勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第9話

 

 

 眼前に光芒が、数多の大口径の弾頭が、大粒の散弾が──

 

 視界を灼き尽くす光芒が一杯に広がり、咄嗟に身を捩った途端、まず右腕が焼け落ちた。

 

「──グッ!?」

 

 姿勢が崩れる。思わずたたらを踏んだ瞬間、大口径の弾頭が左脚の付け根を砕いた。

 

 不様に、みっともなく崩れ落ちた。すると左の脇腹を散弾がごっそりと抉り取り、凄まじい勢いで赤々とした触媒が噴出する。

 

 身体が次々に粉砕されていく。

 

 だというのに──自己修復機能が作動しない。

 

 明確な生命の危機を彼女──ヘレティックであるニヒリスターは感じ取った。

 

「──チ、チク…ショウ…!俺の…足下にも及ばぬ…虫けら共が…ウッ…!?」

 

 ゴプリ、と喉の奥から迫り上がって来た熱さ。耐え切れず吐き出すと、色は紅色のそれだ。

 

 喉と舌に不快を感じて仕方ない。ゴホゴホと咳き込む最中、胸部へ大口径の弾頭が3発も纏まって弾着する。

 

 弾着の衝撃が全身を打ちのめし、豊かな右胸を貫通したそれを放ったであろう者をニヒリスターの深紅の瞳が貫いた。

 

「──おい…やめろよ…」

 

 ヘルメットを被った長身の男──人間である筈だ。しかしニケ用の対ラプチャー火器である突撃銃を操り、自身を仕留めようと頭部へ向けられる銃口の形が彼女の目には綺麗な真円に見えてしまった。

 

「──やめろ…やめろって…!!」

 

 距離にして15mは離れている。しかし明確な殺意を、そして生命の危機を敏感に彼女は感じ取る。

 

 サングラスの奥へ隠れる鋭利な形に細められただろう瞳が狙う先──レティクルへ捉えられた筈の自身の眉間。

 

 引き金へ掛けられた指先が再び引き絞られる寸前、彼女は叫んだ。

 

「──お前の…お前達の代わりに殺してやるから!この手で殺してやるからさ!!()()()()を!!」

 

 引き金の()()が引き絞られ──撃鉄が落ちようとする瞬間、長身の青年の眼前に撫子色の長髪が舞い降りる。

 

「──射撃を止めて下さい!」

 

「──ッ!!」

 

 射線が被る──反射的に指先から力が抜け、引き金の()()が元へ戻る。

 

「──退け、ドロシー」

 

 ──なんのつもりだ。獲物を横取りするつもりか。

 

 純白の拡張武装に身を包んだニケの背中へ低い声音が向けられる。

 

 邪魔をするな、と言外に語る低い声の持ち主へ彼女は肩越しにアメシストの瞳を向けた。

 

「…割り込んで済みません。ですが、少しだけ待って頂けませんか?」

 

「──いや、耳を傾ける必要はない」

 

 別の低い声。大地を踏み締める足音は長身の青年の隣へ並び立ったと同時に鳴り止んだ。

 

「ただ生き残るだけの悪足掻きに過ぎないだろう」

 

「同感だ」

 

 二人の指揮官──アイスブルーと濃い茶色の瞳が向く先には半死半生のヘレティックの姿がある。双方とも色違いの瞳から送られる視線は冷ややかなものだ。

 

 しかし彼の眼前に立ち塞がることで射撃は一時的に止んでいる。

 

 とはいえ時間はあまり存在しないだろう。

 

 彼女は改めてアメシストの瞳をヘレティックへ向けて問い掛ける。

 

「──ニヒリスター。死にかけのあなたが、どうやってクイーンを殺すというのですか?」

 

 返答次第では、()()()()()()()()()()。ただし、興味をひかない場合は──。

 

 彼女は両手に握る純白の火器を握り直しながら先を促す。

 

 全身を撃ち砕かれてしまい、地面へ倒れ込みつつ、ゼェゼェと荒い呼吸を繰り返すヘレティックは口元を赤い触媒で濡らしながら、やっとの思いで唇を震わせた。

 

「──俺に…計画がある…ずっと…前から…!考えて…たんだ…!」

 

「──それは?」

 

 前置きは要らない、と彼女は携えた火器を構え、その銃口を怨敵の頭部へ向けた。

 

 ニヒリスターが口腔へ溜まった触媒を吐き捨て、舌の呂律が回るよう努めながら更に続ける。

 

