士道くんは中二病をこじらせたようです   作:potato-47

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3.妹記念日

 中二病の闘争。それは即ち、設定と設定、世界観と世界観、ご都合主義とご都合主義――相食む能力をぶつけて説得力(ゴリ押し)をもって潰し合うこと。

 士道は中二病を自覚することで現実と折り合いを付けているが、現役バリバリの中二病は圧倒的な妄想力を以って現実を超越する。

 

 そもそも生きている世界が違うのだ。例えどれだけ否定されようとも、真正面からそれを受け止めることはない。勝手に解釈され設定との辻褄合わせを即座に行われることで世界観を完全に守り切る。

 

 精神が折れない限りは中二病は死なない。つまり無敵に等しいことを意味する。

 かつてはそれが強さだと思っていた。

 だが、自覚した今ならば分かる。

 

 それは所詮、独り善がりの理想に縋り付く弱さでしか無いのだ。理想とは押し付けるものでも個人のものでもない。誰かと共有することで始めて価値を持つ。

 それを知らないからこそ中二病は最強なのだろう。恥も外聞もなく妄想を垂れ流せば世界が理想郷に変わるのだから。

 

『おんや―? よしのんの美しさに臆しちゃったかなぁ?』

 

 ウサギのパペットが紅の隻眼で見詰めてくる。

 

「くっ……!」

 

 なんてプレッシャーだろうか。

 士道は人形遣いの顔を確認するが、小揺らぎもせずに無反応を貫き通していた。まるで人形に魂を預けてしまったかのようだ。己の設定を現実に再現するために、ここまで徹底しているのならば、それはあらゆる状況を冷静な顔で切り抜ける<無反応(ディスペル)>の境地に近いものがある。

 

 畏怖と同時に親近感を抱いた。

 <無反応>の二つ名は、臆病だった士道が現実逃避の末に得たものである。妄想の中でしか生きるのことのできなかった士道は、現実への反応を止めてそれが気付けば特技にまで至っていた。

 

 もしかしたら彼女もまた、現実に絶望しているのではないだろうか?

 弱く幼い心は現実の重さに耐えられず、こうして魂を人形に預けてしまったのかもしれない。

 

「やはり、能力者は孤独を抱えるものか」

 

 士道は少女への対応を冷静に考える。下手に設定を壊すのは不味い。あれほどにパペットに執着した世界観を崩せば、彼女自身の人格に影響を与えかねない。

 無言のまま待たせるのは悪いので、とりあえず適当に謎の呪文でも唱えながら少女の周りを歩き回る。彼女も中二病もならばきっとこの意味不明な行動を勝手に『設定』として解釈してくれる筈だ。

 

『ん……? んん……?』

 

 人形遣いは士道の行動に反応を示さない。リアクションを取るのは相変わらず人形の方だった。パペットが首を傾げて、少女と一緒に回りながら士道の動きを追った。

 やがて良い方法を考えついたところで足を止めると、少女が座り込んで口元をパペットをはめていない右手で押さえていた。どうやらパペットに成り切る余りに、自分の肉体へのダメージを考慮していなかったようだ。

 士道が近付くと、少女の肩がビクリと跳ねた。小刻みに震えているところを見るにどうやら怯えているらしい。足を止めて手だけを伸ばした。

 

『そのままじっとしているのよ。動くと余計に気持ち悪くなってしまうわ』

 

 自慢の鍛え上げた喉から紡がれるのは艶のある女性の声。<業炎の咎人(アポルトロシス)>の時に使うハスキーボイスとはまた別の声である。

 士道の手には、ブサ可愛い白熊のパペットがはめられていた。商店街の抽選で手に入れたのを思い出して、目には目をパペットにはパペットだと思い付いたのだ。まさかここでパペットの出番が来るとは、これぞ虚空に座す輪廻の因果律(アカシックレコード)すらも意のままに操る運命力のお陰であろう。

 

「えっ……?」

 

