まえがき
ふたりが、いにしえの遊びを始めたようです。
真っ黒な空間に、『点』が一つ現れた。
そこを始点にして、『直線』を引く。
線の長さを固定して、始点を中心に回転させてみよう。いわばコンパスだ。でも、紙が無いから、線の終点は、前後左右上下、3次元で全ての方向にグルグル回る。
線の終点が無限個存在する……とすると、『点』の集合が『線』や『面』になる。
斜め上から光を当てると、灰色の『球体』が浮かび上がった。
少し下に地面……いや、ただの白い平面があって、そこに楕円形の影が落ちた。
球体は、とてもきれいだと思う。一つの点と半径だけで定義できる、どこにも隙がない均一な曲面。でもシンプルすぎるかな。
おもちのように球体を引き延ばす。楕円形……一定だとつまらないから、ちょっと変化をつけてみよう。卵型?
みかん 「もっともっと」
みかんが、カタチに触れた。
カタチは、さらに伸びていく。
とがった流線形になった! これもきれい。
わたしとみかんは、カタチをコピーして増やし、ぐにゃぐにゃ変形させて遊ぶ。
かたまり と かたまりを くっ付けるのは、カタチの足し算。穴をあけたり削ったりするのは、カタチの引き算。ぼってり盛って、シャープに削って、スムーズにならして、ディテールを作り込み……粘土細工や彫刻と同じだ。
作ったカタチの中が詰まっている、と考えて、『体積』と『重さ』を与えると、物体の真似事ができる。
あとは……硬さとか、色とか、質感とか、熱とか、においとか……そういうのは、みかんの得意分野だ。おまかせしよう。
こんな面倒なことしなくても、思い浮かべるだけで瞬時に何でも作れる。でも今は、手間がかかるやり方で遊びたい。
そうだよね? と、みかんがいじっているモノを見た。
……かたまりが、太い棒状に伸び、バナナのように反って、ピンク……
わたしは、あわてて『みかんスタンプ(果物のマーク。シンプルなイラスト)』を宙に浮かべ、みかんの作品を隠した。カメラ側から見えないように。このかわいいスタンプは、モザイク修正の代わりなのだ。
おもち 「みかんの えっちっち!」
またこういう方向に行っちゃう……。ナニを作ろうが自由だけどさ。
恐る恐る、みかんスタンプの向こう側をのぞいてみると……。
おもち 「うわぁ……」
わたしは、ちょっと赤面してしまった。
おもち 「職人だねぇ……」
そして苦笑い。
残念ながら、これはアウトだ。
『小学生男子のイタズラ』*2 レベルの造形ならセーフだけど、みかんは才能のかたまりだ。
リアルすぎて、みなさまにはお見せできません。
みかんは、造形物を二つにコピーした。わたしも、みかんスタンプをコピーして、生々しいモノを隠し続ける。
みかん 「あげる」
みかんは、造形物を一つ、手渡してくれた。
ずっしり重くて、硬いゴムみたいな感触で、温かい。
おもち 「あ……ありがと」
これは……引き出しにしまっておこう。
目の前に、みかんが立って……浮かんでいた。濃紺のデニムパンツに、絵の具で汚れた大きな作業用のエプロン。後ろに束ねた髪が新鮮かわいい。
そしてもちろん、わたしの手も見える。
ふたりは、カラダの存在を思い出したのだ。モノを手渡したことで。
おもち 「次は何を作ろうか?」
みかんが持っていたアレな棒が、変形して丸くなった。
もう安全安心だね。わたしは、みかんスタンプを消した。
みかん 「アッヒルゥちゃ」
不思議に愛らしい発音。
黄色いプラスチック光沢……。
おもち 「アヒルゥちゃん?」
これは、お風呂に浮かべる、かわいらしいアヒルのおもちゃ。ラバー・ダックだ。
みかん 「ほっ」
ラバー・ダックが二つに分裂した……いや、カタチも体積も同じだから、『分裂』ではなく『複製』かな。
2×2=4 、 4×2=8 、 8×2=16 、 16×2=32 、 32×2=64 、 64×2=128 ……
1秒に3回ほどのペースで、倍々に増えていくラバー・ダック。
おもち 「さすが、芸術家はやることが違う」
天才の考えることは、わたしのような凡人には理解できないのだ。
………… 2,048×2=4,096 、 4,096×2=8,192 、 8,192×2=16,384 、
16,384×2=32,768 、 32,768×2=65,536 、 65,536×2=131,072 …………
増殖のペースが上がっていく。
…… 16,777,216×2=33,554,432 、 33,554,432×2=67,108,884 、 67,108,884×5 ……
危険だ。
おもち 「止めて止めて! ストーップ!」
手遅れだった。ラバー・ダックは観測不能な数まで増え、世界を黄色く埋めつくしていた。
もはや、『数』ではなく『量』と言うべきか。 *3
ふたりは、ラバー・ダックの海に、ずぶりズブリと半身を沈めた。
ゴロゴロ当たって、地味に痛い。こんな遊び場あったよね。ボールプールだっけ?