「──()()()のボディについて…知ってるか…?」

 

 

 

 

 

 

 

──リック

 

 

 

 

 

 

 

「……リ…リ…ス……」

 

「───ッ…!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きめ細かい白い肌をシーツに包み、穏やかな寝息を立てる姿を独占出来るのは世界でただ一人だけ。

 

 筋肉が詰め込まれた逞しい片腕を枕とし、厚い胸板へ縋るように身を寄せて眠りに就く姿を男は飽きもせず、息を潜めながら見詰めていた。

 

 悪戯心が生じたのだろう。或いは暇潰しだろうか。男の節榑立つ指先が少しだけ乱れた()()の前髪を弄る。

 

「──んぅ…」

 

 まだ夢の中にいたいらしい。部隊を束ねるリーダーではなく、つい先程までは年相応の一人の女性として、唯一無二の男から与えられる愛情を一身に受けていた彼女は珍しく疲労困憊のようだ。

 

 生憎と()()()()()()()()()は苦手な男だが、心得がない訳ではない。不器用なりに彼女へ紳士的に振る舞ったつもりではある。一応は、という前置きが付いてしまうが。

 

 その感想は──目覚めてから改めて聞くとしよう。

 

「──おやすみ。俺のリリス」

 

 相手が眠りの中にいるからこそ紡げる言葉もあるのだ。

 

 形が良く、潤った唇へ乾燥気味の男の唇がそっと触れた。

 

 戦いしか知らない人生に、穏やかで安らぎの時間を与えてくれた女性(ヒト)

 

 戦いしか取り柄のなかった──それしか持ち得ない自分が満たされていった。

 

 無機質でモノクロの世界に光が差し込み、世界が彩られた。

 

 この感情をなんと言えば良いのか──悶々と考えた所で行き着く先にあったのは、たったひとつの陳腐でありふれたもの。

 

 しかしそれを面と向かって口にするのは、どうにも気恥ずかしい。

 

 たった一言──果たしてそれを口にする資格があるのか否か。

 

 遠くない未来、或いは戦闘の最中に還らぬ身となるかもしれない。

 

 

 ──I'm gonna die someday. (俺はいつか死ぬ)

 

 

 ならば彼女へ告げるべきではない。後々まで彼女へ口にしたその言葉を()()()()()()()()()。そんな不誠実な真似は出来ない。

 

 死は恐くない。戦いの果てに何処かの戦場で無惨な死に様を晒したとしても悔いはない。むしろ喜ばしいほどである。

 

 

 ──So don't need to pray for me.(だから俺への祈りは要らない)

 

 

 自殺志願者としか言えない戦いを繰り広げている身だ。願い、祈り──認識票へ口付けを受けた瞬間を彼は思い出す。

 

 

 

 ──貴方がこれ以上、傷付きませんように。おまじない、だよ。

 

 

 

 何処からか視線も一瞬感じたが、どうやら小隊の誰かが覗いていた訳ではないらしい。そうであったなら、とうに拡声器片手に馬鹿野郎共が練り歩いているからだ。

 

 胸板に縋りながら眠る彼女を見下ろし──少し乱れた前髪を乾燥気味の唇で掻き分け、ガッデシアムの肌へ触れるだけの口付け。

 

 彼に未来は存在しない。そしておそらく彼女にも。

 

 破滅へ向かい、ただまっしぐらに突き進む二人だ。

 

 終わりは近い、終わりは目に見えている。

 

 

 

 ──何故、出逢ってしまったのだろう。

 

 

 ──何故、惹かれてしまったのだろう。

 

 

 ──決して結ばれることはないと分かっていたのに。

 

 

 

 漏れ出そうになる溜め息をグッと堪える。そうしなければ、眠っている彼女を起こしてしまうかもしれなかった。

 

 

 

 ──このまま、この瞬間が終わらなければ良い。

 

 

 ──それなら、きっと、この上なく幸せなのだろう。

 

 

 

 胸中に渦巻くこの感情の嵐を彼女へ告げたなら、どんな顔をするだろう。

 

 驚くだろうか。

 

 それとも笑ってくれるだろうか。

 

 面と向かって口にするのは憚られる。

 

 もしかしたら彼は自身で思っている以上に臆病なのかもしれない。

 

 彼女が眠りこけているこの瞬間でしか言葉に出来ないのだから。

 

But I got for(それでも俺は)──」

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ッ…グッ…!!」

 

 ドクン、と心臓の鼓動が高鳴る。瞳孔が開き、動悸も激しくなる。

 

