士道くんは中二病をこじらせたようです 作:potato-47
五河士道という少年について話をしよう。
彼はある日までは平凡な少年だった。ただ幼い頃に厄介な病を発症をしたが、それは数年後にただの黒歴史となるぐらいのありふれたもので、彼以外にも患う人間は数多く存在していた。
だから、
しかし、皮肉なことに、その病――『中二病』からすべては歪んでしまった。
女性関係には恵まれないが、平穏無事に生きていける筈だった少年の運命は、些細な人助けを起点にズレが生じた。
その日も士道は彼の脳内にしか存在しない『機関』との戦いに明け暮れていた。いついかなる時も警戒を怠る訳にはいかない。奴らは日常に忍び込み、気付いた時には大切な者を奪ってしまうのだから。泣き虫な義妹や自分を育ててくれた義理の両親を守るために、彼は戦い続ける。
そんな自分に浸っていた士道だったが、夜道で幼い少女に出会った。彼女は今にも泣きそうな顔で走っていた。士道の灰色の脳細胞は瞬時に答えを弾き出す。
「彼女は機関に追われた能力者か!」
真実は、塾帰りの道中で変質者に追われた可哀想な少女――というものだが、既に設定を構築済みの士道にとっては、『自分の物語』に組み込まれた妄想を突っ走るだけである。
無駄にスタイリッシュな跳び込みで、少女と変質者のおっさんの間に割って入る。
「き、機関のエージェントだな。この少女には指一本触れさせる訳にはいかない!」
顔を手の平で覆い隠し、自慢のロングマントを翻した。内心は恐怖でおかしくなっていたし、実際に声は震えたが、闇に生きる能力者の矜持をもって抑え込む。
士道の中では既におっさんを組み伏せるまでのビジョンが完成していた。それを信じて逃げ腰を叱咤する。本当の自分は平凡な中学生だということを忘れようと必死になる。
往々にして妄想と現実は折り合いをつけてくれない。士道もそれを経験していたが、強固な妄想力はすぐさまカバーストーリーを構築して、妄想を破綻させることはなかった。
――その迷いの無い妄想に、現実が牙を剥いた。
格好良い前口上を決めようとした時だった。おっさんの手に握られたナイフが、士道の胸に突き立てられた。
異物が肉体を侵蝕する。不思議と痛みは感じなかったが、胸から生えた刃を見下ろして悲鳴を上げていた。じわじわと熱が広がっていき、全身が死の恐怖に震える。
士道の痛苦に歪んだ形相から、自分の過ちを自覚したおっさんが、勢い任せにナイフを引き抜いた。そこでようやく痛覚が機能し始めた。激痛が傷口から走り脳天を穿つ。思考はまとまらずただ痛みに喘ぐことしかできなかった。
おっさんは一歩、二歩と後退り、後は狂ったように笑いながら走り去っていった。
一部始終を目撃する羽目になった少女は、腰が砕けて地面に座り込んでいた。喉は潰れたように一言も声を発することができない。どうしていいのか分からず、悶え苦しむ士道を見詰めるだけで無為に時は過ぎていく。
やがて絶叫と共に士道は倒れ伏す。ぼやける視界に少女の姿を見付けると手を伸ばして助けを求めた。
少女の恐怖は遂に許容限界を超えて、訳の分からぬまま駆け出していた。
遠ざかっていく悲鳴、街路灯の接触不良で明滅する視界、冷たい地面の感触――それらすべてがまるで夢のように虚ろになっていき、やがて士道の意識は途絶えた。
彼の死に際は妄想していた格好良いものではなかった。辞世の句を詠んだり、仲間を守るために笑顔のまま散っていったり、世界を救う代わりに犠牲になったり、そんなドラマ性は欠片も存在せず、ただ「死にたくない」という生命への執着が支配する無様で普通で人間らしい最後だった。
士道を監視する者達は、この日、この瞬間を、見逃していた。四六時中監視する体制が整っておらず、何よりも鍛えられた士道の隠密行動は監視を掻い潜ることが稀にあったのだ。
消えかけた街路灯の瞬きに瀕死の肉体が照らされる。突如、炎が揺らめいた。炎は仰向けに倒れた士道の胸の傷から吹き出していた。傷口を焼き尽くし、自慢のロングマントを焦がして――
「ぐあっ……!? な、なんだ、この火は!?」
士道を再生した。燃え盛る服を慌てて叩いて消火する。ふと胸に触れて、傷口が消失していることに気付いた。
――これは、この力は……!
