月の薬師は魔法使いの夢を見るか?   作:十六夜××

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第六話 アポロ計画

「私は……月の仲間を見捨てて逃げ出したのです!」

 

 ホグワーツの禁じられた森に潜伏していた月のうさぎ、レイセンは溜め込んでいたものを吐き出すようにそう告白した。

 

「逃げ出した? それって、月からってことよね? 依姫と喧嘩でもしたの?」

 

 綿月依姫は綿月豊姫の妹であり、実質的に月の使者の実動部隊の指導者だ。

 おっとりしている姉と違い、依姫は厳しい一面を見せることが多い。

 

「いえ、依姫様が原因というわけでは……」

 

「だったらどうして? わざわざ地上へと逃げてくるなんてよっぽどよ?」

 

 レイセンは思い詰めるように膝の上でギュッと拳を握る。

 

「い……セレネ様は、アポロ計画というものをご存知ですか?」

 

 アポロ計画。まさかその名を魔法界で聞くとは思っておらず、私は少し目を見開く。

 

「ええ、もちろん知ってるわ。私が地上に堕とされた年……一九六一年にアメリカの大統領が人類を月へと到達させるという声明を出した。そして一九六九年、人類は表の月へと到達した」

 

 魔法使いの家庭で育った私にも人類が月に到達したというニュースは耳に入った。

 アポロ十一号。あれはまさに人類の偉業だ。

 

「一九六九のあの日、月の都に激震が走りました。月の民は地上の人間が月へ到達することは不可能だと考えていたからです。それから今までの間に、人類はさらに四回も月への着陸に成功しています」

 

 レイセンは自らを抱きしめるように縮こまると、俯き震え始める。

 

「一度だけならマグレかもしれません。でも実際に地上の人間は五回も月へと着陸しました。地上の人間は、月へ到達する手段を確立させたのです。戦争が起こるのは時間の問題でしょう」

 

「なるほど……読めてきたわ。つまり貴方は戦争が怖くて綿月のところから逃げ出したのね」

 

 レイセンは俯きながら小さく頷く。

 

「地上の人間はまだ大規模な軍隊を月へ降ろしてはいません。今のところは偵察なのでしょう。ですが、軍隊がやってくるのも時間の問題です。それに、地上の人間は月へ直接攻撃する手段も持っていると聞きます」

 

「大陸間弾道ミサイルか……」

 

 私が地上に堕とされる少し前、依姫からその事について相談されたことを思い出す。

 確かアメリカとソ連の両国が月へ核爆弾を撃ち込もうと計画しているが、本当にそんなことは可能かという内容だったか。

 依姫としては酒の席の軽い冗談のつもりだったようだが、私はすぐに結論を出した。

 

『地上の民のミサイルは、表の月どころか裏の月までも届き得る』

 

 それからだろうか。依姫が実戦を意識し始めたのは。

 部下である玉兎の訓練は明らかに厳しくなったし、私のところにもよく話を聞きにくるようになった。

 依姫も学がないわけではないが、神霊を相手にすることが多い彼女と私では専門が異なる。

 そもそも、月の民は地上と月とを行き来する際、ロケットなどという原始的な方法は用いない。

 直接空間を繋げるか、もしくは月の羽衣によって移動するのが一般的だ。

 私もロケットに関しては専門というわけではないが、ロケットの推進剤として使われている化学燃料がどれほどの推進力をもたらすかの推測ぐらいは出来る。

 

「まあ、なんにしても事情はわかったわ。確かに月の都では逃げ回るのにも限度があるものね。地上へは羽衣で?」

 

 レイセンはコクリと頷く。

 月の羽衣は月と地上を行き来するための道具だ。

 月と地上を行き来する手段としては最も原始的で時間が掛かるため、今では玉兎以外に使用するものはいない。

 

「で、着陸した場所がホグワーツの禁じられた森……というわけね」

 

「セレネ様、ここは一体どこなのですか? 英語圏であることはわかるのですが……月から持ち込んだ機械も軒並み故障してしまいましたし」

 

 レイセンは穴ぐらの隅に視線を向ける。

 そこには月の都でよく見る測量器具や、簡易的な浄水器、穢れ探知機などが積まれていた。

 

「ここはイギリスの北部。ホグワーツ魔法魔術学校の敷地内よ」

 

「イギリス……それも、魔法学校?」

 

 レイセンはそう言って首を傾げる。

 

「そう。ここは魔法使いの子供達が魔法を習う学校」

 

「なるほど。道理でおかしな格好をした人間が多かったのですね。それにしても魔法使いの学校ですか……地上の人間は科学のみを信仰しているものとばかり思っていました」

 

「少し特殊ではあるわ。マグル……魔法使いじゃない人間に比べて数も少ないし。魔法使いは魔法使いではない人間に対してその存在を隠している」

 

「月に対しても……ですか?」

 

「いえ、魔法使いは他の人間同様、月に都があることを知らないわ。それに、マグルと違って月にも興味はないみたい」

 