みかんのお下げのヘアゴムが切れて、髪がふわっと広がり、いつものボサボサに戻った。やっぱりわたし、この自然な髪型が好きだな。
甘美な白桃の香りが、わたしの鼻をくすぐり、視界をピンク色にかすませる。
ラバー・ダックの海に、島のように浮かぶ、裸の肩と鎖骨が、ほっそり色っぽくて……
……って!
おもち 「なんで脱いでるの!?」
全く意味がわからない。
7割ほど沈んで隠れたカラダ。ラバー・ダックの隙間から見えるのは、すべすべで健康的なお肌だけ。みかんスタンプが不要なのは助かるけれど、妙に想像力をかきたてる。
みかんの近くに、作業用エプロンと、グレーの靴下の片方と、薄い水色の小さな布 が浮いていた。他の服はラバー・ダックの海に沈んでしまったのだろうか。服を脱ぐ動作が見えなかったから、脱いだのではなく『転送した』あるいは『消した』もしくは『溶かした』のかもしれない。
みかん 「おふろ」
おもち 「ああ! アヒルちゃん風呂ね!」
全力スマイルで無理やり自分を納得させた。お湯が無い、ラバー・ダックだけのお風呂だ。
……お風呂というより お宇宙だけど。
みかんの胸元から、パイナップルの香りがする。胸がチクチクするのは……なぜ?
パイナップルの刺激で、自分も全裸であることに気付いた。いつの間にか脱がされていたらしい。お風呂だからね……。いや、始めから裸だったのかも。どうりで気持ちぃ……痛いわけだ。やわらかい肌に、ラバー・ダックのクチバシがぐりぐり食い込んでいるのだ。
アヒルちゃんで構成された黄色の世界に、全裸の変態がふたり浮かんでいる。
これが、シュールエロイズムか……。
みかんが、ラバー・ダックを一つ、つまみ上げた。
うにょーんと変形していく。プラスチック感はそのままに、曲面を伸ばし、流線形に整え……。
造形物は、自動車のおもちゃになった。全長は20cmほど。ちょっとレトロな、オープン2シーターのスポーツカー。ぬるっとした丸みがある流線形のデザインに、イタリアンな赤。車種は分からないけど、かわいいかも。
みかん 「たべて」
みかんは、自動車のおもちゃを手渡してくれた。硬くて、ひんやり冷たい。
おもち 「いいの? せっかく作ったのに」
これ食べられるの? という疑問に意味は無い。食べようと思えば何でも食べ物にできるのだ。
わたしは思い切って、自動車のおもちゃをかじった。
ぶちゅるっ!! っと白いものが噴き出し、わたしの顔に盛大にかかった。甘いバニラの香り。表面は硬いけれど、予想外にもろくて、押しつぶしてしまったのだ。
みかん 「おいし?」
愛くるしく首をかしげ、すこし上目づかいになるみかん。
おもち 「んふふ……おいしひ……」
確かに、すっごくおいしい。
自動車のおもちゃの外側は、薄いチョコレートのコーティングだった。カカオの香りと苦みが感じられて、パリパリの食感。中身は、ふわっふわのスポンジケーキ。よく見たらバニラビーンズが入っていた。さらにその中に、甘さ控えめだけど濃厚な生クリームが、たっぷり詰まっていた。体積的に収まらない異常な量で。
みかんが、ぐいーっと、純真無垢な顔を近づけてきた。とがらせた唇にドキドキする。
