カードを片手に開けゴマ   作:久本誠一

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また遊戯王二次創作の世界に戻ってきました。
まだまだ現役プレイヤー、なるたけいろんなデッキが出せるように今作も頑張ります。


1,図書館とプリンセス

 ―――――集合知は、私に何も答えてくれない。

 

 いつからだったろう、私が人と違うんだと確信したのは。きっかけは、本当に些細なことだったはずだ。うんと小さい頃、近所の友達数人と遊びに行こうとして。待ち合わせの公園の名前を聞いて。そこはどこ、と聞いたのが、全ての始まりだった。

 

「何言ってるの、ひーちゃん?そんなの、聞いてみればいいじゃない」

 

 何を言っているのかわからない。そんな沈黙ののち、おずおずと聞き返される。聞いてみるといっても近くに自分たち以外の人影はなく、そもそもだからこそこうして友人たちに問うているのだ。

 しかしそう言っても、彼女たちの困惑は増すばかりで。

 

「……?」

 

 おかしいのは……私、なのだろうか。強い違和感に引っ張られながらも、子供心にこの話をこれ以上広げるのはまずいと察し、その場は適当に話を合わせて誤魔化した。みんなで行く公園なんて、後ろをついていけばたどり着ける。

 しかしその日を皮切りに、私を取り巻く世界と私のずれはゆっくりと着実に、そして不可逆的に大きくなり続けた。誰も知るはずもないことについてさも周知の事実のように繰り広げられる会話、リアルタイムで更新されていく最新情報。後ろをついていこうとしても、到底追い切れない。何かがおかしい。その理由に気づけないままに焦りばかりが増していき、会話は次第に噛み合わなくなっていき。次第に話しかけられなくなり、遊びにも誘われなくなり、そして距離を置かれはじめ。それが一線を越えて明確な拒絶へと変化するのは、あっという間だった。子供は残酷だ。人間が一番怖い、と並び使い古されてカビの生えたフレーズではあるが、そう最初に言い出したのは一体誰だろう。

 もっともその頃には、私もその理由を理解していた。なんてことはない、小学校で習う程度の歴史ですら大々的に取り上げられる話だからだ。

 

「……集合知」

 

 口からは決して出すことなく、忌々しく煩わしいその名をそっと舌の上で転がす。不用意に声を出したところで、悪目立ちするだけだ。集合知に見放された、私のような女の場合は特に。カーテンをなびかせ飛び込んできた風につられてふと目をやった教室の窓の外には、気持ちよく晴れ渡った青空の領土を我が物顔で無粋に占拠する巨大な塔が見えた。

 あれこそが、集合知。かれこれ80年ほど前に確立された脳科学だか電子工学だか、とにかくすっごい科学技術の結晶。あれの設立以降にこの地球上に生まれた全人類には早ければ胎児の段階で脳内にチップが埋め込まれ、脳が成長するに従ってそこから発生する電気信号を0と1の数列に変換し塔の中央、巨大なメインコンピューターに送りつけその全てを蓄積する。そしてチップ所有者は同じくチップを持つ全ての知識に対し自在にアクセスすることが可能となり、つまり言い換えれば全人類の知識を並列的に保有することができる。80年前のプロジェクト立ち上げの際には世界中で反対運動が巻き起こったというから、少なくとも昔の人権団体はもう少し頭の中身も倫理観もまともなのが揃っていたのだろう。きっと大卒だ。

 しかしそんな大卒の人権団体たちの頑張りも虚しく……小学校の社会の先生によれば『科学の勝利と発展』らしいが、ともかく結果はご覧の通りだ。既にチップの有無による過渡期を経て世代交代もほぼ終わり、いまやよほどのご老体を除き世界中の人間が頭にチップを持っている。知識量の差による困窮はもはや過去のものとなり、私たちがこうして小中高と学校に通っているのも学習ではなく集団生活による人間関係の構築を学ばせるという意味合いの方が大きい。嗚呼素晴らしきかな文明生活、集合知様万々歳。

 

 もっともそれも全て、私以外は、の冠詞を付ければの話だ。

 無論私の頭にも、それは埋め込まれている。町内の決まりや日本人の権利といったレベルの話ではなく、これは今の時代に生まれてきてしまった人類である以上絶対の義務でありそこに自由意思が入る余地はない。今日もおそらくこのチップは私の今日得た知識に情報……購買の自販機にあったイチゴミルクの最後の1個の購入者が私であることや、偶然見えた数学教師の携帯の待ち受け画像が娘の寝顔であることなんかを元気に垂れ流しているのだろう。

 だが私にとってのそれは知識を得る見返りとしての情報提供ではなく、一方的な搾取でしかない。

 

 私は、集合知から見放された女。生まれてこの方なにをどれだけ問うたところで一切の答えが返ってこない、イレギュラー中のイレギュラー。それに初めて気がついたころから幾度となく、もはや自分ですら外から見える自分の顔よりも文字通りに一皮むいた骨格の方が馴染みがあるのではないかと錯覚しそうになるほどあちこちの病院で脳をスキャンされ、チップは正常に稼働していますとの判で押したようなお墨付きを受け、それでもなお一切の答えを聞くことができていない。チップ自体が生きているおかげで内蔵登録された住民情報や身分証明の読み取りが問題なく使えるのは、せめてもの救いというべきか。それにしたって原因不明、利点は無し。欠点、腐るほど。

 

「はーい、じゃあ授業終わりだぞー」

 

 例えばそう、こうしてチャイムが鳴ることで今日の授業がすべて終わり。もはやいじめや嫌がらせといった扱いすらもとうの昔に過ぎ去り、そこに「いない」者となった私に話しかけるような酔狂はいない。喋る猿を見ていて楽しいのは、それがテレビ越しだからだ。実際に生きて近くに寄られたら、いつしかその反応は無視の一択に固定化される。関わりたくないのだろう、だって人間として生きるための最低限の条件すらも、私は満たしていないのだから。そのくせ遠巻きにいつも何かにつけて視線を向け、いつアレ(・・)が何かやるかと期待半分恐怖と好奇心がそれぞれ4分の1といった割合で一挙手一投足を覗かれる。いきなり机の上で逆立ちでもしてやりたい誘惑にもほんの少しだけかられるが、スカート指定の学生服でそんな真似をしてやるほど私はお優しくはないので我慢。もっとも私が「人間様」の欲情相手に足るほどの存在かどうかは疑問が残るのだが。

 まあ、百歩譲ってそれだけならまだいい。いや別によくはないのだが結局のところは慣れだし、どれほど鬱陶しかろうとも視線が物理的に人を殺す力はない。目からビームでも出るというなら話は別だが、それとも世界には私が知らないだけでそんな変人がいるのだろうかちょっと教えて集合知、ああ無視ですかそうですか。コミニュケーション……あれ、コミュニケーションだっけ?ともかく15年の生涯のうち3分の2以上をその能力と無縁の状態で生きてきたのだから、今更話しかけられたりしてもむしろそちらの方が困る。

 ああ、また話が逸れた。戻して戻して閑話休題。この体質だか性質だかのせいで、一番困る事例が目の前に迫ってきている。

 

「へえ、君、学生?結構かわいーじゃん。俺がいることわかっててこっちの道来たってことは、脈ありってことでいいんだよねえ?」

 

