勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──状況終了。……指揮官、大丈夫ですか?」
「…大丈夫だ。問題ない。……会合地点の座標まで、あとどれぐらいだ?」
時刻は06:10。
分隊の姿は朝日が昇った地上にあり、つい先程、撃破したばかりのラプチャーの残骸が散らばる中を再び歩き出した。
地上へ来るのは一週間ぶりだ。太陽が眩しく感じてしまうのは、地下で、しかも
撃ち切った弾倉を交換するムーアをラピは横目に確かめる。
この一週間、戦闘に次ぐ戦闘の影響で彼の纏う戦闘服やボディーアーマーは所々が破け、素肌やセラミックプレートが僅かだが垣間見えている。返り血の色合いも凄まじく、どす黒いそれが生地へ染み込んでいるようだ。ヘルメットを覆うカバーの生地まで染まった様子は戦闘の凄まじさを物語っていた。
無精髭も濃くなったが、それ以上に目立つのは間違いなく濃い茶色の瞳の下だろう。真っ黒な隈が浮かんでいる。黒のドーランでも塗っているのか、と思う程だ。
そして──足取りが普段よりも少しばかり重いようにも思えた。
「──指揮官」
機関銃を携えたマリアンが彼へ歩み寄ると、左腕をムーアの右腕へ絡み付けて支える。フラフラとした足取りであったのもあり、自然と動いて彼を支えたのだが──支えられた当の本人は濃い茶色の瞳を一瞬だけ丸くしたかと思えば、ややあって喉の奥を少しだけ震わせて小さな笑い声を上げる。
「…前にも…同じことをしてくれたな」
「──はい、そうですね。あの時は指揮官が心停止した後のことでした」
「…そうだな…キミに《おんぶしましょうか?》とも聞かれたか」
「──良く覚えていらっしゃいますね」
「…忘れられる程、キミの存在は軽くない」
そうだろうとも。
彼の呟きが耳へ入った分隊を構成する彼女達が無言のまま内心で同意を返した。
ムーアは決して諦めなかった。見るも無惨な敗残兵そのものの姿と成り果てながらも戦い続けた。
その結末が──
廃墟が広がる寒々しい街並みの郊外。そこが会合地点だった。
ネオンがここが指定された座標だと答えて間もなく、濃い霧に覆われた平野の向こうから歩み寄って来る複数の気配を捉える。
カチリ、とマリアンに支えられる彼の右腕の手元で突撃銃の安全装置が外される音が響いた。
「──済まない。少し遅れたな」
「…気にするな。今、着いた所だ──…っ…ぁ…!」
白い霧の中から現れた人影──まず先頭を歩いていたのだろう巡礼者、スノーホワイトが彼の有様を見て眉根を寄せた。
もう少しドレスコードに気を遣うべきだったか、とムーアが考えた矢先、続けて現れた2名の巡礼者。その姿を目の当たりにした彼の頭蓋の内で酷い頭痛が駆け巡る。
思わず上体をくの字に折ってしまう程だ。冷や汗まで額から流れ落ち、呼吸が覚束無くなる。
慌ててマリアンが腕へ力を込めて彼が倒れ込まないようムーアを支えた。
「──し、指揮官…!?」
「…大丈夫…大丈夫だ。──仲間か?」
「あぁ。──紅蓮、そしてラプンツェルだ」
淡々と彼女が
それが鼓膜を震わせた途端、再度の頭痛が駆け巡った。
呻き声さえ漏れそうだが、それを歯を食い縛って耐えてみせる。眉間へ深い縦皺が刻まれ、世辞にも宜しくはない顔色が青くなる中、ムーアは俯きかけの顔を上げる。
「──
「──…?…あぁ…はじめまして」
「──ッ…」
間違いなく初対面の筈だ。だからこそムーアは金髪を纏めた──清廉な修道女にも見える巡礼者へ頷きを返す。
その途端、淡い勿忘草の瞳が揺れ動いた。
「……御尊名をお伺いしても?」
「…ショウ・ムーア。大尉を拝命している」
「…そう、ですか。…
修道女──ラプンツェルが結った金髪を揺らしながら頭を軽く下げる。それへムーアも軽く頭を動かして礼を返す。
「──はじめまして、かな?ん〜…見れば見るほど、良い男だ」
続けて大きな被り笠が目を引く、飄々とした態度の巡礼者、紅蓮が前へ進み出ると、ムーアを見上げて品定めの如く視線を向けて来た。
琥珀色の瞳へ浮かぶ自身の姿は──到底、彼女が言うような“良い男”には程遠いと彼は率直な感想を心中で漏らすと肩を竦める。
「……わざわざ足を運ばせて悪かった」
