転生者は破壊したい   作:ヒブナ

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 大変長らくお待たせ致しました。
 時間軸的には前回の数年後からです。
 また、今回は最後におまけの画像もつけています。    
 X(Twitter)の方に飛べば、動画も視聴できますので、気が向きましたらご覧下さい。
 よろしくお願い申し上げます。


第53話 -回想-

 

 

『羽休め』をしてから数年、プリセットゼロは何と菊花賞を獲ってみせた。彼女はダートの方が良いと自分で言っていたが、芝の方にも才能があったのである。

 

 アサヒクリークは大喜びだった。確かに、今の中央には、黄金世代、シンボリルドルフ、オグリキャップなどのウマ娘がいた頃の勢いはない。

 

 だが、資金力は向こうのほうがあるし、まだ、才能あるウマ娘のストックもある。シンボリルドルフなどはもう子供とかいてもおかしくなさそうだし……………もっとも、作る時間があるかどうかはわからんが。

 

 まあ、そんなわけで、私達名古屋トレセン学園は、クラシックの三大レースに挑みはすれど、勝ちきれない戦いを続けてきたのである。まあ、原因は私達だな、1回大きく出し抜いたし。

 

 そして、勝利し、勝ちきれない戦いを終わらせたプリセットゼロ……彼女は中央に移籍………はしなかった。それは、私達名古屋トレセン学園を深く愛していたからである。

 

 

 

 

 そして、グランドライブはというと……

 

『………中央トレセンのグランドライブですが、ウクライナ侵攻を発端とした、各種資材、機材等のコスト増と学園内での大規模な反対運動の警戒、そして、プリセットゼロさんの菊花賞制覇による衝撃から、プランの凍結が内定したそうです』

「それは確かなのですか?」

『はい、我が学園のある生徒が、特別留学から帰った際、確かにそう申していました』

「そうですか………ウマ娘にとって、ライブは神聖なもの………有志の特別イベントではなく、学園全体規模でそれを定期開催するなど、価値の安売り……考えただけでゾッと致しますわ」

『同感です。過ぎたるは猶及ばざるが如し………変えるべきところは変え、守るべきことはきっちりと守る。変え過ぎはいけません。記念に祝杯でも、上げたいところです』

「そうですわね……ですが、それは今度の文化祭にとっておくと致しましょう、浜名湖の鰻を用意して、お待ちしていますわ」

『……!それは楽しみです、では』

「ええ、お元気で」

 

 アサヒクリークは、他の学園の理事長とのwebミーティングを切って、顔を上げる。

 

「………と、言うわけですわ」

「物価高も大きいだろうけど………反対運動が怖いって…………暴力で関係者が襲われるわけじゃないんだし、ずいぶん慎重なもんだね」

「……ふふっ、中央のお偉方に、その言葉を言ってやりたいものです………兎も角…これで、グランドライブは、実施されなくなりました」

「喜ばしいね」

 

 私とアサヒクリークは、共に喜んだ。

 

 会話の中では、反対派への警戒があったが、それは気にし過ぎだろう。まあ、そうなった心当たりはあるのだが…

 

 しかし、その気になればあの理事長は生徒をポケットマネーで懐柔できるはずだ、それはそれで別の問題が起こりそうだが……

 

 中央の内部問題はここまでにしよう、やはり、グランドライブの凍結は、戦争と、プリセットゼロの活躍………この二つが大きいだろう。

 

 ロシアのイルチョフは短期決戦のつもりだったものの、戦争は泥沼化、ロシア国内での物資不足が続き、反体制派がパレードの日にドローン爆弾テロをするまでに至ったので、ウクライナとの戦いどころではなくなった。

 

 核こそ使われなかったものの、ロシアにはガタガタになった国内情勢が、ウクライナには血と鉄で汚染された農地が残されたのである。どうすんだよこれ。

 

