練習の日々は続き、成果として俺たちはすぐに転けるようなことはなくなった。
初めはぎこちなかった動きと会話もどうにか足並みを揃えられるようになったというところで、問題が。
「流石にどこも場所が取れなくなってきたね」
「うう……全体競技の練習が始まったから、早い者勝ちで個人練習で校庭使うわけにもいかなくなっちゃったもんね……どうしよう」
体育祭も間近に迫ると練習場所はどうしても少なくなってくる。例年同じことだが今年は旧校舎の改修で広く場所がとられているのもあり、個人練習勢は肩身が狭い。
それを見越して早めから練習していたのだが、二人三脚ができるようになったとはいえ、勝てると言えるほどの練度ではない。
「運動できそうな公園は──少し遠くになるけどあるね、そっちに行ってみる?」
「うん、行ってみよう」
と、移動してみたものの。
──
「お兄様!」
「香、君──と、みんなも練習かい?」
「はい、飛車さん達から場所取りが激しくなると聞いていたのでそれならばと最初からこの公園で、男子達個人練習したい人を募ってやっていました!」
「お兄様! もしかして応援に来てくださったんですか!」
「みんな、お兄様が来たよ!」
「お兄様も練習に来たのでは?」
「お兄様と一緒に練習できるなんて……」
来てみれば、公園はすでに男子達の運動場になっていた。
確かに場所取りにあぶれたものが最初に向かうのはここだろう。ならば激化する前に初めから移動しておくというのは賢い作戦だ。
「それにここなら女子の目線も気になりませんし」
ジャージ姿の香はついでに、という感じで付け足す。俺にはこの男子高校生のともすれば芋臭い──全員顔が整っているためそれでも絵にはなるのだが──姿に女子が釘付けになる理由は分からないのだが。この世界だとそうなのだから仕方がない。
「ところでお兄様、そちらの方は……」
と、おそらく俺に向ける男子達の視線に恐れをなし、先程から背後に隠れる竜火さんに香が興味を移す。
「こちら俺のクラスメートの竜火さん、体育祭でパートナーになったから一緒に練習しに来たんだ」
「パートナーって──もしやお兄様、男女混合二人三脚に出るんですか!?」
「ちょっと声が大きいよ香、一応秘密の作戦なんだから」
「白銀さん、金汰さん!」
同じF組で作戦の共有がなかったことについて思うところがあったのか、どうやら奥の方で練習疲れかバテていたらしい白銀と金汰に香は詰め寄って行った。
「勝つ……ためには……仕方、ないこと……だった…………」
「お兄……様が敗北、して……しまえば……それ…………こそ」
「お二人とも準備体操でどうしてそこまで息切れできるんですか……」
というか練習以前だったらしい。フルマラソン完走直後みたいな倒れ込みをしないでくれ、準備体操で。
「まあまあ香、白銀と金汰が何競技もできるわけないのは分かってたでしょ」
「……確かに二人三脚やらせた日には大ケガしそうですね」
「というわけで、少しだけスペース借りてもいいかな」
「なっ! ……うう、仕方ありません。ですが、竜火さん!」
「はいっ!」
「くれぐれもお兄様に怪我がないように、お願いしますよ」
「勿論!」
一年生から圧を食らいこくこくと頷く先輩のはずの竜火さん。可哀想なので助け船を出す。
「さあ行こう竜火さん」
手を取りさっさと駆け出すのだこういうときは。
「──うん!」
なぜか背後から感じる圧は凄くなったが。
──
「イチ、ニ、イチ、ニ」
「あの、喜久川くん」
「どうしたの、竜火さん」
「その、ちょっと……落ち着かなくて」
「落ち着かない、何が?」
「……」
竜火さんが無言で指差す先は。
「あの方は誰なんでしょう」
「お兄様のクラスメート、らしいですが」
「それではあの学食で食べていたという?」
「どうもその方とは別で……」
「お兄様は走る姿も凛々しくて格好いいですね」
「ええ、僕もあんな風になりたいです」
「お兄様が出るならば僕も二人三脚に出たい……代わりませんか?」
「最初に代わって欲しいと言ったのは君でしょう! お兄様と戦う権利は譲りません──となるとペアの女子にも頑張って貰わなければ……」
「恋人!? それは……いやまさか……」
「そういえば以前お兄様らしき方が女子と一緒に……」
練習もそっちのけでこちらを観察する男子、男子、男子……なるほど、これは確かに慣れてなければプレッシャーだろう。
「こら! 敵情視察ばっかりしてないで、みんなも練習に戻りなさい」
「はーい!」
返事だけはいいが、疎らに散るものの視線とお喋りは継続中だ。
「ごめんね竜火さん、いつものことだから気にしてなかった」
「こっちこそごめん……注目されるの、好きじゃなくて」
今運動場に使ってるスペースは男子達で溢れている、どこでやっても注目は免れないだろう。
