最後に姉貴の元気な姿を直接見たのは、アタシの入学前のファン感謝祭の時だった。
あのころ、アタシはまだ疑うことを知らなかった。
ロマンに溢れた遠征、荒々しい、男らしい闘い……レースってのは、そんなモンだって…
姉貴の次のレースは来年の春天、あと二月弱で冬休み、お互いが会えない時間はすぐ終わる。
急な予定が入ることもない。
アタシはこんなふうに、あの年を単純に思い描いていた。
クリスマスまでには、今年の予定は終わる。
姉貴は、見送りに来た学園の門で、笑いながらアタシに叫んだ。
「クリスマスに、また!」
──サクラナミキオーの回想より。
有馬記念が終わった後、オンワードトライブは引退を表明、トレセン学園を出て故郷へと戻る事となった。
そういう訳で、私たちは今、駅まで彼女を見送りに来ていたのだ。
「皆、今まで、私と一緒に走ってくれてありがとう。私は一生、貴女たちの事を忘れないわ」
「こちらこそ、お世話になりました。私達も先輩のことを、絶対に忘れませんから、どうか…お元気で」
「ありがとう、“舞うように走る”あなた達の姿、遠くからだけど、見させてもらうわね」
私たちは、一人一人、彼女と握手をする。他のウマ娘達は「先輩の意思を継いで頑張ります」や「手紙を書きますから」と口々に言い、最後の時間を過ごした。
フォォォォォン……
音とともに、彼女を乗せた新幹線が遠ざかっていく。手を振る者、別れに涙する者、ただただ見つめる者…ウマ娘達の反応は様々だったが、恐らく“悲しい”という気持ちは、皆同じなのだろう。
さらに、仲間入りして日の浅いキングヘイローやツルマルツヨシも、悲しみを隠し切れない顔をしていた。それが彼女の人徳を象徴していると言えるだろう。
さて、問題はウマ娘達がこの悲しみをバネにして、来年に活躍してくれるかどうかである。グランプリを目標に据えた以上、選択肢から外れるレースも出てくる。短距離やマイルのレースが良い例だ。
私はヒトデやプラナリアではないただの人間だから、一つの身体を二つに分ける事など不可能、他のウマ娘に代役を努めてもらうほかない。幸い、アグネスワールド、エアジハード、サクラナミキオー、キングヘイロー、ツルマルツヨシなど、様々な適性のウマ娘が揃っているし、アマリイーグリーナらサポートウマ娘も確保済みだから、いばらの道にはならないはずだ。
しかし、ここまでやれたのも、オンワードトライブがいたからである。破壊を望んでいても、恩義を感じることもある。矛盾しているとは言えるだろう。
まあ、たまには……
「オンワードトライブ先輩、ありがとうございました。元気に過ごして下さいね」
そんな気まぐれを起こしても、良いのかもしれない。
「……君には、すまないことをした」
「…私に、ですか?」
そして、その翌日のことである。私はシンボリルドルフに呼び出されていた。そして、開口一番、彼女は私に頭を下げたのだった。
「あぁ、私はオンワードトライブが苦しんでいたのに、何もすることが出来なかった。君たちが、彼女のことを尊敬していたというのを、分かっていながらな……」
これに関しては、シンボリルドルフは何も悪くないだろう、そもそも、あの出来事で一番非難されるべきは、サイレンススズカとそのトレーナーだ、故障して後続の進路妨害をしたのだから。そして、レースが終われば夢の中、全く、良いご身分だ。
むしろシンボリルドルフはやるべきことはきちんとやっていた。あのレースの直後、上の方に故障の防止策の見直しを提案したのだから。
「…とても、難しいことだと思います。サイレンススズカさんに同情しても、先輩に同情しても、会長さんの理想とは、離れた結果を招くと思いますから。でも、私は会長さんを軽蔑なんてしていません。先生から聞きました、会長さんは、故障の防止策を見直す必要があると、理事会の方に上申してくれたって。私が言うのは、偉そうかもしれませんが、会長さんは正しい判断をされたと思います」
「そうか…君がそう言ってくれるのなら、少しばかり、心が安らぐというものだ、だが、私にはもう一つ、君に個人的に謝りたいことがある」
えぇ…まだあるの?
