勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
雪に覆われた幅の狭い道の上に敵機の残骸が無惨な有様を晒している。
寒々しい乾いた空気を孕んだ風が吹き抜けた瞬間、1発の銃声が響き渡る。
「──はぁ…はぁ…畜生…」
荒い呼吸を繰り返しながら長身の青年がとどめを刺したばかりのラプチャーから離れ、岩へ身を預けている亜麻色の髪を持ったニケへ肩を貸して共に歩き始めた。
「指揮官様…大丈夫…?」
「大丈夫だ…この程度で死ぬと思うか…?」
力ない笑みを浮かべる青年──ムーアは右脚を引き摺り、鮮血の滴を雪の上へ垂らしつつ部下へ肩を貸し続ける。
ヘルメットは交戦の最中に大口径の実体弾が掠めた衝撃で顎紐が千切れ、何処かへ吹っ飛んでしまった。ボディアーマーも布地が擲弾の破片で裂けたのだろう。中身のセラミックプレートが覗いている。気に入っていただけに残念だが、サングラスも爆風の衝撃で砕け、投げ捨ててしまった。
引き摺る右脚の大腿部──ちょうど義足の接合部品が付けられた直上に突き刺さった大振りの破片が鮮血を滴らせ、間断なく痛みを走らせているが彼は痛みを我慢してアニスを灯台の近くへ連れて行く。
「──指揮官…アニス…!」
「…ラピ…ネオン…無事か…?」
「なんとか…大丈夫そうです師匠」
「…それは良かった…」
全員が程度の差こそあれ、何かしらの損傷を負っている。
ラピもネオンが擲弾の炸裂による衝撃で損傷を負った為、押し寄せる敵機の群れとほぼ単独で交戦を続けた結果、身動きを取るには暫く掛かるとの報告をムーアへ伝える。
「…私は破損率51.80%…損傷は下半身に集中…。言い訳はしたくないけど…後方から狙撃されたから…」
「…いや、良くやってくれた」
無人の筈の灯台だが、いまだに灯室から輝く光源が回転し、海へ向かって光度数万カンデラの光を届けている。
灯台の入口付近へ部下達全員の存在を認めた彼は、水を飲もうと水筒へ手を伸ばす。
何口か水を嚥下すれば、幾分かでも人心地がつける。
蓋を閉めて、後ろ腰に戻すと──何処にもエキゾチックの存在が認められないと遅ればせながら気付いた。
「…エキゾチックは?」
「戦闘中に爆発に巻き込まれて、
交戦中に目撃した光景をラピがムーアを見上げつつ報告する。
「……少し探して来る」
「ちょっ…!」
「指揮官、あの…!単独行動は危険です!残敵の掃討が完了したかもまだ…!」
まずアニスが目を剥く。彼の右大腿部には大振りの破片が突き刺さったままなのだ。一刻も早く処置をしなければならない。
同時にラピも彼を引き止める。負傷の程度もそうだが、周囲に健在のラプチャーが残っている可能性も捨て切れなかった。
「…生き残りがいるなら…もうとっくに襲い掛かってきてる。それよりも…早くエキゾチックを見付けんと…もし損傷が大きければ身動きが取れなくなっている可能性も…」
そしてなにより──目を離すのは危険、と彼の勘が囁いている。
片側のハウジングが無くなったヘッドセットは妙に付け心地が悪い。壊れたそれをその場へ投げ捨てる。突撃銃の槓桿を引き、薬室に銃弾が装填されていると確かめたムーアが歩き始めた──その時だ。
──カラカラと乾いた音を立て、凍り付いた雪道に複数の穴が空いている一本の金属の筒が転がる。
「
その正体を彼が警告の為に叫ぼうとした刹那、スチール製本体の中にあるアルミニウムケースの中へ充填されたマグネシウムを主とする炸薬が炸裂した。
170〜180デシベルの爆発音と15mの範囲で100万カンデラ以上の閃光を放ったそれは、一瞬だけでも灯台の光以上のそれを放っただろう。
