勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第9話

 

 

 自身がどのような役目を課せられているのか──それは勿論、分隊を指揮し、或いは前哨基地という一個の軍事拠点の司令官や指揮官としての務めだ。

 

 本分はニケ達の指揮と運用、そしてメンタルケアも含まれるであろう。

 

 ショウ・ムーア──弱冠22歳の青年将校へ与えられた公式な役目は間違いなくそれらの筈だ。

 

 しかしここで言う所の()()とは歴史が、時代と言い換えても良かろうが、仮にそれらへ()()()()()()の類があったとすれば、彼へ何を求め、何を果たさせたいかを指している。

 

 別の言い方をすれば歴史や時代という名の舞台へ立つ演者だろうか。

 

 奇遇にも彼はラプチャーと対峙して直接的な戦闘を繰り広げられる稀有な人間である。類稀な膂力と重傷からの人間離れした凄まじい回復力──これを天賦の才と言えばそれまでだろう。

 

 しかしこれをもし()()()()()と考えた時、それを彼が使って、誰が何を為させようとしているのか。

 

 彼が抱く思想の成就の一助としてのささやかな贈り物なのだろうか。

 

 それとも──時代の変革か。

 

 歴史とは後世の者達にしてみれば学問、もしくは娯楽であろう。

 

 しかし対峙するその時々の者達にとっては即興劇の如くだ。

 

 各々の役を担わされた即興劇は必死に展開され続け、それがいつの間にか後世の人々の目には一種のエンターテイメント(娯楽)として映る。

 

 良い悪いの話ではない。大半の少年が英雄譚に、そして少女達がロマンスに憧れるのは当然の流れであろうから。

 

 歴史物の作品と歴史は分けて考えなくてはならない。文学としての作品、科学が根底にある歴史とは本来は異なるのだ。

 

 例えるならば歴史書としての三国志、文学としての三国志演義を分けねばならぬのと同じことである。

 

 猛将同士による馬上での勇壮なる一騎討ち──果たして実際にあったかどうかさえ分からない場面が大半だ。半ば以上は後世の創作と言っても良いだろう。

 

 それがいつの間にか()()として定着しているのは些か考え物だが──話を元に戻そう。

 

 ラプチャーと人類の戦争が始まって幾年月が流れた。

 

 時々に綺羅星の如く光る才能の持ち主は幾人もいたのだろう。

 

 それは最初の指揮官であったり、或いは“新星”と呼ばれた者。凡人と言うにはあまりにも才能がありすぎた者達だ。

 

 そのような者達とムーアを単純比較するのはナンセンス極まりないが、もし共通点を探すとすれば──これが言えるのかもしれない。

 

 役目が終わった演者は過ぎ去る演目や舞台を名残惜しむ暇すら与えられず、呆気なく降ろされる、という点だ。

 

 歴史とは無慈悲で残酷である。

 

 節目毎の変革に夥しい血を流させ、屍の山を築き上げるよう仕向ける。無論、あらゆる事柄が偶然か必然か。ともかく不幸にも重なり、連なり合って惨事は引き起こされるのだろう。

 

 しかし仮に歴史という概念・存在が意思を持っていた場合、なんとも残酷なことを仕向けるものだ。

 

 変革の旗頭となるだろう者へ役目を勝手に背負わせ、終いには用が済むと端から執着など無かったかの如く投げ捨てる。

 

 果たしてそれを味わった者達は過去にどれほど存在したのか──無論、彼はその背負わされたであろう()()は果たしておらず、舞台から降りるのはまだ先の話だ。

 

 しかしいずれの日にか必ずその時はやってくる。間違いなくだ。

 

「──今日が俺の命日になるかもしれんな」

 

 今日がその時なのではないか──ムーアは放置され、赤錆が浮かび上がる砲塔が吹き飛んだ戦車の物陰へ隠れながら敵機へ向けて突撃銃の銃口を向けるや否や引き金を引いた。

 

「──何機いるのよ!」

 

 シュポンと気の抜ける発射音。擲弾が押し寄せて来るラプチャーの集団の渦中へ落下し、炸裂した弾頭の破片と爆風が敵機を何機か纏めて仕留める。

 