みかん 「じゅるるるーーー!!」
みかんは、掃除機のように、わたしの顔に付いた生クリームを吸い取ってくれた。
色気のかけらもないなぁ……みかんらしいけど。
みかん 「へへ……」
屈託なく、にぱーっと笑うみかん。この笑顔を見た人は、健康寿命が1年ほど伸びるだろう。
無数のラバー・ダックが、一斉に変形を始めた。
……草木、建物、人、自動車、昆虫…………。
中途半端に生クリームが付いたまま、放置されるわたし。
犬みたいに ぺろぺろ舐めてくれるのを期待したんだけれど……残念。
住宅街が広がった。新古が入り雑じる無数の民家。遠くに高層マンション。緑豊かな公園。遊具で遊ぶ子供たち。バイクのエンジン音。鳥の声。アスファルトと土のにおい。救急車のサイレン。
おもち 「嘘と狂気にあふれる、カオスな世界?」
そんな解釈が浮かんだ。理由は無い。
みかん 「……ん…ふ……」
みかんが、ふらっと倒れかけた。
おもち 「みかん!」
わたしは、それを抱き止める。
わたしは、パチンっとシャボン玉を割るように、世界を消した。
真っ黒だとさびしいから、さわやかな空色にした。わたしたちのカラダはそのままに。
……合成に使うブルーバックみたいだね……。
ぐったり疲れた様子のみかんを、ぎゅーっと抱きしめた。
おもち 「無茶しちゃだめ。ね?」
この ちいさな神様は、ちょっぴり本気を出してしまったのだ。
裸で抱き合ったまま、目を閉じて、黙り込むふたり。
うすーい汗のにおいが、ほわわーんと心地よい。
……こんな誘惑で、わたしは落ちないよ。
わたしは、みかんの耳元でささやいた。
おもち 「ねぇ、みかん……」
しっとり塩味で、ぷにぷに熱い。皮膚の下を血が流れる音まで聞こえそう。
お互い、裸は見慣れているけれど、こんなに素肌を密着させたのは初めてかも。
おもち 「思い出、作ろっか?」
みかんは、こくん、っと、うなずいた。
つづく
でも、『点の集まり』と考えた方が分かりやすいです。コンピューター上でも、その方が扱いやすい場合があります。複雑な数式で定義された3次元の曲面は、そのままではレンダリングや強度解析などがしにくいので、曲面に近似したポリゴンメッシュ(小さな平面の集まり)に置き換えますが、ポリゴンメッシュの正体は点群なわけで。(厳密にはこの説明も間違いのような……)
感覚的・慣習的な使い別けでは、『数えられるものは数、数えられないものは量』です。実際に数えなくても、『推定○○個』などと言えるなら『数』で表せるモノです。
液体や粉末などは、体積か質量……つまり『量』で表します。『水の分子が○○個』とも言えますが、普通は数えないですからね。
あとがき
読んでいただきありがとうございます。
ふたりの思い出作りを邪魔しないように、カメラを止めました。
この話は、『ふたたり』を初めて投稿してから1年以上経って追加したものです。
出来事の前後関係(時系列)が狂ってる? と思われそうですが、これでいいのです。時間の流れ方も、ふたりが決めることなので。
次話は、人体の不思議的な話……ではありません。
[ 初投稿日時 2023/11/22 22:44 ]