 呼吸が──覚束ない。

 

「──ムーア?」

 

 ──違う。俺の名前は()()ではない。

 

「…違…う…?」

 

 そんな筈はない。

 

 ()()()()()()()。これこそが彼の、唯一無二の名前だ。

 

 

 

──違う。

 

 

 

 激しく頭蓋の内で脳が暴れ回るような感覚。痛みに苛まれる最中、脳裏で反響する聞き慣れない(聞き慣れた)低い声。

 

 

 

──思い出せ。

 

 

 

「…なに、を…!リ…リ…ス…のボディ…!?」

 

「──クイーンの前身であり、地上に残った唯一の未練さ…!それさえ見付かれば…この手でクイーンを…!」

 

「──カウンターズ!早く来い!!」

 

 視界が暗転しかけ、世界が揺らぐ。いや揺らいでいるのは彼の身体だ。

 

 傍らで張り上げられる低い声──普段の冷ややかな声音を何処へ追い遣ったのやら、事態が切迫していると感じさせてしまう、やや動揺の気配が強い声すらも遠く聞こえる。

 

 

──思い出せ。

 

 

 再度、繰り返される言葉。頭蓋の内で耐え難い激痛が駆け抜ける。

 

 

──お前の。()()()()は──

 

 

 

 耳を貸すな。

 

 いや、耳を傾けなければならない。

 

 思い出すな。

 

 いや、思い出さなければならない。

 

 相反する思考が次々に渦巻く。

 

 知らない戦場(知っている戦場)の光景が脳裏を過ぎる。

 

 過ぎ去った戦いの記録が、駆け抜けた戦いの日々が鮮明に(霞んで)浮かんでは消えた。

 

「──ちが、う…お、れ、俺は…!」

 

「──指揮官!」

 

「──ネオン、指揮官様を!!」

 

「──分かってます!師匠!!」

 

 腕を強く引かれ、導かれるままに身体が自然と動き始めた。

 

 霞む視界の先──眼前に立ち塞がる3名の人影。

 

 ライトブラウン、亜麻色、そして撫子色──いずれも()()()()色違いの髪。

 

「──何をしたのですか、ニヒリスター?」

 

「──俺が、知る訳ねぇだろ?それよりも…これ、まさかアンチェインド、か?──リリスのボディさえ見付かれば…この俺が必ず殺してやる…!だから…早く…!俺の身体から…このクソアンチェインドを…!!」

 

 血を吐き出さんばかりにヘレティックが叫ぶ。

 

 ──判断材料に乏しいが、悪くはない提案だ。

 

 背後の様子(ムーア)が気掛かりなドロシーだが、努めて平静を保ちつつ思案を始めた矢先──肌がヒリつく感覚を捉える。

 

 これは──

 

「──下がりなさい!!」

 

 咄嗟の判断だった。彼の眼前に立ち塞がったラピやアニスへ警告を発して間を置かず、死にかけのニヒリスターの傍らへ音も立たず、それまで気配すら感じさせず、異形の存在が顕現した。

 

「──うるさい。…どうして…どうしてみんな、そんなにおしゃべりが好きなの…」

 

 幼顔に血色の悪い肌──陽の光が届かぬ深海からわざわざ足を運んで来たかのような静かな存在は、それに反して絶大な存在感を放ちつつ巨大なクラゲを思わせる拡張武装したまま視線を()()へ向ける。

 

 しかし直ぐに興味を失ったのだろうか。視線を逸らし、傍らで半死半生の形容が相応しいニヒリスターに残った片腕を掴んで引き起こした。

 

「指揮官、攻撃しましょうか?」

 

 エデンの指揮官──ヨハンの隣へ並び立った参謀役が尋ねる。

 

 それを聞いた彼はアイスブルーの瞳で捉えられる限りの状況を素早く分析する。

 

「──いや…」

 

 原因は分からないが、全身が左右へ動揺し、瞳の焦点も合っていないアークの指揮官の姿が視界へ入った。

 

 その途端、膨らみつつあった交戦の意欲が失せてしまう。

 

 なにより新たに出現したヘレティックの戦力を分析できていない──負けるつもりは更々ないが、勝ち切れるかすら定かではない可能性が脳裏を過った。

 

「──目の前に見えているのは氷山の一角だ。現状の戦力でどうにか出来る相手じゃない」

 

「──察しが良いね」

 

 ニヒリスターの身体を支え、掴みながらヘレティックがフワリと重力を無視して浮かび上がる。

 

