その日は太陽が眩しくって、雲一つない晴天だった、レースには最高の舞台だった。
そんな天気で、これからライブというのに、私の目には蛇が見える……傷つき、不安で一杯の人々の、長い長い蛇だった。くねくねと長いやつ 。
それは、レース場から出て、一列に進んでゆく。どれが先頭なのか見分けがつかない。
列の後ろの方に、それから外れて、街の方を向いて泣き叫ぶ黒鹿毛のウマ娘、スペシャルウィークがいた。そして、彼女は野良犬のような声で泣き叫ぶんだ。
『どうか、無事でいてください。三女神様、あの人を助けてください』…ってね。
他の人々は、肩を竦めて歩いていく……それに一度も振り返らずに。きっと気持ちは同じなんだろうけど。
そういった思考になるのは、理解できる。
でも、私がそれを見て感じたのは、憤りだった。私がもし巨人なら、その蛇を踏み潰してやりたかった。
そして、私は決意した。
どんなことがあっても、来年、このレースを制してやる、これが私の聖戦だ…ってね。
――エアジハードの回想より。
秋の天皇賞、当日。私達は地下道まで、オンワードトライブを見送りに来ていた。
「皆、ありがとう、皆の支えのお陰で、私は今、ここにいるわ」
「私達全員、先輩の勝利を祈ってます!」
オンワードトライブの言葉に、エアジハードがガッツポーズをして答える。私達もそれに合わせて「頑張ってください」や「お気をつけて」などの言葉を送る。
そして、その私達の中には、ツルマルツヨシも居る。つい先日の事だが、私達は彼女を仲間に迎えたのだ。
「ありがとう、皆、じゃあ、行ってくるわね……翼のため!!」
オンワードトライブは、私達に手を振り、コースへと向かっていった。
さて、私達も上がるとしよう。白子達が席を確保してくれている。
「やっと…G1の舞台に、戻って来たのね」
オンワードトライブは、ゲートに入る前、そうつぶやく、彼女はかつて自らがクラシックレースに出たときの事を思い出していた。
そして、彼女はサイレンススズカに視線を移す。
(サイレンススズカ……私が今まで闘ってきた中で…間違いなく、最強の相手………でも、やるべきことは決まっている、慌てず急いで正確に…走っていくだけ)
オンワードトライブは、深呼吸をしてゲートに入った。
『全ウマ娘、ゲートイン完了、出走準備、整いました』
『晴天の下で行われる、強豪集いし大舞台、秋の盾を持ち帰るのは、果たしてどのウマ娘か、G1天皇賞秋…今…』
ガシャン!
『スタートしました!!サイレンススズカ、速い!すぐにハナを取った!』
サイレンススズカは、見事にスタートダッシュを決め、ハナを進む、圧巻の技術に魅了された観客は、声援を送る。
(よし…スタートは上手く行ったわね)
一方で、オンワードトライブも、スタートを決めていた。
(…いつもは差しで行っていたけれど、今日取るのは先行策、それも、スタミナを限界まで強化して、スピードを上げたもの)
オンワードトライブは、チラリとサイレンススズカを見る。
(……それでも…サイレンススズカは速いわね、とどのつまり、慌てれば、一瞬で負ける…)
サイレンススズカは後方との差を広げていく、だが、オンワードトライブにも、作戦があるのだ。
(1000メートル地点までは、サイレンススズカ以外を意識しながら先行…ふむ、成る程、確かにそれならば、1000メートル以降の戦術の幅は広がるな)
白子は、レースを見ながら、状況と事前に聞いていた作戦とを照らし合わせる。
『サイレンススズカ、快調に飛ばしています。大きく離れ、後続はオンワードトライブ、そして──』
「よし、先輩、二番手を確保してる!」
「自分のことじゃないのに、肝が冷えたぜ…」
「後は、祈るのみですね」
エアジハード、サクラナミキオー、アグネスワールドの3人は、作戦の最初の段階が終わった事に安堵した。
「クロちゃん、トライブ先輩の作戦…上手くいくかな…?」
ツルマルツヨシの言う、オンワードトライブの作戦とは、スタミナを強化して無理やり食いつくというものである。
そして、強化したスタミナの使い道は、東京2000mのコースの半分を使った、超ロングスパートとなる。サイレンススズカは、逃げて差す戦法を使いこなすウマ娘、距離適性も最適であり、差す前に仕掛けなければ、勝ち目は薄い。
