お知らせ:作品構成の都合により、物語からホッコータルマエの表記を削除しています。勝手な変更を行ってしまい、申し訳ありません。物語の進行に全く影響は有りませんので、拙作をこれからもよろしくお願い申し上げます。
ファン感謝祭から数日後、私とメイショウドトウはシンボリルドルフに呼び出されていた。理由はレモネードの一件である。
「……状況と相手の動機は理解できた…………だが、もし、アレがレモネードではなく硫酸か何かだったら、大変なことになっていた」
「………返す言葉も、ありません」
「………ごめんなさい…」
「…君たちが謝ることはない……ただ、そういったトラブルに見舞われた際は、もう少し、我々や先生方を頼って欲しかった、腰を落とした際、顔面に拳を入れられるという可能性もあるのだからな」
「会長さん、大丈夫です。あの距離なら私は避けられます。場合によっては頭突きをかますか、腕や指に噛みつきます」
そういうことではないというのは分かっている。
だが、トレーニング中に呼び出されたので、少しこちらはイライラしていた。だから少し悪い冗談をかましてやった。
まあ、実際にできるのはできる。
「………冗談です。ただ、話せばわかってくれるのではないかと、思っていました」
「………そうか、君たちは悪くない、私も少しピリピリしすぎているようだ」
それで、なぜ、あの一件がバレたかと言うと、たまたま、その瞬間を会場警備担当の生徒会メンバーが見ていたからである。ただ、シンボリルドルフの耳に直接入れたので、広まってはいない。私達自身も、ファンから逃れて休息するべく、出店とかがない、会場の端っこにいた訳だし。
「……メイショウドトウ、そのウマ娘が小学生ぐらいだったというのは、間違いないかな?」
「はい…丁度、私のこのあたりぐらいの身長でしたから…」
「………あの、会長さん、無いとは思いますが、犯人探しなんてのは、しないでください。私自身、あまり事を大きくしたくないんです……私も、ドトウちゃんも、宝塚記念に出走予定ですから」
私とメイショウドトウは、宝塚記念に備えている。まあ、向こうは出るか否か迷っているが。
それで、今は末脚の鋭さを高め合うべくたまに併せをしているが、時期が近づくと私の作戦決定の関係でできなくなる。できるうちにやっておきたい。
ブン屋さんが集結して併せができなくなるのはもってのほかだ。
「………分かっている。だが、一応、こういう事案があったということを、職員の方々と理事会の方に、内密という形で伝えさせてはもらう。今回の件で、運営時のトラブルやテロ対策が不十分であることが明らかになった。今後のファン感謝祭……特にステージイベントや特別ゲスト来校の際に、このようなことがあってはいけないからね。」
「お願いします…」
メイショウドトウは、すかさずそう言った。今回のことを重く受け止めているのだろう。
「ありがとうございます、お願いします」
私もメイショウドトウに続き、シンボリルドルフにそう言った。
「ごめんね、ドトウちゃん、私のことに巻き込んで」
解放され、トレーニングを終えた後、私は緊張していたであろう、メイショウドトウの苦労をねぎらった。
「いえ…気にしないでください……私も、怪しい雰囲気を察せませんでしたから」
「ドトウちゃんが気にすることじゃないよ、そうだ……今日はごちそうさせてよ、トレーナーから、レッジャーネの割引券、もらってるんだ、ドトウちゃん、あそこの“サジタリオパスタ”と“チェンタウロ・ディアボラ・ピッツァ”気になってるって言ってたよね?」
レッジャーネというのは学園近くにあるイタリア料理店のことである、この店は量とクオリティの割にリーズナブルなので何かとトレセン学園の者が多く利用する店なのだ。
白子は少し前に富士田と食事をしたらしく*1、その時に割引券を貰ったらしい。
「私なんかが…ご一緒させてもらって…良いんですか!?」
「もちろん」
この割引券、そもそも二人以上で来店しないと使えない。
それに、メイショウドトウには気苦労をさせてしまった。
「じゃあ…お願いしますぅ!!」
「うん、楽しもう」
このぐらいはしてやるべきだろう。
「美味しかったです…」
「良かった」
食べ終えたメイショウドトウは、満足そうに腹を揺する。
「食後のドリンクでございます」
ドリンクが運ばれてきた。私はアイスのブラックコーヒー、メイショウドトウは紅茶である。
「クロ先輩は…ミルクとか入れないんですね」
「うん、ブラックの味が特段好きってわけじゃないんだけど、ミルクや砂糖入れると、味が濁るからね……」
「クロ先輩って…なんだか大人みたいですぅ…」
メイショウドトウは目を輝かせる。私は生きた年齢を数えると実質アラフォーであるが、精神年齢はまあ、それに見合っているとはいえない、なので少し複雑な気持ちにはなった。
「そう?…でも、コーヒーって…なんだか競争ウマ娘みたいだね“コーヒーは地獄のように黒く、死のように濃く、恋のように甘くなければならない”*2って言うけど…甘さはいらないんだよ」
「…先輩…それは……せ、先輩はキレイですし、速いですし……先輩なら引く手数多ですよぉ!
