(いったい何?…でも…チャンス!!)
“彼女”が怯んだのを目にしたスペシャルウィーク、その判断は速かった。彼女は動きの鈍くなった他のウマ娘をすり抜け、前進する。
(やはり、スペちゃんも見逃していまセンか!!)
エルコンドルパサーも、それを追う。
(アレがもし私に当たってたら……ッ!?スペちゃんに、エルちゃん………私だって…)
そして、“彼女”に追い詰められていたセイウンスカイは、スペシャルウィークとエルコンドルパサーから少し遅れながらも、キングヘイローに狙いを定めたのだった。
私に生まれた一瞬のスキ、それをスペシャルウィーク、エルコンドルパサー、セイウンスカイは見逃さなかったようである。視線を戻した時には、彼女らは私の前を走っていた。
顔の皮膚を、液体が流れる感じがする。やがてそれは、私の口元までやって来る。
私はそれを舐めた。
……美味い、そして、熱い。
力が湧く。
抜くだけの距離は十分にある。
『さあ、スペシャルウィークとエルコンドルパサーがすかさず前に……あーっとここで!マヴェリッククロウ、スパートをかけた!スパートをかけた!驚異的な末脚、セイウンスカイをとらえた!!』
目が痛い、額が熱い、口の中が鉄っぽい。
『エルコンドルパサーをも交わす!スペシャルウィークとキングヘイローに襲いかか…』
実況が声を止めた、どうやら顔が酷いことになっているらしい。
だが、どうということはない。
私の心は叫んでいる。叫び続けている。
“倒せ奴らを”
“私の餌 私の破壊対象 私の生きがい”
と、繰り返し、繰り返し…
そして、そんな心が、私の全細胞に、指示を送っている。
“行け、そして破壊しろ”
止めどないラブコールが、頭の中をこだましている。
ああ、もちろん、そうするさ。
(何で…何でこんな力が残ってるのさ!?)
セイウンスカイは、“彼女”に並びかけられ、大きく動揺した。
(…ッ!?)
そして、青空に浮かぶ雲のような彼女の勝負服には、“彼女”の血が付着する。
(…!!)
その血に視線が移った一瞬の間に、烏は飛び去っていた。
(次は…この二人)
次に“彼女”は、エルコンドルパサーと、スペシャルウィークを射程圏内に捉える。
(最短ルート……針の穴を通すように!!)
そして、エルコンドルパサーとスペシャルウィークの間の隙間に、臆する事もなく、水が浸透するかのように、入り込んでいく。
(ッ…速いッ…!?)
(そんな…!)
エルコンドルパサーの頬に、スペシャルウィークの勝負服の胸に血痕を残し“彼女”は去っていった。
(っ…!!)
(さぁて……行くとしよう)
“彼女”とキングヘイローの距離は、どんどん詰まっていく。
(懐かしいね)
“彼女”は、自身が小学生の頃、キングヘイローを一度打ち負かした記憶を思い出す。
(…ッ…負けるわけには…負けるわけには…!!)
