士道くんは中二病をこじらせたようです   作:potato-47

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1.繋がる絆

「本日付で自衛隊天宮駐屯地に配属になりました。岡峰美紀恵二等陸士です! よろしくお願いします」

 

 陸上自衛隊天宮駐屯地のAST隊長室に、よく通る明るい声が響いた。

 美紀恵は、小さな体躯を大きく見せようと精一杯に胸を張り、幼顔を引き締めて不器用な敬礼を行う。この日のために何度も練習してきたが、新品の来禅高校の制服に着られているのと同じく、まだまだ階級に支えられている状態だ。

 

「AST内ではそんなに硬くならなくてもいいわよ。階級意識は戦場にだけ持って来てくれればいいから」

「は、はい!」

 

 AST隊長の日下部燎子は、返事はしても肩の力が抜けない美紀恵に苦笑した。

 

顕現装置(リアライザ)の適応テストでは、凄い数値を叩き出したそうね。期待しているわよ」

「ご期待に添えるよう頑張ります!」

 

 威勢良く返事をするものの、美紀恵は内心の不安を抑え切れない。入隊テストで優れた結果を残せたのは確かだ。それに見合う努力をしてきた自負もある。しかし、頑張るとは言えても結果を残すと約束できなかった。

 

「ウチは実戦部隊だし、ちょうど演習中だからその力を見せてもらおうかしら」

 

 燎子の案内で天宮駐屯地に近接する特別演習場に辿り着いた。特別演習場は、顕現装置を用いた演習に使用するために魔力処理が施されている。魔力を用いた戦いには予想外の事態が付きものであり、精霊を相手にするASTの兵器は強力なものにならざるを得ないことから、通常の演習場と違い様々な対策が取られているのだ。

 

「これが岡峰さんのCR-ユニットだから、準備しておいてちょうだい」

 

 女子更衣室へ入ったところで燎子は内線で呼び出されて、隊長室へと戻っていってしまった。

 美紀恵は一人になったことで、今更ながら自分が緊張していることに気付いた。

 

「し、確り気を締めないと! 演習で皆様に迷惑を掛けてしまいます!」

 

 両頬をバシンと手の平で叩いて、強張った身体に活を入れる。

 燎子から手渡された待機状態のCR-ユニットは、所属と名前が書かれた小型のデバイスで、ポケットに収まるサイズだった。

 

基礎顕現装置(ベーシックリアライザ)、起動承認!」

 

 額にデバイスを押し当てて、ワイヤリングスーツをその身に纏う。それと同時に魔術師(ウィザード)を魔術師たらしめる随意領域(テリトリー)が展開された。過去のトラウマから心のどこかで無力感を抱える美紀恵であっても、全身に行き渡る全能感に高揚した。

 

 目を閉じて体を大きく伸ばしながら深呼吸。

 瞼の裏には、あの日――暗闇に囚われた美紀恵が見上げた、天高く舞う魔術師の眩しい姿が映っていた。

 

「今度は私の番です」

 

 胸に手を押し当てて、覚悟を新たに瞼を開くと――目の前に上目遣いに覗き込む少女の顔があった。左目下の泣き黒子が特徴的で、あどけなさの中に隠し切れない利発を感じさせた。

 

「う、わ、わわわわわわ――っ!?」

 

 美紀恵は勢い良く飛び退る。更衣室に自分以外に二つの人影があった。呆れ顔の燎子と先ほどの自分と同年代か少し上ぐらいの少女だ。

 

「これは申し訳ねーです。そんなに驚きやがるとは思いませんでした」

「声を掛けても反応しないから、顕現装置の不調でもあったかと思ったじゃない」

「ご心配お掛けしました……! 集中すると周りが見えなくなっちゃって」

 

 美紀恵はぺこぺこと頭を下げた。入隊して早々に失敗してしまった。些細なミスだが戦場で同じことをすればただでは済まない。犠牲になるのは自分ばかりではなく、仲間も巻き込む恐れもある。

 気を取り直した美紀恵は、正体不明の少女に目を向ける。自衛隊常装を纏っていることから、関係者であるのは間違いない。

 

「他の隊員には話は通してあるし、ここで顔合わせを済ませてもいいわね」

「了解です、隊長殿」

 

 燎子に促され、少女がコクリと頷いた。

 

「――崇宮真那三尉であります。以後、お見知り置きを」

「は、はい! 岡峰美紀恵二等陸士です! よろしくお願いします!」

 

