勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──どうした?お前の好みに近いだろう酒は用意したつもりだが…口に合わなかったか?」
「──…いや。律儀だと改めて感じただけだ」
西に太陽が沈み、夜の帳が下りる。
地上基地 エデンの中庭。色彩豊かな草花が植えられた花壇へ囲まれたガゼボの内部には二人の人影があった。
向かい合って設けられた長椅子へ腰掛ける双方の片手には揃いの意匠のグラスが握られている。
双方の片割れ──迷彩柄の上着を纏った青年が握ったグラスを傾ける。
一口分を口腔へ流し込み、瞳を細めつつ嚥下し、やがて酒精の香りが濃い息を鼻から抜いてみせる。
「…あぁ…。確かに俺の好みの味だ」
「そうか」
その言葉に嘘はないのだろう。テイスティングであった一口目が終わり、二口目からはグラスが大きく傾けられたのだ。
喉仏が動き、グラスの中身が次第に減る。やがてグラスが乾いた。
「…なんの酒だ?」
「試しに小麦から作られた蒸留酒だ。水は地下水を汲み上げて作った」
「…なるほど」
旧時代の資料でも発見し、興味本位で作ってみたのだろうか。いずれにせよ、美味い物は美味いのだ。
アイスブルーの双眸を持つ片割れ──ヨハンがボトルを握る。それに応じた彼──ムーアも乾いたグラスを差し出す。
ボトルが傾けられ、無色透明の酒が注がれた。
「──作戦への協力、感謝する」
「──礼は良い。それよりも…アンチェインドが初弾ではなかった点について謝罪して貰いたかったな」
忘れてはいないらしい。それも当然か、と思い至ったヨハンは肩を軽く竦めて見せる。
「…お前を騙すことでニヒリスターも騙す腹積もりだったのは確かだ」
「……俺が
心外だ。そう言わんばかりにムーアが掴んだグラスを一気に傾け、口腔へ酒精の強い蒸留酒を流し込む。もう少し味わって貰いたいのが本音ではあったが、腹立ちが理解出来ない訳でもない。
「済まなかった」
「…まぁ、そこまで気にしちゃいない。気を失った俺を
「…セシルから聞いたのか」
頷いて肯定した彼は戦闘服の上着に設けられた胸ポケットを漁る。取り出したソフトパックを軽く振り、煙草を一本銜えた。
続けてオイルライターの蓋を開けるのだが──
「…どうした?」
「…いや、なんでもない」
火を点けるのが少し遅れた──ようにヨハンは感じた。しかし気を取り直したのか、彼はホイールを回転させ、フリントと擦り合わせて火花を散らし、灯った火で煙草の先端を炙った。
「……それで、これからどうするつもりだ?アークに戻るのか?」
「…まだはっきりとは決めていない。ヘレティックとの戦闘があったばかりだ。アークへ帰還するにせよ、部下達の状態を確認してからになる」
ふむ、とヨハンは相槌を打つと自身の手酌で注いだグラスを握り、一口分を嚥下する。
──良くもまぁ、これを水のように飲める。
ほぼ全身を機械に置き換えたが、それでも酒精の強さは如実に感じられた。生身の人間が平然と飲んで良い代物ではない。
呆れるべきか感心すべきか──煙草を指の間へ挟みつつ、そのままグラスを摘んで酒を口元へ運ぶ姿を見遣ったヨハンは唇を開いた。
「──なら、しばらく
「……む?」
怪訝な様子でムーアが濃い茶色の瞳を細める。てっきり、用が済んだなら出て行け──それぐらいは告げられると思っていたのか意外であるらしい。
「…それほど意外か?」
「…まぁ、それなりに」
「…若造が。どんな想像をしていたのかは敢えて聞かないが……これでも多少はお前のことを認めても良いと思っていたんだがな」
評価を改める必要があるようだ。最早、何度目かのそれかはヨハンも分からないが。
「…お前の戦術は古すぎる。推測するに、ラプチャーと戦闘に及ぶ際はニケ達よりも前へ出ようとしているだろう」
「…何故、分かった?」
分からないとでも思ったのか──呆れた眼差しを
「ラプチャーを相手に近接戦闘も辞さない筈だ。もう少し柔軟になった方が良いだろう。──私なら、お前を育て上げられるからな。滞在中、講義をするぐらいは引き受けよう」
胡乱な視線──それが対面の
「信じられないか?まだ覚えている者がいるかは分からないが…アークのマスコミからは
「……新星……」
「そうだ」
グラスを掴み、それを口元へ運んだムーアは記憶を辿る。