 眼下に敵達を睥睨しながら彼女はやや眠たげな瞳を細めながら再度、口を開いた。

 

「──その察しの良い頭を、これからはもっと低く、静かに動かすようにして。もし今度、また私を起こしたら…」

 

 ──その時は、その楽園って場所ごと深海に葬るから。

 

 深海の冷たい水温の如く冷たい声が静かに響き、その余韻を残したまま彼女達の身体が霞んで消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──目が覚めましたか?」

 

 一定間隔で鳴り響く電子音。それに気付いた瞬間、彼の意識が浮上する。

 

 瞼が開き、濃い茶色の双眸が上下左右に動く。

 

 見知らぬ天井──無機質で白い天井が視界一杯に広がった途端、傍らで冷淡かつ淡白な高い声が向けられた。

 

「…気を失っていたのか…?」

 

「──ニヒリスターへアンチェインドを撃ち込んだ直後から貴方の様子がおかしくなった、とヨハンから聞いていますが…記憶は?」

 

「…あまり覚えていない」

 

 そうですか、と淡白な返答が響く。

 

 視線を右へ向ける。どうやら病床へ仰向けに寝かされていたらしい。

 

 病床の傍らに置いた椅子へ腰掛ける存在が長い脚を組みつつ自身を見下ろしている状況をムーアは確認した。

 

「──アンチェインド……」

 

 途中からの記憶は曖昧だが、はっきりと覚えている光景を彼は思い出し、拳が軋む程の強さで握り締める。

 

 ──状況が状況だ。悪手の判断ではなかった。

 

 それは間違いなく断言出来る。しかし──わざわざ地上まで足を運び、目的としたそれを失った事を正当化する材料になるのか否か。

 

 彼の内心を察したのだろう。

 

 冷淡な才女を思わせる風情の美女──作戦ではオペレーターも務めるセシルが溜め息を吐き出した。

 

 薄い紫を少しだけ孕んだ月白色の長髪が微かに揺れ、先端が尖った笹の葉を思わせる特徴的なイヤホンを付けた左耳へセシルが指先で掬った髪を掛けると改めて彼を見下ろす。

 

「私と会話する気分ではなさそうですから…そのまま聞いていて下さいね」

 

 どうか落ち着いて、と付け加えるのも忘れずだ。彼女は一方的に告げるとスリットが刻まれたタイトスカートの裾から覗く長い脚を組み換えた。

 

「…生憎と美しい女性と話すのは苦ではないが…部下達は?」

 

「…冗談も吐けるなら、そう心配は要らないようですね。──彼女達は無事です。エデン(ここ)へ戻っています」

 

 部下である彼女達は問題ないと知った彼から安堵の息が細く漏れ出た。

 

 話に聞いていた通り──随分と()()()()()()だ。

 

 同僚(ヨハン)から伝え聞いた同業の者へ対する評価は誤りではないらしい。それを改めて確信しつつセシルは続けた。

 

「今回、オペレーター通信を通して私も皆さんの会話を聞いていました。…特にニヒリスターが言っていたこと…」

 

 冴えた青──孔雀青の瞳が細められる。

 

「──貴方の身体の中に彼女の望む物があると言っていましたよね?」

 

 ニヒリスターと交わした会話をムーアは思い出し、やがて小さく首肯して見せる。

 

「実は心当たりがありました」

 

「…心当たり?」

 

 切り揃えられた前髪の奥に光る孔雀青の双眸へ向け、怪訝な形となって細められた濃い茶色の瞳が視線を注いだ。

 

「はい。わざわざ貴方の身体を()()()調べる必要もありませんでした。貴方が悩んでいる問題も100%解決できます。まぁ…許可を取らずに調べさせて貰った点については謝罪します」

 

 外傷も特になく、意識が喪失したのだ。緊急性を考え、諸々の検査を実施した旨をセシルは告げる。

 

 勿論、彼の同意なく実施した点も謝罪すれば──彼は気にしないと言わんばかりに肩を竦めてみせた。

 

「納得頂けたようでなによりです。それで…判明した──いえ、私の予想通り、と言えば良いでしょうか。──自分の血液型はご存知でしたか?」

 

「──B型のRh−、だと以前までは()()()()()が…どうやら違うとだけは…」

 

「…血液型がデータベースに登録されたことは?」

 

「…無い筈だ」

 

「…そうですか。個人の身体検査情報を完全に隠蔽するのは難しい筈ですけど…貴方を()()()()()()()が適切な措置を取ってくれていたようですね。──おめでとうございます、ムーアさん」