一方のキングヘイローは、そんなことを思い浮かべている余裕は無い。ここまで冷静に走れていたとはいえ、逃げを選択したツケが、ついに回ってきたのだ。
(じゃあね)
(離されていく…そんな…私が…私は……)
“地上に立つ人間が、空を舞う鳥に手を伸ばしても、それを掴むことは出来ない”
そんな当たり前を体現するかのように“彼女”は、キングヘイローを突き放したのだった。
『マヴェリッククロウ!差しきった!ゴールイン!!マヴェリッククロウ、無敗で栄光のダービーウマ娘の称号を手に入れました!これで2冠!!』
実況がそう言い、歓声が、私を包み込む。血は容赦無く流れ続ける。
周囲を見回す、スペシャルウィーク、セイウンスカイ、彼女達2人の勝負服には、私の破壊の残渣である血が付着していた。抜くときに付いたということか。
つまり、ウマ娘の誇りとも呼べる、勝負服。それを、台無しに出来たという事か。
「…………ッ」
ああ、そんな服を着て、泣かないで欲しい。今でさえ、笑いを堪えるので、精一杯なのだから。
「…………違う…違う…どうして…」
エルコンドルパサーは、そんな事をブツブツと呟いている。そりゃあ、あなたに見せたのはウッドチップ用のフォームだからね。
「………………」
キングヘイローに目をやる。彼女の服にも染みがある。だが、彼女は呆然と立ち尽くしているのみである。今は何を言っても伝わることがないだろう。
私はレース場と観客席にお辞儀を行い、血を纏った拳を天高く突き上げてから、地下道へと入った。
「……これで額を」
そして、地下道へ入るなり、私は白子にタオルを渡された。身体が少し冷えたからか、拭くと鈍い痛みが走る。
「…どうなってるの?」
「切れているな、それも、小さな傷ではない…………結果的に優勝できたとはいえ、今回の判断は、余り褒められるものではない。君も、いつも見える部位に、傷痕を残したくはないだろう?」
白子は心配そうな様子である。この男にも、そんな部分があったのか。まあ、小さな傷ではないのは、飛んできたものが石だからだろう。
「クロちゃん!」
「大丈夫なの?」
タオルで頭を抑えていると、クラスメートとオンワードトライブらが、私の方に駆け寄って来る。
皆、心配そうな顔をしている。
「大丈夫なんだけど…その…切っちゃった」
「クロ、傷を見せて……かなり切れたわね…誰か、消毒液と絆創膏、それと軟膏を持っていないかしら?」
「あ、私持ってます!」
サポートウマ娘の一人が、バッグからそれらを出し、オンワードトライブへと渡す。
「…クロ、あなたが勝った事は嬉しいわ、でも、無理をしては駄目よ、あなたが大怪我をすれば、悲しむ人は少なくないはず……私も、その一人なんだから」
彼女は、そう言って私の額に軟膏を塗り、絆創膏を貼り、軽く叩いた。
「これで良しと……クロ、ライブはどうするつもりなの?」
「もちろん行きます、今回はあまり激しく動きませんから」
「…分かったわ、じゃあ、全力でやり遂げてきなさい」
「ありがとうございます!」
「ふふっ、どういたしまして…………翼のため」
「……?」
私は首を傾げた、ふふっと笑うのは分かる。ただ、そこの後ろにねじ込まれた、“翼のため”という言葉に、私は文脈的な違和感を覚えたのだ。
とはいえ、今日のライブはソロライブ、すぐに準備に向かう必要がある。理由を聞く暇など無かった。
「先輩、皆、トレーナー、行ってきます」
『走り続けて 空に届けば 風になれると そう信じてるから I never give up forever !!』
私がピックアップした曲は、前世、大学の同期が聴いていたものである、多分ドマイナーな曲だろう。でも、“翼”と来れば“空”は連想しやすそうなので、これを選んだのだ。
歌い終え、歓声が響く、それに応えるかのように、私の傷は、ドクドクと脈打っていた。
ライブを終えて控室の前まで戻ると、白子が立っていた。彼は「まずは仲間たちと勝利の喜びを分かち合うと良い、私は記者たちに怪我人である君への取材を後日にするように頼んでくる」と言い、行ってしまった。
私が勝利の喜びを分かち合うかどうかは別として、ブン屋さんを遠ざけてくれるのは、良い働きである。
「クロちゃん、ライブお疲れ様です」