 だが、戦争が終わったのもまた事実……物価も少しは落ち着き、中央のグランドライブは、停滞からやっと再開……という段階に持ってこれたのだろうが、先ほどの菊花賞の一件により、中央の上の方が大いなる危機感を感じ、対策を命じたのだろう。

 

 かわいそうに、ライトハロー。

 

 レースだけでなく、意思の勝利もできなかったとは。

 

「これで…また1人……ですわね」

 

 アサヒクリークは、筆に墨をつけ、続いて、分厚いノートを取り出し、開く。

 

 そこには中央の主要人物の顔写真が貼り付けてある。学園職員、トレーナー、所属ウマ娘……種類は問わない。なお、これは私も同じものを持っている。私のは思い出す用である。

 

 そして、アサヒクリークのものは……書き込む用である。

 

 アサヒクリークは下克上を狙っている。中央という敵について、知っておくのは当然のことである。

 

 そして、そのノートの中にはライトハローの写真もある。

 

「…………と……」

 

 アサヒクリークは、筆をライトハローの写真に持っていく。

 

 ………この、ノートと墨を使った一連の行動、最初にやったのはウチの元生徒なのだから恐ろしい。

 

 そして、私がそのことを思い出している間に、ライトハローはブラックホールになった。

 

 かわいそうに、ライトハロー。

 

 いや、違う…

 

 今はもう、ブラックホール34号だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

「あの生徒、素質ありますわね」

「そりゃそうだよ」

 

 グランドライブがお流れになってから、しばらく経った後、名古屋に期待の新入生が入ってきた。

 

「ビッグロマンス……清廉潔白な黄金世代、グラスワンダーの娘……まさかここに入学してくるとは思いませんでしたわ」

 

 何故、中央のウマ娘の娘がここに?

 

 そう思う者も、いるかも知れない。

 

 まあ、理由は色々とあるが、彼女の適性がダート寄りだったのが一番だろう。あと、グラスワンダーが思ったより臨機応変だった。

 

 こっちはあくまで合法的に、中央に色々とやった、向こうはこっちを好いてはいないだろうが、それでも適性を見て娘に名古屋への入学を勧めてきた。

 

 もし、彼女が母でなければ、中央でデビューしていたかもしれない。

 

「そうだね、全日本ジュニア優駿の勝利を目指してるそうだよ。…負けん気の強い所、ゲートインした時の目……グラスワンダーそっくりだね」

「グラスワンダーの娘はレースの道を選び、私の娘も、恐らく、同じ道を選ぶでしょう……貴女の娘は、どうするおつもりですの?」

「私の娘?」

 

 そう、今の私には子供がいる。それも、ウマ娘の子供である。父親は、アサヒクリークの弟である。

 

 別にアサヒクリークが強引に私達をくっつけたとかではない。

 

 彼は全てを知った上で、私と一緒になりたいと望んだのだ。それに、アサヒクリークの家には、しばらく生活させてもらった恩があるし、アサヒクリークの弟本人に対しても、共に働く中で他人よりも気安く接することができると感じていたので、私は断らなかったのだ。ラブと言うよりはライクの混じったトラストである。

 

「…私は、別に子供がレースに出なくても、気にしないかな。お母さんから受け継いだ、一族相伝の生きるための知恵は、教えてるからね」  

 

 私は別に、子供にレースをしろと促すつもりはない。信仰も私と一緒で三女神の信徒ではないし、レースをする必要性も薄い。

 

 それに、私が今やっていることは、私の破壊の一部なのだ。娘を無理やり巻き込むこともない。

 

「……そうですか…残念ですわ………子供同士の対決が起きれば、面白くなりそう…と思ったのですがね…」

「ハハハッ!そんなの決められるわけないよ、子供の自由な選択に…任せるしかないからね」

「ふふっ…そうですわね……ですが、走るウマ娘と、走らないウマ娘………そうであっても、私、子供達が私達のような関係でいられることを、祈っていますわ」

 