それを間近で受けたムーアは網膜が白色に焼け付くほどの閃光を浴びた上、一瞬だけでもジェットエンジン以上の騒音で鼓膜を揺さぶられてしまう。
突発的な目の眩み、難聴、耳鳴り──平衡感覚まで喪失しかけた。
「──ジャッカル、噛み付け」
閃光手榴弾が炸裂した直後に響いたその声を、彼は捉えることが不可能だった。
膝から力が抜け、甲高い耳鳴りが頭の中に響き渡る中──側頭部に硬い金属が当てられた感触を覚える。
──銃口。
その正体を感じ取った瞬間、片腕が銃身であろう硬い筒状の物体を掴み上げる。
勢い良くそれを押し込むと、人体──にしてはやや硬い印象を受ける
手の平を通して伝わって来る衝撃の間隔から、掴んでいるのは突撃銃や銃身の長い火器と判断。
機関部があるだろう付近を逆の手で掴み、銃床打撃を加える。
しっかり当たったのだろう。再びの衝撃が手の平から伝わるが──
「──ッ!!」
──右大腿部に衝撃を受け、ガクリと膝を突く。遅れて熱さ、そして激痛が駆け巡った。
撃たれた──それを感じ取る。
「──き──ん──!!」
耳鳴りが激しいせいで聞き慣れているだろう声が誰のものかすら分からない。
しかし着実に回復はしている。
その証拠に白色に染まっていた視界が徐々にだが鮮明さを取り戻してきた。
「───…
時間にすれば数秒しか経っていないのだろう。しかし、いっそ視界が戻らなかった方が精神衛生上は良かったのかもしれない。
世界に色と形が戻って来た視界の中に映るのは──自身の部下達へ銃口を向けるクロウ、そしてジャッカルの姿だ。
クロウが両手に握る2挺の短機関銃。その一方の銃口をおもむろにムーアの足元へ向けた。
耳鳴りはまだ残ったままの世界で、向けられた銃口の消炎制退器から迸る炸薬の発射炎が鮮やかにすら映った。
あの短機関銃も対ラプチャー用の火器だ。その銃口から飛び出た弾頭は、彼の足元に転がるラプチャーの残骸であろう装甲で跳弾し、ムーアの纏うボディアーマーへ命中する。衝撃で彼は仰向けに倒れ込んだ時、スリングベルトが千切れ、突撃銃を落としてしまう。
「──…ッ…!ゲホッ…!」
幸いにも貫徹はしなかった。ただし、胸部に凄まじい衝撃が走り抜ける。おそらく今の1発でセラミックプレートは砕けただろう。
息が──苦しい。
「──思った以上に頑丈だな」
耳鳴りの残響が消えず、平衡感覚も麻痺した状態だが、彼は全身の筋肉を無理矢理にでも動かして立ち上がろうとする。
「──…俺の…部下に…!銃口を…向けるな…!」
「ダメ!指揮官様!動かないで!!死んじゃう!!」
右大腿部に走った痛みと熱はクロウの放った銃弾が掠め、肌と肉が抉れた証拠だ。鮮血が雪道を赤く染め上げる光景にアニスが堪らず悲鳴を上げるが、彼は生身の左目を充血させつつ立ち上がると、右脚へ巻いたレッグホルスターに右腕を伸ばす。
「──ダーリン。
正常な聴覚を取り戻しつつある彼の耳朶を打った甘ったるい声。
避けろ、と身体が訴えるのも束の間──右腕に散弾銃の銃床が叩き付けられた。
見事に狙ってくれたのだろう。拳銃を掴もうとした右腕が肘関節からプラン、と力なく揺れ動く。
これほどになると痛みが遠のくらしい。関節が外れてもそれらしい何かは精々、衝撃程度しか感じ取れなかった。
「──……一応…聞いておくが…
肩を上下に動かし、呼吸を整える彼は眼前に並ぶ彼女達──エキゾチック分隊の面々を見渡す。
「いや、正常だ」
確かに──彼女達の双眸は禍々しい紅い光を放っていない。
「──むしろ
クロウがおもむろに顎で指し示したのは彼の部下達だ。
「ラプチャーではなく、人間にな」
人間──その言葉を放つ時、彼女はムーアへ視線を向けた。