」
「ああ、ごめんごめん、恋とかそういうのを否定する訳じゃないんだよ」
色恋はモチベーションになることがある。多分シンボリルドルフがそれだ。まあ、アレは達成不可能な目的を掲げているのだが。あ、あと故郷に恋人がいるクラスメートもいたか。
「要は、ブレない事が大事って事。レース生活、迷うことも、止まることもあると思うよ。でも、それを受け入れて、目標に向かって、ひたすら突き進む………オプションで悩めども、結局ブラックで飲むって言うのに、似てないかな?」
まあ、なんかクサすぎるセリフであるし、取ってつけた感満載である。ただ、スペシャルウィークと私を対比してみろ。破壊と日本一…最終目標はどちらも曖昧だが、私はプロセスを明確化している。ブレないようにである。現在もそれは続いている。
私はコーヒーを口にした。メイショウドトウも私に合わせて……
「そんなものなのでしょうか………はちゃっ!?はちゃっ!?」
パリン! ビシャッ!
「……わぁぁぁぁっ!?すみませんすみませんすみません!!!」
ああ、そう言えば向こうは普通の紅茶だったか。熱すぎて落としてしまったようである。
「大丈夫だよ、店員さんを呼ぼう」
「は、はい…せっかくの、楽しい食事だったのに……私のせいでめちゃくちゃに……」
「大丈夫、どこも火傷しなくてよかった」
全く、火傷のせいで併せができなくなったらどうするんだ。
そして、数日後の事である。
それは突然だった。
「マヴェリッククロウ、少し良いだろうか?」
シンボリルドルフは、私が早朝の自主トレをしていた時に現れた。栗毛の庶務長も、一緒だった。
最初はファン感謝祭のレモネードの件のことかと思ったが、どうもそうではないらしい。
「…頼みがある、私と勝負をしてくれないだろうか」
「会長さんと…ですか?」
予想外の申し出に、私は少しばかり驚いた。ただ、彼女の目を見るに、私の妨害などの意図は無さそうだった。そもそも、そうしたいのなら、もっと良い方法が沢山ある。
「ああ、理由は単純明快─生徒会長や“皇帝”でもない、強い相手との戦いを望んでいる一人のウマ娘として、君と一勝負したくなった、だが、もちろん、今の君は大切な時期だということは承知している、だから、私の申し出を断ってくれてもかまわない」
私は悩んだ。
確かに時期的には大切な時期だが、まだ、最後の追い込みトレーニングの段階ではない。併せや模擬レースも予定に組み込んでいたから、シンボリルドルフとのレースを予定に入れる事は可能である。
ただ、私が、シンボリルドルフに勝った所で、宝塚記念も勝つという保証が得られる訳ではない、そもそもの人数が違うし、宝塚記念の対戦相手は身体能力のピークの真っ最中なのだ。
…シンボリルドルフのピークが過ぎているとはいえ、それは身体能力だけの話である、気迫やその使い方は、今も研ぎ澄まされているに違いない。
その気になれば、威圧だけで、他のウマ娘を萎縮させることなど容易いだろう、豆腐に包丁を入れるように。
……そして、今度の宝塚記念で最も重要なのが、ラストスパートである。そこでしくじるわけにはいけないのだ。
シンボリルドルフは、こちらを見ている。態々早起きしてくれたのだから、無下にも扱えない。
よし、決めた。
シンボリルドルフを使ってやろう。
ただ、距離は1800mにして貰う。手の内は見せられない。
「…分かりました、かい…いえ、シンボリルドルフさんの頼み、お受けいたします。ただし、このことは、どうか私達3人だけの秘密に」
「…了承した、ありがとう、そのことに関しては、大船に乗った気持ちでいて欲しい、私も、彼女も、決して外部に漏らさないことを約束する」
「ありがとうございます、それと…恐れながら、お頼みします。公平のため、私に対する技術的な助言も、無しにしていただくことは出来ないでしょうか?」
私はシンボリルドルフに頭を下げ、頼み込む。
「もちろんだ、私は頼む側、ある程度、そちらの要求を呑む義理がある、都合の良い日程があれば、連絡して欲しい。全てこちらで手筈を整える」
「ありがとうございます」