「──指揮官様!地雷はまだ使わないの!?」

 

「──()()だ!」

 

 隣り合う装甲車の残骸──赤錆に覆われたそれを遮蔽物に擲弾の再装填を行うアニスがムーアへ問い掛ける。しかし彼は()()早いと返すと、身を乗り出して光学照準眼鏡(ACOG)を覗き込んで突撃銃の引き金を引いた。

 

 今使わずしていつ使うのか。それを声を大にして叫びたいアニスだが、それよりもまず襲い掛かって来る敵機の大集団へ擲弾を見舞うのが先と思い直したのだろう。

 

「──ああもう!!帰ったら炭酸水奢ってよね!!」

 

「──10本でも20本でも奢ってやる!!」

 

 苛立ち紛れに彼へ注文するのは忘れない。ちゃっかりしていると言うべきか、それとも余裕がない時に漏れる軽口の類か。

 

 いずれにせよムーアが快諾した時──不意にラプチャーの大集団が退き始める。

 

 撃ち倒された同型機(同胞)には目もくれず、一斉に波が引くかの如く敵機の群れが退いていく姿は壮観ですらある。

 

「…逃げた?」

 

「いや、そんな訳がない。おそらく今のは威力偵察か何かだ」

 

()()が!?」

 

 弾倉を抜き、残弾を確かめるムーアが推測を返すとアニスは目を剥きながら応じる。

 

 掴みだけでも100機はいた。ならば後方に控えているだろう敵機の総数は──それが脳裏を過ぎった瞬間、いつの間にか傍らへ駆け寄って来た彼が開いている片手でアニスの肩を叩く。

 

「一旦、下がるぞ」

 

 身軽に動けるようにとムーアの背中には背嚢がない。中に収めている予備弾薬を空弾倉へ詰める必要があった。

 

 加えて敵の攻勢が落ち着いた今こそが休憩の時間である。

 

 肩を叩かれたアニスは頷くと先に駆け出した彼の背中を追った。

 

「──そっちはどうだったベビー?」

 

「──掴みで100機程度だ」

 

「──なら私達の方と大して変わらないね」

 

 旧時代の防衛戦で使用されたのだろう鉄筋コンクリート製の掩体壕(バンカー)へ続く塹壕。

 

 この近辺は降雨量が少ないのか塹壕の中に雨水は溜まっておらず、乾いた地面を駆け抜けて掩体壕へムーアとアニスが飛び込むと、やや遅れてラピやネオンが、そしてメティス分隊の面々も健在である姿を見せる。

 

 その姿に安堵しながらも彼は安置していた背嚢へ近付き、引き摺り出した予備弾薬を空弾倉へ挿弾子を用いて次々に弾薬を込めて行く。

 

 弾薬が詰まった弾倉を作り、その一本ずつをボディアーマーの弾嚢(ポーチ)へ差す傍ら、ムーアは横目でフードを目深に被るラプラスを見遣る。

 

「──ラプラス」

 

「──ッ!?」

 

 最後の空弾倉へ弾薬を詰め込み、弾嚢に差し込んだ彼が声を掛けると細い身体がビクリと跳ねる。驚かせるつもりは毛頭なかったのだが、過剰な反応を彼女は見せた。

 

「…大丈夫か?」

 

「……………」

 

 気遣う彼の問い掛けへラプラスは一言も返せず、むしろ顔を逸らす始末だ。

 

 彼女を()()として数えない方が今回は良いのかもしれない──と改めて考えつつムーアは背嚢を閉じかけたが、その拍子に銀無垢のケースが視界へ入った。

 

 中身は件の無針注射器である。

 

 これを打った後の記憶は幸いにも残っているが、途轍もない昂揚感と共にそれまで全身を蝕んでいた、のた打ち回る程の激痛が何処かへ消えた覚えがある。

 

 使いようによっては重傷を負っても暫くは戦闘を継続できる効果を持った薬剤なのだろう。中身や成分は知らない方が身の為のような気もするが。

 

 これを打つ事態となる前に早々の撤退をすべきだろう、と考えつつ彼は立ち上がる。

 

 

 ──念の為に持って行け。

 

 

 ズキリと鈍く微かな頭痛が駆け巡った拍子に脳裏へ響いた()()()()()低い声。

 