新星──その異名には見覚えがあった。何らかのデータベースだったろうか。
10秒ほど押し黙り、やがて小さく、あぁ、と思い出したのか声を上げた。
「第二次地上奪還戦で活躍した指揮官──ん?待て。…半世紀以上は昔の筈だが……」
外見年齢は20代──にしか見えない。若作りもここまで来ると大したモノだ。
勿論、本物だと仮定したならばの話だが──
「……いや、
いきなり態度を変えて来ると──気色が悪いにも程がある。
既に生身の身体ではないというのにヨハンは鳥肌が立つ感覚を覚えてしまった。
部屋に備え付けのシャワー室から抜け出た彼は乱雑に髪をタオルで拭き、水気を吸い取る。続けて全身の水滴も吸い取り、一段落すると大きな溜め息を吐き出した。
シャワー室の前にある洗面台──鏡に映り込む自身の姿を彼は思わず見詰めた。
黒髪と白髪の割合が半々に生え揃う有り様となった頭髪。遠目からは灰色にも見えるだろう。
「……4年、持っても5年か」
驚きは──それほどなかった。人間誰しも一度は死ぬのだ。
しかし戦死以外の死に方が用意されているとは。そちらの方が驚きはあったとムーアは思い出す。
才女──セシルの診査結果によれば、ムーアはそれほど遠くない未来に高い確率で死ぬのだという。
「…被曝の痕跡…」
「──被曝?」
「──はい。採血した血液を元に検査したところ、貴方の染色体に異常を発見しました。多量の放射線に曝された場合の状態に良く似ています。…失礼ですが、過去にアークの原子力発電所で勤務なされていたことは?それか原子力災害に被災した、もしくは任務中に旧時代の原子力発電所へ近付いた経験は?」
当然ながらない。左右へ首を振り、否定の仕草を見せるとセシルは怪訝な表情を浮かべ、胸の下で腕を緩く組んだ。
「そうですか。…それにしては…」
──あれほどのDNAが切断されているというのに、何故生きているのか。
可能性として彼の染色体異常──重症造精機能障害はそれが原因だとは考えられる。
しかしそうなった大元の原因──多量の放射線に被曝するような状況はムーアも記憶にないとなれば手詰まりだ。
「…血中からはセロトニンやドーパミン、ノルエピネフリンと言った脳内の化学物質を活性化させる成分が多量に検出されましたが…こちらに心当たりは?」
「…それはどんな成分なんだ?」
生憎とその方面の分野は素人も良いところだ。思わず尋ね返すと才女は、門外漢の彼でも分かり易い表現を探し出した。
「…かなり搔い摘めば…攻撃行動に関与したり、快感や多幸感を得る、心拍数や血圧を上昇させる──と言った作用を起こす脳内の化学物質を活性化させる成分でしょうか。心当たりはありますか?」
「…ない、と言えば嘘になる」
攻撃行動に関与──つまりは好戦的になる、と解釈した彼はひとつの心当たりを思い付く。
「…注射器」
フィルターの間際まで燃え尽きた煙草を携帯灰皿へ投げ込んだ。
ベッドの端へ腰掛ける彼は携帯灰皿の蓋を閉じた。ベッドの真横へ置かれたサイドテーブルに預け、続けて銀無垢の平べったい金属製のケースを拾い上げた。
無針注射器がいくつも収められた中身だが、空白となった箇所は使用した本数に他ならない。
──明日にでも私に一本を預けて下さい。まだ可能性の問題ですが交感神経に作用する強力な薬物が含有されているかもしれません。
──ただし…劇薬だ。多用は避けなさい。
まず研究室でのセシルの声が、続けて総力戦の前日──この注射器が収められたケースを渡された時、アンダーソンから告げられた言葉が彼の脳裏に響いた。
「…寿命の前借り、か」
──先程も言いましたが、貴方のDNAは至る所が傷付き、
「──いつまで生きられるかは問題じゃない」
ムーアは脳内に反響したセシルの言葉を鼻で嗤い、ケースの蓋を閉じるとサイドテーブルへ置いた。
「──
セカンドオピニオンについてはアークの医者にでも、とセシルは語ったが、このエデンは半世紀は先の技術力と科学力を有している。
ならば──十中八九で誤診はないだろう。生憎と嬉しくはないが。
煙草も止めるべき、とセシルからは勧められたが、彼はそれを無視してソフトパックを軽く振る。
何年後かに発症する病気へ対する警戒よりも求めているのはニコチンとタールなのだ。
銜えて引き抜いた愛煙の煙草。その先端へ蓋を独特の金属音を奏でながら開けたオイルライターの火を点けた。