 にやにやと緩んだ笑みを浮かべ視線を胸元と腰回りに固定して近寄ってくる、本来の髪色の上から強制的に染められたであろう金髪の男。こちらへ近寄るたびに、ピアスから垂れた鎖がチャラチャラとまさに本人の素性を体現したかのような音を立てて非常にうるさい。舌打ちしたいのをどうにか堪えなるべく刺激しないように後ろにゆっくりと下がるも、まあ間に合いはしないだろう。

 そう、これが心底迷惑なのだ。この手の一般市民として、いち女性として絶対に関わり合いになりたくないような輩も、集合知にかかれば『この付近にこんなのがいた』と素顔や名前といったある程度の個人情報は強制的にフィルターがかかりぼかされたうえで引き出すことができる……らしい。それを参考に通るルートを調節することでこういった、あってないような(どころかマイナス方面に振りきれている)ご自身の魅力で落とせなければ大層大層ご自慢の暴力による交渉も辞さない万年発情ナンパ野郎にも出会うことなく安全にお天道様の下を歩くことが可能となる。薄々おかしいとは思っていたが、この時間帯にしては妙に人通りが少ないことに対しもっと警戒すべきだった。

 これの何が私にとって厄介かというと、この男も言う通り裏を返せばわざわざそんな道を若い女性が出歩くイコールお誘い待ち、の構図ができあがってしまっていることにある。そして無論、この手の男は私の趣味ではない。どう追い払おうかと思案しているうちに、すっかり壁を背に追い込まれていた。この男の情報はとうに集合知に出回っているため、あたりの人通りは期待できそうにない。

 

「いやあ嬉しいなあ、あ、俺のことはハルって呼んでよ」

 

 知ったことかチャラ男。腕を掴もうとするな汚い。そして私は泣きたい、というフレーズが続けて頭に浮かんだが、別に泣くほどではなく嘘は良くないので却下。そもそもどれだけうまいことを思いついたところで、それを伝える相手はいないのだ。この男なら目の前にいるが、こんなの相手に私のエスプリをくれてやるのはあまりにも惜しい。だったらまだ、その辺のカラス相手にでも喋ってやる方が遥かにいいに決まってる。

 

「まあまあちょっと飯でも一緒してさあ、まずはゆっくり俺たちお互いのことをよく知ろうぜぇ?俺が奢るからさ、いい店知ってんだよ」

「結構です、急いでますので」

「おお、クールでカッコいいー!でもでも、俺に会いたくてここを歩いててくれたんだよね?俺ほんっと嬉しいんだよ、君みたいな可愛い子とここで出会えてさあ。もう運命ーって奴?」

 

 ……本当に、これだから!「疑うべくもない大前提」として私がこの男に対し脈があるという自信を元にぐいぐい来られるものだから、呪詛でも吐瀉物でも吐き出せるものは全て吐きたくなるほどに鬱陶しい。面倒臭い。

 そ、その時だ。

 

「あれー……?集合知に警戒情報出てるし、まさかこっちの方にいるわけ……あの人、あんまりそういうのがタイプには見えなかったんだけど……でも茶色のポニーテールなんてって、平間さん!」

「ああん?」

 

 場違いなほどに明るい、人の良さそうな。田舎から家族のためにと、あるいは大志を抱いて上京して速攻で食い物にされる様が目に浮かぶ、善性の塊のテンプレートをそのまま形にしたような声。それは別に勝手にすくすく育ってくれればいいのだが、それが私の苗字を呼んでいるというのはあからさまに異常だ。私の名を知る者は皆して私を勝手に下に見て、そのくせどこか畏れるような目を向ける。そんな声の出せる人間など、間違っても存在するわけがない。

 ない、のだが。その声に相応しい良く言えば人畜無害な、悪く言えばなよっとした垂れ目で黒髪の少年は、私の方をまっすぐに見てぱたぱたとこちらに近づいてきた。なるほどなるほど、このチャラ男が不愉快にも私の一族と同じ苗字を持ち合わせているという可能性は幸いにも潰えたらしく何よりだ。それに茶色のポニーテールといえば、私のトレードマークでもある。

 ……しかしこの男、誰だ?恰好は間違いない、あれは間違いなく私の学校の男子用制服だ。特定材料、終わり。一方で「女と出会えた」というただ一点のみで成功確実半歩手前まできていたナンパに水を差されたチャラ男の方はどうかといえば、露骨に不機嫌そうな舌打ちを漏らしながらチャラチャラと威嚇するように鎖を鳴らす。いや単に振り返っただけなのだが、しかし逐一やかましい。そもそも仮にも狙いの女性の前でこの露骨な態度はいただけないな、減点を重ねに重ねてのオーバーフロー、上方向への好感度カンストでも狙っているのだと言われれば思わず信じそうになってしまう。鼻で笑いながら。

 

「えっと……平間さん、もしかしてお邪魔だった、かな」

 

 近寄ってきたはいいがそこから先はノープランだったのかチャラ男を見上げ、次いで困り顔で私の顔を見比べる知らない顔の学生。だが私が答えるより先に、よほどこの乱入にご立腹らしいチャラ男が待ったをかけた。乱暴にその腕を掴み、身長差を活かしてねじり上げる。

 

「おいおい兄ちゃん、オメーも学生かぁ?今俺たちは忙しーぃんだよ、ガキは帰っ……て!?」

「す、すみません!これだけ聞いたら、すぐにどきますので!それで平間さん、どうなのかな?」

「……!」

 

 返事も忘れたのは、私が無礼な女だからではない。そんなことすら忘れるほどに、目の前の光景に興味をそそられたのだ。なるほど、いささか自画自賛気味ではあるが私でなければ今起きたことは目にも止めなかったろう。だが、この10年以上他者とまともに触れ合う経験の無さを埋め合わせるために、そしてリアルタイムで開いていき孤立を深めるだけだった足りない知識の差を周囲から少しでも吸収するために人間観察に血道を上げてきた私の目は誤魔化せない。

 今苦しんでいるのは、脂汗を垂らしているこのチャラ男の方だ。その腕は今も学生の腕をねじり上げる形になってはいるが、もはやまるで力が入っていない。弱々しく抵抗するかのように学生がチャラ男の腕を掴んでいる、ただ添えられているようなその手にはよく見ると万力のような力が込められている。困ったような笑みは変わらず……いや困っているのは本当なのだろう、明らかに素人にできる芸当ではない握力でチャラ男の腕の方が締めあげられている。それも本人にとってはハエでも払うような、なんてことない調子のままに。

 

「えっと、平間さん……?」

「あ、ああ」

 

 そこでようやく我に返ると、相も変わらず笑みを絶やさない学生と……あとついでに先ほどまでの威勢はどこへやら、泣きそうな顔で目で必死に何かを訴えかけるチャラ男と目が合った。

 ああ、これはあれか。私が答えるまで離す気はないな。チャラ男の肩など持つ気はないが、それを咄嗟に見抜いて自分が助かる一番高い可能性である私に真っ先に恥も外聞もなく助けを求めようとする生存本能の高さには好感度1点をあげよう。男らしさがどうこうというカビどころか使い古されすぎて捨てられたあげく誰からも顧みられなくなり苔まで生えて自然に還った概念を口にする気はないが、それはそれとして仮にも私らよりも年上の人間として情けない姿ではあるのでマイナス11点ぐらいもセットで付けておくが。

 とはいえ、この私に用があるらしい学生の方には少しばかり興味が湧いたのも事実。

 

「少しこの人と用があるので、もう諦めてもらっていいですか?」

 

