勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──チェックだ」
「──んんっ!?」
地上基地エデン──その内部に設けられた居室は狭くもなければ広くもないが、今ばかりは若干狭苦しくも感じるだろう。
「ちょ、ちょっと待って指揮官様!お願い!炭酸水あげるから!」
「…いや、炭酸水はそこまで好きという訳では…第一、待ったなしはアニスが言っただろう」
「そうだけどさ!ちょ…これ…えぇ…どうすれば…」
ここは黒い半袖のシャツと迷彩柄のパンツを纏ったムーアに充てがわれた居室である。使用している人物の性格を体現するかの如く、整頓と清掃を実施しているのは明白だ。
腕組みしつつベッドの端へ腰掛ける彼の手でベッドメイキングは毎日しっかりとされているようだ。シーツをピンと張ったベッドへ我が物顔で上がり、チェス盤を置いて彼との対局に洒落込んでいるのはアニスだ。
長袖の上着を脱ぎ、ラフな格好をしているのは彼女なりにリラックスしている証左だろう。
とはいえ、ベッドへ上がっているのはアニスだけではない。
「──アニス、ここにキングを逃がせば良いじゃないですか」
「ルール知ってる!?ビショップに取られるわよ!」
「…火力でなんとかなりませんか?」
「なるわけないでしょ!?」
彼へ貸された居室、そしてベッドの筈だが、アニスの隣にはネオンの姿もある。一対ニの対局があって良いものなのか、甚だ疑問だ。
「──ラピも黙ってないでアドバイスして!私達で指揮官様を倒すのよ!」
「……はぁ……」
亜麻色の瞳がベッドの外へ向けられ、次いで深々と溜め息が漏れる聞こえた。
半ば無理矢理連れて来られたのは分隊の頼れるリーダーだ。ラピはベッドの傍らに立ち、胸の下で細い両腕を組みながらチェス盤を見下ろして何度目かの溜め息を吐き出している。
ややあって、赤い瞳が彼へ向けられた。
手助けをしても構わないのか、と問い掛ける視線だ。それへムーアは小さく頷きを返す。
一瞬だけ赤い瞳が隠れ、やがて見開いた彼女の双眸から送られる視線がチェス盤へ向かう。
「…アニス」
「えっと…ここ…?」
手袋がなく、露となっている細い指先が向けられたマスにアニスが摘まんだ駒が動いた。
すかさずムーアもナイトを摘む。キングの動きを封じる形だ。
「……三手でまたチェックだ」
「はい。そしてこちらは二手で指揮官のルークを頂きます」
実際、その通りの流れとなる。ムーアのルークが取られ、そしてアニスの──否、
「…ラピ。キミ、巻き返そうとしているだろう」
「…はい」
濃い茶色の瞳、そして切れ長の赤い瞳が互いの姿を捉える。
──面白い。勝機は幾らだ?
──分かりません。ですが、私も負けるのはあまり好きではありませんので。
──ならば敗北の運命に抗ってみせろ。
双方の視線が空中で衝突し、不可視の火花が散る──そのような光景をアニスとネオンは幻視した。
「え、えっと…続けて大丈夫?」
「構わんよ。とことんやろうか」
──何故か
気を取り直し、アニスがキングの駒を摘む。ラピの細い指先が動かすべきマスを指し示し、それを見た彼の濃い茶色の瞳がスッと細められる。
命の遣り取りでもしているのだろうか、と思わざるを得ない状況である。
このまま続けて大丈夫なのか──アニスが少しばかり不安になった頃、彼の居室へ呼び出しのブザーが鳴り響いた。
「──少し停戦だ。駒は動かさないでくれよ」
現在の両軍の配置は覚えているが彼は念を入れて告げてから腰を上げる。
タンカラーのブーツを履いた両脚で床を踏み締めつつ、ムーアが左手首の内側へ文字盤が来るよう巻いた腕時計に視線を落とす。
彼が壁に設けられたタッチパネルへ触れ、閉ざされていた扉を開ける。横へ滑った扉から室内に足を踏み入れたのは──
「──お手数をお掛けします」
「──いや。むしろこちらこそだ。手間を掛ける」
「──い、いえ…とんでもありません」
頬へさっと紅が差したのは艶のある菫色の髪を持つピルグリム──インヘルトの参謀役たるイサベル。
彼女は携えて来たシーツやバスタオルをムーアへ手渡す。綺麗に畳まれたそれらを受け取った彼は慇懃な礼を済ませる。
ニケへ対して礼をする──それも
