士道くんは中二病をこじらせたようです   作:potato-47

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8.王の簒奪

 燃えている。世界が地獄の劫火に包み込まれている。

 士道はその中を懸命に走っていた。状況はまったく分からない。ただ一つだけ確かなことがある。

 

 ――琴里を救わなければならない。

 

 それだけで、士道は燃え盛る炎の中に躊躇いもなく飛び込むことができた。

 五年前、南甲町を襲った大火災。

 その中を、士道は走っていた。

 何を犠牲にしてでも琴里を救う。それがかつて世界から否定され、抵抗を続けてきた士道にできる精一杯の恩返しであり、妄想も現実も関係無い本心だった。

 

 

    *

 

 

 身体が冷たい地面に横たえられている。靴下とスカートの間の絶対領域が、草葉にくすぐられむずむずした。徐々に浮上する意識が、頭部だけは柔らかい感触に支えられていることに気付いた。

 ぼやけた視界に、揺らめく炎が見える。やがて炎が収まると、その先に、涙で腫れた目をする八舞姉妹の顔を見付けた。耶倶矢の顔だけが妙に近い。

 

「良かった、もう死んだかと思ったじゃない」

 

 耶倶矢が身動ぎするのに合わせて、士道の視界が揺れた。どうやら膝枕をされているらしい。

 

「安堵。無事で何よりです」

 

 二人の声を聞いて、ようやく状況を思い出すことができた。

 士道はASTとの戦闘で重症を負い、再生能力が間に合わず意識を失っていたのだ。

 

「心配を掛けた……もう大丈夫だ」

 

 まだ痛みの残る身体で立ち上がろうとして、夕弦に頭を押さえ付けられる。

 

「否定。まるで大丈夫ではありません。もう少し身体を休めていてください。……耶倶矢も同様です」

「ふんっ、我の心配こそ不要。この身は無敵であり不死なのだから――イタッ!? ちょ、傷口を触らないでよ!?」

「感嘆。流石は無敵(笑)で不死(笑)」

「もう無駄だし! そんな挑発に乗らないし!」

 

 夕弦は無言の圧力を伴って、耶倶矢の切り裂かれた肩口に指を近付ける。

 

「わ、分かったわよ。私も大人しくしてる。それでいいんでしょ?」

「肯定。夕弦は周囲の警戒に行ってきます」

 

 足音が遠ざかっていくのを確認して、耶倶矢は溜息をついた。

 

「まったく、夕弦は心配症なのよ。この程度、本当にかすり傷なんだからさ。あんたもそう思う……ん、んんっ! 貴様もそうは思わぬか、<業炎の咎人(アポルトロシス)>よ」

「こんな時ぐらいは無理をせず、楽に話せばいい」

「……よもや、貴様の口からそんな言葉を聞くとはな。随分と疲弊していると見える。まあ仕方あるまいか、あれだけの猛攻を受ければ死なずとも精神には深い傷が残る」

 

 士道は首を横に振った。しかし、それ以上は語らない。確かに疲れているのかもしれない。完膚無きまでに妄想を切り捨てられたダメージは深刻だった。

 

「なあ、<業炎の咎人>よ、貴様も楽になっていいのではないか? 貴様がただの人間ではないことは、先の戦いで重々承知している。しかし、だからといってそれが平穏を遠ざける理由にはなるまい?」

「だったら、お前たちはどうなる? 俺が日常に戻れたとして、お前たちはASTと戦い続けるというのか?」

「――もちろんだ。夕弦と話してそう決めた。もう貴様をこれ以上、巻き込むわけにはいかない」

 

 ようやく手に入れた大切なものが、手の平から零れ落ちるのを感じた。

 息が詰まって、返答を言葉にできない。

 

 力が欲しい。あらゆる障害を打ち払う圧倒的な力が。どうして俺はこんなにも中途半端なのだろうか。異常なまでの再生能力、キャンプに役立つ程度のちんけな炎――このアンバランスな攻守の偏りは、いっそ笑えてしまう。

 

 初めて出逢った時、ASTの戦闘で見た時――八舞姉妹は絶対的な力を従えていた。士道には存在しない、『天使』と呼ばれる強力無比の矛と『霊装』と呼ばれる堅牢な盾。

 

「……俺は役立たずだということか」

 

 何度も躊躇ってから、ようやくその言葉が口に出た。

 それと同時に妄想に大きなヒビが入る。

 

「ああ、その通りだ」

 

 自分で言っておいて、どうしてそんな傷付いた顔をするのか。耶倶矢の不器用な優しさに、士道は歪な苦笑を形作る。

 

「だから最後に一ついいだろうか」

「なんでも言ってくれ」

「――貴様の真名を教えてはくれぬか?」

 

 ますます士道の苦笑が歪んだ。

 妄想に楔が穿たれた。耶倶矢の口から現実を要求されることが、思ったよりもショックではなかった。なんとなく温かな感情が芽生えて、だからこそ士道は混乱する。

 