 一応お義理ですみません、と最後に付け加えてやると、助かったとばかりにぶんぶんと首を縦に振るチャラ男。言外に込めたもう話してやれ、という意味を学生も読み取ってくれたのかあるいはもう飽きたのか、ぱっとその手を離すと捨て台詞もそこそこにすぐさま小走りで立ち去っていった。

 

「はぁ……都会は変な人が多いって爺ちゃんも婆ちゃんも言ってたけど、本当だぁ」

 

 なんだかおかしなような、いの一番に自分が抱いたイメージぴったりなような。いずれにせよどこかズレた感想で逃げていくチャラ男の背中と次第に遠ざかるチャラチャラチャラチャラと鬱陶しい鎖の音を見送る学生。さて、となると次は私の番。

 

「えっと、何?それと、誰?あ、一応お礼は言っておく、けど」

 

 あー、駄目だ駄目だ駄目だ。人間相手の会話なんてもう随分と久しいから(チャラ男?あの手の輩はチャラ男という新生物であって人間扱いする気はない)、いざ口を開いたら文法もぐっちゃぐちゃだし言い方そのものも恐ろしくつっけんどんになってしまった。別に私は世間の風当たりこそ一方的に冷たいものの、私自身が冷たい女であるという自負はない。もう少し柔らかい言い方をするべきところだろう、しっかりしろ平間遊雪(ゆき)

 こちらに向き直った学生の笑みが相変わらず柔らかいものであって、幾分かほっとする。

 

「えっと、僕は有馬(ありば)弾道(だんどう)っていって……一応君のクラスメイトなんだ、けど」

 

 前言撤回。どうやら私は随分と冷たい女だったらしい。クラスメイト。クラスメイト?言われてしげしげとその顔を眺めるが、やはり記憶のどこにも一致するところがない。いくら無関係な奴らの集まりの、良くも悪くもそう特筆すべき点がある顔でもない男とはいえ、全く見覚えがないだと?

 どうも解せないので改めてその顔をじっと見て、この網膜に映るものと脳内に残る映像記録の中でも学校に関する部分をひっくり返して洗い出す作業にかかる。

 

「あ、あのー……?その、そんな睨まれると」

 

 が、どうやらそれがこの学生にとっては居心地の悪いものだったらしい。なんだ視線ぐらいで軟弱な、いやこれに関してはさすがに私の方がおかしいのか。

 

「あ……すまない」

「い、いや!それにクラスメイトって言っても初対面だよ、僕は今日からこっちの学校に転校してきて、ホームルーム前に平間さん帰っちゃうから」

「それを早く言ってくれ!」

 

 そして私の手間と努力、最後にほんのわずかに振りかけ火を通した隠し味の罪悪感を返せ。怒鳴りつけてやりたいのは山々だったが、ここで激情に身を任すのはいささか、というかあまりにも子供じみた振る舞いだし、それにそうだとすると気になることもある。結局理性と好奇心が勝り、何とはなしに納得のいかない部分もぐっと飲み込んでぐっと堪える。

 

「それで、その。何をしに、私に?」

「あー、うん。いや、別に大したことじゃないんだけど!ホームルームで先生がプリント配ってたから、挨拶ついでに届けてあげようって」

 

 屈託のない笑顔で差し出された紙切れ。ここまで、学校から私の足で徒歩15分ほど。それをこんな、明日にでも適当に回収しておけばいいようなものをわざわざ届けるために?それが本当だとすれば、今どきよいこのむかしばなし(昔話ではなくむかしばなしだ、対象年齢を考慮すると)でしか見ないようなお人よしである。声だけ聞いたときの第一印象だった上京がどうこう以前に、むしろこの年までよくぞその感性を保てたものだと呆れ混じりの感心が湧き上がってくる。

 ……そして同時に思い返すのは、遠い遠い記憶。かつては私にも、こんな風に真っすぐ声を掛けてくれる友がいて……。

 そこで現実に引き戻り、記憶をすべて塗り潰す。何も見えない、聞こえない、よし完璧。おそらくはこの有馬とやらも、私のことを何も知らないからこそこんな態度が取れるのだろう。それはそれであまりにも情報収集と危機管理能力が欠けている振舞いだが、まあ仮にも助けられた恩もある。なるべく早いうちに、私が思い出したこの現実を教えてやるとしよう。

 

「はい。これからよろしくね、平間さん」

「これは貰う。礼も言う。でも、私のことを聞いていないの?私は……」

 

 相も変わらず嫌気がさすほどに挙動不審なぶつ切り話法でどうにか言葉を紡ぎながら差し出されたプリントを掴んだ、その瞬間。ここで、全ての運命は大きく傾いた。時計の針は動き出し、天秤の皿に砂が降り注ぎ始める。もし、もしもこの瞬間がなかったならば私は、私たちは。一体、どうなっていたのだろう。

 しかしそんな疑問に意味はなく、そしてこの瞬間の私たちが知る由もなく。そもそも何が起きたかなんて、言葉にすればなんてことはない。手を伸ばした際にほんのわずかに体の軸がぶれ、ふ、と前方に倒れそうになっただけ。

 そして私の手が、反射的に受け止めようとしてくれたのだろう有馬の手をついと掠めた、その瞬間。雷に打たれたような衝撃が、私の全身に響いた。視界が白く染まり、耳が遠くなり、触覚もあるのかないのかわからない。あらゆる方向から押し寄せる情報量が多すぎて、私の脳が何ひとつ処理しきれていない。わけもわからない感覚に、頭を抱えてその場にうずくまる。

 

「今の……は……」

 

 ほんの刹那のうちに終わったその衝撃は、目の前の有馬も感じていたらしい。先に立ち直ったらしいあちらから無言の驚愕の気配が伝わってくるのにつられ、そっと顔を上げる。

 

「え?」

 

 今の今まで私たちがいたのは人通りこそ絶えていたもののよく晴れた、景観を損ねる集合知の塔を背後に見るごく普通の一般道だったはずだ。何度も通い慣れた、いつも通りの通学路。だが、今はどうだ。目の前にあるのは、大人の背丈よりも巨大で重そうな木製の扉。それ以外には、何もない。足元に地面はあるが、コンクリートではなくむき出しの土のひんやりとした感触が靴越しに伝わってくる。そしてそれがなおさらに、この光景が現実であると言葉なく伝えてくる。

 

「平間さん、これ……夢じゃない、よね?」

「同じものを、見ているなら……?」

 

 何が何だかわからない、そんな感情がたっぷりと込められた声。私も全く同感だ、さすがにこれは意味がわからない。わからないなりに唯一その場にあるもの、両開きの扉へと覚悟を決めて手を伸ばす。これでこの唯一の通路が使えなければ早くも積みなのだが、幸か不幸か手を触れるか触れないかのうちに扉はあっさりと開いた。重さどころか触れた感触すらほとんど感じず、むしろ扉の側から進んで私たちに道を開けたかのように。

 

「行ってみる……しかないよね」

「話が早い、何より」

 

 あの異様な握力についてはさておきその他の言動を見る限りもう少しごねられるかと思ったが、意外とすんなりと覚悟を決めたらしい有馬がさりげなく私の前に立って歩きだす。古ぼけて見当違いな騎士道精神ではあるけれど、この異常な(まともではない)事態の最中で同じく異常な(けっかんひんの)連れに対する行動として見上げた覚悟であることは間違いない。のだが、またしてもこんな言い方しかできないのか私は。どうやら私が思っていた以上に、長い長いぼっち生活がもたらした影響は深刻だったらしい。