 パペットではなく、少女自身から反応が返ってきた。目眩のせいで意識が肉体に戻っていた。

 すぐに少女は自分の失言に気付いて、顔から表情が消える。

 

『へえ、おにーさんにもよしのんみたいな、お友達が居たんだねー』

『ふふっ、初めまして。私の名前はしおりんよ』

『ああっ! よしのんともあろう者が、すっかり名乗るのを忘れたねぇ! よしのんの名前はよしのん、可愛いっしょ? 可愛いっしょ?』

『とっても素敵なお名前ね』

『ぅうん、もー、しおりんったらお上手なんだからー』

 

 士道は空いた右手をぐっと握り締めた。ファーストコンタクトは無事に乗り越えたと考えていいだろう。予想通り『よしのん』が名前のようだったので、それに合わせて『しおりん』と名乗って良かった。本当は格好良い響きの名前を付けたかったのだが、万が一にも彼女の世界観を破壊しては目も当てられない。

 それからくだらないことを話して友好を深めたところで、危険を伴う賭けに出た。

 

「名乗り遅れたが、俺の名前は五河士道だ。きみの真名を教えてほしい」

 

 よしのんではなく、少女に向けて名乗った。

 

『…………』

「…………」

 

 不気味な沈黙が返ってきた。

 よしのんが葛藤を表すように、両手で頭を抱えて首をぐるぐると回す。少女は瞼を震えさせて後退った。

 やはり踏み込むのは失敗だったか――そう後悔した時だった。

 

「私の……名前は……四糸乃、です」

「そうか、それじゃあよろしくな、四糸乃」

『よろしくね、四糸乃』

 

 士道はよしのんの存在を尊重する意味で、しおりんとしても自己紹介を行った。

 

「は、い……よろしく、お願いします」

『ふふっ、よくできたねー! 偉い偉いっ!』

 

 四糸乃をよしのんが頭を撫でて褒めた。

 その様子に士道は目を細めて微笑んだ。傍から見れば、痛々しい自作自演かもしれない。でも士道には分かる。彼女にとって『よしのん』は実在するのだ。かつて士道にとって『機関』が存在したのと同じように。

 士道は近付いても怯えないのを確認して、四糸乃とよしのんを傘に入れた。

 

「これなら濡れないだろう」

 

 四糸乃は傘で水が弾かれるのを見上げて目を丸くした。

 

「あ……り、がとう、ございます」

『おおっと、これはかたじけないねぇ! 今日は優しい人ばっかりで、よしのんの日頃の行いが効いてきたかなー?』

 

 よしのんが濡れた耳を絞るように握った。

 

「ご、ごめんね……よしのん」

『四糸乃は悪くないよー。士道くんが、濡れてるレディを放っておいてぐるぐる回ったり、変なことしてるのが悪いんだから』

「うぐっ」

 

 そう言われると、自分の行いが割と鬼畜の所業に思えた。相手が怯えていたのを考慮しても、濡れている女の子を放置したのは事実なのだから言い返すこともできない。

 

「よ、よしのん……!」

『もう、冗談だよー。ふふっ、それよりもさー、士道くん、雨宿りさせるのを良いことに、四糸乃たちに密着しちゃってるけど、狙ったのかなー?』

 

 更にキラーパスが来た。

 パペットで攻めるならばパペットでガードしてしまおう。

 

『士道ったら、だめよ、女の子に許可無く触れたりしたら』

 

 しおりんを間に挟んで、物理的にも会話的にもクッションにする。

 相手の設定の隙を突くようで我ながら卑怯臭い。世界の共有は理想郷に至るために必要なこととはいえ、パペットに人格を持たせる世界は多くの人に受け入れてもらうのは難しいだろう。

 

 目の前で、親しい友人のように会話を交わす四糸乃とよしのんを見詰めて、士道は二人の関係がどのような結末を辿るのか想像して表情を曇らせた。

 中二病はその名の通り多くの者が中学二年生という多感な時期に発症するものだ。良くも悪くも成長すればいずれ勝手に卒業する。そして多くの者が黒歴史として封印してしまう。

 

 ――四糸乃にとって、よしのんは永遠であるべきなのだろうか?

