今回は拙い挿絵が入っています。ご了承下さい。
「よし」
日記をつけ終えた彼女は、それを大事そうに仕舞いこみ、そう口にする。
「……さて、これを使うとしますか」
そして、もう一冊の新品の日記帳を取り出し、まっさらなページを開いた。
彼女はその何も書かれていないページを見て、暫くの間考え込んだ。何かを思いついたような顔をしたかと思うと、彼女は自分の姿勢を正し始めた。
「………」
そして、暫くの間目を閉じたのだった。
私は現在、京都レース場までやってきていた。目的はレースの研究である。まあ、要はスペシャルウィークの今年初のレースを見に来たというわけである。
「では、君はここから見てくれ。私は向こうでビデオを回す」
「おっけ」
白子と別れ、私は所定の位置につく。時間に余裕を持ってきたので、まだ人はまばらである。今のうちに、バ場の状態を……「おう!あんたか!」
…確認したかったのだが、どうやら、少しながら作業となりそうだ。
「おじさん、お久しぶりです」
「久しぶりだな、まさか、あんたもここで観戦してるとは思わなかったぜ」
「それはこっちの台詞ですよ。あっ、あと手袋…こうして使ってるんですけど、良い感じです」
私はそう言い、泥だんごを作るような感じで、手と手を軽くすり合わせ、手袋を強調した。
「ありがとうよ、それに、あんたがここにいるってことは、芝に挑戦することを本格的に考えだしたって事だよな?」
「まぁ…そんなところですね、それに、スペシャルウィークさんも出ていますから、おじさんの言う“新しい時代”を作ると言われている走りを、この目で見てみたくなったんです。あと、おじさんは多くの競走ウマ娘を見て来られた方ですから、予想よりも多くの事を学べそうです」
「嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
店主はニコリと笑って、パドックへと目を向ける。周囲を見渡すと観客がかなり増えていた。
『本日の一番人気、スペシャルウィークが出てまいりました!!』
『調整は万全といったところでしょうか、好走が期待できそうですね』
「スペシャルウィーク!やってくれぇ!!」
スペシャルウィークが出てきたのと同時に、会場は一気に熱気に包まれる。私の隣にいる店主も、叫んでいた。私もとりあえず、拍手を贈る。
スペシャルウィークはファン向けに手を振っている。調子は万全のようだ。あの顔は、立ち止まる事はあれど、転ぶことはなかった──そんな人間の顔だ。
努力だけでなく、それに合わせて花開く才能も兼ね備えているのだろう。
「あんたも思わねぇか?スペシャルウィークは、すげぇモンを持ってるって、まるで夢の原石だな!」
「はい、凄いですね。パドックで…こんなに…」
私の言葉は本心である。
重賞でもないのに、この賑わい、これは、この場に居る殆どの人々がスペシャルウィークの勝利を願っているからこそ出るものだろう。
これが黄金世代、そしてそれが生み出す光景。
凄い、凄いさ、そして、ものすごく……
ぶち壊しがいのある光景である。
決めた、数多の道があるであろう、私の破壊、その一番のターゲットは、黄金世代だ。
『次に出てきたのはアサヒクリーク』
『中央のコースに臆することなく、落ち着きを保っていますね』
すると、待ちに待っていた私の本命、アサヒクリークが登場する。
勝つのは
『最後に16番のマートベンゼンがゲートイン………各ウマ娘、ゲートイン完了』
ガシャンという音と共に、ゲートが開く。
『各ウマ娘、揃ったスタート!外側の娘達が良いダッシュ!』
よし、アサヒクリークは事故っていない。
『まずはライヤーカイソクが出てまいりますが、内を突きましてゼンノシュルツェン、そしてオブワードフラップ、彼女たちも前に行こうという意思か』
マイルレースで大事なのは、ポジションを取るスピードとパワー、それを示すかのように、前方ではポジション争いが繰り広げられている。
『各ウマ娘が固まっています、3番手の位置にはサンフレアトリオ、4番手半バ身差エイシンファーネス、あるいはその内から来るライチレーザー、そしてメインボーゲル、外からはヒシシャイニー、内にはコウホウライラクあるいはマコトテンシン、そしてスペシャルウィーク』
スペシャルウィークはそこそこの位置にいる。彼女はウマ娘レースをよく知る人間の手で育てられた。トレーナーの実力もあるだろうが、彼女の才能も関係しているだろう。
そしてアサヒクリークは…
『集団の後方からは1バ身差で、アサヒクリークが行きました、そして6番のダンツエージェント、最後尾はトップシークエンス!』
よし、良い。集団にもまれすぎず、かと言って離れすぎない位置。コーナーでのバラけにも対応しやすい、ベストポジションである。
『第3第4コーナーの間、内枠の二人ゼンノシュルツェンとオブワードフラップ並んだまま、そのまま第4コーナーへと入っていきます。そして中段の位置には外をついて一気にコウホウライラクが差を詰める!そしてヒシシャイニー、そして懸命にスペシャルウィークも上がっていこうとしている』
アサヒクリークは、前との距離を詰めており、スリップストリームを行っている。かなりメンタルトレーニングを重ねたようで、巻き上げられる土や砂を恐れないような食い付きである。
『これは大激戦、5人6人と横に広がったまま直線コースへ、内を突いたオブワードフラップが先頭か!?』
よし、バラけた。これは予想通り。
『さあ懸命に伸びてこようというコウホウライラク、あるいはその中を突いたライチレーザー』
このレースはヒシアマゾンらベテランからすれば、
『外を突いたのはメインボーゲル!』
実戦経験極小にして精神未熟なウマ娘は、接触を避けたがる。
『あるいはスペシャルウィークが外から突っ込んできた!』
ただ戦闘狂ゆえ、頭のネジが数本ぶっ飛んでいるであろうアサヒクリークはどうだろうか?
