プロローグ -満たされぬマグロ-
「私に…?」
少女は、自分の顔を指さし、キョトンとした顔をする。
「そう!アンカーの娘が昨日転んで怪我しちゃって……お願い!代わりにやってくれないかな?」
「…いいけど、私、うまく走れないかもよ?」
「いいの!私達にとっては、負けることより、走れない、何もできないことの方が、もっと嫌だから!!」
「………なら、出来る限り、やってみるよ」
少女は、立ち上がって、渋々ながら、そう言った。
私は、少し変わっている。
“満たされない”
そんな性分なのだ。
精神科医には匙を投げられた。
私はおかしいのかもしれない。
「心躍る」「心の底から惹かれる」と思わせてくれる物が、見つからないのだ。
だから私は、探してきた、求めてきた、自分を満たすものを。
「ご来店、ありがとうございました」
「今回のマッスルコンテスト、男性部門の優勝者は────さんです!!」
「当睡眠カフェ、お気に召しましたか?」
「イヤリング、ありがとう!」
「マッサージ、上手なんだね」
「この樹は、樹齢が300年と言われており…」
「まぁ!可愛い絵ですねぇ〜」
じゃあ、一体何なんだ?
何を食べても、どこへ行っても、満たされない、私の心。
かと言って何もしなければ、気がふれてしまいそうになる、私の心。
そして、常に、満たしてくれるものを探し、動き続けていた私には、止まったら死ぬ魚にちなみ、“マグロ女”というあだ名がつけられた。
とまあ、そんな存在であった私は、ある意味、マグロのあだ名に相応しい最期を迎えた。
高速をオートバイで走っていたら、逆走車にぶつかったのだ。まるで、水族館のマグロがガラスにぶつかるように。
スローモーションで見えた相手の顔は「うわっ!!前から車が!?」とでも言いたげな顔をしていた。
こっちの台詞だよ。
避けようがない私は、車に直撃した。轟音と共に、視界はブラックアウト。
ただ、それだけだった。
そして、何故か、私は生まれ変わった。しかもかなりおかしい世界に。
それに気づいたのは、産まれてちょっとしてからのこと。
私を抱く、親に、明らかに人間のそれではない耳と尻尾が生えている。
(…は?これ、妖怪?)
私が、驚いていると、扉が空き、白衣を着た妖怪がもう一人、入って来た。
(…は?)
色々なことをやってきた私でも、流石にこれは処理できなかった。
…まあ、生まれてすぐのときは驚いたが、何年かしてくるとこの世界について、かなり理解できるようにはなった。
まず、この世界には、
馬の仕事は、そのほとんどが収斂進化したであろう、スラリとしたウシの仲間のものとなっていた。レイヨウとかアイベックスの類に似ている。
ただ、競馬は、ギャンブル成分皆無のエンターテインメントとして、「ウマ娘レース」となり、大人気のスポーツとして、この世界に君臨していた。その人気ぶりとくれば、前世の野球やサッカーのそれを、はるかに凌駕するものだった。
ただ、レースをするウマ娘もいれば、当然レースをしないウマ娘もいるわけである。私の場合、まだ、自分を満たすものを見つけていないうえに、スポーツは太らないための手段としてしか捉えていなかったので、当然後者を選ぶ………
はずだった。
転機が訪れたのは、小学生の夏休みの時、人間のそれよりもはるかに速く走れる自分の脚で家の周囲を駆け回り、自分を満たすものを探し続けた私は、他のところでもそうしようと、何かと理由をつけて、いとこの家に預けてもらったのだ。
そして、その時、いとこの家のある地区では、ちびっ子ウマ娘のリレー大会なるものが開催されており、私は怪我をしたアンカーの代わりに出ることになった。
要は、不戦敗だけは避けたいという、意地とメンツで成り立った、チームメンバーの苦肉の策である。
しかし、勝負というのは不思議なもので、バトンを受け取って走ったらとうとう優勝してしまった。自分でも可笑しいと思ったが苦情を云う訳もないから大人しく賞状をもらっておいた。