 

 士道は首を横に振って思考を払った。

 答えの出ない疑問を投げ捨てて、自分のように上手く中二病と付き合えていければいいな、と願望を抱いた。

 

 

    *

 

 

 士道は一人、先程までの雨が嘘のように晴れ渡った空を見上げながら歩く。

 

「何か地雷に触れてしまっただろうか?」

 

 不安気に呟いて、白熊のしおりんに目を落とした。本来は四糸乃とよしのんを家まで送るつもりでいたのだが、目を離した隙に二人共居なくなってしまったのだ。

 自分と同じ中二病患者。それも空想の友達を生み出してしまうほどの重症である。絶望が見え隠れする四糸乃を放ってはおけなかった。

 

「ん? こんな時間か……。そろそろ折紙たちも家に来てしまうな」

 

 士道は荷物を抱え込んで小走りで自宅に向かう。

 玄関先に折紙の後ろ姿を見付けた。その隣にはポニーテールの少女が立っている。恐らくは彼女が士道に会いたいと言ってきた件の人物なのだろう。

 鍵が開いていないところを見るに琴里は洗濯物を回収した後、<フラクシナス>へ戻ったようだ。時刻はまだ一八時を回っていないが、折紙の性格を考えれば早目にやってくることは考慮するべきだった。

 

「折紙、待たせて悪かったな」

「問題無い」

 

 折紙は表情一つ変えない。

 

「にっ……」

「に……?」

 

 もう一人の少女は目を見開いて固まっていた。視線は真っ直ぐに士道へと向けられている。

 何か気になることでもあるのだろうか、と首を傾げて、すぐに原因に思い当たった。まだ手にしおりんを付けたままだ。高校生にもなって日常的にこんなものを付けていれば、それは反応に困るだろう。中二病患者は珍しく常識的な結論を出した。

 

 まるでその常識の隙を突くように、ポニーテールが宙を舞った。少女が白いスニーカーで地面を蹴りつけて、勢い良く士道の胸に飛び込んできたのだ。

 

「まさか機関の刺客かっ!?」

 

 懐に潜り込んだ少女を即座に迎撃しようと、捻りを加えた拳が放たれた。今朝、耶倶矢と一戦交えたことで既に実戦感覚を取り戻していた士道に隙はない。

 しかし、対する少女――崇宮真那もまた数々の激戦を生き抜いてきた猛者である。引き締まった小さな身体で鍛え抜かれた筋肉が躍動する。

 

「……ッ!」

 

 拳を横から叩き落として、すぐさまバックステップ。

 二人は距離を置いて構え直すと――ふっ、と笑った。

 この時、士道の妹である真那は思った。妹である自分がこんなに強いのだから、その兄はもっと最強に違いない。失われた記憶が全否定している気もするが、一瞬の攻防に確かな兄妹の絆を感じ取った。酷い勘違いである。

 なんだか良く分からないが心の奥底で通じ合った二人は、拳を打ち合わせた。

 

「流石は兄様でいやがりますねっ!」

「…………えっ?」

 

 固まった士道に、真那が今度こそは抱き着いた。

 これが人類最高峰の魔術師()と、人類最低辺の中二病()の再会だった。

 

    *

 

 士道から真那について報告され、<フラクシナス>から戻ってきた琴里を交えて話を聞くことになった。学校に残っていた十香や八舞姉妹はどうやら<フラクシナス>に拾ってもらっていたらしく、琴里と一緒に五河家へとやってきた。

 

「ちょっと込み入った話になりそうだからな、折紙はみんなと一緒に夕弦と耶倶矢の部屋に――」

「士道の部屋で待っている」

「そ、そうか」

 

 折紙は食い気味に言った。こういう時に積極性は大切だ。断られれば引き下がるつもりだったが、士道は悟った顔で了承してくれた。

 士道がリビングに入っていくのを無言で見送り、リビングのドアへとそっと耳を当てた。

 どう見ても古式床しい盗み聞きスタイルである。

 

