士道くんは中二病をこじらせたようです 作:potato-47
そいつは実に珍妙な人間だった。
何人たりとも犯せぬ八舞の戦場に突如として姿を現し、次から次へと度肝を抜く言動を以ってこちらの予想など容易く斜め上に超えていった。
最初はただの興味、それは徐々により親しみのある感情に変わっていき、最終的には恋心へと辿り着いた。
「<
そんな約束は実のところ、彼と会うための口実に過ぎない。
でも、失念していたのだ。
耶倶矢が好きになるものは夕弦もまた好きになるし、夕弦が嫌うものは耶倶矢も嫌う。
一人の少年と二人の少女。
始めから席の足りないボーイ・ミーツ・ガール。
だったら、たった一つの残された未来を生きるべきは、耶倶矢ではなく夕弦であるべきだ。そう思っていたのに、その想いは永遠に変わらないものだと思っていたのに、精霊である自分もまた恋に恋するただの乙女だったらしい。
目の前で<業炎の咎人>――五河士道が死に瀕した時、思ってしまったのだ。
――まだ一緒に居たい。
果たしてその『まだ』とは一体いつまでのことだろうか?
もう目を逸らすことはできない。どれだけ苦しくても認めよう。一瞬でも夕弦が生きる未来よりも、自分が生きる未来を望んだことを。真の八舞はどちらかを決める戦いなんてものは、あの一瞬の想いの中には介在する余地はなかったのだと。
だから、夕弦には秘密にして独断で士道と別れを告げることを決めた。自分の醜い部分を直視できなかったから、夕弦との関係を壊したくなかったから、生きていたいとこれ以上強く思いたくなかったから。
悪趣味な脚本を呪い、思い通りにならない現実を恨んで――ただ夕弦に生きてほしいという純粋な想いだけを胸に、結末の決まった悲劇を演じ切ろう。
――真の八舞には夕弦こそが相応しい。
それが八舞耶倶矢の決意だった。
しかし、その選択は五河士道の力によって無意味となる。
笑うべきかどうなのか、悲劇はどうやらいつの間にかに喜劇に変わりつつあるらしい。
*
耶倶矢から八舞の真実を包み隠さず伝えられた士道は、怒りと悲しみの入り混じった感情に表情を上手く作ることができなかった。
機関の考えそうなことだ。少女たちが悲劇に悶える姿をどこかで高みの見物をして、愉悦に浸る姿が容易に想像できた。
その強大なる力故に実の母親から拒絶をされた士道にとっては、同じ能力者の苦しむ姿を無視できない。いや、彼に根差した優しさは、あらゆる存在の救済を望んでいる。それ故に『誰か』という悪を作らず、徹底的に秘密主義な『機関』という『何か』を憎むべき敵に設定したのだ。
――精霊。
どうやら裏社会での能力者の呼称らしい。呼び名など瑣末な問題だが、言葉とは相手に伝わって初めて意味を成す。これからの会話には精霊という呼び方を使うことに決めた。それに精霊の方が能力者よりもなんだか特別感があって格好良い。
元は一人だった者が、ある日を境に二人に別れて――そして真の精霊を決めるために争い合う。なんて心躍る展開だろうか。
士道は拳を壁に叩き付けた。壁の向こう側からすぐに壁ドンを返される。どうやら隣の部屋にも客が入っていたらしい。
現在、士道と耶倶矢はとあるカラオケ店に身を隠していた。フリードリンクで喉を潤し、気晴らしに叫ぶこともできて、一晩を格安で過ごせるため、士道は隠れ家として重宝している。
耶倶矢には激しい戦闘を生き延びたナップザックの中にあった、別の変装用の服を渡してある。例によって女物だが、もしも夕弦だったら着ることができなかっただろう。主に胸部装甲の問題で。
士道は切り裂かれた服を修繕してそのまま着ている。衣装を作るために磨いた裁縫の腕はこんな時に役立つ。生活能力と中二的能力が密接に結び付くことを知る者は少ない。中二病にうつつを抜かしていながら、主夫の在り方も両立させられる理由である。
気不味い沈黙を破ったのは、耶倶矢だった。
「もうこれ以上は士道がその手を煩わせることはない。我と夕弦、八舞の問題よ。これまでの日々、実に心が躍った。楽しませてもらったぞ。だから――」
別れの言葉を再び告げようとするのを、士道は手で制した。顔は横に向けて手だけを正面に突き出すのがポイントだ。更に余った手で顔を覆うと尚良い。
「俺の<
敢えて冷たい現実を突き付けた。
「それでもだ。我は行かねばならぬ、例えこの身に一切の力が無くとも、我は颶風の御子にして、八舞の半身。一人で精霊として世界から敵視される夕弦の傍こそが、我の居場所だ」
耶倶矢の声は力強かった。絶望的な状況にありながら輝いている。隣界に戻れない今、耶倶矢はいつどこに現界するかも分からない夕弦を探し続けるしかない。例え出会うことができても、力を持たない耶倶矢はASTに襲われればすぐに殺されてしまうだろう。
どうしてそこまで優しく強い人間に、過酷な試練を与えるのだろうか。
そんな人間が救われないなんて嘘だ。苦難を乗り越えたならば、そこに幸福が待っていなければならない。そうでなければ意志は折れて、未来への歩みを止めてしまう。
士道は考えた。彼女たちを救う手段はないのか? 俺は最強の能力者なのだから、ご都合主義と罵られるような力があっていいではないか。
顔を伏せたままで引き留めようとしない士道に、耶倶矢は寂しさと安堵をごちゃまぜにした笑みを残して部屋を出ていこうとする。
彼女を引き止める言葉は無い。
もう手の届かない場所にまで行ってしまった。
まるで士道を責めるように時間の流れが遅くなる。
なんの根拠もないのに救済の手を差し伸べる。それは愚かな行為である。だからここで沈黙を選ぶのは賢く合理的な判断だ。闇に生きる咎人として、この過酷な世界を生き抜くためには無力を嘆くことはよくあること――無力? ああ、そうだ、無力だよ。無力になればいい。
士道の視界が一気に明るくなる。
――あるじゃないか。二人を救う方法ではなく、二人を苦しめる幸せな選択肢が!