 アサヒクリークと私の子供は、同い年である。ただアサヒクリークの子供は親に似て活発で、私の子供は走るよりかは料理の鍋を覗くことが好きなのだ。料理ばっか教えすぎたか。

 

 そして今はアサヒクリークの子供に、私の子供が手作りの料理を渡すという構図ができている。良い傾向だ。

 

「上様と───さんだ、相変わらず綺麗だな……」

「オイオイ、聞こえちまう聞こえちまう」

 

 遠くでは、職員たちがこちらを見て話していた。相変わらず綺麗というのは、お世辞ではない。

 

 アサヒクリークは、天才だった。レースではなく、若さを保つ天才である。

 

 そして、彼女とともにいる私も、その影響を良い方向で受けている。

 

「上様………やはり、恥ずかしいものがありますわね」

「面白いと思うけど」

 

 それで、アサヒクリークは、現在、“上様”と呼ばれている。これはなぜかと言うと、去年、この学園で忘年会をした際に、酔った歴史好きのあるトレーナーが…

 

「上様、日本一!」

 

 と叫び、職員たちにそれが大受けし、定着してしまったのだ。

 

 だが、こうやってそれを気安く受け入れる事ができているのは、この学園に気持ちの余裕があるということである。

 

 事実、ここまでの私達の活動で、私達と中央の力関係も変化しつつある。

 

 少しずつ、背中が見えてきているのだ。

 

 大事なのは、これが共通認識となったという事である。もう、一部のウマ娘が抱いているものではない。

 

 私達は中央をじわじわと破壊している。その結果が実りつつあるのである。

 

 だが、まだ足りない。

 

 あらゆる面で中央を上回り……中央>地方という図式を破壊するためには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ビッグロマンスが名古屋トレセンに入学してから、多くの月日が流れた。

 

 “彼女”とアサヒクリークは、中央に対して挑み続けた。中央でスターが現れようが、現れまいが、名古屋トレセンのウマ娘達は、不定期的に中央のレースに殴り込みをかけていった。

 

 もちろん、名古屋だけではない、“他の地方ウマ娘”も、中央のレースに出走する。

 

 いつ来るか分からない、外部からの強敵。“清廉潔白な黄金世代”が現役であった頃とは比べ物にならないほど増えたそれは、中央という大きな存在を、じわじわと、追い詰めていったのである。

 

 さらに、ウマ娘達だけでなく、名古屋トレセン学園そのものの名を上げることにも力を尽くした。

 

 ある日突然、日本の太平洋沖に大地震が発生した。

 

 大きな揺れと津波が発生し、多くの人々が犠牲となった。

 

 しかし、名古屋トレセン学園は、立地の関係上津波が来る可能性が低いと判断されていたため、出来る限りの避難者を受け入れた。そして、生徒、教職員ともに一人の犠牲も出さなかったのである。

 

 この時の名古屋トレセン学園の生徒・教職員の行動には、素晴らしいものがあり、レースとは違う面で名古屋トレセンの名声を高めることとなった。

 

 そして、そのしばらく後、東京を首都直下地震が襲った際には、他の地方トレセン学園に呼びかけて、水、保存食、調味料、弾性ストッキングなどの確実に必要な物資を中央トレセンや首都圏の地方トレセンに送り、必要であれば生徒の一時受け入れも表明した。

 

 このことも、名古屋トレセンの名声を高め、将来有望なウマ娘が入学する事も増えていった。

 

 そして、時代が進めば、当然人々も歳を取る。

 

 シンボリルドルフは、中央の要職に返り咲いていたものの、往年の勢いを取り戻せた時間は短かった。彼女は、自らの理想を見ることのないまま、首都直下地震の際に志半ばで、倒れることとなった。

 

 栗毛の庶務長は、地震後は、秘書の駿川たづなの後任として、トレセン学園の理事長である秋川のそばで働くようになった。近しい者、頼りにしていた者が減っていき、若い頃の自信を失っていく彼女を支えるためである。