 同年代と思ったが、まさかの尉官であることに驚きつつも、慌てて敬礼する。

 

「ああ、別に畏まらねーで結構です。この隊の方針に意義はねーですから」

「精霊を単独で殺したトップエース様は、やっぱり余裕があるわね」

「別に自慢になりはしやがりませんよ。アレは他の精霊と同列に語れねーですから」

 

 精霊を殺したという事実に瞠目するが、真那の奇妙な言い回しに美紀恵は首を傾げた。詳しく訊こうとしたが、燎子が先に口を開いて遮られてしまった。

 

「そうそう、二人には伝えておかなくちゃならないことがあったわね」

 

 変わらずくだけた口調だが、声音のトーンに真剣さが感じられて、美紀恵は自然と畏まった態度で耳を澄ませていた。

 

「通達はされているかもしれないけど、ここ天宮駐屯地は精霊に対して今までとは異なるアプローチを模索しているわ」

 

 精霊の対処法1――武力を以てこれを殲滅する。それは人類から精霊に対する唯一の対処法だった。

 そう、だった。過去形だ。

 ASTの隊員は打倒精霊に燃えて訓練を積み重ねてきたが、<アポルトロシス>との遭遇から、殲滅ありきの在り方を徐々に変えつつあった。

 

 その結果が、精霊の対処法2――対話を試みてこれを説得する。

 AST隊が歩んできた四月からの短くも劇的な戦いの記録を聴いて、美紀恵と真那はどう反応したものかと首を捻る。

 真那は最悪の精霊との戦闘から、説得は殲滅以上に難しいと判断していた。そもそも<アポルトロシス>が実在するのか怪しいとさえ思えてしまった。

 

「その<アポルトロシス>という精霊……聞いたことねーですね」

「上層部の判断で秘匿されていたから仕方ないわ。天宮駐屯地に所属する人間以外はほとんど知らないと思うわよ」

 

 成る程、と真那は独り言ちに納得する。本来であれば天宮駐屯地への配属はもっと早い時期に行われる予定だった。それが極秘事項を理由に遅らされていたが、恐らくはその謎の精霊が原因だ。

 

「……あの、精霊って人類に敵対する存在ではないのですか?」

 

 美紀恵の疑問に、今度は燎子がどう答えたものかと悩んでしまう。

 

「そうね、命令に従うのは絶対だけど、精霊に対してどう思うのかは自由よ。実際に対峙して……それから、自分で判断しなさい」

 

 精霊は人類に仇なす悪魔なのか、それとも世界から拒絶された憐れな存在なのか。

 AST内でも結論は出されていない。精霊は徹底的に殲滅するべきだと主張する者は少なくないのだ。復讐に取り憑かれた者、今更になって精霊との関わり方を変えられない者、万が一にも危険性があるのなら確実に処理するべきだと判断する者――考え方は人それぞれで、誰が間違っているとも言えない。

 

 そもそも精霊への対処を上から目線で考えること自体が、人類の傲慢であるとも言えるのではないだろうか。

 たった一人の精霊によって、世界は変えられつつある。

 もしかしたら、人類は既にその変化に取り残されているのかもしれない。

 

 

    *

 

 

 燎子の合図を受けて演習を中断して集まった一同は本日付で入隊した二人の少女に驚きを隠せなかった。

 生真面目な隊長がこんな手の込んだ冗談を口にするとは思えないので、正式な入隊の筈だ。とはいえ、目をこすったり隣の隊員の頬をつねってしまうのは、仕方のないことだろう。ちなみにつねられた隊員は、つねった隊員を張り倒して、お互いに現実だと認識することになった。

 

「何を呆けていやがりますか?」

 

 コスプレと疑いたくなる自衛隊常装を纏った真那が、隊員たちの様子に首を傾げる。

 

「あの、ええと、その……何か失敗してしまいましたか!?」

 

 美紀恵が慌て出す。敬礼の角度をやり直したり、海自式でやってみたり、挨拶の言葉を復唱し出したり――実に子どもらしい反応だった。

 美紀恵の制服姿と慌てっぷりから、余計に真那の服装がコスプレに見えてしまう。

 

「ほらほら、ぼーっとしてないで、敬礼ぐらい返してやりなさい。別に折紙っていう前例があるんだから、そんな珍しくもないでしょ」

 

 燎子の説明を受けても、特に美紀恵の容姿は年齢よりも幼く見えるので呑み込むのには時間が掛かった。世界の真実について知っているからこそ、ここに居るのだろう。精霊との戦いがどれだけ過酷なのかも理解できている筈だ。