そのため、差す前に真後ろにつき、スリップストリームを利用し、抜くもしくは並んでもつれながらゴールに突っ込むというプランが、今回のオンワードトライブの作戦であった。
「サイレンススズカさんは強いからね。向こうの予想外の作戦で行って、少しでもペースを乱さないと、血路は開けない」
「そうだね…」
(…それでも、勝てる可能性は低い。まあ、どっちが勝とうが負けようが、情報は手にはいるんだけどね)
作戦の説明を受けてコクコクと頷くツルマルツヨシを見ながら、“彼女”はサイレンススズカの走りを分析していった。
「サイレンススズカ先輩、1000メートルの通過タイム……57秒です!!」
「速いね、でも、先輩ももうすぐ…」
「…通過しました!」
「ここから後は、私達にもわからない……お願い、先輩!!」
エアジハードは、オンワードトライブの勝利を祈り、手を組んだ。
(…私ももうすぐ1000メートル、脚は…大丈夫ね、私がサイレンススズカに勝っているもの、そんなもの、探す方が難しいけれど)
オンワードトライブはサイレンススズカの背中を睨み、集中力を高める。
(…自信を持って“勝る”と言えるものが、2つある…それは…)
脚に力を込め、仕掛ける用意をする。
(……経験量と、頼れる仲間たちの数…!!)
オンワードトライブは、ためていた脚を使い、超ロングスパートをかけた。
『ここでオンワードトライブ、スパートをかけた!!サイレンススズカとの差を縮めていく!!』
「マジかよ!」
「…!!」
「スズカ!逃げろ!!」
「行けぇ!!オンワードトライブ!」
「そこだぁ!!押し込め!!」
「ロングスパートか!」
オンワードトライブの仕掛けに、会場内の熱気は最高潮に達する。
(ウソでしょ…!?)
そして、この仕掛けに一番驚いたのは、他でもないサイレンススズカである。
彼女がいくら、静かで誰もいない先頭の景色が見たいと望んでも、実況の声は、容赦なくウマ娘の耳に入り込む。しかし、当然彼女は、それに慣れている。普段のレースであれば、彼女は実況の声など気に留めず、自らの走りに終始するだけである。
しかし、聞こえてきたのは事前情報とは全く違う、想定外のオンワードトライブの作戦であった。これには、彼女も注意を惹かれざるを得なかった。
(周囲の環境を利用した攻撃…こんな物は、あまり喰らうことは無いでしょう?)
オンワードトライブは、ニヤリと笑って、前を走るサイレンススズカに問いかける。
(……!いや、見てはダメ…今は、私の走りに…)
しかし、サイレンススズカも驚いたままではない、素早く、自分の走りへと戻る。
(…流石ね、私のことなんて気にしない…ありがとう、サイレンススズカ……優秀でいてくれて)
オンワードトライブは、サイレンススズカが自分の走りに戻った隙を突いて、すかさず、その後ろへと入る。
(流石…神速のウマ娘、スリップストリームの効果はてきめんね、これなら、なんとか省エネして、思い切り並べかけられそう)
「作戦通り!作戦通り!」
「他のウマ娘も、先輩の先行策は知らねぇからな!」
「後は…サイレンススズカ先輩が差す前に、並びかけてタイミングをずらすだけです!」
レースが進んでいくにつれ“彼女”のクラスメート達の声援が一段と大きくなる。
「凄い…あのスズカさんに勝つために…こんなに…」
ツルマルツヨシは、オンワードトライブの姿を見て、感激していた。
「リナちゃんのお陰だよ、ツルちゃん。あの娘は元々、メジロアルダン先輩のサポートをしていたウマ娘、ここぞというときにハイパフォーマンスを発揮できるようなトレーニングを、私達に教えてくれたんだ、だから私は、そのトレーニングを、そしてそれを続けてきた先輩を信じるよ」
“彼女”は、コースを見ながらそれにそう答える。
(…と言っても、ここから先は、私でも予測できない、まあ、どちらにせよサイレンススズカの走りの強さを知ることはできそうだけど)
そして、腹の中では、オンワードトライブの事などではなく、自分がサイレンススズカを破壊するための算段を立てていたのだった。
『先頭サイレンススズカ、このまま千切れるか!少し離れて2番手はオンワードトライブ!!!大欅が見えてきたぞ!!』
(今…翼のため!!)