これは彼女の常識を打ちのめすに充分過ぎるのだろう。礼をされると、どうにも調子が狂うらしい。
とはいえ、決して不快ではないのだが。
「洗濯物がありましたらお預かりしますが…」
「いや、そこまで手間は掛けさせられん。今まで通り、自分で済ませよう」
「そ、そうですか。…ブリーフィング中のようですので私はここで…」
イサベルは室内に彼が率いる分隊が揃っているのを認め、退室しようとする。しかしそれを彼の落ち着いた低い声が止めた。
「生憎とブリーフィングではないが…もし時間があるなら、少し手伝って欲しい。味方がいない状況でな」
「…と言うと?」
首を傾げる彼女を招き、ムーアはベッド上に鎮座するチェス盤を見せる。それを目の当たりにしてイサベルは納得したのか、あぁ、と小さく頷いた。
「…お邪魔では?」
「そこまで狭量だとは思われたくないがね。……三対一では分が悪い。参謀が必要だ。時間はあるか?」
「…時間は…えぇ、はい」
「なら良かった。隣に座ってくれ。──待たせて悪かったな。続けよう」
ここ最近は平穏だったからか、持病の
──何故、俺はこんな所にいるのだろう。つい昨日までは分隊の者達とチェスを差していたというのに。
「──ほら、捕まえなさい。何処かに飛んで行ってしまうわよ」
──何故、荒野のど真ん中で、それも良い歳をした大人が虫取り網を持って蝶を追い駆け回さなきゃならないのか。
「良くやったわ。次は──」
「…次?この蝶が目的で連れてきた訳では…」
「月色蝶だけが目的だと私は言った覚えがないわ。移動するわよ。ちゃんと虫籠に入れておきなさい」
何が悲しくて武装した格好のまま蝶を捕まえなくてはならないのか。無事に捕まえたは良いが、彼が投げ渡された虫籠へ蝶を入れるや否や──
この場に分隊はいない。ヨハンへレポートを提出し、宛てがわれた居室に戻る道すがら、魔女──もといハランに彼は捕まってしまったのだ。
──暇でしょう?外に出るわ。少し付き合いなさい。
何処へ行くか、ぐらい聞けば良かっただろう。精々、外とは言っても
めでたく彼は魔女の
その彼女が赴きたいと求める場所へ哀れな、しかし健気でもある従者は付き従う。
1次侵攻の際に放棄され、荒れ果てた風情を曝す都市の郊外。
カラビナが付いた丈夫なロープを腰と股下へ巻き、太い樹木の幹に通した別のロープへカラビナを掛けつつムンターヒッチで結束したムーアは呟く。
「──環掛けよーし」
独り言を紡いでから右手でロープを操作し、滝の横のほぼ垂直となっている崖を降下した彼はやがて無事に滝壺の岩場へ着地する。
止めどなく流れ落ちる水流の景観を仰ぎ見るムーアは、次いで白く泡立つ滝壺へサングラス越しに双眸を鋭く光らせる。
──居るな。
そして──勢い良く白く泡立つ水面へ向かって銛を突き出すと、確かな手応えを感じた。
「──これが将軍鱒とやらか?」
「──えぇ、良く捕まえたわね」
先端に70cmを超える魚体が突き刺さっている。引き上げたそれの鱗は全体的に銀色、赤や黒の小さな斑点が目立っていた。
機械仕掛けのカラスと共に傍らへ重力を感じさせない挙動で降り立ったハランが頷く。この魚で間違いないらしい。
「…次の機会があるなら
「あら、釣りが好きなの?」
「……いや…したことはない…」
──その筈だ。地上での作戦に従事しているが生憎と魚を釣る機会に恵まれたことはない。
しかし、釣り上げたい、という衝動に駆られたのは不思議である。
「変な男ね。──まぁ良いわ。内臓を処理しなさい。それが終わったら魔女スープを作ってあげる」
またあのケミカルな色合いが特徴の代物か。世辞にも食欲が湧く外見とは言い難い。
以前に食した記憶が蘇ったムーアが小さな溜め息を零す。それに気付いたハランの双眸が据わった──ような気がした彼は、さっさと魚体の処理を済ませるべく携行しているファイティングナイフを引き抜いた。
ゴプリ、と気泡が湯気立つ緑色の表面へ浮かび上がる。
以前の魔女スープは紫色だったが、今回は綠色──素材が違うからであろうか。
荒廃した都市の一角に築かれた竈へ据えられた大鍋。細い両手で掴んだヘラを用いて中身をハランが掻き混ぜ、ムーアが薪を投じて火を絶やさぬよう連携しながら作り上げられたそれ──魔女が手ずから椀へ注いだスープを受け取った彼は、とてもではないが人間が口にしても問題はないのか不安に陥る。