まあ、そんなことは、どうでも良い。
大事なのはその後のことだ。
「だーから!そっちがちゃんとしてれば勝てたんだよ!!」
「何ですって?あなたこそもっとリードを取るべきだったのよ!!」
レースの後、相手チームのウマ娘達が、喧嘩をしていたのだ。
アンカーより前の走者は、“油断していただろう”とアンカーを糾弾し、逆にアンカーは前の走者に対し“きちんとリードが取れていれば追いつかれなかった”と主張していた。
まあ、そんなこんなで言い争っていた彼女たち、双方の耳は後ろに反っていた。
そして、たまたまそれを見た私は、その光景を…
狂おしいほど、面白く思ったのだ。
そして、私の出した結果に対して、周りは大いに驚いた。
そりゃそうだろう、フツーのウマ娘の家系の子供が、素質はバラバラとはいえ、競走ウマ娘を目指すウマ娘達を撃破してしまったのだから。
そして、“鳶が鷹を産む”の様な扱いをされた私は、周囲からトレセン学園への入学を薦められた。
それは良い提案だった。リレーの時に感じた面白さを究明するヒントが得られるかもしれない。それに、考えてみれば、前世同様、通常学校の学生生活を送ろうとしていた私は、とんでもない馬鹿、いや、莫迦だ。新しいことに手を伸ばさなければ、私の心を満たすものを見つける手がかりなど、見つからないだろう。
私は決めた。トレセン学園に入学しようと。
ただ、一つ問題点があった。あそこは女子校なのだ。それも中高一貫だ。前世、付き合いのあった人物に女子校出身の者が居たけれども、ストレスのかかる環境だったらしい。
…まあ、そんなわけで、私は中学に入ってすぐにトレセンに行こうなどとは思っていなかった。
というか、人間の脳味噌が一番成長する時期に、同年代の異性に触れづらい環境にいたら、絶対によくない。頭おかしなるわ、常識的に考えて。
なので、私は母親と周囲にそれについて力説し、中等部3年目から転入するという条件をつけることに成功した。そもそも、私は縛られるというのが好きじゃない。水族館のマグロだって、本来は太平洋で泳ぎ回っているのだから。
ともかく、転入までは我流でのトレーニングとなる。ただし、私は他の者とは違う、転生者だ。勉強に使うリソースを、殆どトレーニングに回せる。
私はそのアドバンテージをフルに使い、転入に備えていった。毎日走るのは勿論の事、冬場の川をジャブジャブと横断したり、着衣で海に飛び込んでみたり、タケノコを巡ってイノシシと闘ったり、レースに役立つかなと思った本を読んでみたり………
今思えば、怪我をするのは日常茶飯事、部屋には山のような本、休日朝早く外出して帰ってきたと思えば濡れ鼠だったりと、親には随分と苦労をかけたのかもしれない。
というふうに、トレーニングと少しばかり他のことも交えた毎日を繰り返しているうちに、あっという間に2年間が過ぎてしまったのだ。
そして、現在に至る。
セーラー服に袖を通し、リボンのズレを整える。太腿で終わる長そうで短いスカート、膝上まである鬱陶しいソックスを履く、これらの服装は明らかに上の方の性癖だろう。
こんなに短いスカートだと、過ごしづらい。私服で動き回ってた大学生の頃が恋しくなる。
他の生徒よりひと足早く、寮を出る。寮から出てすぐに、校門がある。そこには、緑の服を着た理事長の秘書、たづなさんが立っている。
「おはようございます、たづなさん」
「おはようございます、その様子だと、よく眠れたようですね、では、行きましょうか」
彼女に促され、私は校内へと入る。
歩きながら、天を仰ぐ。
私は、何が欲しいのか。
私は、何を求めているのか。
知っているのは、神か、仏か、はたまた天か。
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