私が再び頭を下げると、シンボリルドルフは「邪魔をしてすまなかったな」と言い、庶務長と共に去って行った。
シンボリルドルフ…
「あなたの“最後の頼み”、中々面白かったよ」
さて、トレーニングを続けよう。
「スペちゃん、入るわね」
「……」
ここは、都内のある病院の病室、サイレンススズカは、有馬記念の敗退以降、体調を崩して入院しているスペシャルウィークのもとにやってきていた。
「…スズカさん、学園は、どうですか?」
「大丈夫よ、グラスちゃんも、タイキやフクキタルも、いつもと変わらず過ごしているわ」
スペシャルウィークは、敗北感でどん底に突き落とされたものの、少しの日常会話が出来るようになるレベルまでは回復していた。
サイレンススズカは、トレーニングの休養日や空き時間を使っては、自らのトレーニングに差し支えのない範囲で、スペシャルウィークと話すようにしていたのである。
「……スズカさん、私、新聞を見ました。宝塚記念…出るんですね」
「…ええ、皆のお陰で、私は再びターフに戻って来られた。勝って、それを示そうと思うの」
「………怖く、無いんですか?スズカさん…今の私は…私は、走るのが、怖いです。いくら走っても、負けちゃうんじゃないかって……」
スペシャルウィークは、サイレンススズカを見て、耳をペタリとさせ、そう聞く。
「…そうね、怖くないと言えば、嘘になるわ。でも、骨折して、選手として死にかけていた私を、スペちゃん達は、信じてくれた、励ましてくれた、だから、私は走ることが出来るの、それに、ウマ娘として生まれたからには、強い相手と戦って、勝ちたいから」
「……」
「…スペちゃん、今度の宝塚記念、見に来て欲しいの、そして、思い出して欲しいの。スペちゃん自身が、小さい頃、レースを、どんな風に、見てたのかって…」
「……スズカさん」
スペシャルウィークは、田舎出身である、レース場も近くにはなく、目を輝かせながら、レースの中継を、いつも見ていた。
彼女の目に映るウマ娘達の姿は、画面越しでも輝いており、そんなウマ娘になりたいという思いが、トレーニング施設もない田舎で力をつける原動力となった。
「スペちゃんがトレセン学園に来るまでに、どんな事をやっていたのか聞いた時、私は、凄いって思ったわ、どんな事があってもあきらめずに、夢のために、全力で………」
サイレンススズカは、そう言いながら、スペシャルウィークの手を取った。
「今までそれが出来てきたもの、だから、スペちゃんはきっと、今の状況を乗り越えられるわ、もちろん、私だって、ブランクという高くて厚い壁を、乗り越えて……スペちゃん、私は、マヴェリッククロウに勝つわ、だから、観ていて、ここでも良い、阪神でも良い、私はスペちゃんが観ていてくれるのを、信じてるから」
サイレンススズカは、そう言って立ち上がり、外へ出ようとする。
「スズカさん」
「…スペちゃん…?」
しかし、スペシャルウィークは、それを呼び止めた。
「…スズカさんは、どうして、そこまで前向きで居続けられるんですか?…私は、もう…わかんなくなっちゃってきたんです。どうやったら、スズカさんみたいに、前を向いて進めるのか…」
「………」
サイレンススズカは目を閉じ、少し考える。
「…少し、ヘンかもしれないけれど、たまに私、思うの、本当は、あの天皇賞の日、私はもう二度とターフに戻れなくなる運命だったんじゃないかって………でも、私はこうして再びターフに、G1の舞台に戻って来られた。だから、信じているの、たとえ私達一人一人、運命があるとしても、それはきっと、乗り越えられるものだって、だから私は前を向いて進んでいける」
「……」
「スペちゃん、スペちゃんは、色んな人に応援されてきた。その人たちは、スペちゃんの真っ直ぐな姿を見て、自然とスペちゃんに惹かれていたの。そして、今もターフに戻って来るのを待っているわ、黄金世代っていう肩書も、日本総大将という称号も関係ない、素直で明るい頑張り屋で『日本一のウマ娘になる』っていう夢のために、憧れたり、くじけたりを繰り返しながら、持ち前のガッツで夢に向かってひた走る。スペシャルウィークというウマ娘をね」