 士道の部屋でクンカクンカスーハースーハーペロペロハァハァジュルリするのも充分に魅力的なプランだが、目先の欲望に囚われず士道と真那の関係を正確に把握することを選択した。

 

「…………」

 

 もしも士道に害を成す存在ならばあらゆる手段を以って排除する。

 静かな決意を胸に聴覚に意識を集中しようとして、

 

「理解。やはりマスター折紙も同じお考えでしたか」

 

 夕弦を先頭に耶倶矢と十香が足音を殺してやってきた。言動からするにどうやら目的は同じらしい。

 ドアの大きさからして盗み聞きできるのは二人が限度だ。

 

「くくっ、ならば戦って勝者を決めるしかあるまい。さあ拳を天高く掲げよ。我らを導くは三竦みの絶対運命、変幻自在に惑う事象をこの拳に――」

「省略。ジャンケンで決めましょう」

「ちょ、夕弦っ! ここからが良いところだったのに!」

 

 十香は首を傾げた。

 

「ジャンケンとはなんだ?」

 

 八舞姉妹は乳繰り合っているので、代わりに折紙が応えた。

 

「私が説明する」

「むう、鳶一折紙には訊いてないぞ」

「夜刀神十香、士道は私とあなたが友好を深めることを望んでいる」

「そ、それは……そうだが」

「私から歩み寄ることを拒否するのであれば仕方ない」

 

 折紙は俯いた。さも落ち込んだように見せると、純粋な十香はころりと騙されてしまう。

 

「か、勝手に決めるな! いいだろう、ジャンケンとやらを説明してくれ」

「実践で理解する方が分かりやすい。今から握手するように手を出して」

「こ、こうか?」

 

 折紙はパーを出した十香に対してチョキを出した。

 

「あなたの負け。つまりドアの前に立つ権利はなくなった」

「なっ!? 謀ったな鳶一折紙!?」

「既に勝負は始まっていた。油断したあなたが悪い」

 

 こちらは八舞姉妹とは違い、悪意が見え隠れする喧嘩だった。

 折紙にとって精霊は未だに凝りの残る存在である。八舞姉妹とはそれなりに友好を深めているが、どうにも十香とは衝突することが多い。とはいえ言い争うことはあっても、お互いに本気で殺し合おうとは考えていなかった。十香にとって折紙は複雑でありながら尊敬に値する存在であり、折紙にとって十香は士道のために守ると決めた存在なのだから。

 

 その後、厳正なる勝負の結果、顔に出やすい主従コンビは無表情がデフォの師弟コンビの前に敗北を喫した。

 折紙と夕弦は恨めしげに睨み付けてくる耶倶矢と十香を無視して、リビングの会話を聞き逃すまいと集中する。

 

「兄様は実妹派でいやがりますよね!?」

「おにーちゃんは義妹派よね!?」

 

 果たしてどういう会話の流れで、こんなことになったのだろうか。聞こえてきた第一声のレベルが高過ぎる。再会したばかりの実妹によってラブコメ空間を構築してしまうとは、流石は士道である。

 それから間を置いて開き直ったらしい士道が、高らかに宣言した。

 

「――俺はすべての妹を愛すると決めている!」

 

 優柔不断の返答は受け入れてもらえず、実妹と義妹から舌鋒鋭く責め立てられる。

 

「推測。もしかしたら士道は『妹属性』を持っているのかもしれません」

「妹属性?」

 

 折紙は士道のためならばコスプレなどもするが、サブカルチャー的な知識は乏しい。復讐に生きることを決めた彼女には、これまで日常を楽しむ余裕などなかった。

 

「解説。最近読んだ漫画で学びました。士道のように妹をこよなく愛する人間を、シスコンや妹属性持ちなどと呼称するようです」

 

 夕弦は士道の予想から外れて折紙とは別の進化を辿っていた。漫画やアニメによって余計な知識を身に着けることで、三次元的なエロスよりも二次元的な萌えを追求していたのだ。

 