 それはさておき扉の中に広がっていたのは、一面の本棚だった。しんと静まり返った空気の中、どこまでも一定の間隔で書架が立ち並ぶ広い空間。色とりどりの整頓された本がびっしりと並ぶ棚はどこまでも続き、決して暗いわけでもない室内はその果てが見えない。

 

「図書館?」

 

 通路をそろそろと歩きながらなんとなく連想した、かつての記録で見たことのある施設の名を呟く。集合知が生まれる以前は当たり前にあったという、私たちの世代が生まれる遥か前にはすでに消え去っていた前時代の遺物。集合知の力を使えば脳に直接リアルタイムで最新情報が流し込めるのだから、1分1秒と記されたことが型遅れになっていく本という媒体を、ましてそれをかき集めたその施設を、人類はいともあっさりと見限ったという。今でも学校などで教科書が使われているのは識字率の低下を防ぐためや印刷業界の雇用を守るという建前の下、形骸化したシステムが今も続いているだけのことである。そういった、辛うじて見逃された特殊な例を除く大部分は瞬く間に廃れ、細々と続いていた抵抗勢力も世代交代による寿命を迎えたことでひっそりと歴史の影に消えていった……だから私自身それを見たことはなかったが、もし現存していればそれは、まさに私のためにあるような施設だとよく考えていた。だから、これだけ世の中に擦れた(自覚はある。私は自分を客観視できるので)今でもすぐに思い出せたのだ。

 

「図書館、ねえ。ま、いいんじゃない?間違っちゃいないわよ」

「「っ!?」」

 

 先ほどまで、気配すら感じなかったはずの方向から。どこか気だるげな女性の声に、有馬共々ビクリと肩を強張らせて振り返る。本棚と本棚の間から出てきた女は明らかに私たちよりも頭一つ高い身長や大人びたスタイルを持ち、先ほどのチャラ男とは違い地毛なのだろうと一目でわかる綺麗な金髪で。右目が隠れるように伸びたショートヘアの、露出した左目には今時珍しい紅葉のように赤い片眼鏡を取り付けていた。

 

「えー、えっと、勝手にお邪魔して……」

「いいえ、君たちが勝手に入ってきたんじゃないわ。そっちのお嬢さん、『扉』ね。君と『鍵』……そこの坊や、君が出会った。だから、ここの入り口が開いたの。でなきゃ、ここは開かれないもの」

 

 口元に微笑みをたたえながら、扉と言いつつ私、鍵と言いつつ有馬をゆっくりとその白く長い指で指し示す女。

 

「それにしても、君たちが今代の『扉』と『鍵』?ふふっ、随分若い子たちね」

「あなた、なんなんです」

 

 やっと口から出せたのは、我ながら硬い声だった。しかも言葉足らずな。しかし、しかしである。15年の生涯のうち10年以上を碌に人と会話せず過ごしてきた私のような筋金入りが、この短期間で急に2人もこの私という存在向けて喋りかけてくる知的生命体と向き合わされているのだ。これは私の主観的に見ても信じられないほどの異常かつ偉業であり、客観的に見てもそもそもこれだけ喋れていることそのものが褒められてしかるべきだろう。

 そして女はといえば、そんな私の鼓舞など当然知る由もなく。ほんのわずかに小首をかしげ(そういった細かな仕草のひとつひとつが、同性である私目線から見ても様になっている。なんだか癪だ)、こちらの心の中を見透かすような目で覗き込んだのち、ゆっくりと吐息と共に口を開いた。

 

「そうねえ、その疑問はもっともだわ。だけど、まだちょっと答えられないかな?君は、それからそこの君も。見たところ『扉』と『鍵』の素質はあるけれど、まだそれが完全に目覚めるかはわからない。もし駄目だった場合、ここで説明しても全部忘れてここから出て行って、それでおしまい。もっとも、その方がある意味では幸せかもしれないけどね」

 

 そこで響く、かすかな機械音。ふと気が付けば、女の腕にはいつのまにか起動済みのデュエルディスクが装着されていた。たった今までそんなもの、間違いなく存在しなかったのに。淡い微笑みはそのままだというのに、どこか有無を言わせない口調で女が私を呼ぶ。

 

「えっと、平間遊雪さん、ね。こんなの身勝手な言い方になっちゃうし君の気持ちはわかるけど、焦っちゃだめよ」

「今、平間さんの名前を……?」

「君のこともよ、有馬弾道君。君たちの疑問は全部、まずこれが終わってから考えること。それと……」

 

 女がどこからともなく取り出した1枚のカードを、なぜかこちらに鋭く飛ばしてきた。辛うじて体に刺さる前に指2本でつまんで止めたそのカードは、当然というべきかデュエルモンスターズの1枚で。反射的に表向きにひっくり返して、なんだこれはと瞬きする。どれほど混乱していてもそこは悲しきデュエリストの性か、反射的にカードが気になったらしくいつの間にか近づいてきた有馬が後ろから覗き込む。

 

「エラーカード?」

 

 ああ、そう。まさにそれだ。裏面こそごく普通のカードだが、表側にはイラストも、効果も、それどころか枠の色すらない。完全に白紙のそれに怪訝そうな顔をする私たちに、何がおかしいのかクスクスと女が笑う。

 

「それは、私からの気持ちよ。この試験に付き合ってもらう君への前払いと、同時に試験の中身。君がもし『扉』として目覚められるなら、今は眠っているそのカードがきっと応えてくれる。でも駄目だったら、この話はここでおしまい。勝っても負けてもお家には返してあげるから、今回は私に付き合ってね」

 

 ふざけるなと叩き返したい……とは、不思議と思わなかった。それにこの女は少なくとも、今の私には見当もつかないこの図書館からの脱出方法を知っている。それに関しては嘘じゃないと、私の直感が告げていた。なぜそこまでしてデュエルをご所望なのかはわからないが、それで気が晴れるというのならばたった1戦。それで済むなら安いものだと、鞄から女性用として従来品より小型化、軽量化されたデュエルディスクを取り出して装着する。女の付けているものは、あのごつごつした見た目からしてかなり古い仕様のもののようだ。

 

 

「「デュエル!」」

 

 手札を5枚引き。ゆっくりと息を吸い、雑念と共にゆっくりと吐く。カードはいい。いくらでもいる生きた人間と違って、私を馬鹿にしない。蔑まない。物言わぬ1枚1枚から構築されたこの40枚と15枚は、私に残された最後の砦だ。

 

「じゃあ、先攻は私から。手札のモンスター、天威龍-マニラを捨てて魔法カード、ワン・フォー・ワンを発動。デッキからレベル1モンスター、プロンプトホーンを特殊召喚」

 

 先攻を取った女が繰り出したのは、いきなりの展開用魔法カード。コストに見合った強力なリクルート効果に誘われて、手近な本棚の隙間から機械の手足を持つウサギほどの大きさの小動物が飛び出した。

 

 プロンプトホーン 守400

 

「そして、レベル4のRAMクラウダーを通常召喚」

 

 プロンプトホーンの放つモスキート音に誘われてか、同じく機械の手足をむき出しにした羊型ロボットがのっそりと近寄ってくる。これでサイバース族モンスターが、2体。

 

 RAMクラウダ― 攻1800

 

「だけど平間さん、あのモンスターの効果は……」

「プロンプトホーンの効果発動。私のレベル4以下のサイバース族をリリースし、デッキか墓地からそのレベルの合計値が等しくなるようにサイバース族通常モンスターを特殊召喚するわね。そうねえ、まずは最初だし、これでいきましょうか」

 