「世代最優秀ウマ娘のシステム、君ももちろん知っているだろう?」
「もちろんです」
世代最優秀ウマ娘は、各世代の中で最優秀なウマ娘を選び、表彰するものだと記憶している。まあ、まれに一般学校で見かける、“学年ごとの成績優秀者発表”のようなものと捉えれば分かりやすい。
「公平に成績を考慮し、私はあれに君を推薦していた。だが、選ばれたのはエルコンドルパサーだった」
「それが何かしたのですか?」
「今までの記録から判断すると、恐らく、選ばれていたのは君の方だっただろう、だがURAの上層部は、感情論で動いてしまった」
「菊花賞の回避ですか」
「あぁ、選定会議で、理事長と私のトレーナー君が説得にあたってくれたのだが…上層部は、“海外遠征を決定したことが決定的な要素”としてエルコンドルパサーを選んだんだ」
正直、名誉という観点であれば、そういった賞の類には興味がない。貰ったときは栄誉かもしれないが、時代が変わり、人々の考え方も変われば、そんなものはあっという間に紙切れになる。
「そうですか…お心遣い、ありがとうございます。会長が私のために取り計らってくださっただけでも、私は満足です。それに、私は今年で引退するわけではないですから、来年は今年よりもさらに頑張って、自分で評価を勝ち取ってみせます」
「そうか…君らしいな」
そう言うと、シンボリルドルフは頷き、姿勢を正してこちらを向いた。
「…会長さん?」
「マヴェリッククロウ、ありがとう」
シンボリルドルフは、私の目を見て、頭を下げる。改まった様子で、急にどうした?
「これは、夏に約束した通り、取っておいたこの一年間の分の礼だ、君は、己の才能を過信せず、努力を怠らず、どんなことがあっても挫けず、この一年間を走り抜けた」
なるほど…そう言えば、そんな約束をしていたな。
「君の姿に影響され、意欲を向上させるウマ娘は少なくない、私もその一人だ。全てのウマ娘の幸福…URAの上層部のように、壁は多い。だが、私がそういった壁を越えようと頑張って来れているのは、挑戦をし続けている君の姿を、見ることができているからだ」
シンボリルドルフは、そう続ける。
「嬉しいです。会長さん、では来年も見ていてください。私の独自路線を」
「あぁ、分かった、では、私も私で、今年以上に、頑張らせてもらうとしよう」
そして彼女は笑顔になり、私に向けてそう言った。そうだ、シンボリルドルフ、お前はそうやって、学園のため、ウマ娘のために頑張ってくれれば良い。そんな頑張りも私が破壊してやるから。
「……いい朝」
シンボリルドルフに呼び出されてから少し、私は新年を迎えた。クラスメートのウマ娘達は、今頃実家のコタツの中だろう。
私は寮にとどまっていた。別に親との仲が悪いから戻らなかったのではない。これからのことを考えると、東京にとどまり、一日でも多くトレーニングを行う日や情報収集の時間を確保しておきたかったのだ。ただ、元日ぐらいは休めと白子だけでなく、親にも言われてしまった。無視するわけにもいかず、今日はゴロゴロして過ごそうと思ったのだが……
「クロ、いるんだろ?初詣行かないか?」
「ナミキオーちゃん……帰ってなかったの?」
「あぁ、まあな」
「オッケー、じゃあすぐに着替えるよ」
私は了承し、いつものコート、いつもの革手袋を身につけ、外へと出た。
外へと出て、しばらく歩くと、トレセン学園の生徒がよく利用している神社へとたどり着いた。勝ウマ神社とかいうらしい。そして、長い長い、百足のような列に並ぶこと数十分、私達は賽銭箱へとたどり着いた。
硬貨を入れ、鈴を鳴らし、二礼二拍手、神頼みなんて普段はしないが、否定をするわけではない。願い事も用意してある。
──健康でいたい、それも、なるべく長く。
まあ、こんなところだろう、破壊に関しては願わない。それは私が自分で身体を鍛え、頭を回し、成し遂げることであると考えているからだ。
願い事を終えた私は、最後の一礼をして、横に目をやる。サクラナミキオーは、やっと願い事を終えたようで、顔を上げて一礼をしていた。それも、かなりピシッとして。
「悪ぃ、待たせたな」
「大丈夫、人増えてきたし、ささっとお守り買って帰ろう」
「だな」
私たちは、お守りの販売所に向かい、お守りを購入した。私は長寿と交通安全である。車とのディープキス、流石に二回目はごめんだ。お守りを選び終えた後、私たちはささっと食べ物を買い、混雑する神社を出て、河川敷で食事にした。