「思わず引き込まれる歌声だったよ」
部屋に入るなり、私はクラスメート達に出迎えられる。そして、私はオンワードトライブに質問をする。
「先輩、さっきの“翼のため”って、どういう意味なんですか?」
私がそう聞くと、オンワードトライブは、はっとしたような顔をする。
「…何となく、“私達の絆、そしてそれが為す力…それらを心に置いて頑張ろう”みたいな意味を込めて作ってみたの。まあ、スローガンや合言葉のようなものね」
「合言葉…格好良いですね」
それを聞いていたアグネスワールドが、クスリと笑う。それと同時に、周囲のウマ娘達からも、同意の声が出る。
オンワードトライブ、期待通りの働きじゃないか。
「翼のため…良い響きですね、先輩」
「これは、ほんのお礼よ、あなた達が、私に自身をつけさせてくれたもの。だから、ここで誓わせて貰うわ、私は、今年こそ重賞を取ってみせる。どうか、観ていて欲しいの」
彼女は、私達に向けてそう言う。相応しい言葉は、すでに頭の中にある。
「もちろんですよ、先輩。…翼のため!」
「クロ…!」
彼女が、その瞬間に見せた笑顔を、私は一生忘れることはないだろう。
『親愛なるパピーへ
今日は記念すべき日です、私は、ジンクスを破壊しました。青葉賞からダービーを制覇したのです。これは、日本初の快挙として、記録に残ることでしょう。
このような調子で、私は、様々な記録を残していくつもりです。ただ、その記録作りは私のやりたい事である破壊と、並行して行っていこうと思っています。
これを聞いた貴方は、何故、そんな面倒な事をするのか、さぞかし疑問に思うことでしょうけど、私の破壊と、私の記録、これは表裏一体で、切り離せないものなのです。今はまだ、思いついていませんが、この関係性を、うまく使えないか…そんなことを考えてみるときもあります。
ですが、今は一刻も早く傷を治し、次に備え、身体を鍛えること、そして、私とキングヘイローのことを、優先しなければなりません。これから少しの間、レース以外のことで、忙しい日々を送ることになりそうです。でも、貴方への手紙は、欠かすことなく書いていこうと思いますから、安心してくださいね。
じゃあまた、マヴェリッククロウより。』
日記を書き終え、ランプを消し、ベッドへと入る。
これからの私は、追われる立場となるだろう。今まで以上に、トレーニング内容には、気を使わなければならない。
それに、銀翼のウマ娘のメンバーに加わりたいというウマ娘も出てくるはずだし“自称”も出てくるだろう。ただ、人数が膨れ上がった集団というのは、統制が取りづらい。
これの対策としては、簡単な教義のような物を私達の間で作り、それに従うことを誓うという形を取るのが、現時点でできる方法だろう。要は相互監視…だけどもっと重要なことがある。
それは、集団の調整役、教育役となる教養の高いメンバーだ。アグネスワールドとかは教養が高いけれど、彼女は競争ウマ娘、忙しい。それ故、サポートウマ娘でそのような存在が必要だ。額の傷の治療中は、激しいトレーニングは駄目だと言われたので、人材捜索をやってみるべきだろう。
そして…キングヘイローの事は、どうしたものか………頭がうまく回らない、どうやら今日は、自分が想像しているよりも、消耗していたらしい…
『さて、今期の講義は、ここまでです。最後に皆さんに質問をします、人間が陥るべきではないものは何か、皆さんはわかりますか?はいそこのあなた、何でも良いので答えてみて下さい』
『は、はい?えーと…孤独、でしょうか?』
「ふむ、良い点をついていますね、ですが、不正解です、では次、今度はあなた」
『思考停止…ですか?』
『それも違いますね、では次、左の──』
『さて、かなりの人数に質問してみましたが、これは少しばかり難しかった様ですね。
では、正解をお教えしましょう、それは…“飢え”です。肉体的であれ、精神的であれ、飢えた人間は、変わってしまうんです。理性が消失してしまうんです。判断力が鈍くなり、間違えた判断を行ってしまう、そして、時には禁忌であって、犯してしまう。歴史を見れば、それは明らかです。ですから皆さんは、どうか飢えないように、自分を、周りの人々を、大切にしてください』
「………」