「詰まらないことを訊いたな。貴様は<業炎の咎人>であり、それ以上でもそれ以下でもない」

 

 寂しそうに笑った耶倶矢が、士道の頭を下ろしてゆっくりと立ち上がる。

 妄想と現実が脳内でぐるぐると回った。何が正しくて、何が間違っていて、自分がどうすれば『設定』に忠実でいられるのか――いや、そんなことすべて無意味だ。嘘か本当かなんてどうでもいい。例え間違っていても、貫き通せば、それは絶対の真実となる。そして、士道にとっての真実は『誰かを悲しませる』ものであってはならない。

 去っていく背中に向けて、士道は言葉を送った。

 

「五河士道」

「え……?」

「それが俺の真名だ」

 

 振り返った耶倶矢の呆然とした顔が、魅力的な笑みに変わった。

 ドクンと心臓が跳ねる。

 

「ふむ、士道か。我が盟友に相応しき名よ」

 

 ぱたぱたと耶倶矢が走り寄ってきて――気付いたら、唇を重ねられていた。刹那に永遠が宿る。瞼を閉じた耶倶矢の顔を見詰めたまま、その行動の意味を理解するよりも早く、名残惜しそうに耶倶矢の唇は離れていった。

 

「――さらばだ」

 

 別れの言葉が遠い。

 それは、精神的なものがもたらすのではなく、士道の内側に流れ込む何かがそうさせていた。温かいものが流れ込んでくる感覚に戸惑う。

 

「なっ……!?」

 

 耶倶矢の拘束衣や鎖が光の粒子となって消えていく。一糸纏わぬ姿になって、ぺたんとその場に座り込んだ。

 

「こ、これは、まさか」

 

 新たなる妄想が脳内で弾けた。

 だって仕方ないだろう。もう士道は妄想と共に永く生き過ぎた。つい面白い展開になれば無意識の内に設定を構築してしまう。

 

「俺の隠された力――<王の簒奪(スキル・ドレイン)>!?」

 

 まったく関係ない右目を押さえ込んで、動揺と歓喜が入り混じった叫びを上げる。

 光の粒子に気付いたのか、空から周囲を警戒していた夕弦が慌てて戻ってきた。そして目にした光景は、全裸で涙目の耶倶矢となんだかハイになっている士道の姿。

 

「詰問。これはどういうことですか」

 

 鋭い視線が、二人に向けられる。誤解するなというのが無理な光景である。

 夕弦の瞳には冷え冷えとした怒りが渦巻いていた。

 耶倶矢は夕弦の誤解を正確に理解して、慌てた様子で弁明する。

 

「これは、違うの! ええっと、いや違わないけど、なんというか、夕弦の心配するようなことじゃないから!」

「憤慨。言い訳無用です。つまり耶倶矢は――」

 

 最後まで夕弦の言葉は続かなかった。

 最悪のタイミングで、夕弦はこの世界から消失(ロスト)してしまったのだ。

 

「えっ……どうして、私は残ったままなの?」

 

 耶倶矢は悲鳴に似た戸惑いの声を漏らす。縋るように士道を見上げるが、説明をほしいのは彼も同様だった。

 

 

    *

 

 

 <フラクシナス>の医務室。ベッドの上に琴里は上半身だけ起こして、令音からの報告を聞いていた。あの後、艦橋で錯乱しているのをクルー総員で取り押さえられ、令音から鎮静剤を打たれて今まで眠っていた。

 

「天宮市郊外で<イフリート>の霊力反応が再び感知された」

 

 琴里は令音の言葉に頷いて、深い溜息をついた。

 

「完全に迂闊だったわ。士道が目の前でミンチになろうが、挽き肉になろうが、ハンバーグになろうが耐えられるだけの訓練は受けてきたっていうのに……まさか、『士道との思い出が嘘かもしれない』というだけで、精霊の力が逆流するなんてね」

 

 令音が無言で琴里のモニタリングしたデータを見せてくる。

 

「好感度に変化無し。不安のパラメータだけが急激に上昇している」

「はぁ……どんだけ、士道のことが好きだっていうのよ、私は……。その装置、壊れてるんじゃないの?」

「自分の胸に訊いてみるといい」

 

 琴里は唇をへの字に曲げる。何も反論の言葉は浮かんでこなかった。

 

「それよりも、士道を見付けられたの?」

「残念ながら発見は難しい。既に<ベルセルク>が消失(ロスト)してしまったからね、探すにも目印がない。今までの監視結果から彼がその場で大人しくしているとは思えないが、琴里はどう思う?」

「同意見ね。また……待つしかないってことか」

 

 なんのための<ラタトスク>なのか。なんのための自分なのだろうか。

 

「一人にさせてちょうだい。少し経ったら艦橋に戻るから」

 

 令音は無言で頷いて席を立ったが、去り際に琴里の頭を撫でていった。

 見上げた配管の通った物々しい天井が徐々にぼやけていく。

 

「うぅあっ……よかった、おにーちゃん、生きてた……」

 

 静まり返った医務室に押し殺した嗚咽だけが響いた。


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