勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──……だらしがないな。そこまで飲んではいないだろう」
「──…うる、さい…!これ…でも…酒には強い方なんだぞ…!」
「──その自己評価は誤りのようだ。今後の為に改めておけ」
この御時世では中々、お目に掛かれないだろう上等なスコッチ。そのボトルを握った撫子色の長髪を持つ人影が一室の扉の前で聞き耳を立てていた。
飛空艇に設けられた指揮官室。その室内では声質こそ異なるが、いずれも低い声の持ち主達が酒盛りをしている様子が伺える。
──少し遅かったようですね。
人影──ドロシーは落胆の溜め息を微かに吐き出した。
そろそろ
わざわざ
再度、小さな溜め息を漏らした彼女が踵を返そうとした時だ。
「──…クラトス、計画…あれは…なんなんだ?」
「──…知っていたのか?」
「──…名前と…
「──ふむ…」
その足がピタリと止まる。彼女は無意識の内に聴覚センサーを壁の向こう側にいるだろう彼等へ指向した。
「──あぁ、そうだ…ずっと、聞きたかったんだが…傭兵だった頃の…昔の私と会っていないか?…戦場で…?」
「──戦場で?それは妙な話だ」
「──なにが、だ?」
「──もし俺と戦場で遭っていたなら、お前はここにはいないからな。間違いなく殺している」
「──この…自信家が…!」
「──お前とドロシーには負けるがね」
少し──本当に少しだけムッとした。思わず眦が釣り上がった感覚を彼女は捉える。おそらく壁と扉の向こうにいる彼は肩を竦めているのだろう。決して性格は軽薄な人物ではないのだが、時折見せる軽々しく浅はかな態度は頂けない。
しかし、随分と興味深い話をしているようだ。
──オイルライターの蓋が開く音。
「──吸うか?」
「──…やめておく…吐くかもしれない」
「──そうか。残念だ」
──ホイールが回り、フリントから火花が散った。煙草を炙った後、蓋が閉じられる音が響いた。
「──クラトス計画がなんなのか、という話については…そうだな。気にならないか?」
「──…なにが、だ?」
「──お前が飲みすぎて顔を真っ赤にしているのとは正反対に、俺や俺達が素面のままであることは気にならないか?」
ドロシーの聴覚を擽った唐突な話題。彼女はそういえば、と思い出す。部隊で時折開催される
「──それが、どうした?」
「──アルコールが体内に入ると、まずは肝臓でアセトアルデヒドに分解されるのは知っているな?人体には強い毒素だ。これを分解してくれる酵素がALDH2。──まぁ専門的なことは生憎と門外漢だが、聞いた話によると、俺達は
「──体質、の問題、じゃないのか?」
「──そうとも言える。逆を言えば、
彼のように紙巻き、或いは少数だが噛み煙草や嗅ぎ煙草を嗜好品とする人員の多さは目立っていた。
スノーホワイトが真似する為──彼女もそこまで子供ではないが、良い歳をした年長者の集まりなのだから唾を吐く行為は止めて貰いたい、と直談判した所、彼等は不承不承とティッシュ等へ吐き出しているか、彼女がいる前では普通のガムを噛むようになった。とはいえ、スノーホワイトが見えなくなると直ぐにニコチンやタールの摂取へ勤しむのだが。
「──人為的な調整を受けた、か…噂に聞く通りか…優秀な…兵士の遺伝子を用いたクローン…とかいう…」
「──あぁ、それは違うな。それについては意図的に広められた偽情報だ。一般論だが、クローンだとしたら顔や体格がそっくりじゃなきゃならんだろう」
分子、DNA、細胞、生体などのコピーであるクローン──それを作成するクローニングを用いて
「──クローンでないなら、お前は、お前達は
「──さてな。俺も分からん。逆に聞くが、お前は
──蝶が見ている夢の中に存在する自分ではない保証はあるのか。
そう問うた彼へ彼女の指揮官は鼻を鳴らした。
「──私は私だ」
「──それは俺が見習うべき長所なんだろう。生憎と俺にはそこまできっぱりと言い切れる自信がない。まぁ…クローンではないが、似たようなモノだからな」
──とはいえ、そこまで悩んでもいない。自分の本性は疾うの昔に受け入れた。
彼の落ち着いた低い声──男性的な特徴が否が応でもドロシーの聴覚を擽る。
やがて小さく息を吸い込む音が。
「──悪い…その言語は分からない…翻訳アプリがないと…」