 

 ツルマルツヨシは、じわじわと蝕まれていく中央と、志半ばで倒れたシンボリルドルフを直接見て、自らの職を辞し、隠棲した。“彼女”に操られスペシャルウィークを捨て、友情を取り戻すことができなかったことを、“彼女”に出会ったあの日、調子に乗って走り続けたことを、後悔し続けていたという。

 

 キングヘイローは、トレセン学園に残り続けた。母親が亡くなった後は、彼女が統括していたブランドの責任者もやるという、二足の草鞋であった。そのために体調を崩し、日に日に衰弱していったという、そして…そんな彼女を見届けたウマ娘は、学生時代同室だったハルウララであった。

 

 セイウンスカイは、ニシノフラワーとコンビを組み、新入生の教官となった。ただ、そんな彼女であるから、新入生の質が、年々落ち続けている事に気づくのは早かった。それを自らの指導で何とかしようとしていた彼女は、地震の際に逃げ遅れた生徒を助けに行き、行方不明のままである。

 

 エルコンドルパサーは、バイリンガルであるということを活かし、日本のウマ娘達の活路を、海外との交流による意欲向上に見出そうとしていた。しかし、激務がたたり、病を得て、黄金世代の中では最初に旅立つこととなった。

 

 スペシャルウィークは、最期の時まで、レースに触れようとしなかった。しかし、それが彼女にとっては、幸福だったのかもしれない。

 

 サクラナミキオー、エアジハードは、懸命に働き続けた、銀翼のウマ娘として走っていた時代に身に着けた忍耐力と勤勉さは、彼女らに生きのびる力を与えていたのである。

 

 アマリイーグリーナ、サトノモズレーは主であるアルダンが率いるようになったメジロ家を、時代に合わせて変えていった。競走ではなく、指導・運営・サポートにウマ娘を送り出すようになったのである。

 

 メレンゲジョセフは、普通の企業に就職し、平凡に暮らすことを心がけた。同情的な周囲の目もあり、特に苦労はせず、現役時代に鍛えた頭脳を活用できたという。

 

 メイショウドトウは、今でもコーチを続けている。彼女によって育てられたウマ娘は、根気のあるウマ娘として名を馳せた。

 

 アグネスワールドは、ハワイに戻った後は家業の養蜂を継いだ。しかし、自分にとって、西武一と同列に扱うほどの英雄だった“彼女”と会えないということは大きく、暫く元気のない状態であったという。

 

 しかし…“どういうわけか”、ある時期を境にそれは治まっていた。だが、地震の報を聞いてから、しばらくは日本の方を向いて佇んでいるところを度々目撃されていたという。

 

 そして……今、黄金世代の最後のウマ娘が、果てようとしている。

 

「こっちです!」

 

 ビッグロマンスに腕を引かれ、アサヒクリークと“彼女”は、グラスワンダーの家までやって来た。

 

「お父さん!」

「…ああ、グラスに伝えてくるよ」

 

 名古屋トレセン学園の生活は、ビッグロマンスを大きく成長させた。それ故、グラスワンダーと、夫である元トレーナーは、アサヒクリークと“彼女”に感謝していたのである。

 

 その正体を、知らないままで。

 

「…ありがとうございます、妻の頼みを、聞いていただいて」

「いえ、ロマンスさんは、卒業されたとしても、名古屋トレセン学園の生徒であることに変わりはありませんわ」

「彼女から、多くのことを学ぶ事ができました。そんな彼女を送り出してくれたお母様には、感謝しております」

 

 アサヒクリークと彼女は、夫に案内され、襖の前にやって来た。

 

「僕は、娘のところに戻ります、妻に何かあれば、呼んでください」

「承知いたしました」

 

 夫が去ったのを確認した後、“彼女”とアサヒクリークは、襖を開けた。

 

