勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
第1話
──全く困ったことになったものだ。
「──大変そうね、パートナー」
「──そちらもな、シュガー」
カフェ・スウィーティー前哨基地店のカウンター席でムーアは
カウンターのスツール席へ腰掛けた彼はラフな格好だ。戦闘服のパンツを履き、半袖の黒いシャツを纏った格好でコーヒーを静かに啜り──天井の半分が消し飛んで換気が抜群となった店内の様子を何気なく眺めつつ煙草を銜える。
「ここは禁煙よ」
カウンターの天板へ頬杖を突くシュガーが親指で指し示した壁にはわざわざ【
「…換気は充分だろう?」
「…まぁそうね。今回は特別に許してあげるわ」
「それはどうも」
オイルライターの蓋を開け、ホイールを回転させる。芯から揮発するオイルへ引火した火で煙草の先端を炙って紫煙を燻らせると、彼は携帯灰皿を取り出した。
「…店の修理に目処は?」
「マイティツールズに連絡したから…そんなに時間は掛からないと思うわ。そっちは?」
「…聞かないでくれると嬉しいが…」
現在時刻は11:40。彼が銜えている煙草は本日3本目のそれだ。
ヘビースモーカーとなった人物が減煙をせねばならない程に──正確には前哨基地は追い込まれている。
有り体に言って予算不足なのだ。
「……見るか?」
何を、とは言わず彼は携帯端末を引き摺り出すとロックを解除し、アプリのアイコンをタップする。
経理関連のアプリらしい。
スツール席を反転させ、カウンターへ背を預けつつ彼は液晶画面をシュガーにも見えるよう掲げて説明を始めた。
「…この数値が現在の基地司令部の運営予算、1ヶ月分だ。まずここから
「…あっという間に半分ね」
「…念の為に言うと、これに侵入してきたラプチャーとの交戦があれば危険手当が付き、警衛勤務に就くと特別勤務手当が発生するからな」
つまりここから更に差し引かれるとムーアは口にしつつ画面をタップする。残金がまた減った。
「食費──戦闘糧食も
「…パートナー。もう止めて。声に張りがなくなって来たわ」
「…弾薬庫も殆ど空っぽ…これも請求して…特に50口径は自衛用として至急…」
ポチポチと画面がタップされる。その度、表示されている残金が次々と減少の一途を辿る。同時に彼が発する声音からは元気が消え失せ、溜め息と混ざった紫煙が吐き出されて半分が吹き飛んだ天井の大穴の中へ吸い込まれていった。
「…ここに基地全体の修理費が含まれて……こうなる」
「──パートナー…」
大きな溜め息と共に彼が指先で液晶画面をタップする。赤々とした数値の先頭にはマイナスの表記が浮かび、明らかな赤字を表示している。
それを彼は示すと携帯端末をポケットへ納め、携帯灰皿の蓋を開けて溜まった煙草の灰を指先で叩き落とした。
「…ありきたりの提案だけど…適当な任務でも受領して、作戦報告書を提出したら?」
「…考えなかった訳じゃない。だが、現状は任務受領よりも各自のメンタルケアと復旧に注力すべきと判断した」
カウンターの天板へ背中を預け、天井を見上げる彼から何度目かの深い溜め息が漏れ出る。
前哨基地へ戻ってきたイーグルを始めとした量産型ニケ達がエレベーターを降り立って直ぐに認めたのは──変わり果てた惨状である。
舗装道路の至る所に大小の穴が穿たれ、土の地面も同様の有り様。寝起きしていた宿舎の壁は
自分達が離れている間に、と心を痛めた量産型ニケが1名や2名ではないと報告で聞いている基地司令官を兼任するムーアとしては、まずは彼女達との面談やメンタルケアに注力すべきと判断したのだろう。
襲撃を受けた際、一方的に攻撃された記憶も拭い切れていない筈だ。彼の決定は正しかった。その代わり──無視できない予算不足を甘んじて受け入れる結果へ繋がっているのだが。
「…どうするべきか…」
ぽっかりと空いた天井を仰ぎ、盛大な溜め息を吐き出す。紫煙が吸い込まれていく様子を何気なく見送るムーアの肩をシュガーが優しく叩いた。
「…カンパしたい気持ちは山々だけど…私達も色々と入用だから…」
「
向こう1年分の運営予算は既に──それこそ前哨基地へ赴任した当初に受領している。それを元に1年間の予算案を組んだが、至急の復旧が必要とあっては全く足りない。
来年度分の予算を前倒しで受領すべきか、とも考えたが──おそらく許可は出ないだろう。そこまで気が利く組織とも思えない。
復旧用の特別予算を組んで貰えないか、と要請を出したが経理局あたりが突っぱねた可能性が高い。
【ニケは原則として食事の摂取は必要ない。まず食費を減らし、施設維持費も必要最低限に押さえれば現状の予算で対応可能】
そのような回答が返って来たのは二日前。思わず経理局へ弾薬庫に残っている
思い出しただけで彼の
いっそのこと中央政府軍へ非公式に賠償金の請求──これも不可能だ。
先だっての侵攻はあくまでも非正規戦の類である。公式の記録には残らない。
非公式とはいえ請求したところで知らぬ存ぜぬを通される光景が眼前に浮かび上がってしまうのは気の所為ではなかろう。
彼が溜め息を吐き出した時、前哨基地内に重低音の爆発音──とも思える重々しい轟音が木霊したかと思えば、遠目に太い水柱が噴き上がる光景がカウンターの天板へ背中を預けるムーアの視界に映った。
どうやら水道管が破裂したらしい。
「…元々…古い施設ばかりだからな…」
「…踏んだり蹴ったりね」
携帯端末を再び引き摺り出し──修理費の予算が増額となったのは言うまでもない。
「…ところでパートナー。白髪が増えてるわよ?」
「知ってる。今朝、髭を剃る時に鏡で見たからな」
「…そう。解決出来るかは分からないけど…私の方でも仕事がないか探してみるわ。ちょうどツテがあるの」
翌日の夕方、ムーアの姿はアークの繁華街にあった。上下共に黒い背広を纏うと──体格と顔立ちもあって
しかし──繁華街という場所柄、そちらの職業に勤めていると思われているのか、時折、歩道を行き交う市民がサッと道を譲っては目を合わさないようそそくさと立ち去る姿を見るのは一度や二度ではなかった。
「…そんなに…?」
そこまで酷い顔をしているのだろうか。立ち止まった彼は飲食店の前で立ち止まり、ミラーガラスで顔を確認した。
無精髭は剃っているので問題ない。眉間の縦皺も──まぁ一本ぐらいは許容範囲だ。
「…問題ないよな」
店の外に面しているミラーガラスは中を覗き込めないのでムーアは気付かなかったが──ちょうど彼が顔を確認していたのは客席の位置だ。
急に長身、強面の男がこちらを睨んでいるようにも見え──しかも真正面から見据えられる形となった若い男性は硬直していたという。
再び歩き出したムーアはジャケットの内ポケットから携帯端末を取り出した。
今朝に届いたメッセージ──シュガーから送られたそれをもう一度、読み込む。
どうやらツテがあるというのは商人連合部隊──
シュガーが、彼が出来るような仕事はないか、と問うたところ、似合いの仕事があるのだとか。
まぁ、どんな仕事なのかはまだ知らないのだが。
いずれにせよ、一度会って欲しい、とシュガーからの勧めに従ってムーアは地図のアプリを開いて、待ち合わせ場所として指定されたBarまでの道順を検索する。
どうやら間もなくのようだった。