 ──備えはあるべきだろう。

 

 その警告に従う訳ではない。だが念の為にだ。

 

 一旦、立ち上がったムーアが再び身を屈め、取り出した一本の無針注射器をボディアーマーへ取り付けたポーチのひとつへ収めた。

 

「──でもこの調子ならなんとかなりそうだね」

 

「…頃合いを見て、逃げる準備もせんとならんが…」

 

「確かに」

 

 彼は立ち上がると、軽口なのか、それとも敢えて楽観的な思考に努めているのか判断に困る言葉を発したマクスウェルへ向き直り、肩を竦めてみせた。

 

 ポーチから取り出した煙草のソフトパックを軽く振り、飛び出した一本を銜えた直後、横合いから細い腕が伸びてくる。

 

「いつもありがとう」

 

「いえ」

 

 傍らに立ったラピがターボライターを差し出して来たのだ。

 

 礼を告げながら彼女が握るターボライターへ片手を翳し、風除けを作った直後、慣れた様子で青い火が吹き出た。それで煙草の先端を炙り、紫煙を燻らせる。

 

 緩く吐き出した紫煙が向かう先──鉄筋コンクリート砕け、孔が穿たれた壁の横。そこに綴られた落書きが彼の視界の隅へ映る。

 

Go kick their asses!”(ぶちかましてこい)か」

 

 ここで戦った第1次ラプチャー侵攻当時の兵士の誰かが落書きでも綴ったのか。

 

 油性のマジックペンで綴られただろう文章も既に色褪せているが、不思議とこれを書いた兵士の為人が分かるような乱暴かつ大胆な筆跡である。

 

「──あぁ、かましてやるとも」

 

 その意気へ応えるように銜え煙草のままムーアが落書きを軽く左手の握り拳で殴り付けた。

 

「──さっきの戦闘でロード級は見ませんでしたけど…」

 

「威力偵察だったと思うから後ろで控えているんだろうね。たぶんさっきの戦闘で私達の戦力は概ね把握しただろうから──」

 

「──ロード級が出て来る…戦うのか!」

 

「勿論。はい、そういうことで──これ」

 

 弾薬の再装填を済ませたネオンがマクスウェルと遣り取りしていると、嬉々とした様子でドレイクが笑みを浮かべる。

 

 十中八九、ロード級との戦闘が発生すると太鼓判をマクスウェルが押すと──おもむろに彼女は取り出した一挺の拳銃をラプラスへ押し付ける。

 

「…これは…?」

 

 押し付けられた拳銃とマクスウェルへ交互に視線をラプラスが向ける。困惑する様子のリーダーに拳銃を手渡した張本人は肩を竦めた。

 

「あなたの銃は武装と繋がっているから、銃だけ出すことは出来ないもんね。これでも持って戦って。じゃなきゃ自分の身でも守って」

 

「…私が…これを持っても…」

 

 冷淡な口調にさえ聞き取れるマクスウェルの語り口だが、ラプラスはそれすら気にする余裕がない。押し付けられ、握らされた拳銃が手の内で震えていた。

 

 その姿に──マクスウェルは溜め息を吐き出す。

 

「ねぇ、ラプラス。一言だけ言っていい?」

 

「…どんな非難でも甘んじて受け入れる」

 

「──笑わせるね。私が思いっ切り問い詰めたら、あなたのガラスのメンタルは一瞬で壊れるよ?」

 

 ──おっかないな。

 

 二人の──マクスウェルが一方的ではあるが、ひとまずの応酬を眺める他ないムーアは紫煙を燻らせつつ、不意に真横のやや下から視線を向けられていると気付いて横目を遣った。

 

 ラピの紅い瞳が、止めなくて良いのか、と問うているが、好きにやらせよう、と言わんばかりに彼は肩を竦めて見せる。

 

「──あなたは()()()()()()()()で、バカで、うるさくて、シュエンの愛情を独り占めしてる癖に周りのニケ達に、ヒーローになれ、って説教するから皆に嫉妬される面倒臭い奴だけど……」

 

 ──そこまで言うか。

 

 随分と遠慮のない()()もあったモノだ。

 