「補足。『妹』とは血縁上や法律上の括りよりも関係性を重視するとも書かれていました」

 

 実妹しか認めない義妹は甘えだと口にする者が居れば、甲斐甲斐しく世話をしてくれる年下の幼馴染から「お兄ちゃん」と呼ばれていればそれも『妹』であると判断する者も居る。

 

 折紙は妹という概念を即物的に把握した。重要なのは自分にとってそれがどのような価値があるかだ。

 そして思い付いた。

 士道が求めるのならば、それに全力で応えるのが折紙である。彼が望むなら犬耳尻尾スクール水着でデートだってしてみせよう。彼が望むのなら何にだってなってみせる。

 そう、それが妹であったとしても――

 

 

    *

 

 

 士道は実妹と義妹に回答を迫られてたじろいでいた。相変わらず日常ハードモードである。

 やはり、こういう時は専門家に頼るべきだ。

 

「殿町、どう思う?」

『爆発しろよ!』

 

 ツーツーと不通音。

 

「何故だ」

 

 士道は諦めて携帯電話を仕舞った。どうしたものだろうか。実妹とか義妹とかよりも考えるべき問題があるような気もするが、回答を求める二人の表情は至極真剣だった。

 追い詰められる士道に救済のチャンスが訪れた。ピリピリした空気を引き裂くようにドアが勢い良く開かれる。誰だかは分からないが、これで返答を有耶無耶にできる。

 

「挨拶。初めまして兄上の妹の夕弦です」

「お兄の妹の十香だ。よろしく頼むぞ」

「兄さんの義妹(・・)、折紙」

「くくっ、兄者の妹である耶倶矢だ!」

 

 振り返った士道は彼女たちの呼び掛けに固まった。こいつらは一体何を言っているのだろうか。まったくもって訳が分からない。誰か状況を説明してほしい。

 妹が四人追加で現れて、真那の方も驚愕を通り越して戸惑っていた。鳶一一曹まで義妹とか名乗り出してこれはどういうことなのだろう。

 真那は混沌の中で思考が空転させてズレた回答を導き出した。

 

「はっ!? 幼い頃に真那と生き別れたショックで……兄様は、常に妹の痕跡を追い求めるように! 周囲に居る女性をすべて妹としてしか認識できなくなりやがったんですね!? その心の傷を癒やすため、不肖、この実妹である真那が兄様のために一肌脱ぎ――」

「脱がんでいい!」

 

 琴里が真那の暴走を止める。

 

「こ、琴里さんも実は兄様のために妹を強要されて!?」

「私はちゃんと士道の妹よ!」

「それじゃあこの方たちは?」

「ん? 確か亜衣たちが私たちのことを士道……お兄のハァレムだと言っていたな」

 

 十香が最悪のタイミングで発言する。

 

「ハーレム!? に、兄様……四股ですか!? 日本はいつから一夫多妻になりやがりましたか!?」

「落ち着け、色々と誤解がある」

「例え一夫多妻でも士道は義妹である私としか結婚できない」

「折紙、ちょっと黙っていてくれ」

 

 ちゃっかり折紙は義妹を強調していたが、どうやらそんな策略があったらしい。八舞姉妹は騙されないにしても、十香辺りは丸め込まれてしまいそうだ。

 

「それなら私だって士道と結婚できるわよ!」

「えっ……?」

「あっ……い、今のは言葉の綾よ! け、結婚したいって意味じゃないわ。私も結婚をすることができると事実を言っただけよ」

「そ、そうか……」

 

 とりあえず琴里の発言は聞かなかったことにしよう。

 士道は相変わらずヘタレ選択肢で問題を先送りにした。

 

「訂正。例え実妹だとしても事実婚は可能です。兄さんは夕弦のものです」

「ふっ、血の楔如きで我ら八舞が屈するとでも? 片腹痛いとはまさにこのことよ。兄者よ、さあ我と永久の契りを交わそうぞ」

「夕弦と耶倶矢も実妹設定で張り合うな」

 

