大学構内を出て、駅への道を速足で歩き始めた直後。すぐに空から大粒の雨が降ってきた。容赦なく降りつける雫。まさに、バケツをひっくり返したという表現がぴったりの雨だった。
蘭は、降らないと思っていて傘を持ってこなかった過去の自分を恨んだ。一心不乱に駅へ向けて走る。強い雨に全身を洗われながら、蘭は一旦スーパーの軒下に逃げ込んだ。走って荒くなった息を整え、濡れておでこに貼り付いた前髪を横に流す。背負っていたリュックを下ろしてみる。激しい雨に晒されて外はビチャビチャ。中もじっとりと浸水して講義でもらったプリントがふやけていた。
「最悪……」
蘭の口から悲痛な声が漏れた。着ているジャケットやその下のパーカー、穿いているショートパンツに至るまでぐっしょりと濡れていて、ショートパンツのポケットに入っているハンカチももちろんびしょ濡れ。何だか身体も冷えてきて寒くなってきた。とりあえずスーパーの中で傘とタオルを買おう。蘭は溜息を吐いてスーパーの入口の方に向かおうとした。
「あれ? 蘭さん?」
すると後ろから聞き覚えのある声が聞こえる。振り返ってみると楓が買い物袋を片手に立っていた。
「どうしたんですか! びしょ濡れじゃないですか!」
楓はそう言って焦ったように蘭の方に駆け寄ってきた。
「……別に。少し降られただけ」
顔を逸らして蘭は言う。こんなにも心配そうな顔をした楓は、初めてだった。
「全然少しに見えないですよ……。このままじゃ風邪を引いてしまいそう……」
そう言った楓は顎に手を当てて考えこむ。
「別に大丈夫だから。傘買って帰るし」
これ以上心配をしてもらう義理はない。蘭はそう思っていた。楓に素っ気なく返して店内に入ろうとする。
「待ってください! 傘ならこれを使ってください」
楓は蘭を引き止め、リュックから折り畳み傘を取り出して手渡す。
「……あんたの分は?」
蘭は目を丸くして楓に聞いた。この大雨だ。雨具を持っていなければたちまち蘭のようになってしまう。
「僕は自転車なので元々雨合羽なんです」
楓は、蘭にリュックから雨合羽を取り出して見せる。
「とりあえず、その折り畳み傘を差してもらって……」
そう言った楓は次の瞬間、衝撃の一言を口走る。
「一旦、僕の家に来ませんか?」
「お邪魔します……」
結局、来てしまった。蘭は、楓の家の玄関をキョロキョロと見る。華道関連のこと以外で、Afterglowの皆以外の他人の家に上がるのは、初めてかもしれない。
「家、このスーパーからすぐなので!」と言った楓の言葉通り、スーパーから五分程歩いた住宅街の中に、墨田家の一軒家はあった。
「折り畳み傘はこの雨合羽と一緒に置いといてもらえれば……。少しここで待っててください」
手早く雨合羽を脱いで玄関の脇に置いた楓は、蘭にそう言って家の中に入っていく。蘭は、折り畳み傘を雨合羽の横に置いた。
「くしゅん」
蘭はくしゃみをする。やはり身体が冷えているらしい。
「お待たせしました~。これ使ってください」
ドタドタと楓が走って戻ってきた。手には大きなバスタオルが握られている。蘭はそのバスタオルに身を包んだ。
「あったかい……」
「今、お湯張ってるので入っていってください」
「えっ」
まさかそこまでされるとは思っていなかった蘭は戸惑う。しかし、困惑する蘭をよそに、楓は続ける。
「濡れた服は一旦洗濯していってください。洗濯乾燥機なので乾燥までできます」
最早蘭は戸惑うを超えて、圧倒されかけていた。てきぱきと段取りを組んでいく今の楓に、いつものふわふわ天然感はない。蘭は浮かんできた疑問点を楓に問う。
「か、乾かしてる間、服はどうすれば」
「申し訳ないんですけど、うちの母親の服持って行くのでそれ着てください」
抜け目がない。蘭はぽかんと口を開けるしかなかった。
「それじゃ、こっちへ」
蘭は楓に手招きされて、玄関を上がる。楓はリビングの横の扉を開けた。
「ここが風呂場と脱衣所で……ここに洗濯乾燥機があります」
楓は他にも、この洗濯乾燥機の使い方や、洗剤と洗濯ネットの場所などを立て続けに伝えてくる。蘭は、突っ込むわけにもいかず、ただただ説明を聞いていた。
「あ、着替え持ってきますね」
楓はそう言って一旦脱衣所を後にする。その間に、「お風呂が沸きました」という音声が浴室から聞こえてくる。
「あ、お風呂湧いたみたいですね。これ着替えです。ここ置いておきますね。じゃあ、僕リビングにいるので上がったら来てください」
ひょこっと脱衣所に戻ってきた楓は、蘭の着替えを置いて脱衣所のドアを閉めた。
一人脱衣所にぽつんと残された蘭。
「くしゅん」
蘭は、ここまであまりに怒涛の展開だったために思考が止まってしまっていた。ただ、わかるのはとても寒いということ。とりあえず、それ以外のことを考えるのはやめて楓の言葉に甘えることにした。