「あ、あぁ…」
白崎香織は声にならない声を上げる。
彼女の放った魔法、縛光鎖は人ひとりをぎりぎり支えられる程の強度で、同行していた騎士たちの中にはこの魔法を使える者はいなかった。故に、彼女に圧し掛かったのは救う命を選ぶ責任。志貴は何かの魔法に期待してハジメを放り投げた。その意図が『自分はいいからハジメを助けろ』というものであることを察するのは難しくない上、咄嗟に自分の想い人を助けようと考えたことは決して悪いことではなかった。
それでも、人が一人死ぬ原因の一端が自分にあるという事実は、彼女にとって重すぎるものだった。
「私っ、は…」
「香織ッ!!」
その場に崩れ落ちる香織。消費の激しい魔法の反動と、大きなショックの心への影響が彼女の気力を奪っていた。光輝が駆け寄るが、彼女は何も反応を返せなかった。
香織に引き上げられたハジメも、座り込んで動けない様子だ。体中に細かい傷はあるが、目立った大怪我はない。
「小僧ッ!!怪我はないか」
「メルドさん…僕は大丈夫です。魔力が回復すれば、歩けます」
ハジメはそう言ったが、それが強がりであることに気づかないメルドではなかった。香織や、他の面々も精神に大きな傷を負ったことは見て取れた。こっちに来てから初めて触れた人の死がよりにもよって級友のものでは仕方ないだろうと考えたものの、それをどうにかする手段を持ち合わせてないことがただただ不甲斐なかった。
「おい、南雲」
打ちひしがれる南雲に対して、場違いな怒気を孕んだ声をかける者がいた。光輝だ。
「ごめん、天之河君。今は独りにしてくれると、嬉しい」
「ふざけたことを言ってるんじゃない!!お前、皆の邪魔をして、遠野を殺して、香織を悲しませて、あげく独りにしてくれだと!?馬鹿にするのも大概にしろ!!]
「え?」
最初、ハジメは何を言われているのか理解できなかった。メルドも呆然としている。一方光輝は今にも剣を抜かんとするほどの勢いでハジメに詰め寄っていた。一拍置いて発言の内容を理解したメルドは、在り得ない発言をした光輝を叱るために口を開く。
「よさないか光輝!!ハジメは俺たちを助けたんだぞ!!こうなった責任は全て騎士団長の俺にある。だから八つ当たりでも恩人を貶すようなことをするな」
「でも、メルドさん。南雲がベヒモスと戦う俺たちの邪魔をしなければこんなことにはならなかったでしょう!!それにコイツ、飛んでくる魔法にわざと遠野をぶつけてたでしょう!!」
「いい加減にしろ!!お前が今生きているのは、間違いなくハジメのおかげだ!!それに志貴も必死で命を繋いだんだ。お前が適当に貶めていいことじゃない」
「メルドさんは優しいから南雲を庇っているのは知っています。でも、南雲はきちんと罪を償うべきです」
「光輝、本当に…」
メルドさんが本気で光輝を勇めようとしたとき、言いあう二人の間にハジメが入ってきた。
近くにあった剣を拾い、杖代わりにして歩いてきたようだ。
「メルドさん、いいんです」
「なっ、しかしな…」
「だって、事実じゃないですか。僕が自分の力を勘違いしてしゃしゃり出た結果が、これなんです。だから…だから、天之河君が言っていることは間違っていません。遠野は、僕が殺したようなものです」
「ハジメ…違う。そうじゃないんだ」
ハジメは俯いたまま淡々と語った。体は限界の筈なのにふらふらと立ち上がり、全ては自分が悪いのだと言い張っていた。メルドは思わぬ反論に戸惑い、逆に光輝は当然だと言わんばかりに堂々としていた。
心身ともに弱り切り、ひたすらに後悔を繰り返していたハジメの心に、光輝の言葉は深く突き刺さった。志貴は自分を助けるために命を落とした。それは自分が志貴を殺したことと変わらないと、光輝の言葉によって気付かされてしまった。
「南雲くん、それ、本気で言ってるの」
懺悔するかのように言葉を捻り出すハジメに雫が声をかける。ハジメがそちらへ顔を向けると、表情が抜け落ちたかのような雫がこちらへ歩いてくるのが見えた。
きっと彼女も、自分を弾糾するためにやってきたのだろう。志貴と以前から仲が良かった雫のことだから、自分を責めても仕方ないだろうと考えて、ハジメは口を開いた。
「本気だよ。僕がいたから、僕が足を引っ張ったから遠野は死んだ。それ以外ないだろ」
「……ねえ」
「僕がいなくてもみんなならベヒモスをなんとかできただろうし、僕がいなければ遠野が危険に身を晒す必要もなかった。遠野は僕を助けようとしてくれたけど、無能の僕なんて死ねば良かったんだ。あそこで白崎さんは遠野を助けるべきだった。死ぬのは僕だったら良かったんだ!!」
「いい加減にしなさい‼︎」
バチン、と乾いた音が響いた。ハジメの耳に入ったその音の正体が自分の頬を雫が叩いた物だと気がついたのは少ししてからだった。
「なん、だよ…」
「忘れているならもう一度言ってあげる。貴方は、無能じゃない。自分を蔑ろにしていい理由はないわ」
いつかの再演のように、雫はハジメに語りかける。
「あなたが自分を責めるのはわかる。私に責めて欲しかったこともわかる。だって、その方が楽だもの。許されて頑張れって言われるより自分を責め続けて立ち止まった方が楽だと無意識に思ってる」
「…違う」