 折紙に対抗して乗ってきた八舞姉妹の口を押さえ込む。

 冷静さを取り戻した琴里は、先程の失言を誤魔化すように話を折紙たちが盗み聞きするよりも前の『本題』に戻した。

 

「というかそもそもね、あなたが士道の実妹だっていう証拠がどこにあるのよ?」

「兄妹の絆ですよ! 見た瞬間にビビッときたのです!」

「一目惚れじゃないんだから、そんなんで分かる筈がないでしょ」

「はっ、これは一目惚れでしたか。斯くなる上は恥を忍んで、真那も兄様のハーレムに――」

「あなたまで空気に流されてるんじゃないわよ!?」

 

 騒がしい空気は落ち着くこともなく、それからも続いた。当事者の筈なのに蚊帳の外に追い出されていた士道は下手に突っ込んでも地雷を踏むだけなので、キッチンで夕食の準備を始めた。

 

「落ち着くな」

 

 相当に追い詰められていたようで、油が跳ねる音がまるで小川のせせらぎにように聞こえた。

 

 

    *

 

 

 天宮駐屯地のブリーフィングルーム。

 真那は五河家での騒がしい一時を思い出してくすりと笑った。兄のハーレム疑惑は最後まで解消されなかったのが心残りではあるが、あの時間は幸福に満ちていた。

 

 最悪の精霊(ナイトメア)を追って世界中を駆け回る日々は殺伐としている。同年代の者と気兼ねなく会話するのは、仕事柄ほとんどないことだ。

 今回ばかりは、天宮市付近で活動している<ナイトメア>に感謝を――いや、この偶然に感謝をしておこう。あの女にくれてやるのは鉛弾か刃で充分だ。

 

「崇宮三尉、聞いてるかしら?」

「ああ、これは失礼しました隊長殿」

 

 燎子から注意を受けて、真那は意識を切り替える。

 天井から下りたスクリーンに天宮市でここ最近に出現した精霊がスライドで表示されていく。

 

「<プリンセス>、<ベルセルク>……最近は余り見ないけど、<ハーミット>」

 

 真那はスライドが切り替わるごとに目を見開く。隣に座る折紙は真那に横目で鋭い視線を送った。二人の様子に美紀恵はどんな意味が含まれているのか分からず呆けた顔を浮かべる。

 

「そして、<アポルトロシス>」

「えっ……?」

 

 真那は思わず音を立てて席から立ち上がっていた。兄妹の絆がビビッと反応を示している。<アポルトロシス>の姿は自分が髪を伸ばしたのとよく似ていた。

 

「何か気になることでも……ああ、そういうこと。精霊に似ているなんて縁起でもないわね」

 

 燎子自身もその事実に気付いて勝手に納得する。内心では様々な思考を巡らせてはいたが、それがいかに危険な可能性を秘めているのか理解しているため表には出さなかった。

 

 真那が反応したのは自分に似ているからではない。どう見ても兄が女装した姿にしか見えないことに驚愕していた。

 折紙は僅かに腰を浮かせる。もしも士道のことを話すようであれば、例え士道の実妹といえども躊躇わない。彼とその周囲の日常を守り抜くと誓ったのだ。

 証明の落ちた薄暗いブリーフィングルームで、一触即発の空気が充満する。

 

「崇宮三尉、まだ何かあるの?」

「…………いえ、なんでもねーです」

 

 真那が座ったのを確認して、折紙も臨戦態勢を解いた。

 ASTの面々は息苦しさが消えたことに気付く。

 何かが起きていた。

 それを理解しながら誰も触れようとはしない。踏み込めばそこに地獄が待っていることを分かっているからだった。

 

 <アポルトロシス>と折紙の間には何かがある。

 そして、恐らくは崇宮真那と<アポルトロシス>の間にも何かがある。

 

 ――精霊は人間である。

 

 かつて<アポルトロシス>はそう言っていた。ただの戯言なのか、翻弄するための虚言なのか、本当にこの世界の真実なのか――それは分からない。だが、その言葉に答えが潜んでいるような気がした。