「…スズカさん…」
「もちろん、私も、その一人よ……じゃあ、行くわね」
サイレンススズカは、スペシャルウィークに微笑みかけ、病室を出た。
「………私…また…走れるのかな…?学園に、来た時みたいに…」
残されたスペシャルウィークは、一人、そう呟いた。
「エル…それは本当なのですか…?」
「ハイ、本当は…秘密の約束なのですが……もう、ワタシは、我慢出来ません、せめて、グラスだけには、これを伝えておきたくて」
その頃、エルコンドルパサーは、グラスワンダーに、夜、“彼女”と模擬レースをしたことを話していた。
「……」
「…あのレースは、ワタシも物事を軽く考えていましたし、ヨーロッパ遠征で、情報戦の大切さを知りましたから…今更どうしようもありません…ですが…グラス!マヴェリッククロウは、アナタが思ってるように、レースに関しては、大真面目そのものデス、でも…レースの前は、そうとも限らないかも知れまセン、何か、仕掛けてくるかも…」
グラスワンダーはコクコクと頷きつつ、エルコンドルパサーの話を聞く。
(…エルが、あの時、気をつけろと言ったのは…これが本当の理由……)
「エル」
「…グラス?」
「ありがとうございます」
「……?」
突然のお礼に、エルコンドルパサーは首を傾げた。
「…私は、自分の使命を見つけることができました。スペちゃんは、有馬記念の時、敗北によって、心に大きな傷を負いました。そして、それはマヴェリッククロウさん…いえ、マヴェリッククロウに敗北したことによるもの。謀っての事かは分かりません、ですがもし、そうだとしたら……それは、エル、あなたから始まっていたに違いありません。その真偽を確かめるためには、宝塚記念にて、マヴェリッククロウに勝ち、彼女を問いただすに足る強さがあることを、彼女に示す必要があります」
「…で、デスが、真偽を確かめるのはレースの前でも」
「エル、そんな事をすれば、レースに一点集中している彼女を妨害しますし、何よりも、私自身、彼女に勝ちたいのです。そのため、そんな事は卑怯であると思っています、だから、トレーニングに集中出来ません。そもそも、あなたの言葉を借りるのであれば、マヴェリッククロウは、レースへの準備は決して怠らないということ、それは即ち、万全の準備をもって臨むのが筋というものでしょう?」
「…」
「エル、私には全てを解き明かすという、使命があります。その達成にはあなたの力が必要不可欠です。世界を見てきた、あなたの力が……今まで以上に協力してくれますか?」
「もちろんデス!」
栗毛の怪物、グラスワンダー。
その目は少しずつ、ぼやけていた“彼女”の姿を映し始めている。
私の前を走る相手は、ただ、走るだけでも、見るものを圧倒する。
その豪脚で、何人ものウマ娘を、薙ぎ払って来たのだろうか。
その走りで、何人もの観客を、沸かせ、虜にして来たのだろうか。
それらは私には分からない。
だが、私にもわかることはある。それは、発せられる気迫は、まるでツキノワグマのようであり、並のウマ娘は、並ぶことも許されないだろうということだ。
スッ、サッ
こちらを誘うかのように、相手は首を動かし、様子を窺ってくる。まだだ、まだ動いてはいけない、競り合いの年季と質は、あちらの方が遥かに上。
ただ、この学園に来た時の私なら、仕掛けていたかもしれない。だが、私もここに来て、成長している。
ポールが見える、最終コーナーだ。
「…!!」
目を見開き、集中力を増し、スパートを掛ける。
「そうだ!君のその行動を待っていたんだ!!」
向こうも予測していたようで、気迫が強まる。強すぎて、向かい風のように感じられる。
だが、今の私なら、突き抜けていける。
だから、差す。
「面白い!!」
私が横に並びかけ、必死に走って前に出ると、向こうもスピードを上げてきた。
差がジリジリと縮まる。気迫はビリビリとやってくる。
そして、初期微動のような気迫を感じてすぐ、私は差し返された。
だが、スタミナが尽きたからではない。
