勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──…嫌悪感、は正確な表現ではない」
絞り出すような一言──それがムーアが十数秒もの沈黙を破って口にした一声だ。
ソフトパックを軽く振り、飛び出た煙草を銜えて引き抜く。特徴的な金属音を響かせ、蓋を開けたオイルライターの火で先端を炙り、紫煙が薄く立ち昇った。
「…いや、どうだろうな……うん…少なくとも…似たような感情、ではあるのかもしれない」
表現が難しい、と言外に彼は漏らす。その意図が察せられず、アニスは亜麻色の瞳を何度か瞬かせ、背中越しに紫煙を燻らせるムーアの後ろ姿を見詰める。
「…指揮官様、どういうこと?」
決して咎めはしない。ただ彼の素直な感情を知りたい。その一心のみが芽吹いたアニスが問い掛けた。
背中へ感じる彼女の──いや、三対の視線が痛い程に突き刺さっている。
それを感じ取る彼は、諦念の溜め息と共に肺へ送り込んだ紫煙を吐き出した。
「……
言葉を詰まらせるのは、適切な表現や語句を探している証左だろう。
焦らずアニスや彼の指揮下にある彼女達はジッと紡がれる言葉の続きを待った。
「……俺はきっと古い人間なんだろう。いや、古い思想の持ち主が正しいか」
いつぞやのアドマイヤー号での艦上パーティー。その際、出会ったヘルムから懐古趣味、と口にされた瞬間がムーアの脳裏へ思い浮かんだ。
確かにその通りなのかもしれない。
「…ニケは10代、20代の少女や女性が兵器へ改造された姿だ。それが…堪らなく嫌になる」
慎重に言葉は選んでいるつもりだ。しかし結局は装飾された言葉に違いはない。
煙草を銜えたムーアはその場で身を反転させ、胡座を掻いたまま壁際へ並んで腰を下ろす彼女達へ向き直った。
「…決して、キミ達のことが嫌いだとか疎ましいと思っている訳ではない。それだけは勘違いしないで欲しい」
念入りに語り掛ける彼の隻眼に嘘の色は見えない。それは付き合いの長い彼女達であるからこそ直ぐに分かる。
「…じゃあ…何が嫌になるんですか?」
ネオンが師へ問い掛ける。それを直ぐに彼は答えない。答えられなかった、と言えば正しいだろう。
数秒の沈黙の間、紡ぐべき言葉を整理する。
「──キミ達がどんな人間だったのかは知らない。だが、少女や女性であったことに変わりはない。きっと…学校に行って、友達もいたんだろう。そして両親や家族も」
銜えた煙草を右手の指で挟み込んだ彼は口元から取り除き、深々と紫煙を吐き出す。その中には隠しようのない溜め息が混ざっていた。
「…本来であればキミ達は守られるべき立場だった筈だ。それなのに…如何なる理由があったにせよ、兵器へ改造し、戦場に立たせて戦闘を行わせている。──ひとりの軍人として、ひとりの大人として……申し訳なく思っている」
彼女達はそれで構わない、とニケへ変わる選択を経て現在ここにいるのだろう。それは彼も理解している。しかし、どうしようもなくその選択を──そうならざるを得なかった背景としての状況に嫌悪感を抱いているのかもしれない。そうなるしかない、と彼女達を追い込んだ状況への嫌悪とも言える。
「軍人の役目は人命、国土、財産を守ることだと俺は考えている。その中で非戦闘員や民間人──女性や子供の保護は絶対だ」
だというのに本来ならば、守られるべき立場にあった──姿や形が変わり、人間とは比較にならない性能を有したニケへ生まれ変わった彼女達を指揮し、戦闘行動を取らせている。
それは何故か。人間にはラプチャーへ太刀打ち出来ないから。たったそれだけの理由である。
彼の深層心理は自己矛盾に悲鳴を上げているのかもしれない。
「…銃器の進化や発展と共に男女の性差は消えたんだろう。しかし…志願した軍人でもなければ、軍属ですら無かった筈の少女達や女性達に戦闘を強いている俺は…とんでもない悪党だ」
──偽善者、とクロウが放った一言が不意に思い出され、彼の心を抉る。その通りだ、と頷く他ない。