「何を馬鹿なことを言ってるのか知らないし、知りたくもないけど…!あなた達が今やったこと…上層部に報告すると判決もなく即決処分だよ…知ってるわよね…!」
ジャッカルが担ぐ発射器の発射口がアニスへ向けられるも、彼女は気丈にクロウを見上げて言い募る。
それを聞いたクロウは肩を竦めて見せた。
「あぁ、知ってるさ。よーく知ってる。──でもそれを覚悟してでも、お前の
殺す──
誰を──
まさか──
彼女達の三対の瞳が荒い呼吸を繰り返す自らの指揮官へ向けられる中、ゆっくりとクロウが被弾した大腿部から鮮血を流し続ける青年へ歩み寄る。
「──普通の人間の指揮官は死んだら新しく作れば良いだけのニケの侵食治療剤の為にラプチャーがうようよいるこの地上に来て、大切な命を賭けたりしない」
「……そうか?」
「あぁ、そうさ。──しかし、お前は違った。最初は偽善かと思ったが…そうでもなかった」
間近まで迫るクロウの姿。そして短機関銃の銃口がいずれも雪上へ下ろされているのを見た彼は左手をファイティングナイフに向けようとする。
しかし──クロウと入れ替わるようにバイパーが部下達の近くへ歩み寄り、散弾銃の銃口を向けた光景を
途端──左手から力を抜いた。
なんとか二本の脚で立っているムーアだが、特に右膝が震えている。目と鼻の先まで迫ったクロウと目線がそれほど変わりないのは崩れ落ちる寸前の証拠だ。
翠色の瞳──それがやけに鮮やかな色彩で視界に映る。
「──
「……あまり買い被らんでくれんか?」
何を言うかと思えば。呼吸が苦しいというのに笑わせないで欲しい、と彼は頭の片隅で考えた矢先、軽く咳き込んだ。肋骨でも折れたのだろう。
「──だがな。お前みたいな奴がいるとあたしの
脂汗が伝い落ちる彼の頬へそっと手を添え、クロウは言い聞かせるが如く語り掛ける。
「水と油のように絶対に相容れない両極端が──死ぬ気で戦ってアークごと自滅して欲しいんだよ。お前みたいな
頬へ添えた手を退け、クロウの顔が近付く。頬に形の整った唇が軽く押し当てられ──やがて身体ごと離れると短機関銃を握った手が徐々に持ち上がる。
「──だからお前には、その崇高な正義と共に死んでもらう」
「──…
──そんなモノ、掲げた試しがない。
思わず鼻で笑いかけたが、それをすんでのところでムーアは押し止める。
彼は彼自身が
「──馬鹿な…ことを…!ニケは…絶対に…人間を殺せ…ないわ…!」
「動かないで〜」
ムーアの下へなんとしてでも歩み寄ろうとしているのか、ラピが這い蹲る格好のまま進み出そうとするも、その頭上からバイパーが握る散弾銃の銃口が突き付けられる。
「そうか?あたしはそうは思わないんだが。あたしの頭の中にもお前達と同じくNIMPHというのが入ってるようだが──」
ムーアへ銃口を突き付けたまま一歩ずつ後退するクロウが立ち止まる。
「残念ながらこの世界に対するあたしの憎悪は洗脳よりも強くて──
指向された短機関銃の銃口──それが再び交戦の末に剥がれ落ちて散乱するラプチャーの装甲に向けられる。
引き金が引かれた途端、飛び出した弾頭が装甲によって跳弾。
跳ねた弾頭が──彼の腹部に叩き込まれる。
「──ッ!!」
──まだセラミックプレートは役目を果たしてくれたらしい。とはいえ、今度こそ役目を終えただろう。
身体をくの字に折りながら雪道に倒れ込んだムーアだが、歯を食い縛り──再び立ち上がろうと藻掻く。
普通の人間なら対ラプチャー用の火器で撃たれたら──例え防弾装備で守られていても内臓破裂か、ショックで死ぬ筈だというのに彼はまだ生きている。
その生命力の強さには感服するが──とクロウは銃口の角度を今度こそ頭を撃ち抜けるよう調整する。
