「好きになりたくないよぉおおおおお!」
私、皐月 桜花は自室の枕に顔を埋めながら必死に己の感情と戦っていた。
「お姉ちゃんうるさい」
「今お姉ちゃんは強敵と対峙してるんだ! 妹なら応援してよ!」
一つの部屋をカーテンで区切っただけのプライベートも何もない世界は私に優しくない。なので私は妹にも優しくない。
「そんなんだからモテないんだよ」
「そんなことない! 私がモテないのは……」
そう、私がモテないのは、あの姫王子──喜久川のせいだ。
別に男子との出会いが今までなかった訳じゃない。
未だに彼氏は居たことはないが、保育園でも小学校でも中学校でも、クラスメイトに男子は居て、言葉を交わしたり何ならグループとはいえ遊びに行ったこともある。
ただ、こっちを振り向いて貰えた──そんな気持ちを抱ける程の興味や好意を振り撒いて貰ったことはない。
それはきっとアピールが足りないからだ! 私は中学卒業を機に変わることにした。
所謂、高校デビューというやつだ。
髪を染めて、制服なんて初日から着崩してやる。遊び慣れてる、頼りになる私が思い描くカッコイイ女──少し恥ずかしかったけど、お姫様のイメージだ。
意気揚々と教室に入った私を打ち砕いたのは。
そんな虚勢や妄想をまとめてどこかへ吹き飛ばすような、本物のお姫様で──王子様だった。
喜久川 有馬には美しい容姿があった。
街中で十人が見れば十人が振り返るだろう、なんなら私は二度振り返る。
喜久川 有馬にはしなやかな肉体があった。
体育の時は鍛えられた身体の躍動に性別問わず釘付けになり、そしてその試合の結果に一喜一憂した。
喜久川 有馬には多種多様な知識があった。
それはテストで百点を取るような知恵というわけではない。話せばまるで何十年も積み重ねられたような、別の世界に生きてきたような、そして経験に裏打ちされていると分かる知性を感じる。
喜久川 有馬にはそしてその誰もが欲するどれにも執着が無かった。
何でもないようにそこにいた、当たり前のように、触れることができる距離に。
だからか、当然のごとく彼は男子にモテた。クラスメイトは当然、別のクラスでも、学年が違っても関係ない。いつの間にか何人もの男を侍らせて、本当に物語のお姫様のようだった。
だから私達は妬みを持って『姫王子』と名付けた。どうも男子連中は称賛と解釈しているようだが、あれは私達の皮肉なのだ。
ともかく一年間──私達の男子と触れあう時間というものは奪われた。男子達は時間があれば喜久川と交流するのだから。
振り向いて貰おうとアピールしようと思っても、あれの前では意味がない。
だから、私は宣戦布告をした。
男子達から少しくらい嫌われようとも構わない。
悪感情でもこっちに気づいてもらえなければ、彼らの前に振り向くという選択肢すら出てこないのだ。
なのに。
『じゃあ俺で慣れればいいよ』
『今日からよろしくね、桜花さん』
『これから仲良くしていこう、楽しみだよ』
真正面から見つめてくるなんて──予想してなかったのだ。
だって、男子は頑張って振り向かせるものなのに、喜久川はただ話しかけた──というか喧嘩を売ったはずなのに、笑顔を返してくれた。
「絶対、絶対私をからかって楽しんでいるだけだ」
しかしからかっているかはともかく、あの笑顔や握手に興味や好意が含まれていることは分かる。だって、私はずっとそれを追い求めてきたのだから。
「……握手しちゃった」
じっと右の手を見る。
あんな握手なんて初めての経験だった。
本物の手は妄想してたよりもずっとごつごつとして、力や熱を感じた。
慣れた様子だった。握手ぐらい、きっと誰とでも何回もしているんだろう。
ああ、周りの男子達が羨ましい──って。
「違う! 色んな男子の手を握ってるあっちの方を羨ましがるべきなのにぃいいいいい!」
「お姉ちゃん!」
「今、私は敵の策略に陥ってる最中なの! 抜け出せるように応援してよ!」
「いつもの妄想か何か知らないけどさっさと負けて大人しくして」
「負けたらすごいことになっちゃう」
「ふーん……どうなるの?」
「それが分からないから怖いんでしょ! 負けたくないよぉおおおおお!」
「お母さーん、お姉ちゃんが壊れたー」
「そろそろ一周回って直るわよ」
まったく家族がいが無い!