「…最早、
「…えぇ…それは分かっています」
血を吐くような形相をしているのを彼は知っているのか。取り繕うこともない偽らざる本音だと察しているラピが頷き、やや遅れてアニスとネオンも頷いた。
「…何事にも始まりがある。人類がラプチャーとの戦いで最初にニケ達の指揮を執った人間は…どんな人間だったのかと考える時がある」
続けられた彼が漏らした一言。それを聞き取ったラプンツェルや紅蓮、そしてスノーホワイトがそれぞれの瞳を彼の後ろ姿へ向けた。
「…教範もなければ戦訓もない。手探りで指揮を執らなければならなかったんだろう。まさに
──きっと申し訳なかったのではないだろうか。
未来の見えない戦場へ駆り出してしまったことへ、いくつもあっただろう輝きを放つ可能性の芽を摘み取ったことへの悔恨を抱えたまま指揮を執ったのではないか。
贖罪の機会は果たしてあったのか──それは分からない。
しかし不思議とムーアは、その最初の指揮官となった人物の為人が我が事のように感じられてならなかった。
人類存亡を賭けて、そして指揮を執るニケ達への悔恨を抱えたまま、教科書などない対ラプチャー戦闘を繰り広げた人物は──きっと素晴らしい人間だったのだろう。
嗚呼、とラプンツェルが、そして紅蓮の瞳が揺れ動いた。
「……ずっとそう思って戦って来たのか?」
上背があるのに、今ばかりは少し小さく見える彼の後ろ姿。
そこへスノーホワイトが問い掛ける。
彼の頭が軽く上下に振られたのは見間違う筈もなかった。
仮にも
それを非難することはスノーホワイトにとっては容易い。
しかし──指揮官としてではなく、ひとりの軍人として、ひいてはひとりの大人としての本音なのだろう。
その本音を非難する気分にはどうしてもなれなかった。
答えは──得られた。
「……分かった。私も同意しよう。アンチェインドに関する全てを話してやる」
思わずムーアが肩越しにスノーホワイトへ振り返り、視線を向けて問い掛けた。
「…良いのか?」
「何度も言わせるな。…アンチェインドの効果はお前達が知っている通り…」
ふとスノーホワイトの脳裏に先程まで室内に響いていた彼の独白の数々が思い出される。
彼女達が採用した運用法ではない、全く別のベクトルの為の運用法。それへ思い至るとスノーホワイトは発言を訂正する。
「…いや、もしかしたら私達よりもお前達の方が上手く活用するのかもしれない。──私達はただ、ヘレティックを殺す最後の
長大な狙撃銃を抱えたままスノーホワイトが淡々と語る。改めてムーアが彼女へ向き直る姿勢を取ったその背後──壁際に腰掛けているラピが疑問を呈した。
「昔はアンチェインドが支給されていたの?」
「…それは…」
「──皆に支給や配備されたものではありませんでした」
スノーホワイトに代わり、ラプンツェルが事の次第の続きを語り始める。
「…それは本当に…偶然見付けて…特殊に製作された、特別なものでしたから」
「…
訝しむネオンが疑問を口にする。てっきり専門の研究機関等で開発された代物──とばかり思っていたからだろう。意外な様子だ。
「はい。ヘレティックと戦う中で…本当に、偶然に、
「──血?」
聞き間違いでは、とラピが念を入れてラプンツェルへ問い掛ける。それに彼女は頷きを返した。
「はい、血です。ある方の身体の中に流れる血液が永遠の生を手に入れたかに見えるヘレティックを殺す武器になるともしれないと判明した瞬間──アンチェインドが誕生しました」
ラプンツェルがそれを口にした途端、彼の頭蓋の内が凄まじい勢いで締め付けられる。頭蓋の内でズキズキと痛むこれは何なのか。煩わしいことこの上ない。
話の腰を折ってはならない──その一心のみでムーアは歯を食い縛りつつ僅かに震える指先を使って煙草を携帯灰皿に投げ込んだ。
「…ということは…まさか…アンチェインドは…その…
思ってもいなかった素材と、その正体は予想を遥かに超えていた。アニスが慄くのも無理はないだろう。
「はい。その方の──私達の
