勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
第1話
アークへ帰還する為のエレベーター。
地下深くへ繋がるそのエレベーターの中に設けられた椅子へ腰掛けるムーアは直ぐ側で行動を共にする事となった2体のニケ──ラピとアニスがオペレーターと会話する様子を横目で捉えながら半透明の壁からアークの街並が放つ光の洪水を睥睨した。
彼自身が処分を下したマリアンに埋め込まれた侵食コード。
それは輸送機へ搭乗される前に埋め込まれた可能性が高いという。
であればそれが可能なのは帰還する先であるアーク内でのみだ。
その内容を聞き取りながら彼は光の洪水へ再度、目を向けて瞳を細める。
何故だろうか。
──帰って来た、という安堵が微塵も感じられない。
指揮官達がアーク内で生活する施設は集合住宅のような物件だ。
その中の一室にショウ・ムーアの居室がある。
広いとは世辞にも言えない間取りの居室はつい先日──士官学校卒業と同時に入居した為に家具の類は皆無だ。
それから間を置かずに初任務で地上へ赴いたのもあるだろう。
しかし趣味なのか、それとも身辺は最小限の物しか置かない主義なのか──彼の居室にある数少ない私物は帰還した数日前に購入した煙草とオイルライター、ジャージのみの有り様だ。
床の上へジャージのままで寝ているらしく寝具の類は見当たらない。
狭いシャワールームから出て来た彼は認識票のみを首から下げた姿のまま頭部の両側面を刈り上げて短く纏めた黒髪をフェイスタオルで乱雑に拭いた。
そのタオルを肩へ掛けて暫く呆けた後、身支度を始める前に一服だ。
煙草の銘柄はGODDESS。頭部と両腕が欠けた大理石の彫像がプリントされたソフトパックを無造作に掴み、一本を振り出し、銜えた煙草へオイルライターの火を点けて紫煙を燻らせる。
「──ッ…チッ…」
舌打ちを一発かます。時折、ソフトパックに印字された銘柄を読むと頭痛が僅かに走るのだ。
後で鎮痛剤でも飲んでおこうと思い至り、早々と一本を吸い終わると灰皿へ押し潰してしまう。
早く身支度を済ませる必要がある。今日は司令部へ出頭せねばならないのだ。
──この軍服は着慣れないな。
もういい加減に慣れても良かろうに彼は頻りに襟元へ締めたネクタイを煩わしげに調節しながら司令部庁舎前へ立つと待ち合わせていた人物達と合流を果たした。
「──お久しぶり指揮官様」
「──お加減は如何ですか?」
手を大きく振るアニスと、その横へ立つラピが彼の姿を認める。今回の出頭ではムーアだけでなく彼女達にも命令が下達されていた。
不可解なのは──二人については武装した状態で出頭を命じられた点だろう。
まさかドンパチを庁舎内でさせるつもりではなかろうな、と彼は微かに眉間へ皺を寄せながら考えてしまう。とはいえその予想は数時間も経たず当たらずとも遠からずの結果であると分かるのだが。
司令部庁舎内へ足を踏み入れれば、彼と同様の軍服を纏った老若男女が忙しなく行き交っている。
異なるのは軍服の襟や胸元へ付けられた階級章の意匠、そして受勲歴を示す略綬の数々の種別ぐらいであろう。
副司令官であるアンダーソンからの出頭命令だと受付へ伝え、オフィスへ向かうよう指示が下されれば彼は規則正しい足音を響かせて二人と共にエレベーターに乗り込んだ。
「…指揮官様。大丈夫?」
「顔色があまり宜しくありませんが…」
「…問題ない。それと…俺はもう君達の“指揮官”ではないぞ。帰還後に指揮は解いただろう」
庁舎前で数日ぶりに再会してからというもの強張った表情を浮かべている彼をラピとアニスが見逃す筈もない。緊張の類ではないだろう。むしろ──肉体的な不調が生じているのではないか、と短い付き合いながらも二人は結論付けた。
しかし生来の強がりの気質でもあるのか、彼はそれを認めようとはしない。それどころか彼女達へ“指揮官”という呼称を改めるよう促す始末だ。
数日前の作戦では必要性があって分隊を指揮しただけの関係だ。アークへ無事に帰還後、彼は言葉通りに分隊の指揮を解いている。
それを聞いたアニスは機嫌を損ね、頬を僅かに膨らませると顔を背けてみせる。
「フンッ。なによ。人が心配してあげてるのに」
「…心配は感謝するが…」
「…
「…なんだ?」
頭ひとつ分ほど低い位置から玲瓏な声が響き、彼は目線だけを動かして濃い茶色の瞳を向ける。──あの時の血が滴り落ちそうな程の充血は完治したらしい、とラピは改めて安堵した。
「…帰還後、しっかり休めていますか?酷い隈です」
「…中々、寝付けなくてな。昨夜は煙草を一箱空けてしまった」
高価だというのに勿体無い吸い方をした、と彼は頭を振ってみせる。
充血が治った瞳の目元には黒い隈が浮かび上がっていた。その色の濃さは気になっていたが、彼の言葉を聞く限りは帰還後からほとんど眠っていないと伺える。
「…マリアンのことですか?」
「それもある」
「
これぐらいなら彼は許してくれる、という一種の信頼感もあってか、腕組みして無自覚に豊満な胸を強調する格好となったアニスが皮肉ろうとするのだが不自然な言葉に気付いて首を傾げる。
「眠ろうとすると…なんと言えば良いか…」
「大丈夫です。ゆっくり話して下さい」
「…知らない景色の筈…なんだが…何処かで体験したか、その場にいたような光景を見てしまう」
「って、どんな?」
ラピから、そしてアニスからも続けるよう促された彼は無意識に軍服の胸ポケットへ納めた煙草とオイルライターを取り出そうとする。しかしここは禁煙だと思い出せば直ぐに手を下ろした。
「──何百と死体が転がる大通り…その大通りを進んで来る大量のラプチャー…破壊された市街地…人々の悲鳴…そして…」
──まるでその場にいるかのような、硝煙と血や脂の生々しい程に鮮明な匂いまで感じ取れると彼は口にした。
「…なんかヤバい4D映画でも観た…?」
「アニス」
「いや、構わない。カウンセリングでも受けてみようと思う。…君達に話して少し気が楽になった。ありがとう」
彼が感謝を告げて間もなくエレベーターが目的の階へ到着する。
アナウンスと共に扉が開くと被った軍帽の位置を整え、彼女達を連れてエレベーターから降り立った。