合うというタブーにも抵触しない。そう考えられているのではないだろうか。
逆に言うと、アマルと接触できるのはマレビトでなくてはならないということだ。ぞくり、と寒気がする。
「……だから、ベネディクト修道司祭はなんの抵抗もなく俺をストーンハーストに招き入れた?」
それならば、辻褄が合う……気がする。あくまでも、気がするだけなのだが、ソフィアさんが
そして、俺たちがアマルや超自然的な存在と接触できるということは、アマルやその
ヨハンナが言うように、この地は常世と現世が交わる場所だ。白昼夢、這いずるまつろわぬ者、静代、全てが繋がる。
眉間を揉んでから、頭を掻く。髪から漂うレモンの香りが仄かに鼻を擽った。それを嗅いで、気持ちが少し落ち着く。
ならば、ソフィアさんと俺の違いは何だ。ソフィアさんは巡礼者として一時的に滞在しているだけ、回復すればここを出て行くだろう。片や俺にはそういった期限は存在しない。
後は―――
「―――男女の違い」
そうだ。
俺は男で、ソフィアさんは女。
そこが一番大きな違い。
「夢分析。礼拝堂、杯は子宮。蝋燭は男性器の象徴。静代の夢の続き。男女の違い。アマルと俺。接触を許される理由。ヨハンナが俺とアマルの肉体関係を咎めなかった理由。ヨハンナに話した静代の夢の話から思っていたが……やっぱり、そういうことなのだろうか」
ストーンハーストが俺に期待した幸福とは、俺とアマルの子ども。アマル……アマルティアの血脈を受け継ぐ存在。
それこそ、俺の存在意義。
落ち着け。
再度、深呼吸をひとつ。
アマルはそのことを知っていたのだろうか。知っていて、俺に何度も何度も抱かれていたのだろうか。だったとしたら、あまりにもやるせない。
「……いや、アマルはそんな器用な奴じゃない。例えそれを知っていたとしても、あいつは俺をどうしようもなく愛している。ただ一途に、狂おしい程俺を。それは決して勘違いなんかじゃない」
ただ何故だ、と思う。
忌み子として迫害されているはずのアマルの血をわざわざ残す意味が分からない。そして、ここには居ないアマルの両親、亡くなった双子の姉の存在は一体。
「……そこに秘密の答えがある、という訳か」