その点、喜久川は優しくて──もう!
そうだ、握手くらい別にどうってこと無い。いや立ち直るまで熱に浮かされて気づいたら昼休みだったが。
そこへの追撃がよくない。ようやくいつもの調子に戻ろうとした私に喜久川は『一緒にお昼ご飯』というとんでもなく重い一撃。
あやうく恋に落ちかけたが、助けがあった。
なんと三条さんと四谷さんも一緒に食べたいと言ってきたのだ。
恋がどうとかいう繊細なドキドキを振り切り、全女子の見てる夢みたいな場面に私は滅茶苦茶テンションが上がった。クラスの女子共から沸き上がる殺意も何てことはない、あの時の私は無敵だった。
いや、浮かれていた。だからつい四人がけの席なんて選んだのだ、長テーブルにすれば、あんなことにはならなかったのに。
私の揚げ足を喜久川は逃さなかった。
なんと私の隣に座ったのだ、あの学校の姫王子が!
クラスメイトだけならともかく、学食中から──特に目の前の三条さんと四谷さんからの冷たい視線は一瞬で私の無敵状態を解除した。
だが本当に恐ろしいのは、そんな状態でドキドキして嬉しくなってしまっている私自身だ。
食い方を注意するように言われたけど、そもそもいつも通りの動きをできる自信なんて最初から無かった。ふわふわした気持ちが心から身体を支配しそうになるのを防ぐので必死だったのだから。
そんな私の隣でにこにことうどんをすする喜久川、絶対にからかっている。
だが、私は耐えきった。折角男子と相席してるのにまともな話の一つもせずに心を落ち着かせた。
ボロボロの私はこんなことならクラスの女子達を連れてくればよかった、調子に乗ってごめんなさい、なんて反省していた。
けど、喜久川は容赦なんてしてくれない。
彼が私の口を拭った。
安いざらついた大量生産の紙ナプキン、その薄い守り一枚だけを通じて、彼の指先と私の唇は触れあっていた。
まだ私の右手に残るあの熱い感触よりも、ずっと鋭く甘い刺激が口から脳へと直接刷り込まれるようだった。
このままじゃ駄目だと、本能的に理解した私は顔を反らしたけれど──喜久川は狙った獲物を逃してくれない。
力強く何度も、指の形まで覚えさせるようなそれは。
敵のはずの姫王子が──当たり前だけど男なんだと嫌でも認識させられてしまう。
どれだけの時間が経ったのかもう考える余裕もなかったけど、指を離されたその感覚で私は現実世界に戻る。
目の前では何でもないことのように、喜久川が私を見ている。
私はこの時、多分ようやく喜久川に『振り向いた』のだ。
見つめあって、そして私の中にこの感情が生まれてしまった。
好き。
喜久川 有馬のことが好き。
胸に溢れる熱に心を焼かれる。
だって彼は私の理想の姿そのものなのだ、私を見つめてくれる王子様で、私が憧れるお姫様。両方なんて、ズルすぎる。
好き。好き。好き。好き。好き。
ああ、無意識に気づかないようにしてたんだ。
だって、こんなの苦しすぎる。
お姫様で王子様な彼への恋なんて、叶わないに決まってるのだから。
「好きになりたくないよ……」
枕に顔を埋めながら、私をからかっているだけと何度も唱える。
でも、自分で作った嘘の魔法なんて、効くはずもなかった。