 真那は隊員の情報は頭に入れているので、折紙の名前が出たことで反応の意味を察する。

 

「年齢のことを問題にしていやがるのなら、心配要らねーです」

 

 馬鹿馬鹿しいと言いたげに肩を竦めた。彼女からすれば、寧ろASTの練度が心配だった。

 

「わ、私も大丈夫です! 頑張りますから!」

 

 美紀恵も言い募るが、逆にその必死さが不安を感じさせた。

 彼女たちにどれだけの覚悟があろうとなかろうと、戦場に幼い少女を引き入れるのには遣る瀬無さが込み上げてくる。大人としてのプライドであったり、今日まで生き抜いた兵士としての矜持がそう思わせていた。

 

 例に出された折紙にしても、非常に優れた能力を持つが<ベルセルク>や<プリンセス>との一件で、精神的な脆さや未成熟の危うさを見せている。現に折紙は一ヶ月の謹慎処分を言い渡されて、この場には居ないのだ。

 

 燎子が面倒を見てきた部下の感情を読み取るのは難しいことではなかった。表面上は取り繕ってはいても、やはり納得はいっていない。

 どうやって二人を受け入れさせるか思案する。妙案はすぐに浮かんだ。そもそも自分が立っているのは演習場で、最初からそのために連れてきたのだ。

 

「手っ取り早い方法があったわね。もう二人は準備万端なんだし、今から演習に参加してもらうわ」

 

 燎子の提案に、真那がこくりと頷いた。

 

「それで、一対何でやりやがりますか?」

「えっ……?」

「どうかしやがりましたか? 正しく力量を理解してもらうには、手っ取り早い方法(・・・・・・・・)じゃねーですか」

 

 真那は挑発や嘲りの意図を持たず、ただ事実を告げるように言った。

 精鋭を自負するAST隊員からすれば、傲慢な態度に映るのは至極の当然の結果である。冷静に事実を受け入れることができたのは、以前に世界最高峰の魔術師を目にしたことのある燎子と、無知故に感心するばかりの美紀恵だけだった。

 

 

    *

 

 

 実際の戦場となる空間震後の廃墟を模した演習場で、激しい戦闘が繰り広げられていた。

 真那一人に対して、美紀恵を含めて十人で演習は開始されたが、無線で行き交う状況から、生存しているのは残り三人だ。

 

「ど、どうすれば……良いでしょうか?」

 

 美紀恵は廃墟に身を隠して呼吸を整える。彼女がここまで生き延びることができたのは、連携を乱すことを言い訳に前線から逃げていたのと、随意領域をまともに展開できない弱さから真那に戦力外として扱われていたのが大きな理由だ。

 

 ヘッドセットの通信機から悲鳴が聞こえてきた。

 生き残りが二人になった。

 

「私も戦わないと……でも、どうやって戦えば……」

 

 誰も指示を出してくれない。最初は援護射撃を受け持っていたが、無駄撃ちで早々に弾切れしている。残る武装は近接戦闘用のレーザーブレイドのみだ。

 美紀恵は入隊テストの顕現装置適性で好成績を収めていた。だが、実戦となれば上がり症が邪魔をして、本来の実力を発揮できていなかった。

 彼女にとって挽回の存在しない戦場は、何よりも恐ろしい場所だった。否定、失望、拒絶――どれも美紀恵にとってトラウマだ。

 

 悲鳴がまた一つ響き渡った。

 

「……ッ!」

 

 生き残りはもう美紀恵だけだ。

 戦場に静寂が舞い降りる。美紀恵は平常心を取り戻そうにも、心臓は逆に激しく暴れ狂い、呼吸は増々乱れていった。

 近付く足音が警告するように耳朶を打つ。

 

「岡峰美紀恵二士、そのまま時間切れまで隠れていやがるつもりですか? ……余り期待していやがりませんが、私に届く可能性があるのは鳶一折紙一曹ぐらいしか居ねーみたいですね」

 

 真那の言葉に、美紀恵の魂が力強く鼓動した。

 

 ――鳶一折紙。

 

 この世界に美紀恵が足を踏み入れた理由そのものだった。命の恩人であり、遥か高みに君臨する目標。

 真那は折紙より自分が上に居るのだと遠回しに言った。

 それは馬鹿にしたようには聞こえない。この演習を始める切っ掛けとなった言葉と同じく、事実を口にしただけなのだろう。

 だが、美紀恵を奮起させるには十分だった。彼女に立ち向かえないようでは、決して折紙の領域には至れない。誰もが許しても、自分だけは許せない。

 