 

「折紙さん……」

 

 美紀恵は入隊も間もなく何も事情を知らないが、本能的に恐ろしい未来を幻視して、折紙の袖をぎゅっと掴んでいた。そうしなければ折紙がどこか遠くに行ってしまうような気がした。

 歯車が噛み合わずに異音を奏で始める。

 目には見えない不和がAST内に広がっていた。

 

 

    *

 

 

 アシュリーは日が暮れた頃になってようやくアジトに辿り着いた。アジトと言ってもそんな上等なものではない。ただのボロアパートだ。

 

「セシル、ちゃんと挽き肉取ってきてやったぜ!」

 

 買い物から帰宅したアシュリーを出迎えたのは、目的を同じくイギリスからやってきた仲間たちだった。

 

「あっ……お、おかえり、アシュリー……」

 

 レオノーラ・シアーズは仲間内の会話も覚束無い気弱な性格だが、態度とは裏腹に視線だけで人が殺せそうなほど目付きが悪く、不安気に丸まった腰は真っ直ぐに伸ばせばかなりの長身だと分かる。

 

「おかえりなさい……それは良かったわ。でも、随分と遅い帰宅ね?」

 

 セシル・オブライエンは瞼を閉じたまま穏やかに微笑む。怒気がビシビシと伝わってきて、アシュリーは思わず頬を引きつらせた。

 

「ちょっと見回りを……」

「あら、感心ね」

 

 ふふふと笑っているが、やっぱりかなり怒っている。

 アシュリーはどうにかご機嫌取りのため、セシルの車椅子を押してやる。彼女は過去に空間震によって視力と足に障害を負っていた。

 

「それじゃあすぐに夕食にしましょうか」

 

 レオノーラが台所に立って調理を始めた。

 その間、セシルとアシュリーはダイニングのテーブルに着いて今後の作戦について話し合っていた。

 

「息苦しい潜伏生活もそろそろ終わりよ」

 

 <アポルトロシス>の出現によって情報規制が厳重になっていた天宮駐屯地から、ようやく機密情報を手に入れることができた。例えどれだけ強固なセキュリティを築いたとしても、そこに人間が関わる限りは完璧なシステムには成り得ない。

 拷問でも誘惑でもなんでもいい――知っている者から訊き出してしまえばい。人間の口は死なない限り完全に閉ざすのは不可能だ。足が付きやすいので控えていたが、状況は逼迫しており手段を選ばせてはくれなかった。

 

「つーことは、搬入日は近いんだな?」

 

 アシュリーは逸る思いを抑え切れず声が上擦っていた。

 

「ええ、その通りよ」

 

 セシルもまた日本に来てからずっと歯痒い状況が続いていたので、状況の進展に声を弾ませた。

 

「――新型顕現装置(リアライザ)<アシュクロフト>を手に入れる。そのために、搬入日に合わせて戦力を削るわよ」

 

 セシルは入手したAST隊員の写真をテーブルに並べた。

 

「こっちは三人しか居ないのに……本当に大丈夫かな?」

「あ? 大丈夫かどうかじゃねーだろ、やんなきゃならねーんだよ!」

 

 料理を運んできたレオノーラの呟きに、アシュリーは眉を吊り上げる。

 アシュリーは写真の中から見覚えのある姿を見付けて手に取った。

 

「相手が誰であっても関係ねーよ」

 

 優先目標と定められたのは、日下部燎子、鳶一折紙、崇宮真那、そしてスーパーで顔を合わせた<黒字家計簿(ティアクロー)>――岡峰美紀恵の四人だった。

 




 こんなに間が空くとは誰も思わなかったでしょう。
 私も思いませんでした。
 次回はもう少し早く投稿できると……いいなぁ。

 それにしても、第三部は全体的にほのぼのするつもりだったのですが、書いてみると日常シーンがどう見ても絶望へのカウントダウンにしか見えなくて涙目。

Q.四糸乃の攻略は順調じゃない?
A.っ【十香編の展開】

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