他にこの公園で走れるところとなると、池の周りをぐるっと走るジョギングコースがあったはず。今は人も少ないし走っても問題ないだろう、そちらなら落ち着けるのではないか。
「じゃあ次は実践形式ってことで、池の周りを走ろう」
「……うん、ありがとう」
少し力なく笑う竜火さんを連れて。
移動となるとまた男子達は騒ぎだしたが、流石に追いかけてくるなんてことはせず。
徐々に騒がしさは空に消え、二人の合図と地を蹴る音だけが響く。
しばらくして。
「喜久川くんはすごいね、あんなにいっぱいの人に見られてるのに」
「慣れだよ、俺も最初は落ち着かなかった。あの、竜火さん、辛いなら委員長に言って他の人に」
「大丈夫だよ、そこまで大事じゃないから。それに喜久川くんと組もうと思ったのは……興味があったからだし」
「興味?」
「! 変な意味じゃなくてね! その……私、昔はルビーなんてアダ名じゃなかったの。小学生くらいまでのアダ名は『王子』」
「王子」
あまりにも呼ばれなれたから忘れていたが、それは確かに俺以外を称する単語として存在するのだ。
「私、昔から背が高いし肉付きがよかったから。小学生の時には同年代の誰よりも大柄で男らしいやつって女子だけじゃなく男子からも王子様扱い──普通扱いされなくてさ……そんな周りの態度が嫌だから少しでも普通に、痩せようとして水泳に打ち込んだら、今度は胸が大きくなって余計水泳だと目立つし……その頃には太ってるから王子は相応しくないってルビーに、特別扱いは無くなった。けど、目立つのは苦手になったの」
走っていたはずの速度は、言葉と共に少しずつ、ゆっくりゆっくりと。
「だから勝手に喜久川くんのこと同情というか心配しちゃって、もしかして『姫王子』が嫌なんじゃないかって、ずっと聞きたかったんだ」
それは、初めて得られた共感だったのかもしれない。
俺は『姫王子』だから──普通じゃないから──ただの青春が送れない。
差はあれど、きっと竜火さんも似たようなことを経験したのだ。
特別ゆえの疎外感。
答えを、口に出そうとして。
「──!」
叫び声、と大きな水音。
二人して視線をやれば、池を挟んで向こう側。こちらの様子を見るためか、男子達が集まっていた。声を上げたのはその隣にいる大人の女性だろう、彼らの視線は水面に向かっている。
誰か落ちた。
俺は急いで足を縛っていた紐を外すと、一目散に駆け出す。
「ちょっと喜久川くん!」
「竜火さんは救急車呼んで!」
制止する声を振り切り、俺は近くまで行く。
「落ちたのは一人?」
「いえ、その一人というか」
突然の状況に混乱しているのかしどろもどろになる香。
まさか何人も落ちたのだろうか。
邪魔になる靴や上着を脱いで飛び込む。
「お兄様!?」
パニックになっているのか激しい水しぶきを上げるそこに向かってひたすら泳ぐ。
見えないまま暴れるその子を手の感触だけで引き寄せ。
「大丈夫! 落ち着い……」
「ヘッヘッヘッ」
顔を寄せ、長いマズルとこちらを舐めてくる舌で気づく。
なるほど、そりゃ落ちたのは一人ではないだろう。一匹だ。
「喜久川くん! ここの池はそんなに深くないから飛び込まない方が……って」
追い付いた竜火さんのアドバイスも手遅れ、上から下までビショビショだ。
「……もう勝手に池に入っちゃだめだぞ、君」
「くぅーん?」
分かってなさそうな顔をしている犬を、みんなの横でいたく感激している飼い主であろう女性の元までエスコートするのだった。
──
何度もお礼とクリーニング代を渡そうとしてくる飼い主に、当然のことをしただけです、なんて言いながら。俺は先ほどの自分を反省していた。
突然の状況に混乱していたのは俺の方だ、結果助けられたからいいものの、あやうく二人して──いや一人と一匹して溺れるところだった。
もっと良い解決策があっただろう。少なくとも飛び込むのはリスクだった、犬も怖がっただろうし。
クリーニング代を巡る攻防は終わり、残るは。
「着替えなんですが……流石に上下お兄様が着れそうなのを持ってる子はいませんでした」
「まあ、そうだろうね」
というかそもそも下着まで全身ビショビショなのだ。流石にこのまま着て乾かすというわけにもいかない、風邪を引く。
「しょうがないから一旦家で着替えてくるよ」
「確かに、ここからお兄様のお家は近いですからね。道中気をつけてください、上からジャージを着るでしょうがそんな姿誰かに襲われかねません」
面倒な話だが、痴漢扱いもされたくないからな。
このまま歩くのはやめよう。
話が終わると、ちょうど荷物を持ってきてくれた竜火さんが近付いてくる。
竜火さんには練習のつもりが、関係ないことで時間を使わせてしまいもうしわけない。
そうだ、近いのだしお礼をするため家に誘ってみてもいいかもしれない。
あの話の続きもしたいことだし。
アリマ様は犬派