 何か言おうとした有馬を制すように片眼鏡を片手で直し、盤面へと合図を送る女。それに反応してRAMクラウダーの背に飛び乗ったプロンプトホーンの前足がかすかな電子音と共にバリカンへと変形し、おもむろに羊の毛へと飛びついた。毛の切れ端と共に立ち込めた埃で一時的に何も見えなくなり、すぐにまた視界が晴れる。そこにいたのは大量の毛からなる海の中心で佇む、機械的な表皮を全面に押し出した銀の獅子。

 

「レベル4モンスター、ライドロンを特殊召喚」

 

 ライドロン 攻2000

 

「カードを2枚セットして、ターンエンド。さあ、お手並み拝見よ」

「さっきからずっと、試験とか、お手並み拝見とか。その上から目線、気に入らない」

 

 途中で危うくつっかえそうになりながらも、どうにか啖呵を切る。帰ったら発声練習の方法でも調べてみようと心に誓い、手札を1枚引く。まず、盤面の再確認。プロンプトホーンはいいとして、まず重要なのがライドロン。攻撃力2000の通常モンスターではあるが、あの女は最初のワン・フォー・ワンで抜け目なく天威龍のカードを墓地に送っていた。あのシリーズは全6属性を持ちそれぞれが主に効果を持たないモンスターをサポートする使い切りの能力を備えているけれど、今考えるべき炎属性のアニマは対象を取る効果を無効にして破壊することができる。

 なら、それ以外の方法でライドロンを片付けてしまえばいい。

 

「永続魔法、発動。人形の幸福」

「お人形さん……それが君のデッキなのね」

 

 巨大な城とドール・モンスター、そしてイラストの左側がぽっかりと空いた(・・・・・・・・・・・・・・・・)殺風景な印象すら抱く永続魔法。その効果を知っているらしい女の声に反射的にきっと睨みつけるが、彼女の言葉に私を揶揄するような響きはないことは自分でもよくわかっていた。それでもかわいらしい人形なんて似合わないのは、私が一番よく知っている。そういうのは、もっと適任がいくらでもいるだろう。

 でも、私はこのデッキを手放せなかったのだ。

 

「発動時、デッキからおもちゃ箱を手札に加えて、そのまま次の効果を。手札か場のモンスターを破壊して、ドール・モンスター1体をデッキから墓地に」

 

 たった今手札に加えたばかりのおもちゃ箱を墓地へと叩きこみ、一拍遅れてデッキから弾き出されたドール・モンスター 熊っちのカードを見せてからさらに墓地へと送る。さあ、ここからが私のデッキの戦いだ。落として落として、それはただのデッキ圧縮だけでは終わらない。おもちゃは散らかすものではなく、遊ぶものだ。

 

「破壊されて墓地に送られた、おもちゃ箱。効果で攻撃力か守備力が0の、通常モンスターを守備表示で2体特殊召喚!」

 

 私の前に現れた綺麗なリボンで包装された巨大な箱が、勢いよく内側から開く。飛び出てきたのは金髪ロングに碧眼な女の子の人形と、ゆらゆら揺らめく青い虎のぬいぐるみ。

 

 ドール・モンスター ガールちゃん 守0

 魂虎(ソウル・タイガー) 守2100

 

「私の場に2体揃った、レベル4モンスター。ガールちゃんと虎でオーバーレイ」

 

 オーバーレイ。それは、出番を待つエクシーズモンスターをこの盤面へと呼び出すための符丁。基本的に(あくまで基本的に、だ)同レベルのモンスターを規定の数だけ場に揃え、それを素材としてエクストラデッキからモンスターを呼び出す御業。おもちゃ箱の効果を利用して様々なモンスターに繋げる私のデッキには、この場面から呼び出せるモンスターが何体かいる。そして今回私が選んだのは、この1枚。

 

「―――――ダイガスタ・エメラル!」

「ふーん……?エメラル、ね」

 

 意味深にその名を繰り返す女だが、知ったことではない。全身に緑の宝玉の力と風の紋様を纏う翼の生えた戦士が、本棚の隙間に翠緑の風を通して紙の匂いを運ぶ。個人的にはこの匂いも決して嫌いではないが、何か妙だ。埃が舞ったわけでもないのに、視界が全体的にぼやけて見える。その違和感を先に形にしたのは、横で見ていた有馬の方だった。

 

「周りに、霧が……?」

「おもちゃ箱からお人形さんが出てきたタイミングで、少し手を打たせてもらったわ。通常トラップ、メタバース。この効果でデッキから直接フィールド魔法、天威無崩の地を発動。この効果で私のライドロンはモンスター効果を受け付けなくなって、さらに効果モンスター以外のモンスターを私がコントロールしている状態で相手が効果モンスターを特殊召喚した時、1ターンに1度だけカードを2枚ドローできるわ。ダイガスタ・エメラル、効果モンスターね?」

 

 ダイガスタ・エメラル 攻1800(2)

 

「く……でも、もう邪魔はされない。ダイガスタ・エメラルの効果。エクシーズ素材1つを墓地に送り効果を持たない私のモンスター1体を蘇生する、エメラルドリザレクション!」

 

 その両手の小型盾を掲げると、小型の竜巻が巻き上がる。小さくも鋭いその風に乗って、動く熊の人形が短い手足を振り回して現れた。

 

 ダイガスタ・エメラル(2)→(1)

 ドール・モンスター 熊っち 攻0

 

「そのままバトルフェイズ。熊っちでライドロンに攻撃」

「攻撃力0で、かしら?」

 

 ぶんぶんと綿が詰まった布製の両手を振り回し、熊の人形が走る。しかしあまりにも遅いその移動速度に獅子を模した機械の獣は楽々反応し、電撃を纏った鋭い牙で人形の大きな頭に噛り付いた。

 でも、それでいい。効果モンスターの能力を受け付けず、マニラによって対象を取る効果も1度は止められる。そんな現在のライドロンであっても、この手なら十分に対処できる。

 

「速攻魔法……」

 

 頭に噛り付かれながらも、熊っちが空いた手で巨大なハンマーを引っ張り出す。嘘か本当か100t、と大書きされたそれを振りかざし、大きく体ごと振って獲物をかみちぎろうと集中しているライドロンの脳天へと叩きつけた。

 

 ドール・モンスター 熊っち 攻0→2000(破壊)→ライドロン 攻2000(破壊)

 遊雪 LP4000→4000

 女 LP4000→2000

 

「Ai打ち、発動。戦闘するモンスターの攻撃力は、その相手と同じになって」

「戦闘破壊されたモンスターのコントローラーは元々の攻撃力分だけダメージ、か。うーん、さすが『扉』だけのことはある、ってことね」

「またその、自分だけわかってる目線?ダイガスタ・エメラルで、プロンプトホーンに追撃」

「いきなり半分削られちゃったし、お姉さんも少し本気出しとかないと格好がつかないかしら?ちゃんと君の試験もしたいし、ね。速攻魔法、サイバネット・バックドア!私のサイバース族モンスター1体を私のスタンバイフェイズまで除外して、その攻撃力以下の攻撃力を持つサイバース族を手札に。プロンプトホーンの攻撃力は200、だから攻撃力100のグリッド・スィーパーを手札に加えるわ」 

「攻撃は、止めない……!」

 