──痛い。
ただ痛い。これまで感じた頭痛が可愛く思える程のそれに苛まれ、彼は胡座を掻いて腰掛けた格好のまま片手で顔面を覆い隠す。
荒い呼吸が漏れ出ぬよう息を整えつつ、次第に落ち着き始めた痛みへ安堵を抱いた。
「…何よ…それ…人の血で銃弾を作るなんて…だから製造方法が知られていなかったのね」
正気を疑う、とアニスの顔には大きく書かれていた。実際、その通りなのだろう。或いは、それだけ形振り構っていられなかった、とも言えるだろうが。
「それが周知の事実であったなら…多分、指揮官は戦場にも出られず、一生血を抜かれることになっただろう」
対ヘレティック戦で絶大な効果を発揮するアンチェインドを作り続ける為だけに機械へ繋がれ、血を延々と抜き取られる人生──それはおおよそ、人間としての真っ当な生とは言い難い。
紅蓮がその光景を想像したのか小さな溜め息を吐き出し、ややあって微かな笑みを浮かべた。
「──その男は素晴らしい指揮官だった。同じ時代を生きる者達からも
「…伝説?」
懐かしげに語る紅蓮が傍らに腰掛けているのもあり、ムーアが顔を向けてどういう意味かを問うた。
「当時の戦況はヘレティックを一気に殺すよりも、多数のラプチャーの攻勢を防ぎ止める指揮官の存在が重要だったからな。彼を指揮官として起用し続けることで、アンチェインドの製造方法は軍部や上層部──といった極一部の人のみが知る秘密とすることにした」
「…本格的に研究する余裕が無かった、のが一番の理由では?」
「うむ。おそらくはそうだろう。…第二次ノルマンディー上陸作戦、パリ解放、アルデンヌ、ダンケルク…転戦続きだったからな」
紅蓮が語ったのは彼女達が、その指揮官と共に戦った主だった戦闘なのだろう。それでも極一部、なのかもしれない。
──ズキン、と再び頭蓋の内で痛みが走るが、それは根性で表面には出さなかった。
「──あのぅ…それでその方は今、何処にいるんです?」
怖ず怖ずとネオンが小さく挙手しながら巡礼者達へ尋ねる。おそらくは最も重要でいて、今回の任務の根幹を成す彼女達の指揮官の所在だ。
しかし巡礼者達は──暫く一向に口を開かなかった。
ややあって苦虫を噛み潰した表情を浮かべたスノーホワイトが答えを返す。
「──分からない」
「…え?なに?」
自分達の指揮官の所在が分からないとは如何なる理由なのか。訳が分からぬ様子でアニスが問う中、スノーホワイトは溜め息を吐き出す。
「…私は思考転換が起こって過去の記憶があまり残っていないんだ。この話も全て、ラプンツェルに聞いたものだ」
ということはつまり──話の鍵を握っているのは金色の聖女である。
カウンターズの、そして傍らのムーアの視線が突き刺さるとラプンツェルは小さな笑みを浮かべた。
「──アークにいると思いますよ。…
たぶん、と彼女は付け加える。絶対の確信がないことの現れではあったが、灯台下暗しを地で行く情報であるのは間違いない。
「…アーク?私達が住むあのアークに!?」
アニスが目を剥きながら問い掛ける。ラプンツェルは──肩越しに彼女へ振り向きつつ頷いて肯定を示した。
「…そんな…じゃあ…今までの私達の苦労は…!!」
徒労も良いところだ。苦労はなんだったのか。アニスが愕然とする中──ラプンツェルは寂しげな表情を浮かべる。
「──でも…今はいないかもしれません。あの方は
そして──勿忘草色の瞳を隣へ腰掛けるムーアへ向ける。懐かしく感じる程に
「…どういう意味?今、アークにいるって言ったよね?」
「…あぁ、言ってませんでしたっけ?」
彼から眼差しを逸らす間際、ラプンツェルは瞳を閉ざし──ややあってから再びアニスを見遣った。
「──私達が喋っているこの過去の話は、第1次ラプチャー侵攻の時のだ、って」
「1次侵攻…えぇ!?…いったい何年前なのよ…!」
「……ざっと1世紀は昔の話になるな」
大雑把に彼が代わって教えると、ラプンツェルを始めとした巡礼者達がほぼ同時に頷く。