オンワードトライブは、目をカッと開き、集中力を注ぎ込む、そして、ロングスパートを行いながらもスリップストリームでためておいた脚を使い、サイレンススズカの外側に食いついた。
(嘘でしょ…!?でも、私だって、まだ脚が…!!)
サイレンススズカは、驚きながらも、更に力を込める。
ベギッ
(………!!)
サイレンススズカの中に鈍い音が響いたのは、その時であった。
ゴールと同時に、オンワードトライブはターフに倒れ込んだ。
いつものゴールインのコールは、聞こえない。
私は動揺するファン達をかき分け、コースに降り、オンワードトライブのもとに駆け寄る。私だって、動揺していないわけではない、だが、サイレンススズカと競り合ったオンワードトライブにも、相当な負担がかかっているのではないかと考えたのだ。
「先輩、先輩!大丈夫ですか!」
「……私は、大丈夫よ…それよりも…サイレンススズカは…」
オンワードトライブは顔を伏せたまま、声を絞り出した、様子がおかしい、だが…怪我をしているような、骨折の痛みに耐えるような声ではない。
「サイレンススズカさんは、あの後アウトの方に寄っていきました…頭は打っていないと思います」
私は、事実を伝える。
「……!」
「…先輩、安心してください、私達がついています」
そう言って私が後ろを振り向くと、エアジハード、アグネスワールド、サクラナミキオー、アマリイーグリーナが、こちらまで降りてきていた。
「……誰か…顔を隠すものを…持っていないかしら?」
「先輩、もしかして…ケガを…」
「………ちょっと、擦りむいただけよ、今は、顔を隠すものを…私にくれれば、それで十分」
オンワードトライブは、まだ倒れ込んだまま、声を絞り出す。
「トライブ!!」
「先輩のトレーナーさん、上着を!!」
制服を脱ぐわけにもいかない、どうすれば良いか…そう考えているうちに、オンワードトライブのトレーナーが、私達を追ってやって来た。
すかさずエアジハードが彼女から上着を預かると、それをオンワードトライブに握らせる。オンワードトライブはそれを受け取ると、顔を上着で抑えながら、ムクリと立ち上がり、「しばらく二人きりにして」と言ったトレーナーと共に、地下通路へと消えていった。
私は、後ろを見る。レース場に待機している救護班が、救急隊の誘導に当たっていた。
サイレンススズカが無事なのかどうか、私には分からない。ただ、私が思ったのは、今回のことは、ただの偶然だろうということだけだった。
だが、その偶然が、私にとっては大問題である。私の計画は、それによって狂ってしまった。計画に狂いはつきものとはいえ、初めて直面するケースがこれでは………事態を見守る選択肢以外、思いつかなかった。
「ご苦労だった」
ライブが終わり、クラスメートと別れ、車で待つ白子と合流するなり、そう言われた。
「どうも」
「今日のレース、君は思う事もたくさんあった筈だ、だが、オンワードトライブ君は、しっかりと、ウイニングライブという勝者の責務を果たしたと言えるだろう」
白子の指摘しているように、オンワードトライブはなんと、ウイニングライブのステージに上がり、歌ったのだ。
しかし、その笑顔はやはり、無理に作ったものという感じが否めず、そして、観客数も明らかに少なかった。だが、私達は全員最前列で、勝者──オンワードトライブのライブを見届けた。
「でも、先輩の笑顔、無理に貼り付けたものだったよ、ライブはやり切っても、結構心の中は複雑なはず」
「ああ、だがオンワードトライブ君のフォローは、彼女のトレーナー、そして、仲間である君たちの役目だ、困難を極めるだろうが、私も出来る限りの援助はさせてもらおう」
「分かった」
私がそう答えると、白子はギアをローに入れ、車を出す。
そして、私は車内で今日のレースを振り返る。
今日のレースを経て思ったこと、それは、盛者必衰ということだ、だから、私はサイレンススズカの怪我に関しては、もう、“何も感じていない”。ただただ、諸行無常だと言える。
では、この男はどうなのだろうか、スカウトする際に、諸行無常が面白いと言っていたが…
「ねぇ」
「む…?」
「そっちは、今日のレース、どう感じたの?あなたは諸行無常こそ、面白いと言っていたはずだけど」
目を鋭くして白子にそう指摘する。
「ふむ………では、率直な感想を言おう、どうやら君には誤魔化しは通用しそうにない」
「……」