 次元の狭間にプロンプトホーンこそ逃がしたものの、むしろそれは女の壁となるモンスターがいなくなり、ダメージが筒抜けになるということでもあって。そう考えれば随分といい度胸ではあるけれど、どうせ退避を止める手立てがない以上、とにかく今は目先のダメージだ。私の苛立ちをそのままぶつけるかのような風を纏った盾の一撃が、女を強かに打ち据える。

 

 ダイガスタ・エメラル 攻1800→女(直接攻撃)

 女 LP2000→200

 

 あとほんのわずかに、ライドロンかエメラルの攻撃力が高ければ。こういったことは言い始めたらきりがないけれど、やはりあと一手を押しきれなかったことを悔やんでしまう。しかし、今の私の手札であれ以上のダメージを出すのは不可能だった。それもまた、れっきとした事実であって。

 

「メインフェイズ2、カードを3枚セットしてターンエンド」

「それじゃあ、私のターンね。ドローして……ふふっ、このスタンバイフェイズ。さっきも言った通りプロンプトホーンは帰還するわ」

 

 逃げていった時と同じ次元の穴が開き、機械仕掛けの小動物がぴょこぴょこと跳ねて戻ってくる。戻ってきたということはつまりまたあの効果を使われるということだが、この3枚の伏せカードはそれを止められる類のものではない。

 

 プロンプトホーン 攻200

 

「フィールド魔法が存在するとき、グリッド・スィーパーは手札から特殊召喚できるわ。そしてレベル4のこのモンスターをリリースして、このターンもプロンプトホーンの効果を発動」

 

 先ほどの1体だけを呼び出しアタッカーとする入れ替えではなく、一気に3体ものモンスターへと増殖させる盤面の強化。それぞれわずかな情報量のみを持ち合わせる電子空間の原種と、そこから派生した亜種。先ほどは私にいいように攻めさせておいて、ここから反撃のためのプログラムを作成するということなのだろう。

 

 プロトロン 攻100

 プロトロン 攻100

 デジトロン 攻1500

 

「レベル1モンスターのプロトロン2体に、レベル2のデジトロン……」

「ご名算よ、坊や。そして2体のプロトロンをリリースして、アドバンス召喚。さあ、出番よ」

 

 電子生命体の原種がそのごくわずかな内蔵データを展開し、0と1の羅列になって消えていく。そして現れたのは霧深い図書館がその周辺だけ、あまりの密度によって重力にまで影響を及ぼし景色が歪んで見えるほどに圧縮された大容量データを巨大な鉄槌の形としていともたやすく振り回すネットワーク世界の戦士。

 

「―――――サプレス・コライダー」

 

 サプレス・コライダー 攻2800

 

「そして通常モンスターのデジトロン1体を、リンクマーカーにセットするわね」

「リンク遣い……!」

 

 リンクマーカーにセット。それは先ほど私が口にしたオーバーレイと同じく、エクストラデッキからリンクモンスターを呼び出す際に使われる符丁。リンクモンスターにのみ存在する特殊な概念、マーカーを全て埋めるように条件を満たすモンスターを捧げることで、そのモンスターは呼び出される。今回女が素材に選んだのは通常モンスター1体、となるとおそらく、出てくるカードは。

 

「―――――リンク・スパイダー」

 

 やはりそうだ、電子の蜘蛛。レベル4以下の通常モンスターを全面的にサポートするあのカードならば、これまで女が使用してきたカードの傾向から言っても入っていて何らおかしくない。

 

 リンク・スパイダー 攻1000

 

「リンク・スパイダーの効果で手札からレベル4以下の通常モンスター1体を自身のリンクマーカー先、つまりこの真下のメインモンスターゾーンに特殊召喚するわ。2体目のライドロン」

 

 天威無崩の地か、それともこのターン行っていた通常のドローか。どこだろうと知ったことではないけれど、いずれにせよそのどこかで引いていたらしい2体目の獅子。それがサプレス・コライダーと共に並び立ち、私のフィールドに単身立つエメラルと対峙する。

 

 ライドロン 攻2000

 

「さらに、墓地のグリッド・スィーパーのもうひとつの効果を使うわね。墓地の自身と場のリンクモンスター、リンク・スパイダーを除外して、相手フィールドのカード1枚を選んで破壊。さあ、今のうちにチェーン発動しておきたいものはあるかしら?」

 

 最悪だ。選んで、ということはすなわちあの効果は対象を取らない破壊。今この瞬間に発動できるものはしておかなければ、一方的に破壊されてからでは手遅れになる。

 

「……強化蘇生!禁じられた聖衣!」

 

 それぞれ私の墓地の下級モンスターをレベル1、攻守を100だけ上昇させて蘇生する永続トラップと、モンスターの攻撃力を600下げるかわりに対象耐性と効果破壊耐性を付与する速攻魔法。前者は蘇生したモンスターとこのカード自体に因果関係が存在しないため、蘇生にさえ成功してしまえば破壊されようと問題なく、後者はこれでエメラルにバリアを張ることで壁となってくれるモンスターの全滅を防ぐ。

 

 ダイガスタ・エメラル 攻1800→1200

 おもちゃ箱 守0→100 攻0→100 ☆1→2

 

「あら、フリーチェーンで固めてたのね。でも、だったら君の所に1枚だけ残ったその伏せカードを破壊させてもらうわよ」

 

 言葉通りに残る伏せカード……エクシーズモンスター専用の蘇生カードであるエクシーズ・リボーンが破壊される。本当はこれもフリーチェーンのカードではあるが、私の墓地には肝心の蘇生対象となるカードがいない。

 

「そして効果モンスターのおもちゃ箱が蘇生され、私の場にはサプレス・コライダーとライドロンがいる。天威無崩の地の効果で、またカードを2枚引かせてもらうわ」

 

 必要経費だろう、これはさすがに。気には食わないが。本当に気には食わないが、他に私の墓地にあったカードといえばともに攻守0な通常モンスターのガールちゃんと熊っちだけだ。壁というにはいささか以上に頼りなく、すでに女がこのターンの召喚権を使っていることも合わせればこのドローを考慮してもまだ後続を呼べるおもちゃ箱の方がこちらの生存性が高まる。

 十分な考慮の結果だ。だが、ギャラリーである有馬の顔をふと見ると喜ぶどころか何か随分と険しい表情で盤面を眺めていた。そして思い知る。これは断じて私のプレイングミスではなく結果論ではあるが、この場合正しかったのは、彼の予感の方だ。

 

「詰めが甘かったわね。通常魔法、闇の量産工場。墓地の通常モンスター2体、ライドロンとデジトロンを手札に戻して……通常魔法、悪魔への貢物。フィールドの特殊召喚されたモンスターでるおもちゃ箱を墓地に送り、手札からレベル4以下の通常モンスターであるライドロンを特殊召喚するわ」

「墓地に送る……!?しまった!」

 

 表情が強張ったのが、自分でもわかった。おもちゃ箱のトリガーは、破壊され墓地に送られた時。それ以外の方法でどかされては、リクルート効果のトリガーにはなり得ないという弱点を持つ。効果さえ通れば私のデッキには守備力3000を誇る千年の盾が入っているから、それでこのターンをやり過ごすつもりだったのだが。しかも女の場には、またしてもモンスター効果を受け付けない攻撃力2000というおまけ付きだ。

 

 ライドロン 攻2000

 

「さっきも言った通りこれで終わりなら、それはそれで構わないけれど……バトルフェイズ、1体目のライドロンでダイガスタ・エメラルに攻撃」

 