 その一言に打ちのめされているのだろう。ラプラスの表情は次第に翳り、顔を俯かせて行く。

 

 一方でマクスウェルはオレンジ色の髪をやや乱暴にガリガリと掻き毟ったかと思えば──やがて深々と溜め息を吐き出した。

 

「──……あなたが掲げていた()()()()は、ヒーローに対する渇望は、本物だったと思う」

 

「──え?」

 

「純粋に数値(スペック)だけ見て、アーク内であなたより強いニケはいない、って思うほどあなたは強かったから」

 

 マクスウェルは研究者や開発者、或いは科学者としての気質が強い。ニケとなる前の仕事の影響がそうさせているのかは定かではないが──ひとつの物差しとして彼女なりにラプラスを評価してみせる。

 

 それは慰めでもなんでもなく、彼女なりの物差しから得られた歴然とした()()なのだろう。

 

 しかし当の本人──ラプラスは頭を何度も横へ振り、否定を口にする。

 

「ち、違う!私はそんなに強いニケでは──」

 

「──私の考えが正しいかどうか勝手に判断しないでくれる?ウザいから。──私は自分より知能の低い子に評価されるの、大嫌い」

 

 ──本当に遠慮がないな。

 

 いっそのこと感心すらしてしまう程にマクスウェルが吐き捨てる姿を眺めるムーアは短くなった煙草を携帯灰皿へ投げ込み、続けて肺に残った紫煙を緩く吐き出した。

 

「──私もお前よりは高い!だから私も評価するな!」

 

「何言ってるの。あなたもあんまり変わらないよ」

 

「──うむ、そうか」

 

「……変わり身が早いな」

 

「──ちょっと指揮官様…!」

 

 空気読んでよ、とアニスが苦言を呈するものの彼は聞いているのかいないのか。敢えて空気を読んでいない可能性も捨て切れないが、ムーアの傍らに立つラピが溜め息を漏らす姿を見るに、どうやら冗談抜きで場の空気を読んでいない可能性の方が高かった。

 

「──だからNIMPHをくれとか泣き喚いてないで、拳銃(これ)使って何でも良いからやって。自分の命でも守って」

 

「──なら、ラプラスは一時的にうちの分隊(カウンターズ)の預かりにする」

 

「…え?」

 

 割って入って来たムーアの言葉にラプラスは瞳を目一杯広げ、何度も瞬きをした。

 

「…生憎と俺は対ラプチャー戦闘ではニケに劣る。俺の側に付いていてくれ。そうだな…俺の尻を眺めているのも良し。俺が前に出るのを一瞬でも躊躇うようなら、拳銃(それ)で背中を撃って構わん。NIMPHが無いんだ。理論上は可能だろう?──ラピ、構わないか?」

 

 分隊のリーダーへムーアは指揮官として問い掛ける。すると優秀なリーダーは、小さな溜め息を漏らした。仕方ない人、と言わんばかりのそれを漏らすと、やがて小さく頷いた。

 

「構いません」

 

「だそうだ。──アニスはネオンとツーマンセルを組んでくれ」

 

「…大丈夫?」

 

「ヤバくなったら逃げるさ。……さぁ、移動だ」

 

 敵がいつまでも待ってくれている保証は生憎とない。休憩や弾薬の補給もそこそこに配置へ戻る必要がある。

 

 アニスとネオンへ配置へ向かうよう促すと、彼女達は顔を見合わせる。続けて虹彩が異なる二対の瞳をムーアへ向け、無事で、と祈るような眼差しを注いだ後、掩体壕を抜け出た。

 

「──ベビーがヤバくなったら逃げる、って言うのも新鮮だね」

 

「俺としては、さっさと退却したい気分なんだ」

 

「ははっ!確かに」

 

 尖った八重歯を覗かせ、彼の軽口──ではない本音へマクスウェルが笑みを零す。

 

「私も行く。──ヒーローよりもヴィランの方が偉大だとお前に分からせてやる。……だから言い返したかったら、さっさと元のお前に戻れ」

 

 ヴィラン──もとい、ドレイクが激励なのか挑発なのか、些か評価に困る言葉をラプラスへ向け、先の二人に遅れて掩体壕を抜け出た。

 