懐かしい夢を見た。大学時代の講義の記憶だ。アレは私のコースには関係のないものだったけど、上から“問題児”みたいな扱いを受けている教授が開講していたものだったので、興味が湧いたのだ。
“飢え”…使えるかもしれない。
私はペンと紙を出し、“飢え”と真ん中に大きく書く。いわゆるマインドマップだ。
線を伸ばし、丸を書いてその中に“肉体的”と“精神的”という2つの要素を書く、そして“飢饉”、“持たざる者”、“ホロドモール”、“無力感”といった、要素に関連する語を書きまくる、つなげる。考えついてしまったら、もうあとはトントン拍子に頭が回るのだ。
アイデアを出してから数日後、私は食堂にいた、今は身体を激しく動かせないので、筋トレ以外はほぼここで、レース研究であったり、情報収集などをやっている。水がタダで飲めるし。
でも、今日はそういったものではなく、単なる雑談だ。
「それで、帰ってきてすぐレースに向けてトレーニングしてたんだけど、胸がキューってなっちゃって、保健室で休んでたんだ」
「それは大変だったね」
「でも、クロちゃんだって、ケガしてからは?走ったりはできてないんだよね?」
「うん、病院の先生に聞いたら、傷が開いても良いんですか?って言われたよ」
私が今話している相手はツルマルツヨシである。彼女はまた体調を崩したので、ダービーの日も病院にいたのだ。
そして、彼女について、喜ばしい傾向が一つあった。ついこの間、彼女は私を見つけるなり駆け寄ってきて、おめでとうと言ったのだ、病院の中で。ともかく、これは段々と信頼度が高まって来ている証拠だ。
黄金世代を破壊するには、その分断は必要不可欠、ツルマルツヨシにはすでに、その手を伸ばしてある。私は黄金世代を「さん」づけで呼ぶが、ツルマルツヨシだけは例外で「ちゃん」とつけている。入院したと聞けば、スキマ時間を見つけて病院へ行き、見舞いをし、勉強を教える。
「ツルちゃん、ちょっと相談したいことがあるんだけど、良いかな?」
「良いよ!」
「最近、睡眠の質が悪くなってないかって思うようになったんだ。今までこんなこと無かったから、どうも頭から離れなくて…」
「なるほど…それはね──」
彼女に頼ってもらうだけではなく、頼る事も忘れない。
これも、全て彼女の中の私を“遠い存在”ではなく、“近い存在”にするためだ。
そうやって、あらゆるものに浸透していくのが、今の私である。
「………!」
「…クロちゃん?どうかしたの?」
「…ごめん、ちょっとボーッとしちゃってた。やっぱ、睡眠の質が悪いのかも、さっき教えてもらったやり方、試してみる。ありがとうツルちゃん、私、そろそろ行くね」
「うん!バイバイ!クロちゃん!」
そして私は、やることができたので、話を切り上げ、荷物をまとめて食堂を出た。
「………」
キングヘイローは、一人、夕日の差す廊下を歩いていた。
(…私は…私は…惨めなものね)
彼女は、ツルマルツヨシと“彼女”が、親しげに話す様子を見ていた。そして、それに嫉妬していた。
レースの世界で戦うことに反対する母親との軋轢が、一流という目標を掲げながらも、勝つためには足りないものが数えきれなほどあるという現実が、そして、“倒す”と宣言した相手である“彼女”が、ダービー後に何も言って来ないことが、成長期という多感かつ繊細な時期の彼女の心を、重圧と言う名の針となってぐるりと囲み、突き刺していた。
「見てたの、分かってたよ?」
そして“彼女”は、並々ならぬ観察眼で、自らに視線を向けるキングヘイローを見つけていたのだ。
「あなた…」
「な に?」
“彼女”はキングヘイローが反応している間に、距離をズイッと詰める。キングヘイローは、自身の敗北の証である“彼女”の額の傷を近くで見せつけられる。
「何か言いたそうだけど、立ったまま話しても疲れちゃうから、場所を変えよっか?」
「え、ええ…分かったわ…」
キングヘイローは、自分が“彼女”の怪我に間接的に関わっていることを理解していた。その罪悪感もあり、“彼女”の言う事を聞く他無かったのだ。
「じゃ、行こっか」
“彼女”は振り返り、キングヘイローを先導するかのように歩きだした。
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