 百獣の王が飛び掛かり、風に包まれた輝石の盾をいともたやすく引き裂いてエメラルの胴体に深々とその牙を食い込ませる。もとより聖衣で攻撃力の落ちていたエメラルにそれを受けきれる道理はなく、その岩石の鎧はあっさりと砕け散った。

 

 ライドロン 攻2000→ダイガスタ・エメラル 攻1200(破壊)

 遊雪 LP4000→3200

 

「平間さん……!」

 

 これで私のモンスターはいなくなり、続く連続攻撃を受けきれるほどのライフもない。そんな盤面を見越したうえでの有馬の悲痛な叫びだったんだろうが、私にはそれもまた苛立ちの原因だった。この女は女で明らかに余力を隠したうえでいつまでもこちらを試すような態度を隠そうとすらしないし、こいつはこいつでいくら私が初対面かつコミュ障をこじらせまともに会話もできていないた女とはいえもはや完全に私が負けるつもりでいる。

 嗚呼誰も彼も、どいつもこいつも。片方は私が終わりでも構わないけれどまだ何かできるだろうと決めつけてかかり、もう片方は私がもはや打つ手がないだろうと決めつける。その結論こそ真逆だが、私に言わせればどちらも同じだ。集合知に人間として省かれた私を見る、偏見にまみれた目つきと同じ。私は、まだ負けていない。断じて折れはしない。この女の掌の上で踊ってやることは家に帰ったらノートにでも書いて今後一生忘れない恥辱として刻み込んでおくほどの屈辱だが、有馬の判断通りに何もせず負けるのはもっと気に食わない。私を歪んだ色眼鏡で見てこない、物言わぬカードたちにも申し訳が立たない。

 だからこの結論を出すのに、迷いはしなかった。

 

「―――――トラゴエディア!」

 

 その召喚トリガーは、私が戦闘ダメージを受けた時。悲劇の名を持つ異形の悪魔が、私を守るためにその無数の手足を蠢かせ着地する。あっと有馬が何か叫びかけたが、わざわざ聞き返そうとまでは思わない。

 

 トラゴエディア 守0→600 攻0→600

 

「けれどその攻守は、プレイヤーの手札の600倍。先ほど3枚のカードを伏せたあなたの手札はわずか1枚、せっかくの悲劇もほんの幕間、一時の壁にしかならないわね。ライドロン」

 

 認めるのは癪だが、その言葉は正しい。手札の枚数によっては十分にアタッカーもこなせる1枚ではあるが、今はいかんせん状況が悪い。2匹目の獣が床を走り、鋭い爪と牙が悪魔の腹に風穴を穿つ。それでも力なく垂れて消えゆく無数の手足に軌道を乱された百獣の王の一撃は、最後まで私には届かなかった。

 

 ライドロン 攻2000→トラゴエディア 守600(破壊)

 

「サプレス・コライダー。プロンプトホーン」

 

 続けざまの連撃の指示により、ネットワークの戦士と機械仕掛けの小動物が同時に襲い掛かる。今度こそ万策尽きた私に、そこから身を守る術はない。

 

 サプレス・コライダー 攻2800→直接攻撃

 遊雪 LP3200→400

 プロンプトホーン 攻200→直接攻撃

 遊雪 LP400→200

 

「ちょっと追い上げてみたけど、どうかしら?」

「またライフが並んだだけ、何を偉そうに」

 

 私のライフは200だが、女のそれも200。お互いに火の粉1枚で勝負が決まるような崖っぷちならば、次にターンが回る私の方に分がある。いずれにせよ、ここで立ち止まるような選択肢はない。

 

「そうかしら?君に勝つ手がまだあるとすれば、そのカードに賭けるしかないわよ。そうでなくっちゃ、試験にならないもの。カードを伏せて、ターンエンド」

「またそれ、しつこい!私のターン!」

 

 手札は1枚、場のカードはなんとかターンを生き延びた人形の幸福と無意味に場に残った強化蘇生のみ。だけど、勝機はある。力強く引いた、そのカードは……。

 

「……人形の幸福の効果を発動。手札のモンスターを破壊して、ドール・モンスター 熊っちの2体目を墓地に」

 

 たった今破壊したカードは、当然たった今ドローしたばかりの2枚目のおもちゃ箱。再び開いた大箱から、先ほどのエメラルに似た意匠を持つ人型の人形ふたつが飛び出てくる。

 

 ジェムナイト・ガネット 守0

 ジェムナイト・サフィア 守2100

 

「ならこのタイミングで速攻魔法、サイバネット・バックドアをもう1枚発動。プロンプトホーンをまた逃がし、攻撃力0のガッチリ@イグニスターを手札に加えるわ」

 

 またしても小さいのがちょこまかと逃げ回り、獅子と戦士だけが場に残る。

 ……これは、ちょっと想定外。なんのかんの私の方に余裕があったのは、女の場にプロンプトホーンがいたというのが何よりも大きい理由だった。天威無崩の地によるモンスター効果耐性、墓地のアニマによる対象耐性。効果モンスターであるプロンプトホーンはそのいずれも受けられず、攻撃力400以上のモンスターさえ出せれば問題ない。その前提が、ここにきて覆された。

 とはいえ、今見えている範囲のカードならば別に問題ない。手札2枚とはいえ、それも両方割れている。ただ困るのは、ここでエクシーズ召喚やリンク召喚に繋げるとそこで2枚のドローを許してしまうという点にある。天威龍には効果を持たないモンスターが戦闘する際、相手モンスターの攻撃力を1500ダウンさせるナハタというカードがいる。枚数はともかく、あのデッキにもそれは入っているとみてまず間違いないだろう。もしこの2ドローで、そのカードを引かれたら?ない、とは言い切れない。そしておそらくだが、この女はそれを引いてみせるだろう。根拠のないただの直感だが、切り捨てるには可能性が大きすぎる。そういったモンスターへの対抗手段になるランク4も存在しないわけではないが、今の私のデッキにそれらのカードは入っていない。エクストラデッキの枠がある程度必要になるホープ・ザ・ライトニングはいささか厳しいものの、やはり初期ライフの半分を奪い取るダイレクトアタッカーであるハートランドラコぐらいは入れておくべきだったか。

 さあ考えろ、考えろ私。とはいえ、実のところ手がないわけではない。1ターン目からずっと手の中で腐っていたこのカードの発動にさえ持っていければ、十分に勝機はある。もっとも、それはそれで難しい……いや、不可能なのだが。私の手持ちのランク4とジェムナイト2体が守備表示で固定されているこの状況では、あと一手が届かない。大人しくナハタを引かれないことをお祈りしつつ、攻撃力2200以上のランク4で攻撃するしかないのだろうか?