「気にするな。ちょうど定期的に会う日も近かったしな」
「…そうか。それなら…良かった」
純白の新雪を思わせる巡礼者へ改めてムーアは感謝を告げると、指先を動かして突撃銃に安全装置を掛けた。
そして──ここまで支えてくれたマリアンの腕から右腕をそっと抜くと彼女へ向き直る。
「…マリアン」
「…はい。分かっています。これからはピルグリムの皆さんと行動を共にします」
命じる必要はない、とマリアンは彼が続けるだろう先の言葉を遮るかの如く頷いた。委細を承知している、と言わんばかりに。
これが結末である。
戦って戦って、殺して殺し抜いた。
その果ての結末──或いは
不相応な我が儘を貫き通した結果の顛末、彼からすれば──敗北以外に適切な表現はないだろう。
「……俺の我が儘に付き合わせてしまった」
「謝らないで下さい」
疲労の様子を映し出す濃い茶色の瞳に見下されながらマリアンは左右へ頭を振った。
「…キミの指揮は解かない。今更どうこう言える立場ではないが…」
「言わないで下さい。…代わりに…ひとつだけ私の
何を、とムーアが尋ねようとするも、それよりも先に眼前の細い肢体が胸へ飛び込んで来た。
彼が背負う背嚢と背中の隙間から両腕が差し込まれ、強く抱き寄せられる。セラミックプレートが露出したボディアーマーに密着し、少しでも彼の温度を感じ取ろうとマリアンはムーアを抱擁する。
「…汚いぞ。それにシャワーも浴びていないからな」
「──汚くなんかありません」
──こんなになるまで戦ってくれたではありませんか。
離れるようムーアが肩を軽く押して促すが、マリアンは更に強く抱擁して拒絶を返す。
硬い防弾のプレートが邪魔だ。彼の温もりが感じられない。
携行している突撃銃が煩わしい。彼との距離が少しでも離れてしまう。
「──指揮官…これが
恐る恐る、マリアンがボディーアーマーへ額を押し当てながらムーアへ我が儘を告げる。
彼の顔はこれでは見えない。それが幸いして、勇気が出たのだろう。彼女にしては大胆な言動が出来た。
逡巡する雰囲気を察し、やはり無理な願いだったろうかと察したマリアンが背中へ回した両腕を解こうとする。
そもそも
このような馴れ馴れしい態度はムーアであっても許されないだろう。
幸いにもこうして自ら抱擁出来た。それだけで満足である。
大人しく彼女が身を引こうとした瞬間──グッと力強く太い両腕がマリアンの背中と腰へ回され、抱き締められる。
嗚呼、と息を吐いてしまった。
「……キミを守ると誓った」
太く逞しい腕に閉じ込められてしまったマリアンは抵抗のひとつもせず彼女だけへ紡がれる言葉に耳を傾けた。
「──俺はキミを捨てたりはしない」
「──はい」
「──必ず分隊へ連れ戻してみせる」
「──はい」
「──キミを守れるだけの力を付けた後、必ず連れ戻してみせる。──約束する」
「──絶対、ですよ?私、こう見えてもあまり我慢が出来ないんです。あまり遅いと…私から押し掛けちゃいますからね?」
言葉が紡がれる度に彼が抱擁する腕の力が増して行く。押し出された空気が漏れる程だが、それがどうしようもなくマリアンには心地良かった。
温もりが、彼女の好きな温もりを感じる。
どうしようもなく、悲しい程に優しい性根の持ち主から発せられる温もりを彼女は好ましく思っている。或いは想っている。
彼が何故、押し寄せる敵の手からマリアンを守る為にたった一人で無謀な戦いを繰り返したのか──聡明な彼女は察していた。
──きっとこの人は…。
彼女自身も彼の背中へ回した両腕へ力を込めた。二度と離れない、と分隊へ
──いつか死ぬ。
休息、補給、支援、そのいずれもままならぬ状況での孤軍奮闘ぶりは目を見張るものがあった。しかし限界は刻一刻と迫っていたのも事実である。
彼は優しい人間だ。他者の為に、何処までも残酷に、苛烈となれる程に。
彼自身へ残された命の灯火が燃え尽きる瞬間まで戦い続けるだろうとは想像に難くなかった。
思えばマリアンが分隊へ帰還し、前哨基地へ配属となってから周囲の彼女達へ不在中の出来事を聞いた際、ムーアへ対する苦言が混ざっていたのは一度や二度ではない。
──あなたは何故そこまで戦えるのですか?
