勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
ねっとりと、甘ったるい声には聞き覚えがありすぎた。
背後から掛けられた声の持ち主へ振り返るよりも先にムーアの右手がジャケットの内側へ伸びる。
「──
「──仕事、もしくは女遊び。どちらだと思う?」
「──ん〜。…お仕事、かなぁ?──そんな危ない物、出しちゃダメだよ、ダーリン」
拳銃の安全装置を外した矢先、右腕に蛇の如く絡み付く細い両腕。
頭ひとつ分ほど低い位置へ向かって彼が視線を向ける。そこに立っているのは──やはり見覚えがありすぎる人影だ。
「──あは♪やっとダーリンが見てくれた♡」
「──久しぶりだな、バイパー。……右腕の関節を外されて以来だ」
左手へ握ったままの携帯端末をスラックスのポケットに収めた後、ムーアは冷ややかにも程がある視線を送る。それを向けられた彼女──バイパーは頬を膨らませて抗議した。
「──もう!そんな昔のことに拘るなんて…しつこい男の人は嫌われちゃうんだから」
「……キミの
銃床──床尾板での打撃であったのかは定かではないが、随分と容赦なくやってくれたモノである。
「もう…その前にダーリンも私を攻撃したじゃない。
「俺が知らない間に言葉の意味が変わったのか?」
人類最後の社会は旧時代と比較すれば、かなりの小規模に収まっている。その社会でも言葉遣いや流行には変化が存在するのは当然だが、どうやら世間に疎いのもあってかムーアが預かり知らないだけで言葉の意味に大きな変化が生じていたらしい。
勿論、そんな訳はないのだが。
あの場面での彼女達の行動に恨み辛みの類は抱いていない彼ではあるが──それはそれ、これはこれである。
「──それで?お仕事?」
「…仕事、と言えばその通りだ」
一応は休暇中になるのだろうが、マスタングからの
仕事が嫌い、という訳では断じてない。しかし自身の本分が戦闘にある点を理解しているムーアとしては何故
「…前の任務で一緒だった時も思ったけど…ダーリンってば直ぐに眉間に皺が浮かんじゃうんだから…」
「…癖なんだ」
細く白い指先が眼前に迫る。それに警戒した彼だが──彼女は目潰しをする意図は当然ながら無かった。綺麗に整えられた指先でムーアの眉間を揉み解す。しかし深々と刻まれた三本の縦皺は一向に薄くなる気配がない。
「…ねぇ、ダーリン。白髪増えた?」
「ストレスが溜まる仕事だからな。若白髪ぐらい目立つだろう。それはそれとして…そろそろ離れてくれ」
彼が尚も右腕を抱いているバイパーの絡み付く細い腕を振り解いた矢先だ。
スラックスに収めた携帯端末がバイブレーションを起こす。新たな着信の報せだった。
どうせ差出人は同一人物だろう。溜め息混じりに携帯端末を引き抜き、新たに届いたメッセージを確認する。
既読したまま返信をしていなかったからか、アンダーソンが任務受領の是非について問うメッセージを送って来たらしい。
ついでとばかりに戸籍を追認するだけでなく、追加での報酬も約束する、とのメッセージもあった。
〈指揮下のニケ達のメンタルケアや福利厚生に役立てなさい〉
という文言も添えて、である。
彼の上官だけあって、ムーアの
「誰からメッセージ?」
「俺の上官からだ」
短く答えた彼の言葉にバイパーは一瞬考え込む。
やがて口元に薄い笑みを浮かべ、ムーアを見上げるとグロスを塗った蠱惑的な唇を開いた。
「──ダーリンのお仕事って
愛を示す概念の四つとは即ち、エロス、フィリア、アガペー、そしてストルゲー。
この四つがどのように違うのかを説明するとギリシア神話の神々の話にまで及び、また哲学的で掴み所が難しくなってしまう。
かなり端折り、そしてかなり噛み砕いて、この四つの愛がどのように違うのかを説明するとすれば──
本来のフィリアの意味は親愛に近いそれなのだが、それが現在では
Paraphiliaという英単語を分解すると、Paraはギリシア語の前置詞で「横」や「脇」を意味するパラ、philiaは前述の通りの意味である。
これを組み合わせ、直訳すれば「横に逸れた愛」だろう。病理学的な専門用語として客観的、中立的に表現し、偏見や差別を防止する目的で使用されるようになった造語になる。
今回、アンダーソンから与えられた仕事、或いは任務は──