 美紀恵は背部から<ノーペイン>の柄を引き抜いて、廃墟から飛び出した。

 

「――どうやら、やる気になったみてーですね」

 

 真那は肩のユニットを可変させ両の腕に装着する。

 

「<ムラクモ>――双刃形態(ソードスタイル)

 

 盾に見えたが、それは長大な光の刃を迸らせる柄だった。

 

「行きますっ!」

 

 美紀恵は<ノーペイン>の刃を出現させないまま、真那に突っ込んでいく。

 実力差は歴然。熟練の隊員たちが一太刀入れることすら敗北しているのだから、美紀恵に勝てる道理などある筈もない。

 それでも勝ちに行く。奇策を用いてでも、己の全力を尽くして届かせる。

 

「何か考えがありやがるようですね」

 

 迎え打つ真那に隙は無い。光の刃を携えて万全の姿勢を整えている。

 集中しろ。一瞬でいい、その一瞬で勝負は決まるのだから。

 

「はぁぁっ!」

 

 間合いぎりぎりで<ノーペイン>の刃を出現させた。刺突の構えであり、<ムラクモ>のリーチに届かせる。

 

「そんな仕込み、意味ねーです!」

 

 しかし、真那は多くの戦場を経験し、武器の特性を把握している。<ノーペイン>の刃渡りなど当然の如く目算で対応できた。

 たった一合。真那の斬撃によって、美紀恵は唯一の武器を失った。

 

「手応えねーですね……まさかっ!?」

 

 真那を襲った違和感は、更なる脅威によって完全に答えを導いた。美紀恵は最初から<ノーペイン>を捨てる気で突っ込んできたのだ。その推測を裏付けるように、美紀恵は刃の陰に隠れて真那の懐に潜り込んでいた。

 刃による決着を想像していた真那は反応が遅れる。<ムラクモ>を振り被った勢いを、スラスターで強制的に戻そうとしているが、もはや手遅れだ。

 

「このまま打ち抜きますッ!」

 

 美紀恵は魔力を収束集中させた右腕を真那の胸部に突き込む。解放すれば本来は拡散する魔力を随意領域によって指向性を持たせていた。それはもはやただの拳ではない。杭打ち(パイルバンカー)の一撃だ。

 

「――あめーですよ」

 

 渾身の杭打ちを向けられて尚も、真那の余裕は崩れなかった。

 魔術師同士の接近戦は、言うなれば随意領域のぶつかり合いだ。

 

「う、腕が……っ!」

 

 美紀恵の身体は真那の随意領域に囚われていた。それこそまさしくテリトリーたる所以。余所者の自由など存在しない。生存権すらも剥奪され、愚かな侵入者(えもの)は捕食を待つばかりである。

 

「ん……?」

 

 ふと、奇妙な感覚に囚われた。この状況、日常でよく味わっているような気がする。

 四方八方からぎゅうぎゅうと押し込まれて、小さな手は何も得ることなく戦場から排除される。安売りのお肉、二割引のお米、驚愕の半額お刺身――どれもこれも目の前で取られていき、最後に残るのは萎びた訳あり品だけ。

 もやし炒めを食べては涙して、大盛りもやし丼を眺めては涙して、もやしご飯ともやしの味噌汁にもやしフライを並べて涙して、あの悔しさは決して忘れられない。

 そんな絶望に打ち拉がれる美紀恵を、手を差し伸べて導いてくれた人が居た。

 

 ――涙を断ち切り貪欲に掴み取る爪、それこそが<黒字家計簿(ティアクロー)>の真なる力だ。

 

 ああ、思い出しました。

 私にはもう、戦う力があったではないですか!

 動いて、動いてください、私はまだ諦めてなんかいません!

 

 無力感を振り払い、指先がピクリと震えた。

 あと少し、あと少しだけ私に力を――!