「──機械やシステムに頼るな。自分で調べろ。まぁ大した意味はないが、人生とは学び続ける旅路だからな」
「──…ふん、インテリめ。学がない、というのは嘘だろう」
「──学は本当にないぞ。士官学校は出ていないからな」
「──学がある奴は皆そう言うんだ。…それはそれとして…計画のことは気になるが…部隊の
「──何故、ここで
「──とぼけるな色男。私が知らないとでも思っているのか?」
──チクリと胸の奥に走った微かな痛み。それに気を取られたからだろう。
「──ドロシー」
大人の女性らしい、しかし何処か幼さも感じられる声が背後から掛けられた。
「──ッ!」
ゴッデス部隊のリーダー、
「あら、それスコッチ?」
「え、えぇ…」
「もしかして…指揮官──ううん、違うかな。ちょっと恐い人狼さん、と?」
嘘を吐く必要もない。ドロシーは頷いた。
「彼の好みに合うかな…これ高い奴でしょ?彼、味覚が貧しいから…折角のお酒なのに感想が、美味い、の一言だけかも」
確かに口に出来る物は大概の場合、美味いと言っていた気がする。好き嫌いがないと解釈していたが、実際は違う──いや、待て。何故、リリーバイスは知っているのだろうか。
「──部屋の中だよね。入ろうっか」
「ちょ、待って下さ──」
言うが早いかリリスが指揮官室の扉を開くボタンを押した。
途端に室内から漂う紫煙と酒精の香りが鼻を突く。
「ああ、もう…男二人だけでなにやってるの。換気もしないで。煙草臭くなっちゃうじゃない」
「……気にするのか?」
「…多少は。済まない。今、換気する」
「もうっ!ちょっと
腰に両手を宛てがったリリスが説教する先には椅子へ腰掛けつつ長い脚を組みながら紫煙を燻らせる彼がいる。
バツの悪そうな表情のまま彼は反論材料を探そうとするが──口を開く寸前に銜えた煙草が細い指先で取り除かれ、灰皿へ押し潰されてしまった。
眉間へ皺を寄せる表情からは、勿体ない、の苦言が読み取れてしまう。
「ちょっと、聞いてるの?」
「──良く聞こえておりますよ、
不満をこれでもかと滲ませ、敢えて階級を強調する低い声。
「なに?不満?私の言ってること間違ってる?」
「いいえ。仰ることいちいち御尤もです、
ピキリ、とリリスの蟀谷に薄く青筋が浮かぶ。
ああ、これは不味い──。一触即発の雰囲気を感じ取った指揮官は酔いが何処へ行ったのやら椅子から腰を上げ、両者の間へ割って入る。
「リリス。相手は酔っぱらいなんだ。そう目くじら──」
「──指揮官。彼、体質の問題でいくらアルコールを摂取しても酔わないんですよ?つまり素面です」
──いや、何故それを知っているんだ。
自身はつい先程、知ったばかりだというのにリリスは委細承知している口振りだ。
そして叱責を受けている──さながら担任教師に怒られている素行不良の生徒のようだが、彼は言い当てられたというのに驚く素振りもない。
「──分煙するは最低限のマナーじゃない?」
「──しっかりしてるだろう。人前で吸う時は、吸っても良いか、と伺いも立ててる」
そこまで礼儀知らずに見えるのか──彼の蟀谷に青筋が薄く浮かび上がり、椅子へ腰掛けながらリリスを仰ぎ見る。
互いに大人だというのに、いきなりティーンエイジャー同士の不毛な口論を始めないで欲しい──思わず指揮官は溜め息混じりに天井を仰いだ。
「──二人とも。喧嘩するなら他所でやってくれないか?」
「……そうだな。場所を変えよう」
「えぇ。一度、貴方とはマナーや礼儀についてしっかり話しておく必要があったから」
組んでいた脚を解き、立ち上がった彼はリリーバイスを見下ろし、部屋の外へ出るよう顎をしゃくって示す。
彼女がヒールの足音も高らかに指揮官室を抜け出るのに続き、長身の彼も通路へ姿を見せた。
ドロシーは彼へ声を掛けようとしたが──それよりも早く並び立った双方の背中が足早に、しかし歩調を合わせて小さくなっていく様子を見送る他ない。
「……あ〜…おっかないな。人類最強の兵士と最強のニケが一触即発って…怪獣映画も真っ青だ」
「……御覧になるのですか?」
顔だけを廊下へ覗かせた指揮官のややズレた感想と危惧──肯定も否定も出来ず、ドロシーも反応に困るのか妙な返事をするしかなかった。
──このスコッチはどうしよう。
手元に残ったボトルは未開封のまま暫く彼女の居室で保管される道を辿った。
この後、リリスと彼が
きっと激しい戦闘が繰り広げられたのでしょう。