 その後ろ姿を見送ったマクスウェルは──剥き出しになっている腹を抱え、笑い声を上げる。

 

「──ドレイクって、あんなくすぐったいことも言えたんだね。やっぱりこの世は不思議だ〜」

 

 張り詰めた緊張の空気が続いていたからだろう。思いがけない姿を目撃してしまったマクスウェルは笑いが止まらず、涙を目尻へ浮かべる始末だ。

 

 とはいえ、いつまでも笑っていられる状況ではない。なんとか笑いを収めると──浮かんだ涙を指先で拭い取り、深呼吸をひとつ。

 

「じゃあ、私もメンタルケアはこれで終わり。これからは自分でなんとかして──ミシリス最高の技術力を利用して、自分の手で()()になる。それが私達、メティスのやり方でしょう?」

 

「…私にどうしろと…」

 

 ポツリとラプラスが握らせられた拳銃を見下ろしながら弱音を口にする。メンタルケアは終わったというのに、踏ん切りが付かないリーダーだ。

 

 溜め息混じりにマクスウェルが彼へ視線を向けるが──ムーアはラプラスの眼前へ片膝を突き、被っていたヘルメットを脱ぐと目線を合わせて対峙する。

 

「──大尉…?」

 

「──言い忘れていた事がある」

 

 脱いだヘルメットが突撃銃の握把を握る右腕の脇へ挟み込み、逆の左手がラプラスの肩を掴んだ。

 

「あの詩──Invictus(インヴィクタス)から与えられた勇気と不屈の心で、自由と平等を勝ち取った一人の男の言葉だ」

 

 濃い茶色の瞳が自身を真っ直ぐ射抜く。その眼差しにラプラスは顔を背けることを許されず、やがて紡がれる言葉を聞き取るしかなかった。

 

 

 

The greatest glory in living (生きる上で最も偉大な栄光は)

 

lies not in never falling, (決して転ばないことにあるのではない)

 

but in rising every time we fall.(転ぶ度に立ち上がり続けることにある)

 

 

 

 

 

「──それは……?」

 

「必ず俺が、ラピが、そして皆がカバーする。だから()()()()、諦めるな」

 

「───」

 

「ラピ」

 

「はい。──ラプラス」

 

 ラピを促すと、ひとつ頷いた彼女がラプラスを呼ぶ。ラピに連れられる形で二人が掩体壕を抜け出ると、ムーアはヘルメットを被り直しながら腰を上げた。

 

「……ありがとうベビー」

 

「礼は要らない」

 

 交戦前の最後の一服として彼は再びソフトパックを取り出し、軽く振って飛び出た一本の煙草を銜える。

 

「じゃあ私も行くね」

 

「気を付けてな」

 

「うん。──ベビー」

 

「なん──」

 

 まだ何かあるのだろうか。肩越しにムーアがマクスウェルへ顔を向けた瞬間──ターコイズブルーの瞳を閉じた彼女の顔が大きく視界へ映り込んだ。それを認識した一瞬、頬へ柔らかく、そして潤った何かが触れた。

 

「…次はちゃんと髭を剃っててね。少し痛かったから」

 

「……()があるのか?」

 

「さてね。生き残れたら、じゃないかな?」

 

「確かに」

 

 苦笑を浮かべたムーアをマクスウェルは再び見上げ、同時に少しだけ背伸びし、爪先立ちとなると、もう一度だけ頬へ自身の唇を押し当てた。

 

「…早速、次があったな」

 

「なら、次はもっと熱いのをあげる」

 

「楽しみにしてる──と言うのがマナーだったかな」

 

「ふふっ。……気を付けてね」

 

 穏やかに笑みを浮かべたかと思えば、次の瞬間には真顔となったマクスウェルの細い手が彼の無精髭が生えた頬を軽く撫でた。

 

 名残惜しく瞳を細め、踵を返す瞬間まで頬を撫でていた手を離すとマクスウェルも掩体壕を後にする。

 

 その後ろ姿を見送ったムーアは銜えた煙草へオイルライターの火を点けた。

 

 燻らせる紫煙を肺へ送り込み、舌へ馴染む苦味や辛さを堪能しながら──彼も突撃銃を握り、配置へ向かって歩き出した。

 

 

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