1.異世界へ
意識が浮上する。突然のことで記憶の整理がついてない。目に映るのは大きな部屋と、現代日本と明らかに不釣り合いな服を着た人達。それから俺と同じ状況だと思われるクラスメイトが…全員いる。約一名そこに当てはまらない、しかしよく見慣れた顔もある。一人だけ倒れている彼女は変に目立っており、その美貌も相まって注目を集めているようだ。
混乱もあってか誰も声をかける様子はないが、いつ話題に上がってもおかしくないだろう。アイツを奇異の視線にさらし続けるのはなんだか癪だ。
隠す、というわけにはいかないが、体を起こし始めたクラスメイト達に紛れて彼女の近くに移動する。無意識のうちに、ポケットの中のナイフを握っていた。
偉そうに歓迎の口上を述べる老人の話を聞き流しつつ、今の状況を整理する。光に包まれたと思ったら突然ここにいたというのが全てなのだが、何か見落としているかもしれない。一先ず、ここに至るまでの経緯を振り返ることにしよう。
よく晴れた昼下がり、俺が覚えているのはいつもの教室と、窓の外から突然現れた馴染みの顔。
教室の反対側ではハジメの周りに白崎、天之河、八重樫らが集まっているのが見えた。そちらも騒ぎになりそうな雰囲気で、普段ならハジメのフォローに行くのだが、その時はそんな場合じゃなかった。一刻も早くアイツを追い返さなければ。俺の頭はそのことでいっぱいだった。
幸いにも俺の席は窓側最後列で、近くの席には誰もいなかった。とはいえ、あのままでは強引に教室に入ってきたアイツが騒ぎを起こすのは時間の問題だっただろう。
人目に付く教室に押しかけてきやがったことに文句を言ってやろうと口を開きかけて、俺に向けられた太陽のような満面の笑みが一瞬で豹変したのは印象に残っている。そんな顔を見るのはあの事件以来だった。
少し動揺して、口から出かけた言葉を飲み込んだ。
「どうした、この教室に何かあるのか」
窓を開けて話しかける。
すんなりと教室に入ってきたアルクェイドは、突然怖い顔をし始めた理由を尋ねた俺に向かっておかしなことを言った。
「志貴、よく聞いて。たぶん、この後訳も分からないことが起きるわ。本当におかしいことよ。だから気を強く持って、自分の身を最優先にして」
「急に押しかけてきてどうしたんだ。言ってること滅茶苦茶だぞ、おまえ」
「いいから聞く!とにかくここは危なくて、逃げるには手遅れってことを理解して」
窓から入ってきた不審者に対する注目が集まった。もちろん、不審者と話し込む俺にも。
一言物申してやりたい気分になるが、いつになく真剣な様子のアルクェイドを見て踏みとどまった。
アルクェイドが言い終わると同時に教室が光に包まれ始めた。足元を見ると魔法陣のようなものが現れている。
「なんだ、これ」
「早すぎる、何が何でも逃がさないつもりね」
教室から戸惑いの声が上がる。担任の愛子先生が教室に出るよう言っているのが聞こえる。そんな中でも、俺の耳にはアルクェイドの声だけが鮮明に届いていた。
「たぶん私はしばらく
光が増していく。強い光は闇よりも簡単に視界を奪っていく。
「わかった。落ち着いて行動することを約束する」
「よろしい。できれば、私のことも守ってくれると嬉しいな」
俺がアルクェイドのことを守るような状況など起きるかどうか怪しいが、どうやら本気のようだし真面目にとらえておこう。
任せろ、と頷いて俺は完全に光に呑まれ、意識はそこで途切れた。
場所は移ってテーブルのある大広間。なんとか違和感なく?アルクェイドを俺の隣に座らせることに成功した。正直、「誰だその美人」という視線を感じなくもなかったが、そこはご愛敬。無視して事なきを得た。後でどう説明したものかと考えるといくらか憂鬱になる。
全員が席に着いたところで説明が始まった。
やたらと偉そうな声が響く。何やら戦争とか魔人族とか現実味の無い言葉が聞こえるが、理解は追いつきそうにない。
いや、そうではない。理解は出来るが納得ができない、というのが正しい。魔人族とかいう訳の分からない存在、戦争を強要されること、ここは異世界で、帰る方法がないこと。急に言われて納得しろ、など無理な話である。
これが教会の仕業である可能性は拭いきれなくもないが、アルクェイドの真剣な表情を思い出し、おそらく違うだろうと決め付ける。こう言うと先輩に悪い気もするが、教会ではアルクェイドをここまで追い詰められない気がする。
状況は飲み込み切れていないが、今はアルクェイドがしばらく目を覚まさず、俺が守る必要がある、ということに集中せねばならない。もしもアルクェイドがこの場にいなかったら突如訪れた非日常に舞い上がっていたかもしれないが、アイツがいるおかげで今は冷静だ。
それに、戦争など絶対にナシだ。いくら自分が特異な眼を持ち、荒事に身を投じた経験があるとはいえ、戦争を戦い抜くことができるなどという自惚れた考えは持ち合わせていない。自分の無力さなど、とうに思い知っている。
クラスメイト達を心配する気持ちもある。戦争は命を軽くする。戦場には死が飽和するだろう。人の死というのは、俺たちのようなただの人間が軽く扱っていいモノではない。戦争への参加の可否などこの場の雰囲気に流されて決めていいことなんかでは絶対にない。
そのあたりも含め、今後の身の振り方は慎重に考えなければいけない。周りの状況を見るに、似た考えを持っているのは南雲と八重樫くらいだろうか。突然の非日常に浮かれているとはいえ、少なすぎではないだろうか。