 

 不意に言祝がられてしまう。当然だが、ムーアは意味も分からず一瞬だが思考が停止した。

 

 

 

 

「──祝福されたRh X 型の血液型の持ち主と判明しました。いえ、()()()()と言うべきでしょうか?」

 

 

 

 相反する二つの表現を用いて宣告した彼女の視線がムーアを射抜く。

 

「…Rh X 型…?」

 

「そうです。アンチェインドを作ることが出来る血液型を持った、極少数の人間の一人。それが貴方です」

 

 はっきりと断言した才女へ彼は返す言葉を探しているのだろう。視線が左右へ泳いでいるのを認め、内心の微かな動揺が伺えた。

 

「…気分は如何ですか?嬉しいですか?それとも…気が抜けました?」

 

 病床に横たわる彼へ問い掛けると、ムーアはやがて上体を起こす。

 

 黒い半袖のシャツを纏った下へ隠された鍛えられた腹筋を用いて上体を起こし、病床の端へ腰掛けるや否や、視線を部屋中に向けて何かを探している。

 

「…取り敢えず、一服したい気分だ」

 

「…ここは禁煙です」

 

 気が抜けた──それが一番近いのだろう、とセシルは感じ取りながら、煙草を探している彼を牽制するのを忘れなかった。

 

「あまり感情に囚われる必要はありませんよ。あなたがこの体質のせいで泣いたり笑ったりすることは、これから無数にある筈ですから」

 

「…それは嬉しいことを聞いた」

 

 あまり歓迎できる告知ではないかもしれないが──彼は軽口で応じながら目線がほぼ同じとなった才女がタブレットを操作する姿を捉える。

 

「冗談はさておき…警告しておかなければなりません」

 

 彼女がタブレットの画面をムーアへ見せる。アンチェインド──Rh X 型の血液型であると判明した診断結果のファイルだ。

 

 それを彼に確認させた後、やがて手袋で包まれた細い指先で削除がタップされる。

 

「これは私と貴方、それ以外には知られてはいけません」

 

 彼の部下達も例外ではない、とセシルは口にし、データが完全に削除されたと認め終わり、握ったタブレットを背後の机上へ置いた。

 

「…特に、あのパピヨンというニケ。貴方とは違う派閥の副司令官の為に働いているようですね。彼女には絶対に教えないで下さい。()()()()()の為に犠牲となる()()()()になりたくないのであれば」

 

 ──実験動物。その言葉が反響した途端、少しばかりの頭痛が脳裏を駆け巡る。

 

 不快感に眉間へ深い縦皺を刻み──それが却ってセシルには実験動物宜しく様々な人体実験へ身体が提供される光景を想像してしまった、と感じさせたのかもしれない。

 

「…分かった。肝に銘じよう」

 

「…素直で良いですね」

 

 薄い微笑を湛えながら頷いた彼へ視線を投げた後──セシルは浮かべた表情を引っ込め、改めてムーアを見詰める。

 

「話はこれで終わり──と言いたいところですが、他にもいくつかお話しなければならないことがあります。貴方の血液は…専門家ではないでしょうから詳細は省きますが、様々な角度から解析と検査を行いました。その過程で貴方に告知する必要がある、と判断した結果がいくつかあります」

 

「──重症造精機能障害、という話ならもう聞かされているぞ。担当医からな」

 

 感慨もなく──それこそ大したことではないと言いたげに彼はセシルへ返した。

 

 彼女も驚きを見せることはなく、肯定の頷きを見せる。

 

「ご存知でしたか」

 

「…いわゆる子孫を残す為の機能を持つ遺伝子だったか染色体に異常を来たしていると聞かされた」

 

 総力戦の戦後、前哨基地で療養する際に往診へ足を運んだ担当医(メアリー)から告知されたと彼は口にする。

 

「…まぁ、子供は嫌いではないが、欲しいとも思えん。遺伝子を遺せないのは…生物として不完全とも言えるが、そこまで気にすることでもない」

 

「……では、もうひとつだけ告知するお話があります。良く聞いて下さい。そして──どうか落ち着いて」

 

 まだあるのか、と彼は辟易としながらも律儀な性格を発揮してセシルに視線を向ける。

 

 濃い茶色の瞳を見据えながら、彼女は形の良い唇を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──貴方の余命は、おそらく長くても4年、持ったとしても5年程度です」

 

 

 

 




私自身、次の世代に遺伝子を継ぐことは叶わない身体です。
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