死への恐怖など一瞬で吹き飛んだ。死にたくないではなく、生きていたいと思えた。
脳内で構築された設定が、周囲に馬鹿にされ続けた妄想が、冷たい常識を超越して、新たな真理となり現実を塗り潰す。
――そして、五河士道は中二病をこじらせた。
*
四月十日。今日から再び世を忍ぶ仮の姿である学生として、都立来禅高校に通わなくてはならない。中二病をこじらせた士道は、高校二年生になっても、未だに現役の中二病だった。この世界には『機関』や『能力者』は存在しない。しかし自分の体に宿った特殊能力が、妄想を肯定してしまったことで、彼の人生を大きく変えたのだ。
布団から顔を出して時刻を確認。
五時十分。健康的というよりは老人的な起床時間だった。
「しかし、日中も外に出るとなると、『奴ら』への対策をしなくてはならないな」
寝起きの頭に設定を思い起こして、士道は色々と準備を進める。通学鞄に詰められた荷物の大半は、学業とは関係のないものだ。
新年度ということもあり、念には念を入れて準備を行う。
気付くと時刻は六時を回っていた。
ノックもせずに扉が開かれる。ぴょこりと突き出されたのは、白いリボンで括られたツインテールだった。
「おおー、おにーちゃんはもう起きてたか!」
妹の琴里が無邪気な笑顔を覗かせる。
「当然だ。今日は念入りに仕込んでおかなくてはならないからな」
「奴らがまた動き出すのか!?」
「ああ、その可能性は大いに有り得る」
士道は『
「くっ……まさか、既に妨害は始まって……ぐぅ、琴里! 逃げろ、このままじゃ俺の魔眼が暴走してしまう!」
疼いた右目を押さえ込んで、士道は蹲った。ただ右目にゴミが入っただけだが、脳内変換されて能力の暴走だと判断していた。
「そんな! おにーちゃんを置いていくなんて!」
琴里の涙声に胸が痛む。だが、心を鬼にして拒絶しなくてはならない。
「いいんだ、これが咎人の宿命……家族であっても、傷付けてしまう俺の業だ。俺はお前が生きてくれさえいれば……それで!」
「うぅぅ……おにーちゃん、すぐに目薬を持ってくるから、それまで耐えるんだぞ!」
「ああ……頼む、『世界樹の雫』があれば、一時的にだが抑え込むことができそうだ」
琴里は中学校のスカートを翻して、部屋から出て行く。
二人はこのように現実と妄想に折り合いをつけて、良好な兄妹関係を保っていた。しかし齟齬が少ないからこそ、士道は見たくもない現実を意識してしまう。そして『常識』が長年築き上げた『妄想』にいとも容易くヒビを入れてしまう。
士道は心のどこかで気付いていた。自分は確かに特殊な力を持っているが、だからといってそれで世界を救える訳でもなく――ただの人間と余り変わりないのだと。
出張中の両親に代わって台所に立つ。
琴里が退屈そうに眺めているニュースをBGMに、朝食の準備を始めた。表側の情報しか語らないニュースとはいえ、その裏にどんな陰謀が隠されているか分からない。奴らの動きを察知するためには、社会の動きから推測することも大切だ。
「この近くで空間震があったのか……?」
ニュースキャスターが伝えた情報を咀嚼して、士道は眉を寄せる。
士道の住む天宮市周辺で発生する空間震は去年から急増している。それに疑問を抱いた士道は、すぐに奴らの動きと結びつけた。この世界で発生する原因不明の現象はすべて『機関』が関わっていると考えていい。
「いよいよ俺の潜伏場所もバレたかもしれないな」
ただの一軒家の自宅に特に隠れることもなく暮らしているが、士道の脳内では完璧な偽装を施したセーフハウスに一時的に滞在しているという認識だ。
それから、始業式で半日で終わることを思い出した士道は、琴里に昼食は家で用意すると伝えた後、早目に家を出た。
二年四組。士道はこれから一年間通うことになる教室の扉を開いた。
機関の人間が忍び込んでいないか確認して一息付く。どうやらここまで奴らの魔の手は迫っていないようだ。学生という身分を嫌ってはいるが、それは縛りの多い生活に対してであって、学校という場所は寧ろ好きだった。
座席表を確認して席に着こうとすると、
「――五河士道」
抑揚のない声に呼び掛けられて緊張が走る。
背後に人の気配があった。ここまで接近されて気付くことができなかったのは完全なる失態だ。
振り返った先にあった顔は、かつて苦汁をなめさせられた女子生徒だった。
「……
「覚えていないの?」
「あの日の屈辱なら一日たりとも忘れたことはない」
「屈辱……?」
「よもや、貴様も忘れたとは言わせんぞ。我ら四天王をくだして……悠々と購買部を支配したあの後ろ姿!」
無表情で氷の瞳が向けられる。<完璧主義者>の瞳には純粋な疑問が浮かんでいた。本当に彼女はあの死闘を――いや、彼女からすれば児戯とでも言うのだろう――完全に忘れてしまっている。
士道はそれ以上は屈辱に耐えられず背を向けて教室を後にした。友人の殿町が追い掛けて来て「いつの間に鳶一と仲良くなったんだよ!?」などと喚くが、そんな名前の人間は知らない。士道にとってあいつは<完璧主義者>。軽やかな足音を響かせて、戦場の混乱を物ともせずに歩き抜けて、
「そして……俺は、その戦場から自ら立ち去った臆病者でしかない」
戦友と袂を分かち、
それから何事も無く始業式は進んだ。敢えて問題があったとすれば、左隣の席に座る<完璧主義者>の視線が、ずっと横顔に突き刺さっていたことだろう。
そのまま一日目は終わろうかという時だった。
――空間震を伝えるサイレンが喧しく響き渡る。
士道はどよめく生徒たちの中で冷静だった。
「機関が動き出したか、まずは身を隠さねばならないな」
避難する生徒に紛れるのが一番簡単で機関の目を誤魔化せる筈だ。一般市民を装うのは慣れている。そのために学生の身分に甘んじているのだから。
――この日『名無しの精霊』と五河士道が出逢うことは無かった。