逞しい腕に抱かれ、彼女は心中で芽吹いた疑問を口にしようとしたが──それを喉の奥へ引っ込める。
きっと話してはくれないだろう、という直感めいたものがあった。
いや、話してはくれるのかもしれない。ただし──困ったように頬を指先で掻きながら、であろうが。
精悍な顔立ちに似合わぬ幼い癖を見抜いているのはマリアンだけなのか、或いは分隊の彼女達も察しているのか。前者の場合、おそらくマリアンは優越感すら抱くだろう。
その予感できる優越感を搔き消す程に──彼女は恐ろしくなる。
彼の優しさが、いつか、必ず彼自身の身を滅ぼす原因になるだろうと分かっているから。
きっと彼は他者を犠牲とするぐらいなら自分自身が人身御供になることを厭わない人間だ。世界の果てへでも、例えそれが片道だけの死出の旅を思わせる任務だったとしても泰然と頷くに違いない。
行かないで、と縋り付く手を振り払い、後のことは全て他人任せにして──戦いの果てにあっさりと死ぬのだろう。
それがどうしようもなく恐ろしかった。
この温もりが永遠に感じられなくなる。その事実に思い至ると、マリアンの両腕に力が込められた。
いや──もしかすると、これは温もり、ではないのかもしれない。
身を焦がす程の何かに灼かれ、その余熱が放たれているのではないか。
──あなたは何故そこまで……。
問い掛けたい気持ちは抑え切れない。しかしそれを尋ねる勇気は残念ながら現在のマリアンには持ち得なかった。勇気というよりも聞いてはならない、という感情が強かったのか。
だから衝動的に尋ねてしまう寸前──彼女はスルッと、呆気ない程に、抱擁してくれていた彼から身を離した。
「──では私はここで。また会いましょう」
心配させてはならない。笑顔で別れよう。それぐらいは出来る。
マリアンが朗らかに別れを口にすると、再び突撃銃の握把を握ったムーアが頷きを返す。
「あぁ、必ず」
「はい。その日を待っています。──ラピ、アニス、ネオン。指揮官をお願いします」
「…元気でね」
「はい。ラピもお元気で。──アニス、そんな顔をしないで下さい」
「そ、そんな顔って何!?」
「ふふっ。──ネオン、ありがとうございます」
「火力の力を忘れないで下さいね?」
ネオンが食糧や着替え、予備の弾薬等が詰め込まれた背嚢を手渡して来た。それを受け取ったマリアンが背負えば、準備は完了である。
では、と彼女が小さく頭を下げる。
そして踵を返し──待機していた巡礼者達の中へ混ざった。
濃霧の中へ消えようとする4名の背中。その中の1名へムーアが呼び掛ける。
「──スノーホワイト」
「……なんだ?」
「──マリアンを宜しく頼む。俺の大切な部下のひとりだ」
声を掛けられた彼女が肩越しに振り返り、敗残兵も同然の有様となった彼へ視線を向け、小さくだが確かに頷いた。
「──信じて任せろ」
「…虐めでもしてみろ。何処に居ようと必ず見付け出すからな」
「……そんな趣味はない」
今更、敵対していた頃の話を持ち出すことはしない、と言外にスノーホワイトは語り、やがて濃霧の奥へ姿を消す。
それを見送ったムーアは、ポーチの中からソフトパックを取り出して一本を銜えるとオイルライターの火を点けた。
煙草は一口目が美味い。
スゥと紫煙を吸い込み──眉間へ深い縦皺が刻まれた。
「……不味い、な」
吸い慣れた
徐々に遠ざかっているのだろうムーアや分隊との距離。
どれほど歩いたのか。
30分ほど濃霧の中を歩いているマリアンの傍らに立つスノーホワイトが彼女を横目に伺うと溜め息を吐き出した。
「──泣きたいなら泣けば良い」
なんのことだ、とマリアンが問い掛けるよりも先に反対側からも声が掛けられた。
「──えぇ。…泣けない方の代わりに泣いてあげる。それも必要ですから」
誰のことを言っているのだろう。
疑問符が浮かぶマリアンを知ってか知らずか、揺れる太い金髪の房の向こうで大きな被り笠が縦に動く。
「──勝手な予想だがな。あの
その呼び方はどうかと思う。
指揮官へ対する呼称ではない、とマリアンは是正を促したくもあったが──その前に瞳が、視界が潤んだ。
何らかの故障でも起きたのだろうか。
「…ここにムーアはいない。だから泣いてやれ」
スノーホワイトが背中を軽く叩く。
その拍子に──我慢していた涙が、嗚咽がとめどなく溢れ出た。
ラプンツェルの瞳の色を【淡い勿忘草】と表現したのには理由はちゃんとあります。
ラプンツェル(髪長姫)のお話そのものがドイツのメルヒェン(昔話)集に収録されているお話です。勿忘草のドイツの悲恋伝説に因んでの表現となりました。
勿忘草の花言葉のひとつは──