 私はレイセンにイギリス魔法界のこと、ホグワーツ魔法魔術学校のことを簡単に教える。

 そして、レイセン自身が赤い目のバケモノとして学校で噂話になっているということも伝えた。

 

「まだ大きな問題にはなっていないみたいだけど、これ以上危険を冒すべきではないわ。ホグワーツの教師たちが本腰を入れて貴方を探し始めたら、捕まるのも時間の問題よ」

 

「そんな、人間に捕まるほど間抜けじゃありませんよ。それに私は波長を操ることができます。その気になれば完全に姿を消すことだって可能です!」

 

 レイセンはそういうと椅子から立ち上がり能力を発動させる。

 その瞬間、目の前に立っていたレイセンの姿が綺麗さっぱり消え去った。

 それに音も消しているのか、呼吸や布擦れの音すら聞こえない。

 

「どうです? 完璧に消えているでしょう?」

 

「ええ、確かに五感じゃ感じ取れないわ」

 

 私は肩を竦めながら杖を取り出す。

 そして穴ぐらの全体に対して魔法をかけた。

 

「アパレシウム、現れよ」

 

 その瞬間、目の前の空間が歪み、レイセンの姿が浮かび上がる。

 レイセンは自らの姿が浮かび上がったことに対して酷く驚愕しているようだった。

 

「な、なんで〜!」

 

「魔法よ。ここに辿り着いたのだって魔法で探知したわけだし。貴方がどれだけ物理的に姿をくらませようが、魔法使いはそれ以外の方法で貴方を見つけ出す」

 

「そんな! それじゃあ私の能力まるっきり無意味じゃないですか!」

 

「無意味ってほどじゃないけど……過信はしてはいけないわ。少なくとも、赤い目のバケモノはもうやめた方がいいわね。今まで相手の精神の波長を操って相手を狂気に陥れて追い返していたようだけど、長く続ければ続けるほど自分の首を締めるわよ」

 

 自分の能力に余程の自信があったのか、レイセンは目に見えて肩を落とす。

 いや、能力に自信があるのなら戦いから逃げ出すなという話だが。

 

「これからは姿を隠すだけにしなさいな。そうすれば、相手がよっぽどの魔法使いじゃない限り存在に気が付かれることはないわ。……というか、貴方これからどうするつもりなの?」

 

「え? どうする……とは?」

 

「これから先の話よ。まさか、ずっとこの森に潜伏するつもり?」

 

 私の言葉に、レイセンは表情を暗くする。

 

「……どうにかしないといけないことはわかってるんです。いつまでもこんな泥棒のような真似はできないですし。あ、セレネ様のペットになるというのは……」

 

「却下よ。私はもう月の民ではないわ。魔法使いの家系、ブラック家に生まれた魔女。貴方のようなウサギを常に横に侍らせていたらどんな目で見られるか想像もつかないわ。それに、私もここの学生だからあと七年は学校に通わないといけないし」

 

「そう……ですよね。だとしたら、街に出て働くしかないのでしょうか」

 

「それが一番いい、とは言い難いわ。今の魔法界の現状を見ると」

 

 私の言葉にレイセンは首を傾げる。

 

「まず第一に、今のイギリス魔法界は亜人に対する扱いがあまり良くないわ。人間至上主義というやつね。勿論耳を隠せば人間扱いしてもらえるでしょうけど、兎だとバレたら迫害される可能性もある」

 

 それに……と私は言葉を続ける。

 

「今、魔法界では戦争が起きようとしている。下手に社会に出ていったら争いに巻き込まれる可能性があるわ」

 

「戦争!? そんな、戦争するのが嫌で地上まで逃げてきたのに……」

 

「たどり着いた先がまさに戦地だなんて。貴方よっぽど運がないのね」

 

 私は青ざめるレイセンの顔を見てクスリと笑う。

 そして、レイセンの肩に優しく手を置いた。

 

「でも、幸運なことも一つある」

 

「幸運なこと……ですか?」

 

「私に発見されたこと。貴方は本当に運がいい。地上に堕とされ最高に暇してる元月の民の私に発見されるだなんて、貴方多分一生分の運を使い切ったわよ」

 

 私は椅子から立ち上がると、両手を広げて天を仰ぐ。

 

「ああ、この穢れに満ちた原始的な世界は暇で暇で仕方がない。子供騙しの魔法の授業に腐った思想の同級生。親は口を開けば純血の誇りがと煩いし、兄は自分たちが世界の中心だと思い込んでいる」

 

 私はその場でクルリと回ると、レイセンの手を取る。

 

「そんな中、こんなに面白そうなことが舞い込んできた。安心しなさいレイセン。ペットにはしてあげられないけど、きっと私が今の現状をどうにかしてあげるわ」

 

「本当ですか!?」

 

 レイセンは目を輝かせながら私の手を握り返す。

 

「私を誰だと思ってるの? 玉兎に嘘をつくほど堕ちぶれちゃいないわ」

 

「わぁー、ありがとうございます!」

 

 レイセンは私の手を握りながらぴょんぴょんと飛び跳ねる。

 赤い目のバケモノ……やはりこの噂に食いついて正解だった。

 まさかこんなにも面白いおもちゃを見つけることができるとは。

 私は内心ほくそ笑むと、レイセンと一緒に飛び跳ねた。

 