 

「さあ、どうするの?ゆっくり考えなさい」

 

 思い切って攻め込みに行こうかと決めかけた、その瞬間。こちらの出鼻をくじく、狙いすましたかのようなタイミングで長考を促す女。相も変わらない余裕ぶった表情に静かな怒りが腹の底に溜まるが、おかげでひとつ思い出したことがあった。

 

「平間さん……何を?」

 

 我ながら馬鹿げていると思いながらも取り出したのは、デュエル開始前に渡された白紙のカード。あの女はあの時、なんと言っていた?ポケットに入れておいたその1枚を取り出し、何も書かれていない面をじっくりと眺める。それでいいのよ、と言わんばかりの微笑みはこちらの行動が誘導されているようで心底気に食わないが、あの女の言ったことが真実だとするならば、この白紙のカードには何かしらの活路がある。なら、なんだっていい。今はあの女の掌の上で、せいぜい綺麗に踊ってやろう。だから、そのための力を私に。

 その白紙の面を見ていると、なぜだか不思議な感覚がこみ上げてきた。まるで自分の奥底で、閉ざされていた扉が開くような。その奥に閉じ込められていたものは、このカードに解き放たれて。このカードで眠る何かが、私の声に目を開けて。その2つが加速度的に近づいて、1つに溶けあい本来あるべきだった姿に戻るような。半ば無意識のうちに口を開くと、そこから私の声がした。

 ……誰か。

 

「私を見て。私に、応えて。私を、助けて……!」

 

 10年以上の長きに渡り、決して口にしてこなかった類の言葉。最初に皆とのずれを感じた際に生じた、弱音を吐いたら負けだなんて、子供じみたほんの小さな意地。撤回する暇をなくしたままずっとそこにあったそれは私の成長とともに重く、太く、丈夫で苦しい鎖となり、いつしか私自身でさえ外すことができないほどに私のことを縛り上げていた。それが今、音を立てて弾け飛ぶ。こんなに簡単に溶けるものだったのかと自分でも驚きを感じるうちに、カードと私の間にあった最後の障害が、消えていく。

 

「レベル4のガネットとサフィアで、オーバーレイ……!」

 

 紡がれる、召喚の符丁。そして私は、その名を呼んだ。

 

「―――――プリンセス・コロン!」

 

 風船を手にした、ゴスロリ衣装の少女の人形。白紙のカードに色が付き、イラストが、テキストが浮かび上がる。そして、変化があったのはそれだけではなかった。私の場で表を向いていた永続魔法、人形の幸福。そのイラストの左半分、これまで背景しか写っていなかったその位置にも、たった今私が呼び出した人形のイラストが浮かび上がる。

 

 プリンセス・コロン 攻500

 

「い、一体何が……!」

「お見事」

 

 混乱する有馬とは逆に、2枚のドローを行いながらもそのカードを見すらせずに心から満足げに笑う女。試験の目的はこれで果たせた、というわけか。普段なら心中で毒のひとつでも吐いてやるところなんだろうけど、不思議と今はそんな気持ちにならなかった。ずっと足りなかったもの、不足しているということに心のどこかで気づきながらもその飢えを渇きを癒す術を知らなかったものが満たされていく充足感に、それどころではなかったのかもしれない。

 さあ、あとは消化試合。理屈は不明だが心が理解しているルートを辿り、このデュエルに正式な決着をつけるまで。

 無論、私の勝利で。

 

「プリンセス・コロンがエクシーズ召喚に成功した時、墓地のおもちゃ箱1体を蘇生できる」

 

 おもちゃ箱 攻0

 

「魔法カード、シエンの間者。私のモンスター1体のコントロールを、相手フィールドに移す」

 

 おもちゃ箱が床を滑り、女の目の前で制止する。そう、これは私からの「プレゼント」。どれほど守られたモンスターがいたとしても、他に抜け道を作ってしまえばなんてことはない。

 

「プリンセス・コロン、攻撃!」

 

 お姫様がドレスの中からクラッカーを取り出し、おもちゃ箱めがけて紐を引く。ほんのこけおどしに過ぎないほどの威力ではあるけれど、その衝撃を受けたおもちゃ箱はグラグラと傾き、重心を超えたそれは女の方へとゆっくりと倒れ……。

 

「これで、満足?」

「ええ、とても。君の資質、見せてもらったわ」

 

 プリンセス・コロン 攻500→おもちゃ箱 攻0

 女 LP200→0

 

 

 

 

 

「そうね、今はこれでお疲れさま。本当はそっちの君の方も見てみたいところだけれど、今日の所は一度帰りなさい。ここにいれば時間は関係ないけれど、すっかり遅くなったもの」

 

 ソリッドビジョンが消えてもなぜかまだ残り続けていた天威無崩の地による霧が、その言葉を合図にさらにその濃さを増していく。女の姿がその向こうに消えていくにつれ、その声も次第にぼやけていった。

 

「待って、まだ聞きたいことは山ほど」

 

 そもそも、こちらの当然の疑問に対してその全てはデュエルの後だと言ってのけたのだあの女は。それでいざこちらがちゃんと勝てば、今日はもう帰りなさいと。いくらなんでも話にならない、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そんな抗議の意思を多分に含んだ声も届いていたのかいないのか、どんどん霧は濃くなって完全に視界が白く包まれる。最後に見たものは本棚にもたれかかり、最後まで崩れることのなかった大人ぶった微笑みで小さくこちらに手を振る女の笑顔だった。

 

「心配しなくても、ちゃんとまたすぐ会えるわよ。君たちがどう思っても、ね」

 

 まだ抗議の声を続けようとした私にそれができなかったのは、このおかしな図書館前に来た時と同じだ。五感全てを揺さぶられるような、かといって痛みや不快感があるわけではないただ純粋な衝撃。

 

「……で、戻ってきたの」

「……らしいね、平間さん。ええと、今のって夢……じゃ……」

 

 腕時計を覗き込みながら、不思議そうに問いかけてくる有馬。言いたいことはわかる、なにせあれだけデュエルしていたというのに時間としては1分……おそらくは最初にあの衝撃を感じた瞬間から1秒たりとも過ぎていないのだから。夢あるいは集団幻覚、そう言いたくなるのも無理ないだろう。

 

「これ。違うみたい」

 

 しかし私はそれが違うことを、あれが現実であったことを信じざるを得ない。先ほど出会ったばかりのカード、プリンセス・コロンを見せてやると、有馬もそれで納得したようだ。

 

「なんだかわけがわからないけど、不思議なこともあるものだね。とりあえず、今日はもう帰ろうか。あのお姉さんも言ってたし」

「……言われた通りにするのも不愉快。だけど、仕方ないからそうする」

 

 これは、私が集合知から得た数少ない世渡りの術でもある。結局、世の中考えたところで私のような小娘に理解できることなんてたかが知れているのだ。答えなんて出ないと最初からわかっている問いに対しては、無理にしがみつくよりもその結果を見据えたうえで立ち回ることもまた必要になってくる。今日でのこの出来事で言えば、今何よりもやるべきことは帰ってよく寝て体力を回復することだ。簡素に別れを告げ、自分の家に向かって歩き出す。

 

「あ……最悪」

 

 そこでふと、買ったはいいがまだ飲んでいなかったイチゴミルクの姿が脳裏に浮かんだ。外気はそこまで暑くもないが、それでもとうの昔にぬるくなってしまっているだろう。口の端から零れ落ちかけたため息を、すんでのところでその尻尾を捕まえて飲み下す。腹の中に重苦しいものがすとんと落ちて溜まったような感覚は、多分気のせいではないはずだ。

 家に帰ったら冷蔵庫に放り込んでおこう。そう考えながらも、私の思考の大部分はデッキに入れたプリンセス・コロンの方へと向いていた。謎の図書館、白紙のカード、そして既存カードのイラスト変化。あるいはこれも集合知に問い合わせれば、信じられない出来事のようでも実は世界のどこかで同じような事例があったりするのだろうか。教えて、もし今日の出来事に説明がつくのなら。

 ……ああ、やっぱりだ。

 

 ―――――集合知は、私に何も答えてくれない。




見切り発車はやめようと思いつつ、結局またストック皆無の見切り発車です。
始めた以上未完で終わらせはしませんが、更新予定は未定です。
相も変わらず万年一日のごとき手癖の文体ですが、過去作を知っている方も知らない方も、またお付き合いいただけると喜びます。
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