勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第3話

 

 

 

 

 前進を再開し、見渡す限りの雪原の中へ時折現れる倒壊した建造物の残骸。それを横目に見遣りながら歩き続けて既に40分は経過しただろうか。

 

「──指揮官」

 

「…分かってる。ネオン、ラピと行ってくれ」

 

「あ、はい。分かりました」

 

 ラピが肩越しに背後を振り返る。その視線の先にいるのは──足取りを重くしながら進むアニスの姿だ。

 

 声を掛けられるとムーアも承知していると頷きを返す。

 

 行軍の歩みをわざと落とし、先にラピとネオンを進ませると彼はアニスが間近まで向かって来るのを待った。

 

「………指揮官様、先に行ってて良いよ」

 

「そうもいかんだろう。──クロウの言葉が引っ掛かってるのか?」

 

 隣までやって来たアニスを傍らに置きつつムーアは歩みを合わせて進み始める。その際、彼女へ問い掛けると──アニスはややあって小さな頷きを返した。

 

「…否定は出来ないね。どうせテロリストのアウトローの話だし、気にする必要もなければ、気にしないのが一番っていうのも分かってるんだけど……」

 

「……けど?」

 

 まだ続きがあるのだろう。アニスが言い淀む姿をサングラス越しに捉えた彼は、吐き出して構わないと言いたいのか彼女の背中を左手で軽く叩いてやる。

 

「……一度考え出したら止まらないのよ。でも一番ムカつくのがなんだか分かる?」

 

「…彼女の言うことが全て間違っている訳じゃない、ってところか?」

 

 言い当てられたことに彼女は驚きすらせず、頷きを返してムーアの言葉を肯定した。

 

 大きな溜め息がアニスの口から漏れ出る。

 

「……私達が地上で苦労しているこの瞬間にも、誰かは学校に行って…テレビを見て…好きな子と恋愛(デート)も…して。私がやりたかったこと、全部やって生きてるでしょう?私も…ッ……その内のひとりって時があったのに……」

 

 隣を歩くアニスへムーアは横目を向ける。亜麻色の瞳が──やや濁っている気がしてならなかった。

 

 アニスは同情をして欲しい等の理由で思いの丈を吐き出した訳ではない。それは彼も理解している。

 

 だから、これは慰めでも何でもない。彼の率直かつ素直な個人の願望の類である。

 

「……もし叶うなら、人間だった頃のアニスに会ってみたかった」

 

「…え?」

 

「そんなに意外か?割りと気になるぞ。どういう女の子だったのか…まぁ詮索はしないが、気にはなっている。勿論、ラピやネオンもだが」

 

「…指揮官様の好みの女の子だったかは分からないけどね。私は指揮官様がどんな子供だったのかが気になるよ」

 

「──……そうか」

 

 小さく何度かムーアは頷くと、ボディアーマーのポーチから煙草を引き摺り出して銜えた一本のそれへオイルライターの火を点ける。

 

 紫煙が燻り、傍らのアニスの嗅覚を落ち着く香り──彼の香りが擽った。

 

「……時は戻らない。どんなに願っても」

 

「…そう、だね。でも…《いつかまたその時に戻れる筈だ》ぐらい言えないと女の子に嫌われるよ」

 

「俺は魔法使いじゃない。そんな力はないからな。……だが、うん…覚えておく」

 

 寒風に拐われた紫煙が掻き消える中、ムーアは彼女からの苦言を受け止める旨を返す。律儀な態度は普段通りだ。それが妙に落ち着いて、妙におかしくて──アニスはクスリと微かな笑みを零す。

 

「──だが、キミが()()()()()()()()をこれから始めるのは、やり直すのは遅くない筈だ」

 

「……え?」

 

「生憎と俺には時間を戻す力はない。だが──キミ達が()()()()()ではなく、一個の人間らしい待遇を受けられるよう努力することは俺にも出来る」

 

 銜え煙草のまま、そしてヘルメットを目深に被り、サングラスで目元を隠した彼の表情を窺い知ることは叶わない。しかし普段通りの落ち着き払った低い声音は──普段からムーアが()()()()()()()を抱いているとアニスに確信させるのに充分過ぎた。

 

 思わず彼女の右腕が彼の左手に伸びる。機械仕掛けの左手、その手首をアニスは掴むとムーアを引き止める勢いで彼の足取りを半ば無理矢理止めてみせた。

 

「──ちょっと…ちょっと!指揮官様…!?それ以上、変なことは考えないでよ…!?」

 

「……変なこと?」

 

 引き止められた彼はその場で立ち止まる。頭一つ分は身長差が生じているアニスを見下ろすと、彼女は亜麻色の瞳を動揺の色で染めながらムーアを見上げていた。

 

「中央政府がNikke rights activists(ニケ人権活動家)をどんな目で見るか分かってるでしょ…!?」

 

「……反体制の反政府主義者かテロリスト…そんなところか」

 

「…良く分かってるじゃない。少なくともアークでは、ニケに人権があるって考え方自体が違法なの」

 

 アニスは彼の返答に幾許かの安堵を覚える。ムーアは時々、()()()()()を発揮する。人間とニケを同一視するような言動、或いは人間よりもニケを庇護の対象として見ている気配がある。

 

 それが不快かと問われると──決してそうではないと即答できる自信はアニスも持ち合わせているが、これではっきりした。彼は現在のアークの指針から照らし合わせても()()()である。

 

