勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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描いて良いのだろうか…でもアウターリムだしなぁ、と悩みながらの執筆でした。


第6話〜前編〜

 

 

 二人目は薬物でトリップしていたからか、彼を悪魔かその類の存在に幻視してしまったのだろうか。

 

 泣き喚くだけで話にならなかった。

 

 三人目は個人経営の売春婦らしき女性。

 

 買ってくれたら教える、と媚びるようにしなだれかかって来たので彼の方から退散した。

 

「──この玉無し!付いてんのかよ!!」

 

 背後からキンキンと叫ばないで貰いたい。

 

 別に買っても構わないが、衛生観念がどれほどなのか分からず、しかもここはアウターリム(完璧なアウェー)だ。

 

 寝ている隙に何かあったら死んでも死に切れないだろう。

 

「…面倒臭くなってきた…」

 

 ──何発かぶっ放せば向こうからやって来ないだろうか。

 

 アンダーワールドクイーンがラプチャーか何かだと彼は考えているのか。あらゆるゴミが散乱する路地へ身を滑り込ませたムーアはジャケットの内ポケットからソフトパックとオイルライターを取り出す。

 

 アークでも方々を回ったせいでニコチンの摂取が覚束なかった。

 

 一服して落ち着こう、と銜えた一本の煙草の先端をオイルライターの火で炙り、紫煙を燻らせる。

 

 独特の金属音を奏でてライターの蓋を閉じ、しばらく彼は燻らせる紫煙の香りと酩酊感を味わった。

 

 銜えた煙草が残り半分となった頃──

 

「──……ッ……!」

 

「…ん?」

 

 路地の向こうで息を飲む人の気配を感じ取る。

 

 横目を向ければ、視線の先にまだ10代になったばかりだろう小柄な少女の姿があった。

 

 擦り切れてボロボロとなった粗末にも程がある衣服を纏い、茶髪も伸びるままに任せているからか、それとも洗髪すら満足に出来ないからかボサボサだ。

 

 栄養状態も良くないのだろう。手足は枯れ木のように細く、頼りない印象が強い。

 

 少女は彼の姿を認めると頬が痩けた顔を強張らせ、元来た道を急ぎ足で戻り始める。

 

「……いや、流石に傷付くぞ」

 

 あの年頃の子供に怖がられるのは些か──いや、かなり傷付く。勿論、不本意ながらだ。

 

「……子供なら教えてくれるか……?」

 

 そこまで上手く行くとも思えないが、先程までの聞き込みで成果が無かったのは事実。なるようになれ、とムーアは煙草を銜えたまま逃げた少女の行方を探した。

 

 

 

 

 

 ──怖い。

 

 アウターリムの路地は危険だ。散乱するゴミや割れたガラスの破片で肌が切り裂かれ、そこから破傷風となり、苦しみ抜いた後に看取られることもなく死ぬ者は後を絶たない。

 

 しかしもっと怖いのは──病気や怪我よりも、間違いなく人間だ。

 

 細い手足を──枯れ木のように頼りなく、握れば折れてしまう程に細い手足を懸命に動かして少女は急ぐ。

 

 あの男の人は怖い──と直感が囁いていた。

 

 少女がこの路地に身を置いて約1年。

 

 これでも少女は数年前までアークで生活していた。とはいえ真っ当な家庭環境とは言えず、借金で首が回らなくなった父親に彼女は()()()()のである。

 

 首に埋め込まれた認識チップは摘出され、二度とアークのエターナルスカイから降り注ぐ光を享受することは叶わなくなった少女はアウターリムの歓楽街──バッドドリームに送られた。

 

 そこで彼女は実に()()()()()を体験した。とてもではないがアークの同年齢の同性が経験することはないだろうそればかりである。

 

 少女は生来、喋れない。助けを求める叫びすら残酷にも喉からは発せられなかった。

 

 歓楽街での生活は1年ほど続いたが──()()()で不審火が発生したのを好機として彼女は逃げ出した。

 

 しかし着の身着のまま、何も持っていない少女が一人でアウターリムという世界で生きて行くには、皮肉にも歓楽街で学んだ経験を活かす他なかった。

 

 子供は産めないだろう身体にされ、それでも少女は生き抜いた。

 

 幸か不幸か、彼女が歓楽街で積み重ねた経験は人を見抜く力を少女に授けた。

 

 怖い人、危ない人──自身に危害を加える可能性がある者を瞬時に見抜き、急いで立ち去り、身を守る能力だ。

 