相手がこちらを差した、少し後、ゴールに向かって走ることに、一点集中する、その瞬間。
そこを一突きするためである。
「…!」
向こうは驚いた。だが、流石はベテラン、簡単に前に出させてはくれない。
双方ともにスタミナは切れかかっている。なら、最後はどの勝負になるのかは、自ずと決まる。
「でやぁぁぁぁっ!!」
それは、遺伝子によって組まれた肉体に備わった、元の力、つまりは地力である。
「「……ッ!!」」
私達は、ほぼ同時に、ゴールラインを駆け抜けた。
「……僅差ですが…マヴェリッククロウさんの方が、僅かに、前に居ました」
カメラを見ていた庶務長は、顔を上げて、そう言った。
「……そうか…」
私の対戦相手─シンボリルドルフは、この敗北を、冷静な声と、頷きをもって、迎えたのだった。
「ありがとう、良いレースだった」
シンボリルドルフは、こちらに手を差し出した。私はその手を取る。
「君の射石飲羽の精神、しっかりと感じさせてもらった、宝塚記念の本番でも是非、その精神を発揮して欲しいものだな」
射石飲羽…どんなに困難なことに対しても、精神を集中し、一心に事にあたれば、できないことはない…か…。
おっと意味を思い出している場合ではない。
「あの、会長さん、私…会長さんを倒したとは、思ってません!」
「…!フフフッ…はははははっ!!」
シンボリルドルフは、大声で笑った。おいおい、これは私の本心なんだが。今日のことなんて指でつっついた程度である。
「ルドルフ会長、聞こえてしまいます」
「……!ああ、うっかりしていた。マヴェリッククロウ、やはり君は面白いな、私は楽しみにさせてもらうとしよう、その面白さを、さらに近くで感じる時を」
そう言うと、シンボリルドルフは「今日はありがとう」と言って、校舎の方向に歩いていった。
そうさ、お前さんは、とんだうっかり者さ、犬君ちゃん並みの、うっかり者だ。
私は、そうならないように努力している。もちろん、今度の宝塚記念だって、確実に目標を達成するのだ。
チョキン…サッサ…サッサ…
「はい、これで完了です!」
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
「はい、きっちりとお送りしておきますね」
その日の昼、私は髪を切った。ヘアドネーションのおまけ付きである。偽善だとか言われるかもだが、どうでも良い。
メジロアルダンぐらいあった長さをバッサリとやり、ナリタトップロードより少し短いぐらいにはなった。流石にセイウンスカイ程にはしない。
もちろん、これも宝塚記念を考えての事。
一つは、レコードのために、1gでも軽くするため。
もう一つは、まあ…良いか、確実に効果があるとは限らない。
“彼女”は、日記をつける。
親愛なるパピーへ、いよいよ明日は宝塚記念です。
悔いの残らぬよう、必死でトレーニングしました。この間教えた、ベストな足回りではないという現状における、最良の作戦を必ず成功させるために。
後は、ただ見ていてください。烏の姿を、捨てた私を。
私も明日は、ただ全力を出すのみです。
今日は早く休むとします。
今の私には、大きな夕陽が見えていますからね。
じゃあまた、マヴェリッククロウより。
「………」
宝塚記念、当日。
スペシャルウィークは、サイレンススズカの言葉に応え、レースを見届けるため、一人、観戦席に立っていた。
彼女は、サイレンススズカの頼みに応えたのである。
「……ついに、この日がやってきたんだねぇ…」
そこに現れたのは、セイウンスカイである。
「…セイちゃん…足、大丈夫なの?」
「…まあ、絶対安静ではあるけど、日常生活で歩くぐらいは、問題無いよ、何かあったら、トレーナーさんが飛んできてくれるし」
セイウンスカイはスマホを取り出して見せ、再びしまう。
「スズカさんの復活劇か…グラスちゃんの不屈のリベンジ成功か…オペラオーの台頭か………マヴェリッククロウのグランプリ四連覇か…」
「……」
「……“負けたくない”が“負けて欲しい”に転じて、それが悪いことなのかそうでもないのかも、分からなくって……複雑な気持ちだよね…」