「──私達の所為で指揮官様が危険に晒されるのは嫌なの。絶対に…何よりも…」

 

 前哨基地で彼が孤軍奮闘の極みの中、連日、血で血を洗う戦闘を繰り広げていた期間のことがアニスの脳裏に蘇る。ニケとは異なり、ムーアは紛うことなく()()だ。永遠に等しい命を有している訳では無い。失った手脚が元通りに戻ることも無い。彼の命と身体はそれぞれたったひとつのみだ。

 

 それを全て()()()()()()()という目的の為だけに費やし、戦い続け──その果てに命を落とす光景を夢見てしまった長かった夜は一度や二度ではない。

 

 また同じことが繰り広げられるかもしれない。それに思い至ると、彼女はムーアの為にもその思想を捨てて欲しくもあった。

 

 しかし同時に──決して変わらない、という不思議な確信も抱いてしまう。

 

 だからアニスには珍しく、一人の人間、一人の指揮官という眼前の青年に不平不満こそ漏らすが付き従っている上に──

 

 ──だから私は……。

 

 心中で口にするには難しい言葉を濁した彼女は一度だけ彼の機械仕掛けの左手を強く握ると、やがてそれを離し、ゆっくりと前へ進み始める。

 

「──これも何かの()()かな…」

 

 ムーアの横を通り過ぎ、少しだけ前へ出る。そのやや後ろを遅れて付いて来る彼へ語り掛けるアニスは、きっと自分の顔が変な表情を浮かべていると気付いている。それを彼に見せたくはなかった。

 

「…私にも…人間として平和な日常を楽しんでいた時期があったし…その時には他のニケが私の代わりに地上へ投げ出されていただろうけど…当時の私は…全く興味を持たなかったから……」

 

 自身やその周りのみに注意を向け、ただ平和を無条件に与えられるものだと錯覚し、外の世界への無関心で成り立っていた日々。それが悪業であったというならば── 

 

「──()、なんだろうね。たぶん」

 

 息を吐き出すように言葉を漏らし、進み始めて間もないというのにアニスは歩みを止めた。寒々しく厚い雲が覆う空を見上げ、溜め息を深く吐いた。

 

 雪を踏み締めながら歩く足音が傍らで立ち止まったかと思えば──視界の隅に細長い何かが映る。

 

「……吸うか?」

 

「………ん」

 

 差し出されたのは一本の煙草。喫煙の嗜好を持ち合わせていない彼女だが──この時ばかりは試してみたくなった。

 

 受け取った煙草を見様見真似で銜えた矢先、ムーアがオイルライターを差し出した。独特な金属音を奏でながら開けられた蓋、ホイールが回転させられ、火花が散る微かな音。亜麻色の髪が焦げないよう注意しつつ僅かに揺らぐ火で先端を炙りながら吸い込み──

 

「──ッ!?ゲホッゲホッ!?」

 

 ──思いっ切り咳き込んだ。

 

「まっっっず!!」

 

「──苦くて、辛く、刺激も強く、時々脳が痺れる程の陶酔感を味わえる。()()()()だ」

 

「…げほっ…()()()()…これが…?」

 

 とてもではないが、吸えた物ではない。これを良くも平然と吸っていられるとアニスは咳き込んで涙目となりながら傍らに立っている彼を見上げる。

 

 その視線を受けた彼は──肩を軽く竦め、彼女の背中を左手で再び叩くと前進を促した。

 

 

 

 ムーアは不意にドストエフスキーの【罪と罰】を思い出していた。

 

 青年──ラスコーリニコフが「天才は新たな時代や世界の成長の為なら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という正当化された思想の下に、強欲で高利貸しの老婆を殺害する。その老婆が貯えていた金で世の為に善行をしようと企てるも現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。

 

 計画にはなかった思いがけぬ殺人。青年は犯した罪の意識を増長させ、苦悩する。

 

 しかし、ラスコーリニコフよりも貧しく苦しい生活を送る娼婦であるソーニャの家族の為に尽くそうとする徹底された自己犠牲の生き方に心を打たれ、最後には自首し裁判へ掛けられる。人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズムが描かれた名作だ。

 

 ()()

 

 ()とは強欲な高利貸しの老婆をそれ以上の身勝手な思想の下に正当化した殺人を犯したことなのか。ならば戦争を指導する者達はどうなるのか。彼等は何千、何万人もの将兵を敵味方問わずに殺している大量殺戮者ではないか

 

 ()とは永遠の孤独か。他者とは決対的に異なる行いをしたことで付き纏う強烈な孤独感。二度と元には戻れない自分という存在に課せられる永劫に続く孤独感こそが犯した罪へ対する報いなのか。

 

 

 ──だとすれば、俺へ対して下される()()()は──

 

 生憎と彼に()の意識はない。おそらく今後もその意識が生じることはないだろう。

 

 しかし──悪業へ対する罰と報いは必ず返ってくるという確信も抱いている。

 

 それは果たしてラスコーリニコフ()のような孤独か、或いはもっと別の形でか。

 

 それこそ()()()()()()である。

 

 

 

「──ささささむさむさむ…!!」

 

「──なんで氷の上を…!!体重を考えろ…!!」

 

「──ご、ごごご…!」

 

 ───などと物思いに耽っていたのも束の間。不用意に氷の上を歩いたジャッカルが極寒の水中へ落下し、続けて飛び込んだムーアに引き上げられたのは余談であろう。

 




罰と報いは必ずやってきます(というか現在進行形
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