 先程、目にした男の人は──今まで彼女が遭遇した中でも一等危険な匂いがした。

 

 急いで逃げなくては。

 

 少女は自身の()に辿り着く。

 

 路地を進んだ先にある少しだけ広いスペースだ。そこに彼女が寝起きし、そして()を取る店がある。

 

 廃材を使い、穴だらけのシートを掛けただけの粗末な空間。

 

 約1年も世話になったが、ここらが潮時だろう。

 

 持てるだけの荷物を纏めようとした時、背後に立つ人の気配を感じ取る。

 

 ──ドクン、と心臓が警戒の音と鼓動を奏でた。

 

 小さく、そして頼りない程に細い手が反射的に鉄パイプを握る。

 

 振り返りざま、少女は鉄パイプを両手で握り直し、満身の力を込めて振りかぶった。

 

「──おっと。危ないだろう」

 

 鉄パイプが振り下ろされるが、それを難なく片手で掴んで止めたのは栄養状態が宜しくない少女からすれば天を仰ぐ程の巨漢だ。

 

 ──殺される。

 

 反撃が来る。これまでの()()から彼女は何が始まるかの予想が脳裏に過った。

 

 逃げなければならない。

 

 しかし大人と子供では歩幅も異なれば、おそらく足の速さも違う。

 

 あっという間に追い付かれ──そして──

 

 鉄パイプを握る手から力が抜け、少女はギュッと強く両目を閉じた。

 

 しかし一向に──何の衝撃も襲って来ない。

 

「…驚かせて済まない。道を聞きたかっただけなんだ。この近くにPLEDGEという酒場がある筈なんだが…迷ってしまった」

 

「…ぅ…っ…?」

 

 恐る恐る少女が眼を開く。

 

 巨躯の男が片膝を折り、目線を合わせながら問い掛ける姿があった。しかも酷く困った様子で。

 

 問われた少女は力が抜ける思いだった。

 

 ──血の臭いがする。

 

 だが男の身体から漂う──ほんの微かながら嗅ぎ取れる鉄錆にも似た臭いが少女に警戒心を再び抱かせた。

 

 頭を左右に振って知らない、とジェスチャーを返す。発声できず、喋れないのだ。筆談しようにもここには筆記用具はない。

 

 これで諦めてくれると良いが──と思った矢先、視線の先で濃い茶色の瞳が細められる。

 

 射抜かれるような鋭い視線を浴び、たちまち少女の身体が硬直する中、男の両手が持ち上がる。

 

 ──ぶたれる。

 

 反射的に身を竦めようとしてしまう最中、眼前に翳された両手が動き出した。

 

〈──これなら、話せるか?〉

 

 ──手話。

 

 少女がアークで生活していた頃、コミュニケーションの為に覚えたそれだが、このアウターリムに堕ちてからは滅多にやった記憶はない。

 

 手指の動作、基本的な名詞、動詞、形容詞などは記憶の彼方だが──懐かしさもあって少女は手話に応じた。

 

〈──う、ん〉

 

〈──良かった。耳は聞こえるか?〉

 

 頷いて肯定を返す。すると眼前の大きな節榑立った手が動き出す。

 

〈さっき言った店の場所、知らないか?〉

 

〈うそ、ついて、ごめんなさい〉

 

〈こちらこそ。驚かせて、悪かった〉

 

 手話はあまり慣れていないのだろう。所々が辿々しい印象を受けるが、コミュニケーションに支障はない。

 

 少女も手話での会話は本当に久しぶりだ。動作を思い出しながら続ける。

 

〈よっつ、むこうの、とおり〉

 

「…随分と離れていたな」

 

 乾燥気味の口から溢れた溜め息と自嘲のそれ。精悍な強面に似合わない姿を見た少女が我知らず笑みを浮かべた。

 

「──ありがとう。恩人だ」

 

〈おん、じん?〉

 

「そう。助けてくれた。ありがとう。感謝する」

 

 男の手がジャケットの内側へ差し込まれる。

 

 その拍子に捲れた生地の左脇に黒々とした鉄の塊──拳銃が見えると少女が後退りする。

 

「……あぁ、済まない。護身用だ。アウターリムでは…まぁ何があるか分からないからな。──何も持ってなくて悪いが……」

 

 内ポケットから抜き取られた一枚のチョコレート。テトララインのロゴマークと商品名が綴られた包装で覆われたそれが少女に差し出された。

 