「……うん」
(……スズカさん)
スペシャルウィークは、出走ウマ娘が出てくる入口の方を見ながら、心のなかで、そう呟いた。
「それじゃあ、行ってくるわ」
サイレンススズカは、マチカネフクキタル、メジロブライト、エアグルーヴに送り出され、控室を出た。
「……ふぅ」
地下道の出口まで歩いた彼女は、深呼吸をして、目を閉じる。彼女は、ベテランであるエアグルーヴを破り勝利した、二年前の宝塚記念の事を思い返していた。
(あの頃の私は、最高潮だった、脚も、精神も……エアグルーヴに勝った後は、毎日王冠で勝って…)
その時のサイレンススズカは、まさしく最強クラスの逃げウマ娘だったと言える。
(…でも、これからという時に、あの怪我をして………)
しかし、天皇賞秋での骨折により、彼女は、暫く停滞を余儀なくされた。
(……過去の栄光に縋っていては、駄目ね。今の私は、自分の経験と、コツコツ積んできたトレーニング、フクキタルやスペちゃん達からの応援…それらの全てを使って、この大舞台に挑む……挑戦者だから)
そんな、サイレンススズカは、現実をしっかりと直視し、レースに挑もうとしていたのである。
「グラスは?」
控室の前では、黄金世代のトレーナーが集まっていた。
「うちのエルと話してるわ」
「西谷は?」
「西谷さんは上に上がりました、観戦席を確保してくれています」
「……」
「……」
「…お二人の気持ちはわかります。ですが、もう当日なんです。僕達に出来ることは、ただ、今までの積み重ねを信じることだけです。絶対に勝ち…再び、あの娘達が時代の主役となることを…祈りましょう」
グラスワンダーのトレーナーは、控室の扉を見て、そう言った。
「グラス、大丈夫デスか?」
「ええ、調子は万全です」
「…この仕上がり、ワタシが見てきた海外のウマ娘に、勝るとも劣りまセン!太鼓判を押しマス!」
「ふふっ…あなたがそう言うのなら、自然とこちらも自信がついてくるものです」
「その意気デス!ですが、グラス!平常心デスよ!冷静に状況を見極め…スキを見逃さず…喰らいつく…そんな走りをして…必ず…勝ちまショウ!勝って、太陽のような笑顔を見せてくだサイ!」
「ええ!」
エルコンドルパサーとグラスワンダーは、拳を突き合わせる。
“彼女”に挑戦するウマ娘……彼女達が、応援する者にとって、太陽のような存在であることは、言うまでもない。
「時は…はやく過ぎる……光る星は消える……だから君はいくんだほほえんで……」
そして、“彼女”も準備を行っていた。
コンコンコン
「失礼する」
「うん」
“彼女”は、特に緊張している様子はなく、むしろリラックスして、紙を折っていた。
「私から言えることは一つだけだ、”幸運を祈る“」
「了解………よし、できた」
“彼女”は、折り終え、さらに切り抜いた物を、机の上に置く。
「ふむ………どうやら、精神状態は、問題なさそうだな、だが少し、直線的だな」
「これで良いんだよ、私がイメージしたのは、渡り鳥の方じゃなくて、人工物のほうだから……まあ、少し不格好だけど」
「問題ない……が、人工物ならば、心臓が見当たらない」
「ここにいるよ、あなたの目の前に」
「なるほど……面白い」
コンコンコン
「おっ……来たかな?」
“彼女”は、ドアを開けた。
「勝ってくれよ!」
「私達は、待っていますから」
「新しい歴史ができる時をね」
「今までを信じなさい」
「慌てず冷静、堅実にだよ!」
ドアの向こうにいたのは、サクラナミキオー、アグネスワールド、エアジハード、キングヘイロー、ツルマルツヨシである。
彼女たちは、応援の言葉を贈る。
「…ありがとう、皆、じゃあ…行ってくるね」
“彼女”は、笑顔でそれに答え、控室を出た。
「では、私達も上がりましょう」
アグネスワールドの声を皮切りに、ウマ娘達と白子は、観客席へと上がっていく。
机の上には、折り紙が残されていた。
お読みいただきありがとうございます。
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