紫煙が燻り、彼が意味もなく虚空を見詰め始めた矢先──室内に呼び出しのブザーが鳴り響く。
「──…入れ」
左手首の内側へ文字盤が来るように巻いた腕時計へ表示される時刻は21:40。
誰かと会う約束はしていないが、彼は入室の許可を口頭で告げる。
すると部屋の扉が開き、室内へ足を踏み入れる見慣れた人影の姿をムーアは認めた。
「──失礼します。お加減はどうですか?」
「──ラピか。あぁ、問題ない」
指揮官の在室を確認し、分隊のリーダーが紅い瞳を向け──直ぐに眉根が寄せられる。
「…遅い時間に申し訳ありません。分隊の損害報告を、と思ったのですが…」
「あぁ、そうか…。そういえば報告を受けていなかったな。わざわざ足を運ばせて済まない。口頭で構わないから報告を頼む」
煙草は半ばまでしか吸えていないが、銜え煙草のまま報告を聞くのも宜しくない──今更なのかもしれないが。
名残り惜しいが火を消そうと携帯灰皿へ手を伸ばす彼を玲瓏な声が止めた。
「そのままで構いません。アニスとネオンに大きな損害はありません。負傷も微々たるものでした」
「…それは良かった」
安堵の溜め息と共に紫煙が漏れ出る。
その様子は普段と変わらない。しかし──
「…どうかなさいましたか?」
「…何がだ?」
一瞬だけしか濃い茶色の瞳が向けられなかった。直ぐに視線が逸らされ、吸い終わった煙草が携帯灰皿へ投げ込まれる。
彼女は静かな溜め息を吐き出すと、踵の高い靴を履いた脚で歩み寄り──やがて彼の隣へ腰掛けるや否や、履いていた靴を脱いでベッドへ上がる。
彼の背後へ向かい、黒い半袖のシャツを纏った背中へ向き直ると肩を掴む。そのまま抱き寄せ、自身の太腿を枕とする格好でムーアを仰向けに寝かせた。
「…なにかありましたか?」
「…いや、なにも…」
──相変わらず嘘が下手ですね。
仰向けとなり、半ば強制的に顔を見せるしかなくなったムーアの表情に大した変化は見られない。
しかし──これでも長い付き合いだ。少なくとも一般的な指揮官とニケの関係ではない。彼の些細な行動、普段とは異なるそれに違和感を感じ取れない訳もない。
「…本当ですか?」
再度、尋ねると──彼は深い溜め息を吐き出し、首を捩って彼女から顔を逸らした。ただし、頭はラピの太腿へ乗せたまま真横を向いている。
「…少しだけ…まぁ…なんというか…
「…留意、ですか?」
「あぁ、そうだな。留意だ」
たかが──と言って良いのかは分からないが、それだけの理由で拭い切れない違和感を感じ取るものだろうか。
ラピは内心で首を傾げつつ、スリーブレスシャツの生地を押し上げる豊かな胸元から僅かに見える彼の横顔を視界へ捉えた。
「……色々と今日は目白押しだった。少し……疲れた」
やはり何処かおかしい。
素直に、疲れた、と彼が口にしたのだ。
そういった弱音の類を漏らさない彼の口からそれが零れたのだ。彼女が抱く違和感は更に補強されていく。
同時に考えたのは──きっとこれ以上は話してくれないだろう、というそれだ。確信とも言える。
良くも悪くもムーアは頑固だ。そのような性格の持ち主が口にしたのである。違和感は強くなった。
「…このまま…寝かせてくれ。30分で構わない」
「…分かりました。…何かあれば起こしますので…」
「ありがとう」
しかし、礼をするのは普段通りだ。これにはラピも安心する。
「──……ラピ」
アイマスク代わりにだろう。ムーアが閉じた双眸の上へ片腕を置き、寝入る態勢を整える。
このまま寝入るのだろうと考えた矢先、彼はラピの名を呼んだ。
「──俺は戦い続けるよ」
「…はい?」
「──最期まで。……約束する。キミ達に迷惑は掛けないから…その代わり…見捨てないで欲しい」
それはどういう意味なのか──ラピが尋ね返そうとするも、直ぐに微かな寝息が聞こえ始めた。一瞬であっただろうが、器用にも寝入ったらしい。
「……おやすみなさい」
彼が漏らした言葉の真意を尋ねても、おそらくは話してくれないだろう。その程度の確信はあった。
もし重要なことならば、いつかは話してくれる筈だ──それに期待するしかない。
黒髪と白髪が半々の割合で生え揃う頭を細い指先が撫でる。
目元は隠れてしまって見えないが、その寝入った姿をラピは飽きもせず、彼が目を覚ますまで見詰めていた。
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