「──…ク…ロウ…!」
半ば死んでいるだろうに、まだ声を上げられるらしい。
「──…なんだ?」
「──…部…下達は…どうなる…!」
命乞いかと思いきや、そうではないらしい。意外──とは思わなかった。むしろ、らしい、とすら彼女は感じる。
「…さて、どうするかな」
「──狙…いは…俺だけだろう…?部下達は…!」
「…あぁ…そうだな。…助けてやる。お前を殺したら、指一本触れずにあたし達は立ち去るさ」
「──……約束は…破るなよ…!」
「…あぁ…勿論。…中央政府のような真似はしない」
ググッとムーアは身体を起こす。まだ立ち上がるだけの力が残っていたのか、と今度こそクロウは少しだけ驚いた。
格好悪く揺れ動く右腕を左手で押さえながら彼は右脚を引き摺り──やがて灯台が聳え立つ岬の断崖絶壁の前で立ち止まるとクロウへ向き直る。
荒い呼吸を繰り返し、全身が重く感じられる中、ムーアがボロボロになったボディアーマーを取り外した。
そして防寒戦闘服の襟元を緩め──首から吊るされた二枚の認識票のボールチェーンを引き千切る。
ジャラと音を立て足下に落下した認識票へ対峙するクロウが視線を落とし、ややあって余裕なさげでありながらも精悍な顔立ちは崩れない青年に眼差しを向ける。
「──…感謝…する…」
──ただ撃ち殺されるのは、軍人の死に方じゃない。
──そんな死に方は御免被る。
──死ぬなら、真正面から撃ち殺されるのが良い。
死に掛けの人間とは思えない程、爛々と光る濃い茶色の双眸。
殺すのは──些か惜しい、とクロウは考えてしまう。しかし生かしておいては
「──いや…いや…!ダメ…ダメだって…指揮官様…!」
「──師匠…逃げて下さい…!」
──逃げられる訳がないだろう。
呼吸を整え──彼は改めてクロウへ向き直る刹那、ラピに眼差しを送る。
──そんな顔もするんだな。
最期に良い物を見れた気がしたムーアは微かに苦笑し、肩を竦めた。
「──…銃殺されるんだ…言い遺したいことがひとつある」
「なんだ?」
早く言え、とクロウが急かす。
生憎と銃殺隊はたった1名だけ。もう少し規模が大きくても良いものだが──贅沢は言っていられない。
言い遺す言葉は、ひとつだけだ。
「──落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」
ひとりの哲学者が《20世紀で最も完璧な人間》と評した革命家──その最期の言葉のひとつを彼はクロウへ告げる。
「──良い言葉だ」
クロウの口角が釣り上がる。合わせてムーアの口角も緩く釣り上がった。
銃口が雪道に散らばる装甲へ向けられ──引き金が引かれた。
「──ガッ…!!」
「…チッ…」
「──嫌ぁぁぁぁ!!指揮官様ぁぁぁぁ!!」
彼女は心臓を狙ったつもりだが、少し外れてしまった。舌打ちを響かせるクロウの視線の先では、胸を左手で反射的に押さえるムーアの姿がある。
左手の隙間から溢れ出る鮮血は夥しく、たちまち足下を赤く染め上げていく。
「──ちゃんと狙って撃て!!お前の目の前にいるのは何でもないただの男だぞ!!撃て!臆病者め!!」
最後の力を振り絞ってか、血を吐き出す勢いで彼はクロウへ射殺を促す。
言われるまでもない。
彼女は今一度、装甲へ銃口を向け──引き金を引いた。
その弾頭は今度こそ──
「───…は……あ………」
──彼の頭を仰け反らせ、視界一杯に満天の夜空を映す。
──……綺…麗…だな。
もっと色々と思い出すことはあっただろうに──無性に彼はクロウへ感謝したくなった。
頭が仰け反ったまま長身の身体が背後へ傾く。
その後ろは断崖絶壁。
夜の海は黒く、冷たい。
その中へ──彼の身体が落ちて行った。