「グラスワンダーさん」

「…呼んでくださり、光栄です」

「…理事長さん…教官長さん……」

 

(………枯れ枝だ)

 

 グラスワンダーの声は、弱々しかった。他のウマ娘より、心身とも負荷のかかる環境に晒され続け、その身体はボロボロだったのである。

 

 そのため、自らの死期を悟ったグラスワンダーは、最後に自らの愛娘が最も世話になった2人であるアサヒクリークと“彼女”を呼び出したのである。

 

「して……本日はどのようなご用件で?」

「……今日は……お二人に…どうしても…お礼が言いたかったのです」

「……」

「……」

「……娘は、名古屋で過ごした日々を……宝物のように、私に語ってくれました。私も…とても幸せな気持ちになったのを…覚えています」

「…それは、ロマンさんが精一杯、頑張ったからですわ」

「彼女は、自らの手で、幸せを勝ち取りました……それが、お母様の幸せになったのなら、大変、喜ばしいことです」

「………その言葉…お世辞であれども……嬉しいです…娘を………ありがとうございました……娘を地方に…最初は迷ったのです。……敵に塩を送るようなことでしたから………ですが……私の判断は間違っていなかったようです……娘は幸せになり…こうやってお二人が来てくれたのですから……」

 

 グラスワンダーは、アサヒクリークの手を、その次に“彼女”の手を握りしめ、そう言った。

 

「敵…ですか……」

「……もし……違う世界があったのなら、あなた方と地方と、中央が表立って手を取り合う……そんな関係に…なれたのかもしれません……」

 

 こことは違う”どこか別の世界“では、そうだったかもしれない。

 

 だが、現実を見ると、中央と地方は、協力して大きな事を成し遂げるというようなことはなかった。

 

「……」

「…我々地方と中央、両者の関係は、まだ、これからです。希望を持ってください」

 

 しかし、“彼女”は優しく、グラスワンダーにそう言った。

 

「……はい…!」

 

 グラスワンダーは、微笑み返す。

 

「……最後に2人にお会いできて、嬉しかったです……ありがとうございました…」

 

 グラスワンダーはそう言って、2人に改めてお礼を言った。

 

「……では、私どもはこれにて……………………──さん?」

「…理事長、私は、まだ、話し足りません……お母様…お母様が良ければ…」

「……えぇ、大丈夫です。貴女には…大恩がありますから」

「…………では、私は部屋の外で控えておきますわ」

 

 アサヒクリークはそう言って部屋を出て、襖を閉じた。

 

 そして、懐からスマホを取り出し、電波の探知アプリを起動する。

 

(……盗聴器の類は…無し……監視カメラも……ですわね)

  

 そして、襖を、指先でトントンと叩いた。

 

 

 

 

「…教官として…娘さんには、多くの景色を見せてもらいました。全日本ジュニア優駿の勝利……ジャパンカップダートや帝王賞での活躍……」

 

 襖を叩く僅かな音を聞き取った“彼女”は、思い出を語った。

 

「ええ……覚えて…います。どれも大事な…大事な…思い出です……覚えて…おられますか?私が特別に、理事長さんらのいる席に招待され……共にレースを観たのを…?あれが…私の……あなた方との、一番の思い出です…目に…心に……焼き付いています」

 

 グラスワンダーは、過去のことを回想しつつ、再び、“彼女”の手を取った。

 

「…………もちろん、覚えています…」

「教官長さんの、一番の思い出は、どの時ですか…?」

「………どれもこれも、良い思い出ですが…」

 

 そう言って“彼女”は目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……皐月賞を控えたある日、北の丸公園で、エルコンドルパサーさん、キングヘイローさん、セイウンスカイさん、ツルマルツヨシさん、スペシャルウィークさん……そして、あなたと共に私の作ったサンドイッチを食べ、あなたの提案でお互いの夢を語り合ったあの日など……特に、私の目に、心に、焼き付いていますよ」

「……!!!」

 