 

「冷やっとしましたが、これで終わりです」

 

 光の刃の直撃を横腹に受けて、美紀恵は文字通り吹っ飛ばされた。演習用に威力は抑えられているとはいえ、余りの痛苦に悲鳴一つ上げられない。着地姿勢を整えることもできず、腹這いに地面へと転がった。

 咳き込むながら、頭上から鳴り響くブザーが演習終了を伝えるのを聞いた。

 

「まだ、です。私は……戦えます」

 

 肉体はもう無理だと訴えている。

 だが、意志は立ち上がることを求めていた。

 真那は光の刃を消失させて、元通り肩ユニットに復元した。これ以上の戦闘は無意味だ。それに美紀恵の実力は十分に把握できた。

 

「残念でいやがりますが、詰み(チェック)です」

 

 真那は倒れたままの美紀恵に歩み寄って、首筋に手刀を宛てがった。

 

「ですが、届かせやがりましたね……」

 

 胸部装甲に手を当てると、僅かに削り取られていた。それは美紀恵の随意領域が一瞬でも真那を超えた紛れも無い証だった。

 

 

    *

 

 

 演習が終わり特別演習場の休憩室で、美紀恵と真那はくつろいでいた。隊長が話があるからと二人だけ残されていたのだ。その時に無線越しとはいえ、凄まじいプレッシャーが襲ってきたので、悪い話であることは容易に想像できた。

 

「いやー充実した演習で満足です。岡峰二士があそこまで食い下がってくるとは良い意味で予想外でした」

「でも、私……何もできませんでした」

「何言ってやがりますか。私に攻撃を当てやがった人は久し振りですよ」

「そ、そうなんですか?」

 

 真那はニコりと笑った。

 

「適応テストの結果は嘘じゃねーみたいですね」

 

 励まそうとする深い意味は無かっただろう。しかし、テストと同じだけの実力を発揮できた、という事実は美紀恵にとっては何よりも嬉しい言葉だった。

 和やかな空気を、風を鋭く切る音が霧散させた。

 

「あうっ!」

「あたっ!」

 

 振り返れば、肩を怒らせて燎子の姿があった。その手には二人の頭を叩くのに使った丸めた冊子が握られていた。

 

「あんたらねえ、何を呑気に言ってんのかしら。演習で装備潰す馬鹿がどこに居るってのよ!?」

「ひぃう、す、すみません!」

 

 素直に謝る美紀恵に対して真那は、

 

「本気でやらねーと意味ねーですよ。岡峰二士の気迫に応えるには――」

 

 スパン! と真那の頭に二度目が振り下ろされた。

 

「CR-ユニットの値段を調べてからもういっぺん同じこと言ってみなさい、死なない程度に扱くわよ」

「りょ、了解です!」

「善処するです」

 

 燎子は明らかに反省の色が見えない真那を睨みつけたが、やがて無駄だと悟ったのか肩を竦めて溜息をついた。幸いにも美紀恵のレーザーブレイドが故障しただけで、そこまで実害は出ていない。

 

「このためだけに私たちを残したわけじゃねーですよね?」

 

 真那は気配で気付いていたのか、上半身を傾けて燎子の陰になって見えなかった人物に視線を向ける。その動作で美紀恵も気付いて、同じように燎子の背後を覗き込んだ。

 

「十分に重要だけど、もちろん違うわよ。本題はこっち」

 

 美紀恵はその人物に見覚えがあったどころではない。ずっと会いたいと思っていた命の恩人だ。

 

「――折紙さん!」

 

 涙ぐんだ美紀恵の呼び掛けに、折紙は無表情を崩すことなく僅かに首を傾げた。

 

「……誰?」

「え、ええぇぇぇぇぇぇっ!?」

 

 かなり温度差のある再会だった。

 

 

    *

 

 

 美紀恵が必死で説明すると、折紙は瞬きを二度繰り返してからようやく頷いた。

 

「あの時に、保護された民間人は覚えている」

 

 しかし、わざわざ名前や顔まで覚えてはいなかった。言われなければ思い出すこともなかっただろう。

 

「そうです! 折紙さんに助けられて、それで私もASTに入りたいと思ったんです!」

「…………」

「あっ、そういえば今日はどうして演習に参加されていなかったんですか?」

「一ヶ月の謹慎処分」

「えっ……?」

 

 美紀恵は絶句する。自衛隊内で折紙についての話は聞き回ったのだ。誰もが優秀で頼り甲斐があると言っていた。一部に特殊な意見もあったが、美紀恵フィルターはそれを遮断していた。

 

「機密事項に含まれていたものね、知らなくて当然だわ。まあ今はそれよりも、自己紹介を済ませなさい。謹慎処分から復帰すれば、すぐに行動を共にすることになるからお互いに顔と名前ぐらい覚えておいた方がいいでしょう」

 