 

 

 

「それじゃあ、私は一旦城へと帰るわ。明日……いや、今日の夜また顔を出すから大人しくしておくのよ」

 

「はい! わかりましたセレネ様!」

 

 レイセンに見送られて私は穴ぐらを後にする。

 懐中時計を確認すると既に時刻は三時を回っていた。

 

「流石に夜更かししすぎね」

 

 私は大きな欠伸を噛み殺し、目くらましの掛かったローブを羽織る。

 そして宙へと浮き上がり、スリザリンの女子寮へと戻った。

 

 次の日の朝。私は眠たい目を擦りながら昨日の出来事を整理する。

 朝起きた時は昨日のことは全て夢だったんじゃないかとも思ったが、もし夢じゃなかった場合、ひたすらに待ちぼうけを食うレイセンが余りにも可哀想だ。

 私は授業を受けながら今日までに調べた隠し部屋のメモを見る。

 ひとまずレイセンにはホグワーツの隠し部屋の一つへ移り住んでもらおう。

 ホグワーツの地下廊下に果物が描かれた絵画がある。

 その絵画に描かれている洋梨を指でつつくと厨房への道が開けるのだが、洋梨ではなくぶどうを撫でると廊下を挟んで絵画の反対側の壁に扉が現れる。

 その扉の先には教室と同じぐらいの空間が広がっているのだ。

 内装や設置されている棚を見る限り、創設当初は食糧庫として使っていたのではないかと思う。

 ホグワーツの地下は年中通して気温が低い。

 食材を保管するにはぴったりだ。

 ちなみに、現在は厨房の中に食料庫が存在する。

 きっと利便性の問題で、厨房の中へと移転されたのだろう。

 私は一日の授業を終えると、地下廊下へ下りて果物の絵画のぶどうを撫でる。

 そして隠し部屋へと入り、今一度部屋の中を確認した。

 

「光源はないけど空気は循環してるわね。食材にカビが生えないように通気性を良くしていたのかしら」

 

 元食糧庫というのはあくまで私の想像だが、あながち間違いでもないかもしれない。

 私は壁の一部に変身術をかけ、ランプを設置する。

 そしてその中に魔法の火を灯した。

 この火は酸素や燃料を必要とせず、何ヶ月も燃え続ける。

 その時点で火と呼んでよいのかどうかは迷うところだが、光源として使うには最適だ。

 

「後はベッドに着替えに……水回りも整備して……」

 

 私は少しずつ何もない部屋に物を増やしていく。

 ベッドは壁の棚を変化させよう。

 壁に魔法で穴を開け、トイレとバスルーム、洗面所を作る。

 月の都での生活に慣れているレイセンにとってはイギリスによくある浴槽とトイレが一緒になった三点ユニットよりも、全てが分かれているセパレートタイプの方が使い勝手がいいはずだ。

 水や温水は隣の厨房から引いてこよう。

 下水も配管を厨房へと伸ばし、途中で合流させる。

 これで水回りは完了だ。

 

「あと何が必要かしら……机と椅子とクローゼットと……って、ちょっと贅沢かしらね」

 

 私はホテルの一室のような内装になった部屋を見回してクスリと笑う。

 月にいた時は玉兎のために何かをしようだなんて考えもしなかっただろう。

 月の民にとって玉兎はペットであり、道具であり、奴隷だ。私たちとは身分が違う。

 

「……きっと、レイセンから故郷を感じているのね。やっぱり、月への未練は捨てきれてないのかなぁ」

 

 私はもう一度部屋を見渡すと、殺風景な壁の一面に表の月の絵画を作り出す。

 

「月からは逃げられないわよ。レイセン」

 

 私はひとりそう呟くと、隠し部屋を後にした。




プチコラム

この頃のアメリカとソ連
 冷戦の真っ只中。この頃両国は宇宙開発に躍起になっており、どちらが先に宇宙へ進出できるか競い合っていた。アポロ計画もその一環。月の民は人類が月へ攻めてきたと認識していたが、アメリカからしたら敵は月ではなくソ連。

故障した月の機械
 ホグワーツには機械を狂わせる魔法が掛けられているため、マグルの機械を使うことができない。月の機械はマグルの機械と仕組みが似ているため、ホグワーツの敷地内に入った途端使えなくなった。

波長を操る程度の能力
 音、光、電波、脳波など、あらゆる波長を自由自在に操ることができる能力。非常に強力な能力だが、使う本人が未熟なためあまり大したことはできない。

厨房向かいの隠し部屋
 セレネの予想通り、ホグワーツ創設当初は食糧庫として使われていたが、厨房を挟んで向かい側にある食糧庫の使い勝手が思った以上に悪く、屋敷しもべ妖精の要望により厨房から直接アクセスできる場所に食糧庫が移された。それから何百年という月日が経ち、今では教師も屋敷しもべ妖精も代替わりし、その部屋の存在を知るものはいなくなった。
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