 グラスワンダーの背筋が凍った。

 

 “彼女”が語ったのは…

 

 “生徒の親と教官”

 

 としての思い出ではなく。

 

 “グラスワンダーとマヴェリッククロウ”

 

 としての思い出だったからである。

 

「………♪」

 

 “彼女”は片手で器用にゴムを解いて髪を下ろし、あの宝塚記念の日と同様の髪型に戻る。

 

「久しぶり、グラスワンダーさん………凱旋門賞の中継を見てた時に席を譲って、一緒に観戦したことも、一緒にゲーセンに行ったり、抹茶を飲んだことも、有記念で戦ったことも、宝塚記念であなたを驚かせたことも……全て良い思い出だったよ」

「………マヴェ…リック……クロウ…!!」

「…そう、あなた達と過ごした4年間……楽しかったよ……My little chestnut friend(我が小さき栗毛の友よ)……」

「…………っ!……この…怪物……この…破壊者…」

 

 グラスワンダーは、必死に声を絞り出す。

 

「……やれやれ……私を否定するのは勝手だけど………それは、今のあなたを否定するも同然……今のあなたは、私が居ないと成立しない…あと……あなたの大事な大事な宝物……娘さんの功績もね…」

「…………!」

 

 グラスワンダーは、気づいてしまった。

 

 その言葉を、否定できないことに。

 

 ビッグロマンスが、輝かしい功績を残したのは、“彼女”の指導があったから。

 

 ビッグロマンスが生まれたのは、トレーナーと結ばれたから。

 

 彼女がトレーナーと結ばれたのは“彼女”に対抗していく中で、絆が深まっていったから。

 

 大切な記憶が、絶望に塗り替えられていくことに気づかないほど、グラスワンダーは鈍くはない。 

 

「…………」

 

 さらに、グラスワンダーは、金縛りにあったように動くことができなかった。

 

 それは、“彼女”がとても鋭い目で、睨みつけているからである。

 

 かつて、アグネスワールドが、ヨーロッパのウマ娘を恐れおののかせた、“メンチを切る”行動は、一人の弱り果てたウマ娘を、動けなくするのには、十分だった。

 

「…………ッ!」

 

 それでも、グラスワンダーは、“彼女”の手に、必死に力を込める。だが……

 

「…………よっわ…」

 

 それだけだった。“彼女”は握り返さなかった。彼女は自ら手は下さない。これもあくまで、あの宝塚記念の時同様、グラスワンダーの行動を通じた結果で、帰結させようとしているのだ。

 

 合法的にやるのは、今も昔も、彼女のポリシーなのだ。

 

「………ッ……ッ………!」

 

 その時、グラスワンダーの胸に、針で刺すような痛みが走った。

 

「……………」

 

 それでも“彼女”は、睨み続けることをやめない。

 

「…………………ス…ぺ……ん……キ……ングちゃ……ツル……ん…セ……ちゃ…ん…」

 

  グラスワンダーは必死で、旧友の名前を呼ぶ。

 

 “彼女”は眉一つ動かさず、それを見つめていた。

 

「…エ………ル………」

 

 やがて、グラスワンダーは動かなくなった。

 

 “彼女”は、グラスワンダーの脈がなくなったことを確認する。

 

「我らに生命と恵みをもたらす、山よ、水よ、森よ、どうか、この、岩穿ち、屈強なる異教徒の魂に、そよ風、漣、葉擦りの中での、しばしの安らぎを…………永き旅路…」

 

 そして、見送りの言葉を贈り、部屋を出た。

 

「見送ってきたよ」

「分かりましたわ……永き旅路」

 

 アサヒクリークは異教徒であるが、簡素に見送りの言葉を述べ…

 

「……旦那さん!ロマンさん!奥様が…!」

 

 グラスワンダーの夫とビッグロマンスを呼びに行った。

 

「グラス!グラス!」

「…お母さん!」

「……」

 