 簡単に自己紹介を終えると、美紀恵は折紙に密着するような距離であれやこれやと質問を始めた。折紙は主にスルーでそれを躱しながら、真那に目を向ける。

 初めて目にした時から引き寄せられる何かがあった。

 

 ――単独で精霊を殺した魔術師。

 

 少し前までならば大歓迎だった。現状では複雑な思いがある。頼もしいのは確かだが、<アポルトロシス>と対峙した時を想像して心に冷たいが風が吹く。いざとなれば盾になるつもりだが、CR-ユニットを取り上げられた今の折紙は限りなく無力だった。

 しかし、折紙が感じた『何か』は魔術師としての強さではない。真那の顔に見覚えがあったのだ。

 

「歳も近いし、折紙は美紀恵の面倒を見てやってちょうだい。一人暮らしを始めたばかりで苦労しているみたいだから、折紙ならアドバイスできるでしょ」

「了解」

 

 燎子の言葉に生返事をして、真那を見詰め続ける。

 真那は戦闘で乱れた髪を整えようと、後頭部で一つに結わえた髪を解いた。

 

「あっ……」

 

 バサリと広がった髪が肩に掛かる。癖のないストレート。その髪色、瞳に宿る力強さ。

 記憶の姿と重なり合う。

 五河士道――もっと正確に言うならば、女装した時の彼である<アポルトロシス>によく似ていた。

 

「どうかしやがりましたか?」

 

 ずっと見詰められていることに疑問を抱いていた真那が、折紙の視線にますます力が入り遂に無視できなくなったようだ。

 折紙は混乱に陥って返答できなかった。

 士道の妹は一人だ。姉が居るという話は聞いたことがない。まさか母親な訳もないだろう。ここまでよく似た人間がまったくの赤の他人というのも考え難い。士道について自分が知らないことがあるのは痛恨の極みである。

 

「あなたは、何者?」

「ええと、鳶一一曹……それはどういう意味でしょうか?」

「士道の妹は一人の筈」

「……士道とは誰でいやがりますか?」

「…………」

 

 本当に無関係なのだろうか。

 いや、もう少し探りを入れるべきだ。

 

「あなたに兄は居る?」

「兄様ですか? 居るには居ますが……それがどうかしやがりましたか?」

 

 真那は言い難そうに眉を伏せた。普通ならばその反応で遠慮するべきだろう。だが、士道のことならば折紙はブレーキを踏まない。寧ろアクセルしかない。

 

「その兄は、あなたとよく似ている?」

「兄妹なりには似てやがると思いますが」

「女装趣味がある?」

「えっ」

「人を本名で呼ばずに二つ名で呼んだりする?」

「えっ」

「会話中の身振り手振りが多い?」

「ええっ」

「寝込みではなくトイレ中に夜這いを掛けたり、シスコンでハーレム願望があり、最近のマイブームは声の切り替えによる一人十役のバトルロワイヤル――」

「え、ちょ、待ってくれねーですか!」

 

 真那が焦った様子で制止を掛けてきたので、折紙は仕方なく口を噤む。とりあえず、動揺している時の反応が士道とよく似ていることは分かった。

 

「兄様はそんな変態じゃねーですよ!? ……たぶん」

「たぶん?」

「……覚えてねーのです」

「覚えてない?」

「実は私、昔の記憶がねーのですよ」

 

 真那はそう言って、首から下げていた銀色のロケットを開いて折紙に見せてきた。

 

「だから、これが生き別れた兄様との唯一の絆です」

 

 中には幼い少年と少女が並んで映る写真が収められていた。

 折紙が見間違える筈がない。例え幼くても、例え変装していても、それが五河士道だと一瞬にして見抜くことができる。

 

「鳶一一曹は、兄様を知っていやがるんですか?」

 

 縋るような問い掛けに、折紙はゆっくりと頷いた。

 それは、折紙を通して崇宮真那と五河士道の絆が繋がれた瞬間だった。

 




 予めお伝えしまうが、ストライクを絡める関係で、士道くんの出番や活躍は少なめです。
 その代わりに、美紀恵と四糸乃の二人に頑張ってもらいます。
 しかし、直接の登場がなくてもここまで存在感がある士道くんは流石だと思う。

Q.不定期更新じゃないの?
A.流石に1話ぐらいはすぐに投稿しようと思って

 11巻はまだ発売しても間もないですから、読んでない方もいらっしゃるかと思いますので、感想欄でのネタバレにはご注意を!

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