「ナミキオーちゃん、お守り、かなり買ってたみたいだけど、実家の人から頼まれたりしてるの?」
私はそう質問した。お守りを買う際、彼女は明らかに一人分ではない量を買っていたのだ。
「いや…姉貴の分だ」
「お姉さん…」
また姉か、丁度良い機会だ。少し掘り下げてみるとしよう。
「ナミキオーちゃんのお姉さんは、別の所で暮らしてるの?」
「いや…東京にいる、でも、学園にはいねぇ」
「じゃあ、夏の時、『姉貴みたいになって欲しくない』って言ったのは…どうして?」
「…」
私がそう問い詰めると、サクラナミキオーは黙った。何か、言いづらい事でもあるのだろう。
「…私でよければ、教えてくれないかな?」
「……分かった。まず、アタシと姉貴は、姉妹じゃない、遠縁の親戚同士だ。でも、姉貴はアタシを本当の妹みたいに可愛がってくれた…多分、双子で産まれる筈だったからなのかもな…」
「…」
ウマ娘の双子は、殆どいない。馬や牛は双子が殆ど居ないなんて話を前世に聞いたことがあるから、それが絡んでいるのかもしれない。
「それで、姉貴はこのレースの世界へ、飛び込むきっかけを作ってくれた。だからアタシは、姉貴って呼んでたんだ」
「…そうだったんだ…」
「それで…姉貴は、今、病院にいる」
「病院…?入院、してるの?」
「あぁ、それも、病気じゃねぇ、怪我だ」
「怪我…」
「それも…レース中のな」
「レース中…!?」
私は驚いた振りをした。興味深い事だ。
「アタシらが入学する前のことだ、姉貴は皐月と菊の二冠を取ったんだ。すごかったんだぜ?それで、姉貴は次のレースとして、天皇賞春を選んだんだ。まぁ、ちょっと長めの休養だな」
「じゃあ、お姉さんは、天皇賞の春で…?」
「違う、姉貴が怪我をしたのは、有馬記念だ」
「えっ!?でも…次のレースは天皇賞春に出るって…」
「あぁ、姉貴は…出さされたんだよ」
「出さされた…?」
「色々あってよ、その年のグランプリは、“盛り上がりに欠けるかも”って言われてたんだ、そんでもって白羽の矢が立ったのが姉貴だ。姉貴は…URAのお偉いさん、それとその時の生徒会長に頼まれたんだ…それも繰り返しな、姉貴はアタシと違って優しいウマ娘だったからな、断り切れなくなっちまったんだよ」
サクラナミキオーの顔が、少しずつ辛そうなものへと変わっていく。というか、彼女の姉がいたときは今と生徒会長違ったのか。
「うん、うん、続けてもらっても…いいかな」
「姉貴は、学園が冬休みに入っても、トレーニングを続けて、有馬記念に出た……それで…レース中に骨折して…頭を打って…そこからずっと、目を覚まさねぇ」
「…!」
サクラナミキオーの親戚、2冠ウマ娘、有馬記念、そして骨折、それぞれのピースは、私に一人のウマ娘を思い出させた。
骨折したニュースだけでは覚えていなかったかもしれない、だが、名前が特徴的─たぶんラテン語の単語が入っていたので、覚えていたのだ。最も、私はカトリックの神職じゃないから、意味までは知らない。
「まさか…ナミキオーちゃんのお姉さんって…その…」
「言っても良いぜ」
「サクラ…ステラレクス…」
「そうさ、サクラステラレクス…アタシの大事な、自慢の姉貴だ…確かに、その年のレースは、少し寂しかったかも知れねぇ、それに、ファンからしたら、お偉いさんからしたら、その時の生徒会長からしたら、姉貴はただの優秀なウマ娘の一人かも知れねぇ…でもな、アタシにとっては、血がつながってなくても、この世でたった一人の姉貴なんだよ…!!」
サクラナミキオーは、先ほどまで飲んでいた水のペットボトルを握り潰した。行き場を失った水が、彼女に、そして私に飛び散る。彼女の頬を流れるのは、飛び散った水か、それとも涙か。
「クロ、お前は今まで独自路線を貫いて、アタシらクラスメートを、ファンを、魅了して来た、恐らく、URAのお偉いさんにとって、いろんな意味で、目立つウマ娘のはず……でも、これだけは言わせてくれ…クロ、周りの声に、惑わされるな。お前がどうすんのか、決めんのはお前だ、周りの期待に、無理までして応える必要はねぇんだ」
「…」
「頼む…何か、何かアタシに言ってくれ、仲間が大怪我する所なんて、見たくねぇんだよ」
涙が、彼女の頬を洗い流してゆく。彼女の気持ちは、理解できる。