 夫はグラスワンダーの手を取り、脈を見て、ビッグロマンスの方を見て、首を横に振った。

 

「……妻は……最後に……何を……」

「……奥様は、ロマンさんの思い出を語った後、私の目を見て、手を強く握って下さいました……………」

 

 “彼女”は嘘は言っていない。

 

「お母さん!お母さん!」

「……お悔やみ申し上げます」

「…奥様のご冥福を、お祈り申し上げますわ…」

 

 グラスワンダーの夫とビッグロマンス…

 

 その2人に向けて、“彼女”とアサヒクリークは、頭を下げて、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 帰りの車内、私達は渋滞に捕まっていた。

 

「悪かったね、あんな事に付き合わせて」

 

 “彼女”は、アサヒクリークに謝った。

 

「いえいえ、決して貴方が、彼女を直接殺めたわけではありませんもの」

 

 一方のアサヒクリークは、ほとんど気にしていないような様子である。彼女は、共に働く中で“彼女”に影響を与えるとともに、自らも影響を受けていた。彼女自身も、貪欲かつ、ルールの範疇で、勝利を追い求めるということに、磨きをかけていったのである。

 

「…結局、彼女は何も変わって居ませんでしたわ。世の中全てが、良い人間、手を取り合える人間で、構成されている訳ではないのですから…」

 

 当然の言葉であった。

 

 “彼女”との日々を過ごすと同時に、アサヒクリークは苦労もしていた。ある時は上層部の方針に振り回され、またある時は戦争による物価高や災害に起因するトラブルに見舞われるなど……である。

 

 そして、それらの経験を通じ、世の中話し合いや綺麗事では解決が不可能な事があるということを、痛感させられていたからである。

 

「……………地方と中央が手を取り合う……確かに、あり得たかもしれません。ですがそれは小説や漫画での話…」

「そんな淡い期待に、乗せられる者など、愚か……だね?」

 

 そして、そんな苦労も共に経験してきた“彼女”は、アサヒクリークの発言を先読みした。

 

「ええ、グラスワンダーの最後……まるで、白梅賞の時の、スペシャルウィークのようでしたわ、未来だけを見て、周りを見ない………黄金の輝きも、随分と鈍ってしまったものです」

 

 だが、アサヒクリークは、“彼女”同様、黄金世代について、高く評価をしている部分はあった。それだけに、今日のグラスワンダーの言動には、失望に近いものを感じたのである。

 

「……まあ、良いですわ、とりあえず、中央を支えた柱の一本が喪われたのです。こちらとしては、ようやく、世代交代の準備が進められますわ」

「そうだね、私達みたいな古い人間が、ずーっと居座ってるのは、良くない。まだ、もう少しは掛かるだろうけど、これからやるのは、引き継ぎと基盤の確認だね」

「ええ、それが終わったら、弟と私の夫には悪いですが、二人で何処か旅行にでも行きましょう」

「良いね」 

「では、まず、安全運転で帰らないといけませんわね」

 

 グラスワンダーの死を経て、改めてやるべきことを確認した“彼女”とアサヒクリーク。そんな二人は、今後の事に期待を寄せながら、前へと進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、グラスワンダーの死から数年後、“彼女”とアサヒクリークは、名古屋トレセン学園の職を辞して隠居した。

 

 彼女ら2人が残したもの、それは数多あるだろう。

 

 それ故、街行く人に聞こうとすれば、その答えは千差万別だった。

 

 だが、次の2つのどちらかは、どの人々の口から、必ず出てきたのだった。

 

 それは…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “大きく成長した地方”

 

 と

 

 “数ある中の一勢力となった中央”

 

 だった。

 

 “皇帝の治めたる学園(カイザーライヒ)

 

 の姿は、どこにもなかった。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 





 
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使用曲は、第二次世界大戦の後に東ドイツで演奏されるようになったロシア民謡の「カチューシャ」です。
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