届かないと知りながら、士道は耶倶矢に向けて手を伸ばした
「①! 耶倶矢が夕弦を見捨てて一人で生きる」
突然の言葉に耶倶矢が目を白黒させたが、すぐに内容を理解すると柳眉を逆立てた。
「貴様、幾ら士道とはいえ無視できぬぞ!」
怒りを宿した鋭い眼光が刺し貫く。だが覚悟を決めた士道には痛くも痒くもない。
「②! 耶倶矢は夕弦の足を引っ張り、目の前で無様に殺される!」
「ふざけんじゃないわよ――っ!」
「③! 夕弦の力も<王の簒奪>により奪い、無力を嘆き苦しみながら二人で生きるっ!」
「……ッ!?」
耶倶矢は震える手を握り締める。
「でも、そんなことしても、私たちには……この世界に居場所なんてない」
「俺が居るだろう」
「えっ……?」
士道は笑った。世界が八舞姉妹を否定するならば、それ以上に肯定しよう。この身もまた世界に拒絶されながらも無様に生き残っている。それが二人増えるだけのことだ。
「俺が居場所になってやるって言ったんだ」
士道が伸ばしただけでは手は届かない。
しかし、耶倶矢からも伸ばせば、その手は結ばれる。
「細かいことは後から考えればいい、俺と耶倶矢と夕弦が居てできないことなんてありはしないさ! ……だから、頼む! 俺にお前たちを救わせてくれっ!」
逡巡は一瞬で過ぎ去っていく。
士道と耶倶矢と夕弦――三人で生きる未来。
ああ、それはきっと、想像できないぐらい幸せな生活が待っているに違いない。
「お願い……! 夕弦を、助けてっ!」
二人の手が固く繋がれる。
「違うだろう? 俺が救うのは、耶倶矢と夕弦――二人共だ!」
*
闇に満ちた世界に光が広がる。
地平線の向こう側から朝日がやってきた。
天宮市上空に待機した<フラクシナス>の艦橋で、琴里は士道発見の報告を寝ずに待ち続けていた。眠気覚まし用のチュッパチャップスは今ので五本目だ。どれだけ大人びた性格でもあくまで肉体は子どもであり、立て続けの衝撃で心労も溜まっている。クルーは何度も琴里を医務室に連れて行こうとしたが、最終的に令音が常に傍に付くことで、無理があればすぐに休ませるということで落ち着いた。
「琴里、見付かったよ。彼は天宮市に戻ってきている」
「そう」
返答は素っ気ない呟き。しかし琴里の状態をモニタリングしている令音には、彼女の中でどれだけの感情が溢れているか把握できていた。
「さあ、すぐに回収して……たっぷりお仕置きしてやるわ! 可愛い妹を悲しませた罪は重いわよ!」
「ああ、司令のお仕置き! なんて甘美な響き――」
何やら騒ぎ出す神無月を蹴り飛ばして、艦長席から立ち上がる。
朝焼けに目を細めた時だった。
「――空間震の予兆を確認……えっ、そんな!?」
<
「天宮市上空……規模はAランクです!」
琴里はすぐに頭を切り替えた。
「全速力で退避しなさい! このままじゃ巻き込まれるわ!」
「だめです、間に合いません――!」
まるでそれは世界に響き渡る慟哭。
たった独りになった<ベルセルク>八舞夕弦が現界した。
*
来禅高校屋上。雲の消し飛んだ空を見上げて、士道は目を細める。
空間震警報が鳴り響く街が、静寂に包み込まれていく。
屋上から眺める人間の消え去った天宮市はどこか不気味だった。
「来たれ、混沌! 世界を焼き尽くす業火よ、世界を舞い踊る疾風よ――我が導きにより顕現せよ!」
士道の服を捲った右腕が炎と風に包み込まれた。
届け、この想い。
「――
ライターに等しい威力だった炎が、風の力に乗せられてガスバーナー程度には強化される。そして何よりも射程が数十メートルまで伸びた。
炎の柱が空を駆け上がる。
届け、届け――夕弦のもとまで届け。
俺はここに居るぞ。耶倶矢はここに居るぞ。
だから、早くここにやってこい。
「そして、俺たちの
ひゃっはー汚物は消毒だー! なお精霊や魔術師は無傷の模様。
<ラタトスク>、AST、<ベルセルク>――そして中二病が織り成す物語もいよいよクライマックス。エンディングまでノンストップで突き進みます。
沈んだあの子が復活したり、勘違いが突っ走ったりするので、もう少々お付き合いくださいませ。