「サイレンススズカの故障に関しては、予想外だった。だが、実に面白く、ためになるレースだった。調子が万全でも、あのように故障するときがある。流れ弾一つで、人間が粉々になるような戦場に近いものを感じたな、では、君にその質問を、そのまま返すとしよう」
白子はそう言って悪戯っぽくニヤけて見せる。あまり好きな表情ではないが、どういうわけかこの男には似合っている。
「サイレンススズカが故障したことに関しては、特に何も感じなかった。盛者必衰ってよく言うからね、でも、ジャパンカップで戦えなくなるってことは、すごくすごく、残念かな」
「ふむ…どうやら君も、嘘は言っていないようだな、それでは、ジャパンカップに出ないというのはどうだろうか?」
「……ジャパンカップに…出ない?」
「ああ、目標が無くなった…つまりはモチベーションが下がった状態でレースをしても、良い結果は得られないだろう。それに、もし勝ったとしても、次に繋げる走りが出来るとは思えない。だが、私も君に待ったをかけるだけでは、トレーナーとは言えない。ジャパンカップの代わりに、有馬記念に出てみるのはどうだろうか?」
白子の提案に、私は少々驚いた。今まで、ジャパンカップの事しか頭に無かったからである。
「有馬記念って、あのグランプリだよね?」
「ああ、まだファン投票の結果が固まった訳では無いが、その傾向を予測することは容易い、そして、今年の有馬記念に出てくる可能性が高いのは、グラスワンダーだ」
「黄金世代だね」
「ああ、そして、君も恐らく、無敗の2冠ウマ娘として、ファン投票では上位に食い込むだろう、君は黄金世代と戦いたいのではなかったか?」
「………」
確かに、そうだ。
グラスワンダーの夢は、確か頂点だったはず…サイレンススズカは、生きていたとしても、復帰してくるかどうかは、分からない。
今の私に求められること…そんなものは、すぐにわかった。
「良い提案だね、ありがとう。倒すよ、グラスワンダーを」
「フッ……それでこそ君だ」
「どうも」
私がフロントガラスの方に視線をやると、白子は「だが」と言い、再び話を聞くよう、私に促す。
「グラスワンダーを倒すことに集中するあまり、周りを見ることが疎かになってしまってはならない。君は駆け引きに長けているようだが、今回のような予想外の事態に対応するには、まだいささか経験不足のようだ、君に野心がある限り、それだけは忘れない方がいい」
「私は人一倍頑丈だけど、一応走るときは気をつけてるよ?」
「それはこちらも承知している、だが、私が一番懸念しているのは、前のウマ娘の転倒に、君が巻き込まれる事だ。いくら君が頑丈でも、そうなってしまえばただでは済まないからな」
「……確かに」
「理解してくれたようだな、いざという時に動けないというのは、致命的なものだ、明日からトレーニングメニューを、一部入れ替えるとしよう」
「うん…成る程…それにしても、いざという時に動けない……ねぇ……昔そんなシチュエーションがあったの?」
私はそう白子に返した、提案する口ぶりが、まるで自分が過去に同じような事を経験したかのようだったからである。まぁ、事故のあったレースを見たからなのかもしれないが。
「ああ、昔、事故に巻き込まれたことがある。その時の私自身は、そのような可能性は頭の隅にすら置いていなかったので、簡単に言えばトラウマのようなものになっているのだよ」
「なるほど」
事故の内容が気になるが、協力者のトラウマを掘り返すほど、私も莫迦ではない。納得の言葉を返す。
「それでは、次の目標レース、有馬記念に備え、トレーニングを積んでいくとしよう」
「了解」
今の私に求められていること、それは素早い切り替えだった。
玩具が遊ぶ前に壊れてしまっていたというシチュエーションを、想像してもらいたい。そんなものでどうして遊ぶだろうか、いや、遊ぶわけがない。
プロセスや原因はどうであれ、サイレンススズカは故障したのだ。ターゲットは、切り替えざるを得ない。
楽しみが減ってしまったのが残念ではあるが、仕方が無い。失速して倒れただけなので、くたばっては居ないはずだ。情報は自然と入ってくるだろうから、これからは有馬記念に、一球入魂していこうじゃないか。
大変長らくお待たせ致しました。これからは、残りの話を執筆しつつ、ストックを投下していく予定です。
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