「…恩人にこれしか渡せなくて済まない。口に合うと良いが……」

 

 男が包装を破る。銀紙ごと中身のチョコレートの板をパキリと割った。

 

 一欠片を摘んで自身の口に運び、咀嚼する。

 

 何も怪しい物は入っていない、という意思表示であると察せられた少女は、恐る恐る差し出されたチョコレートをまるごと受け取る。

 

 荒れた指先で慎重に銀紙を捲り──何日もロクな食事を取っていない唇を褐色のチョコレートへ寄せ、一口齧った。

 

 ──甘い。そしてほろ苦い。

 

「……美味いか?」

 

「……っ…ぅ…ぐ…ぅ…!!」

 

 美味しかった。この世の物ではない程に。そして涙を流す程に。

 

 だというのに嗚咽すら満足に出せない身体が恨めしかった。

 

 滂沱の涙が流れ落ち、鼻水が垂れ落ちる。

 

 眼前では困った様子で男が頬を指先で掻いている。

 

 本当に困ったのだろう。少女の耳にやや大きな溜め息が聞こえた。

 

「……おいで」

 

 低い声、つまり男性の声は少女にとって無条件の恐怖の対象。

 

 しかし努めて柔らかい声音になるよう響かせたそれへ導かれるかの如く、少女は片手に食べ掛けのチョコレートを握ったまま抱き着いた。

 

 垢だらけで、体臭も凄まじいだろう。涙と鼻水がジャケットを濡らすのも構わず、大きな手がボサボサの頭に乗せられ、優しく撫でられると少女は声にならない嗚咽を上げた。

 

「──落ち着いたか?」

 

 男から身体を離し、鼻を鳴らす少女の目元──赤く腫れた目尻には目ヤニが溜まっている。

 

 ポケットからハンカチを取り出し、それで拭い取る彼へ少女は小さく何度も頷きを返した。

 

「…なら良かった。……しかし、随分と離れていたな。時間……は、まだ余裕はあるか」

 

 気にする素振りもなく汚れたハンカチをポケットへ押し込み、左手首の内側へ文字盤が来るよう巻かれた腕時計で時刻を確認する男の袖を少女は引く。

 

「…どうした?」

 

〈お、れい〉

 

「…礼?」

 

 頷きながら少女は腫れぼったくなった両眼で男を見上げる。汚れた頬に薄く赤が差していた。

 

〈だ、いて〉

 

 ──手話で告げられた言葉の意味を噛み砕いて解釈するのに彼は数秒を要した。いや、意味は分かったのだ。というよりもそのままの意味であろう。

 

「──ガキがいっちょまえに」

 

 ボサボサの前髪が覆う額を指先で少しだけ強めに弾くと少女の顔が僅かに仰け反った。

 

「…悪いが()()()()()()はないんだ」

 

 ──ではどう礼をすれば良いのか。

 

 受けた厚意へ対する返し方を少女は知らない。

 

 むしろ男としては目的地の場所を教えてくれただけで充分だったのだ。チョコレートはその恩人へ対する謝礼である。それ以上は求めないのが筋であろうが、少女は自身の身を守る為に過敏となっているのだろう。

 

 おそらくは、という前置きが付くがそれを察した彼は溜め息を吐き出し、続けて少女の頭へ大きな手を置く。

 

「…そうだな…精々、良い女になってくれ。10年ぐらい経って…それでも今日のことを忘れていないようだったら、改めて考えてみよう」

 

〈やく、そく〉

 

 それまで俺が生きている筈もないが──と、彼は安請け合いしてしまう。

 

 約束と少女が手話で語り掛けると頷きを返した。

 

 片膝を上げ、スラックスに纏まり付く埃を軽く手の平で払うと彼は目的地へ向かおうとする。

 

 すると再びジャケットの裾が掴まれ、強く引っ張られる。

 

 なんだ、と問うよりも先に頼りないほど細い指先がサングラスを摘んで差し出していた。

 

 スクエアのそれはハーフリムのツーブリッジ、レンズはダークブラックだ。

 

「…くれるのか?」

 

 受け取ったサングラスを指先に摘む彼へ少女は頷きを返し、続けて手と指を動かした。

 

〈やくそく、わすれないで〉

 

 普通に買うよりも高く付きそうな約束を安請け合いしてしまった、と今更ながら思い至ったのだろう。

 

 彼は微かな苦笑いを浮かべ──受け取ったサングラスをしっかりと掛けると頷いた。

 

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