A.C.P.U.にでも通報しろ、仕事の領分が違う──と一蹴するのは簡単だが、警察も大っぴらには動けないとか。
なにせ中央政府の高官まで絡んでいるとなれば、通報したとしても握り潰されるのが関の山だ。
故に単独行動での摘発と中央政府管理下にあるニケを不法に所有している罪からの現行犯逮捕が最も最適解に近い、とアンダーソンは結論付けたのだろう。
──だからと言って俺を駆り出すな。
とはいえ、それに巻き込まれるムーアの心境は穏やかではない。
文句のひとつでも面と向かって言いたいが、どうせ「5分後に会議があってね」などと実際にあるのかすら分からない会議とやらを仄めかされ、有耶無耶にされるのが目に見えてしまう。
そしてなにより、いくら文句や愚痴を漏らしたところで結局はムーア本人の個人的な感情だ。それをアンダーソンが加味する筈もない。直属の上官は、彼ならば、と感情云々を抜きにして能力を見込んで任務を付与したのである。
──傍迷惑な話だ。
コンクリート打ちっぱなしの壁で囲まれた
「──このお店ってダーリンの行き付け?」
「──いいや。初めて来る店だ。俺の上官から勧められてな」
「──折角の
紫煙を燻らせる彼の傍らにはバイパーが立っていた。彼女は瞳を細め、興味津々と店内の様子を伺っている。
バイパーが視線を向ける先には──拳銃や散弾銃、自動小銃と言った対人火器が陳列されていた。
この店はアーク市内の某所の裏路地に構えられた銃砲店だ。
とはいえ大っぴらに看板を掲げて営業している訳ではない。
基本的にアークで許可を得ていない者が銃砲の類を所有、売買、製造するのは御法度と定められている。
ならばこの店も──裏路地でひっそりと営んでいることから違法なのかと思いきやムーアに勧めたアンダーソンのメッセージによれば当局から
顧客の大半が富裕層や官公庁に勤める──主に軍人や警官と言った銃の携帯を許可された者達ばかりなのが御目溢しを受ける原因のひとつだろう。
この店の主であり、ディーラーかつ銃技師でもある初老の男性の腕が良いのだとか。
組織に属しているならば、しかも公的機関の勤め人ならば真っ当な手段で銃火器の貸与を受ければ良いのだろうが、あくまでも
かと言って
無駄な時間を取るぐらいなら──と、クレジットさえ払えば自分好みの銃が入手できる店へ向かうのは当然の流れだろう。それが例え違法スレスレであってもだ。
特に顧客は
おそらくは軍部やA.C.P.Uの特殊部隊の者達──だろうと彼はメッセージを読んで推測していた。
4本目の煙草が灰になって燃え尽きようとする寸前、店の奥にある工房の扉が開く。
「──お客さん、出来たよ」
初老の男性──銃砲店の主であり、銃技師でもある男性が皺が目立ち始めた片手に握った45口径の自動拳銃をカウンター上へ置く。
作業が終わったことを認めた彼も備え付けの灰皿に煙草を押し潰し、カウンターへ歩み寄るが、その片腕にはバイパーが細い両腕を絡めていた。
「
「感謝する。工賃と部品代に手間賃も入れてくれ──なんだ、この追加の交換代と部品代は?」
「あぁ。
「……それはどうも」
初老の店主から細かい傷だらけのタブレットが手渡された。液晶画面に表示された部品代や工賃──その合計を確認するムーアの横顔を仰ぎ見た後、バイパーの視線はカウンター上に鎮座する彼の自動拳銃へ向けられた。
注文の際に
良く観察すると、確かに銃口から僅かに銃身となる筒が指先程度は覗き、ネジ切りが実施されているのが分かった。
これはつまりは──
「ダーリン。サプレッサーでも付けるの?」
「…必要になる、だろうからな。──確認した」
バイパーの予想に頷いた彼はジャケットの内ポケットからクレジットカードを抜き取る。
初老の店主が読込装置をカウンター上へ置き、そこに彼がカードを翳せば決済は完了した。
「……消音器は別料金か?」
タブレットに提示された諸費用に消音器の項目がなかった。面倒臭いが別々の決済になるのだろうか。
店主に問うと、初老の男性は無言のまま彼の拳銃の横へ黒々とした円筒状の部品を置く。
「──こっちもサービスだ」
「…良いのか?」
消音器を無料で付ける、という店主に怪訝な様子で彼は問い掛ける。その疑り深い性格を嘲る如く店主は鼻で笑ったかと思えば、彼の隣に立つバイパーへ視線を向けた。
「──