『ここで内に入ったのはアサヒクリークだ、さぁスペシャルウィークか、アサヒクリークか!アサヒクリークが伸びてきた!先頭変わりました!スペシャルウィークを突き放してゴールイン!!』
彼女は接触のリスクなどどこ吹く風で隣のウマ娘スレスレをパス。
まるで名古屋走りのような、素早くかつ、大胆、そして怖いもの知らずの走りを見せ、スペシャルウィークを抜き去ってゴールしたのだった。
「そんな…有り得ねぇ……」
店主は、柵から身を乗り出して、ペタンと座り込むスペシャルウィークを見ていた。私は、心配そうな
「……」
「…ああ、あんたの前で、みっともない所を見せちまったなぁ、こちとら、大の大人なのによぉ……」
そして店主は、空を仰ぎ…
「黄金世代……甚だ、幸先の悪い始まり方をしちまったモンだ…」
と呟いたのである。
だから私は、横目で彼を見た。そして、こう思ったのだ。
“あぁ、うまく行った”と…
レースが終わった後、私は白子と合流し、帰途についた。
「よくやってくれた」
白子はそう口にする。今回、私はアサヒクリークとは違った形で、レースに関わっていた。
具体的に言うと、スペシャルウィークについて調べ上げ、その情報をアサヒクリークに流したのである。シンボリルドルフと話す前にやっていた“ある頼み事”とは、このことだった。
調べ上げるのは、かなり苦労した。スペシャルウィークがトレーニングをするすぐ近くで、筋トレを行い、それをしながら彼女の動きを観察したり、休養日にわざわざ屋上まで上がり、友人と併せをやる彼女を偵察した。
私はこうして、周囲にバレないように、かつ、綿密に情報を集めていったのである。ついでに、スペシャルウィーク相手にどうレースを運べば良いのかという意見も書き添えてやった。
結果的に向こうはその情報を活かし切れたようで、スペシャルウィークに勝つことができた。つまり、今回の件では、情報戦の重要性が明らかになったということである。先輩については知見のある者と縁ができているから、これからはサポートウマ娘をさらに取り込むべきだろう。
「今回の情報収集、私はそっちの言うががままにやったけど、何であんなことを考えたの?」
詳しい理由は聞いていなかった。
「君のためでもあり、矢座のためでもあり、私のためでもある」
「もっと詳しく」
「まず、1つ目についてだ。これは私の推論なのだが、君は自分だけでなく、銀翼のウマ娘達にも、強くなって欲しいと思っているのだろう?」
「もちろん」
これは本当である。私は翼を、より強固なものにしたい。
「“スペシャルウィークが地方のウマ娘に負けた”、この事実は、うまく使えば、黄金世代の影に隠れたウマ娘、つまりは銀翼のウマ娘達には、希望として映るだろう、モチベーションも発揮されるというわけだ」
「成る程」
「では、2つ目に行くとしよう、矢座はアサヒクリーク君と共にもっと多くのレースを戦い、勝つことと、名古屋トレセン学園が強い学園になるということを望んでいる。だから、彼らは私に頼んで来たのだよ、“スペシャルウィークの情報をくれ”とな…」
「つまり、アサヒクリーク達はレースに勝って、強くなるだけじゃなくて、名古屋の生徒を元気づけたいってこと?」
「そういう事だ」
名古屋が強くなる、これは興味があるな。中央の生徒はどういったリアクションを取るのだろうか?