帰れないという事実を嘆いているクラスメイトと教皇イシュタルを名乗る老人に怒りをぶつける担任の愛子の声を聴きつつ、考えをまとめ切った俺は、直近の、最大の問題。眠っているアルクェイドをどうするか、ということを考える。状況は最悪と言っていい。正直、どうにもならないだろう。もうなるようになるしかない、のか。まあ、「俺を訪ねてきた知り合いが運悪く巻き込まれ、目を覚まさない」くらいでいいか。嘘ではないし。
アルクェイドのことで頭を悩ます俺を置いて状況は進む。
手を叩いて注目を集めた光輝が得意げに語り始めていた。
「皆、ここでイシュタルさんに文句を言っても意味がない。彼にだってどうしようもないんだ。……俺は、俺は戦おうと思う。この世界の人達が滅亡の危機にあるのは事実なんだ。それを知って、放っておくなんて俺にはできない。それに、人間を救うために召喚されたのなら、救済さえ終われば帰してくれるかもしれない。……イシュタルさん? どうですか?」
「そうですな。エヒト様も救世主の願いを無下にはしますまい」
「俺達には大きな力があるんですよね? ここに来てから妙に力が漲っている感じがします」
「ええ、そうです。ざっと、この世界の者と比べると数倍から数十倍の力を持っていると考えていいでしょうな」
「うん、なら大丈夫。俺は戦う。人々を救い、皆が家に帰れるように。俺が世界も皆も救ってみせる!!」
俺もやるぜ、私も、しょうがないなぁ、と声が続く。愛子の静止も虚しく、一人、また一人と光輝に続く人が増えていく。こうなってしまっては俺一人だけ離反することは難しい。しかし、流れに任せては危険だ。とも思う。そうだな、俺はここでは、光輝の意見に乗るべきだろう。戦争に参加するなんて御免だが、断ってどうなるかわからない。アルクェイドのこともあるし、ここは大人しくしておくのが得策だろう。
「俺も行こう。帰れないままなんて御免だからな」
「遠野君まで...」
担任の愛子が項垂れている。ここは仕方のないことと割り切ってもらうしかない。
戦争のため戦いの術を学ぶという名目で、俺たちはハイリヒ王国に身を置くことになった。先ほどまで居た場所は神山という山の上に作られた教会のようで、その麓にあるのがハイリヒ王国という俺たちを預かってくれる国だ。この後は国王との顔合わせと今後の説明を兼ねた晩餐会があるらしいが、さすがにアルクェイドを連れてはいけない。このあたりで離れておくのが良いだろう。
謁見のための移動中に、皆に聞こえるように声を上げた。
「すみません、俺の知り合いがたまたま巻き込まれてしまったようで、体調が悪かったのが災いして眠ってしまっているんです。どこか、休ませてやれるところはありませんか」
応えたのは先頭を進むイシュタルだ。
「それは大変だ。この地に召喚された以上、エヒト様の思し召しあってのこと。勇者様になにかあっては一大事ゆえ、すぐに部屋に案内させましょう」
「ありがとうございます」
すんなりと要望が通ったようだ。イシュタルが呼びつけたメイドに着いて、後に割り振られる予定だあったという自室に向かう。注目を集めながらの退場となり、少し落ち着かない。ふと後ろを振り返ると、「後できちんと説明してもらいますからね」と言いたげな先生と目が合う。気まずい。忘れることにしよう。
「こちらがお部屋になります」
「ありがとうございます。案内、助かりました」
では、と一礼して使用人は去っていった。多くを語らない姿勢は家にいる翡翠を思い出す。今頃どうしているだろうか。居なくなって迷惑をかけているのだろう。秋葉にも、また心配をかけることになるな。
「ほんと、情けない自分でいやになるよ」
こっちに来て初めての弱音は、誰にも聞かれることなく消えていった。アルクェイドの手前、弱音など吐いていられないが、少し落ち着いたことで気が抜けてしまったようだ。突拍子もないことに経験があるとはいえ、慣れるものではないのだと実感した。
洋風の部屋と先ほどの使用人の姿から坂の上の我が家、遠野邸を思い出すが、どこか食い違う。
少し考えて、あの屋敷に暖かさを感じ、恋しく思っている自分に気づいて、なんだか哀しくなった。
いけない、ホームシックになっている場合か。今はアルクェイドだ。
背負って連れてきたアルクェイドをそっとベットに寝かせる。いつもと違って呼吸すらしていない様子に不安になる。まるで電源が落ちたかのように、微動だにしていない。教室で言っていたことを思い出す。
『たぶん私はしばらく目を覚ませない』
あの状況で妄言を吐くようなヤツでないことはよく知っている。だからこの状況は想定内なのだろうし、「しばらく」といった以上、何らかの対処を行っていて、目を覚ます目処も立っているのだろう。
それでも、なんだか落ち着かない。明日になったら消えているなんてことがないだろうか。
ふと、気が付く。どうやら俺は、自覚している以上に彼女のことを大切に思っているようだ。失って初めて気づく、というのは使い古された言葉だが、まさにその通りのようだ。ここになって気づくとは、なんとも情けない。
いや、失って、というのは大げさだな。
「くよくよしててもしょうがないよな。俺が、ちゃんとしないと」
自分に言い聞かせる。今は立ち止まっている場合ではない。それだけは確かだ。
外の空気を吸おうと思って、窓を開ける。夜の城下町が一望できた。
ちらほらと民家の灯りが目に入る。なんとなく、蝋燭の灯を思い浮かべた。
ふと、上を向いた。
見上げた空に、大きな月が輝いているのが、やけに頭に残った。