「…大丈夫だよ、ナミキオーちゃん。私は、これからも独自路線を貫いていくよ、上の人や世の中の圧になんて、負けないからね、それが、後に続く後輩達の目標になってほしいって、思ってるから」
「…ッ!!」
サクラナミキオーは、頷き、私に体を預け、涙を流した。一人のウマ娘にここまでのトラウマを植え付けるって、結構ブラックだなURA。ウマ娘、人間問わず、アスリートの身体は日頃からの調整が必要なキャブレターのようなものだろうに、もっとも、今はシンボリルドルフがその辺りを是正しようとしているのだろうけど、それはあっちが勝手にやっている事なので、私には関係ない、今の所は。……だが、私の「年下のウマ娘達の目標となりたい」という思いは、無いわけではないのだ。
「カッコ悪いとこ、見せちまったな」
五分ほどすると、サクラナミキオーは落ち着いた。目元にまだ赤みが残っているが。それもすぐに消えるだろう。
「大丈夫だよ、それにナミキオーちゃんが、いつも気を強くもって居られる理由が、よく分かったよ。今年は去年より大変になりそうだけど、お互いに頑張ろう」
「あぁ、去年はダメダメだったけどよ、今年は絶対に、アタシはG1を取って見せるからな」
「G1…それって…」
「あぁ、そのために、じっくりと、準備を重ねて来たんだ。アタシは姉貴とは違う。だから少しづつ、走れる距離を伸ばして来たんだ。クロ、アタシは出て、それでもって勝って見せるぞ、“天皇賞・春”にな」
サクラナミキオーは、私にそう誓った。これは、姉やその家族の意思なんて関係ない、彼女自身の意思なのだろう。同期への対抗心か、姉への恩義か、彼女自身の野心か、はたまたその全てか。私には分からない。だが…
“ことしもおもしろくなりそうだ”
サクラナミキオーが決意表明してから数日後、白子はトレセン学園の理事長である秋川やよいに呼び出されていた。
「──以上の理由から、彼女の海外遠征は現在のところ、選択肢に入っていません」
彼が呼び出されていたのは、水面下で“彼女”が海外遠征を強く望まれており、トレーナーである彼にそのメッセージが伝えられていたからであった。ただ、当然“彼女”に、そのつもりはなく、彼は活動に支障が出ないように、やよいに上層部の説得を頼みにきたのである。
「…了承ッ…君の担当ウマ娘を思いやる姿勢、深く理解した」
「URAの上層部には、こちらから話をしておきますので、担当ウマ娘のトレーニングと、業務に集中して下さい、ご迷惑をおかけいたしました」
「いえ、対応、感謝申し上げます、理事長、駿川秘書、では、私はこれにて」
白子は頭を下げて、理事長室を退出した。
「まだまだ新人の部類ながら、あの柔軟性と、クラシック期に見せた、大胆な姿勢と素早い行動力…」
「戦績、勤務態度、担当ウマ娘との連携、様々な面で、優秀なトレーナーさんです」
やよいが呟いたのを見たたづなは、白子に対して。自らの評価を述べた。
「ああ、白子トレーナー、彼は大成するかもしれないな」
そして、やよいもその評価に賛同したのだった。
「よし」
日記を書き終えた私は、ペンをペン立てに戻し、伸びをした。毎日これを付けているが、日に日に、丁寧な字が素早く書けるようになってきている。とはいえ、いくらそうできたとしても、誤字脱字があってはならない。私は、文章に目を通した。
親愛なるパピーへ
もう少しで、新学期が始まります。同時に私達も、シニア級に入り、更なる激しいレースが、私を待ち受けている事でしょう。
そう言えば、貴方は私が元日の日に『年下のウマ娘達の目標となりたいという気持ちは、無い訳ではない』と言ったのを、覚えていますか?今日は、その理由を、貴方に教えたいと思います。様々な情報から判断するに、私の後輩たちは、私の独自路線を貫くスタイルに憧れています。つまり、私のように新たな道を開拓しようとするウマ娘も出てくるかもしれないということです。それで結果を出せば、必ずや、レースに対する既存の価値観との対立が起きる事でしょう。ムスリムとクリスチャンのように、新世代の思想は、必ず既存の思想と対立するということは、歴史によって証明されているのですから。凪ではなく、混沌。貴方も、魅力的だと感じませんか?
じゃあまた、マヴェリッククロウより。
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