「最後だ。私は君と面接をした時に“先の読めない状態こそ面白い”という意見を述べたはずだ。つまり、私は停滞を望んでいない。そして、私は、黄金世代の中でも最も人気なウマ娘であるスペシャルウィーク…彼女を勢いづかせれば、勝利を続け、他の黄金世代もそれに影響され、ウマ娘レースは黄金世代の一強体制となってしまうだろうと思ったのだよ。同時に、その出鼻をくじけば、かなりの騒ぎとなる…ともな」
「つまり、スペシャルウィークを負けさせて、周囲に動揺を与えて、他のウマ娘が進出するニッチを確保したかったってことだね」
「そうだ。やはり君は物分かりが良いな。その才覚を活かして、銀翼のウマ娘と共に暴れてくれたら、私は嬉しいことこの上ない“日陰者が主役を押しのける”…そのような話、面白くないはずが無いだろう?」
白子はそう言ってニヤリとした。一方で、私は一つ、気になることができていた。
「ねぇ、咎めたりはしないけど、今回アサヒクリーク達に情報を送ったのって、上の方に対する背信行為じゃないの?」
そう言うと、白子は少しばかり考え込んだ後、口を開いた。
「…君を信用して言う、私は犬ではなく、狼犬でありたいのだよ」
狼犬、オオカミと犬のハーフである。彼らは犬と違い、人間が使いこなせるように最適化されている訳では無い、高い独立心を持っており、その証拠として、扱い切れずに大怪我をしたり、脱走して鶏や山羊等を襲ったりするのだ。
つまり、この男は組織から縛られたくないというスタンスということか。
「…面白いね、それ。組織に縛られたくないって姿勢、嫌いじゃない」
私はそう答えた。私としては、トレーナーは自由人であったほうがありがたい。どうも、おカタい者は苦手だし、当然気も合わないのだから。
「ならばよかった、感謝する。それと、私が君をしっかりとサポートしようと思っている事は嘘ではない、現在進行系で、私は君に楽しませてもらっているからな。だから、この策はどうこうすれば良いかとかのアイデアがあれば、今までのように、いつでも私に相談してくれ。出来る限りではあるが、君に援助を行おう」
白子は、私を見てそう言う。ならば、偶にはその言葉に甘えさせてもらうとしよう。
寮に戻り、寝る支度を済ませた後、私は机に向かい、日記を書く。
日記をつけるウマ娘というのは少なくない。例を挙げるとすれば、“三女神の讃えし豪脚”と呼ばれたこの学園の昔の生徒会長の手記だろう。それは今や、競走生活に明け暮れる日本のウマ娘達のバイブル的存在となっている。
私も、過去にそれを読み、日記というのはストレス発散に有効なのかもしれないと判断し、こうして続けている。
「よし」
『20──年1月6日 本日、京都レース場にて開催されし白梅賞にて、スペシャルウィーク敗北す、動揺の空気周囲に満ち、一部の者は狼狽す。余に革手袋を売りし店の男“黄金世代の開始、甚だ幸先悪し”と嘆く。余、男の表情を見て、微笑む。夢破れし光景、甚だ、余に快感をもたらす物なり。』
新しい時代の始まりとされた日が、最後のページになるとは。何だか可笑しいと思ってしまう。とはいえ、これは最後のページ、この日記とはお別れである。
「……さて、これを使うとしますか」
そして、私は、日記帳をしまい、新品の日記帳を出した。これは、クリスマスパーティーの翌朝、何故か私の部屋のドアの取手に吊るされていた物である。聞いた話によると、ヒシアマゾンがこっそりプレゼントを配っていたらしい。
私は最初のページを開き、まっさらなページを眺める。今までは、古文風な書き方で書いてきたが、新しい日記帳に変わったのをきっかけとして。少し雰囲気を変えてみても良いかと思ったのだ。
私は腕を組み、アイデアを絞り出す。破壊の日々が綴られるであろう、この日記帳を彩るアイデアを。
そして、私は思いついた。
ただ、そのアイデアというのは、故人の、それも破壊の被害者からヒントを得たものである。
ただ、私はこれを使うことに躊躇はしない。しかし、やるべき事は有るだろうと思い、姿勢を正し、目を閉じ“
そして、ペンを取り、最初の一文を書き込んだ。
『はじめまして。あなたになら、私がこれから送るであろう、刺激的で、狂気的で、なおかつ甘美的な日々について、なにもかもお話できそうです。どうかわたしのために、大きな心の支え、良き友人となってくださいね』
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