「当時、生まれたばかりの赤ちゃんでもない限り、生きてる訳ないじゃない!!」
「…新生児でも下手をしたら死んでると思うぞ」
そう冷静にツッコまなくても良かろうに。大仰な驚きを見せている自身が滑稽に映るではないか。アニスがムーアへ向かって睨みを送ると、彼はその視線に気付いてか肩を竦めてみせる。
「…えっと…じゃあ…結局、アンチェインドを作る方法は分からないってことなんですか?」
恐る恐るネオンが問い掛ける。
すると──ラプンツェル、そして紅蓮はムーアを挟んだ格好のまま顔を見合わせ、小さく笑みを零した。
「…方法がないなら最初からそう言っていた筈だ。こんな回りくどい遣り方で人を試したりしない。──方法を知っているんだろう?」
溜め息を吐き出し、遥かに年長だろう彼女達へ──ラプンツェルにムーアは視線を向ける。
まるで悪戯がバレた子供の如く、金色の聖女は口元へ手を宛てがいながら、くつくつと小さな笑い声を漏らし始める。
「──もうちょっとからかおうと思いましたけど、ここまでですね」
からかう、の基準が随分と悪辣な気がしないでもないと感じるのは彼だけだろうか。
「…指揮官の血を銃弾に精製した研究所があると聞いている。まだ残っているかは分からないが…」
「この前に訪れた時は記録が保存されていたから、大丈夫だと思いますよ」
スノーホワイトが危惧を口にするも、続けてラプンツェルが補足の情報を彼や彼女達に告げる。とはいえ──その
「場所は何処なの?」
「アークの西、巨大な湖の端だ。そこに隠されている」
「じゃあ、直ぐに行かないと──」
「──いや、今のお前達では死ぬだけだ」
アニスから問われ、スノーホワイトが概ねの所在地を語る。善は急げ、と言わんばかりにネオンが立ち上がろうとしたが──それを白銀の巡礼者が止める。
彼女達は修復がある程度は済んだとはいえ、万全のコンディションとは言い難い。なによりムーアは傍目に見ても重傷者だ。
加えて彼の地のラプチャーは、この近辺で跋扈する敵機とは次元が異なる。
「──犬死にしたくなかったら、ちゃんと整備をして充分に準備をしてから行った方が良い」
スノーホワイトはあくまでも善意から警告したのだろうが、情け容赦のない口調でもある。それを真正面から受けるはめとなったネオンは肩を落とした。
「詳しい座標はメッセージで送る」
「……ありがとう、スノーホワイト」
「感謝する必要はない。研究所に行っても製造方法が分かるという確証はないぞ」
「…百も承知だ」
徒労になる可能性も示唆されたが、彼はそれへ対して肩を竦めて大したことではないと暗に返す。
そして、スノーホワイトはそれ以上に今の内に言っておかねばならない警告があった。
「──ムーア、忘れるな。その方法を知った瞬間から、お前達の敵はラプチャーだけではなくなる」
「…それも承知している。ニケが選択権を持つ未来と世界──人類の大多数は到底受け入れ難いだろう」
気付いているならば構わないが、それでも彼女は念入りにムーアへ語り聞かせる。
「…夢のような理想論だからな。人類がどう受け止め、またニケがどう受け止めるかによって世界はお前が考えているモノとは違う方向に激しく揺れるかもしれない」
承知している。それを彼は頷いて肯定しながらソフトパックを軽く振り、飛び出した一本の煙草を銜えた。
「人類がニケをもっと厳しく統制しようとするかもしれないし──」
「──差別を受けて来たニケ達が、人類へ対して暴動…いや、
「…その結果によって、お前達の敵も、お前達の呼び名も違って来るだろう。──そんな大きな波を引き起こす力を手に入れるのだということを絶対に忘れるな」
キンッとオイルライターの蓋が音を立てて開けられ、続けて火が灯された。
今回の一連のお話を書いている最中、ガンダムUCの改暦セレモニーに於ける演説の一節を思い出していました
「──これから先、もし最後の審判が訪れるとしたら、それは我々自身の心が招き寄せた破局となるでしょう」
初代首相の演説は必聴です。