「でもね、遠野くんは命をかけたのよ。あなたは死ぬべきじゃ無いと思って、あなたを自分の命を捨てても助けたいと思って、あなたを助けに動いた。自分が死ねばよかったなんてのは遠野くんを蔑ろにしていることだと自覚しなさい」
雫の言葉は光輝のそれよりずっと深くハジメに突き刺さる。目を逸らしていたことを突きつけられ、ハジメの反論する気力は奪われていった。
「それにね、私はあなたに感謝しているの。あのままベヒモスと戦っていれば、きっと私たちは生きてここに立っていなかった。南雲くんは体を張って、皆を助けたの。それだけのことをしてのけたあなたを、私は無能と言わせない。自分でそう思っていても、私がそれを許さないわ」
「違う…違うんだ…」
「いいえ、違わない。それだけの勇気を持ったあなただから、遠野くんは助けようとしたの。香織が真っ先にあなたを助けたのも、同じ。だから前を見て。南雲くん。あなたがいなくなって悲しむ人だって、ここにはいるのよ」
真剣に、ただひたむきに、優しく、それでいて容赦なくハジメの心を抉る雫は、少し微笑んでそう言い張った。
雫の言葉にハジメの感情は決壊し、涙となってこぼれ落ちる。生き残った後悔、認められた喜び、前を向く辛さ、その全てが一緒くたになって、涙として溢れ出した。
女の子の前で泣くなんて情けないけれど、この涙を止める術をハジメは知らなかった。
少し経ってハジメが落ち着いた頃。
周りも皆気を遣って声をかけないでいてくれたらしく、あたりに微妙な雰囲気が漂っているのをハジメは感じ取った。雫は近くで見守ってくれていたようで、光輝を抑えていた。
「八重樫さん、ごめん。みっともなかった。もう落ち着いたから、大丈夫」
「そう。よかった。私も彼に託されたこと、やり切れたみたいね」
「託された?」
「そう。遠野くんはハジメを頼むって、私の名前を呼んだの。なんとか受け止めろ、なんて適当言ってたけれど、私に託されたのはこういうことかなって」
「そうだったんだ……なら、尚更ありがとう。また、助けられたよ」
「ええ。よかったわ」
実のところ、雫とて志貴の死を受け入れてなどいなかった。ずっと涙を堪えたままで、ハジメの前で強がっていることでなんとか平静を保ってはいたが、今にも崩れ落ちそうなのは雫も同じであった。こんなの嘘だと、叫び出したかったのが本音であった。
しかし、遠野志貴を悔めば悔やむ程に、彼女は前を向いてしまった。彼が残していったものが無価値でないと証明しようと、体が勝手に動いていた。
そこにある感情は、憧れに近い。地球で雫と友達になってくれた時も、異世界で協力を持ちかけた時も、ここで必死にハジメを助けた時も、志貴は裏表なく、ただひたすらに目の前の人を助けていた。そんな行動の本質は雫にはわからなかったが、なんとなく、彼のその姿勢に憧れていた。
「小僧も落ち着いたか。ありがとうな、雫。さて、俺たちは帰還せねばならん。皆、今一度気を張れ‼︎隊列を組んで上へ向かうぞ‼︎」
ぱらぱらと返事が返ってくる。いくら体力が回復したとはいえ、クラスメイトの死は彼らに重くのしかかっていた。精神的なショックが大きく、まともに歩けそうに無い者もいた。
メルドはハジメも歩けなくてもおかしく無いと考えていたが、簡易的な足の治療を受けてしっかりと立ち上がった様子を見て、存外強いのだと評価を改めた。
「動けない者には極力手を貸せ。全員で脱出するぞ」
皆を鼓舞し、騎士達に指示を出し、自分が先頭に立って進む準備をした時。突然、クラスメイトの一人、遠藤浩介が妙なことを言い始めた。
「メルドさん、なんか、変な音、聞こえませんか」
「変な音?俺には聞こえないが、どんなのだ」
「ええと、なにかが崩れるような音、かな?上から聞こえてくるような気がします」
言われてみればそんな音がするような、とメルドが口にしようとしたところで、一際大きな音が轟いた。
ドォン、とかガラガラとか、そういった音が確実に上から聞こえてきていた。一定間隔で響くその音は確実にこちらへ向かっており、何か強大なものが迫っていることをメルドは予感した。
「騎士達は迎撃態勢を調えろ。他は全力で退避だ。早く!!」
メルドは自身の勘をもとに指示を下す。動ける者が主導して階段を登り始めているのを傍目に、迫ってくる音の方を見た。
大きくなり続ける音は勢いを増したのか、間隔が短くなってきていた。
もしや迷宮の床を突き破って何かが向かってきているのではという考えに思い至ったところで。
ドォォォォォォォン!!
一際大きな音を立てて、天井が崩れてきた。
全員の注目が崩れる天井に集まる。幸いにも階段から遠くの天井が崩れたようで、瓦礫は飛んでこない。
そして、崩落する天井を見つめていた者たちは目撃する。天井を突き破って現れた者のその姿を。
まるで月が落ちてきたかと錯覚するような、美しい黄金の髪。白い服と相まって、その姿は奈落に現れた天使のようで。顔は見えないはずなのに、赤い目の光に貫かれ、綺麗な目だとと、全員の脳裏に焼きついた。
崩れ落ちる瓦礫に混ざりながらもその美しさが伝わってくる異常に誰もが息を呑む中、場違いに素っ頓狂な声が木霊した。
即ち。
「見つけた、ここね。し〜き〜、待って〜」
と。
誰もが落ちて行く月を眺めるだけで、何もできなかったことなど言うまでも無いだろう。
アルクェイド、起床。