「──食べなさい」
「…有り難く…頂く」
形の良い顎をしゃくり、食事を促すハランの双眸が彼を一挙手一投足を見逃さぬよう向けられている。
意を決するしかない。
椀の縁へ乾燥気味の唇を寄せ、ズズッと軽く音を立てて啜る。
味は──驚くばかりだが、悪くはない。少しばかり苦いが。
「──今回の魔女スープは薬としての効果が強いわ。味はどう?」
「…悪くはないが、少し苦い」
「良薬は口に苦し、と言うでしょう?」
「──それは忠言や諌言の類は素直に聞き入れろ、という教えだ」
──スープに蝶の
口腔へスープごとそれを流し込み、歯で磨り潰してから飲み込んだ。
「──どう?」
椀を空にしたムーアへハランが問い掛ける。その問いの本質が分からず、眉間へ縦皺を刻むと彼女は溜め息を吐き出した。
察しの悪い従者だ、と言わんばかりに。
「身体の具合よ。お前、疲れているようだから。本調子ではないのでしょう?」
「いや、絶好調だが…」
「その割には…ニヒリスターと戦った時、気絶したようだけど。私の記憶違いかしら?」
それに関しては──事実その通りである。彼は無言を以て肯定する他ない。
図星であると如実に示された態度だ。思わずハランが細い肩を竦める。
「もう少し素直になれば可愛げもあるだろうに…不器用だこと」
分隊の彼女達なら兎も角、出逢って日が浅いハランにまで不器用の認定を受けるのは複雑なのだろう。ムーアの眉間へ深い縦皺が刻まれた。
「…そろそろかしら」
「…何がだ?」
「体力を回復させるのに効果があるのは食事。滋養を摂るのは大切。勿論、美容にもね」
「…まぁ、そうだろうが…キミのように老化とは無縁の美しい女性が言うのは…」
不適切とまでは言わないが──なんともミスマッチである。
「……おべっかは要らないわ」
「いや、率直な意見だが?」
自身の頬へ薄く紅が差したことには気付かぬまま、ハランは咳払いを漏らす。
「…そしてもうひとつ。休息はなによりも大切。まぁ、お前が素直に休息を取るようなタイプだとは思っていないから──」
「……む……」
不意に、グラリ、と視界が歪んだ。瞬きが無意識に多くなり、全身から力が抜け始める。
「──効いたようね。安心しなさい。取って食いはしないわ」
「…ラプ…チャー…が…!」
脱力しかけているだろうに携える突撃銃を握る手だけは緩めないのは──称賛すべきか、呆れるべきか。
「この辺りのラプチャーが束になって掛かって来ても私に傷を付けられる訳がないわ。そのまま眠ってしまいなさい」
眠りに落ちないよう懸命に、そして必死に抗っているのか呼吸を荒く繰り返しながら震える両脚で立っている。
その意気と態度、姿勢は評価出来るが──埒が明かない。
歩み寄ったハランが細い指先でボディアーマーを纏った彼の胸を小突く。すると頑強な肉体を誇る大柄かつ長身の姿勢が崩れる。
膝を折り、そのまま地面へ突っ伏しそうになる身体を彼女は支えつつ、ゆっくりと横たえさせた。
頭部を覆うヘルメットの顎紐を緩めて脱がせ、続けてサングラスを外した彼女は、自身の脚を揃えながら座り込むと肌が露出する太腿へ掬い上げた彼の頭を乗せる。
「──甲斐甲斐しく従者のように働いてくれた見返りにこれぐらいはしなくちゃね。光栄に思いなさい」
「…っ…あ…」
どうやら効果を発揮しすぎているのだろう。分量を間違えただろうか。呂律が回らず、言葉を発し難くなっている様子が伺える。
「…そのまま眠りなさい」
細い指先が黒髪と白髪が半々になって生え揃い、灰色にも見える頭を梳くハランは穏やかな声音で囁く。
呼吸は尚も荒く続く。しかしやがて──それも落ち着き、一定の間隔で繰り返されるようになった。
「…眠ったわね」
眠った──というよりも
いずれにせよ効果を齎した。その結果に満足しつつ彼女は髪を梳きつつ──突撃銃の握把を握り締めたままの姿に双眸を細めた。
「──こら、カラス。お前は大人しくしなさい」
機械仕掛けのカラスが彼の上へ降り立ち、顔を覗き込む。ちょっかいを掛けようとしているのか──悪戯はしないよう注意したのも束の間だ。
彼の唇が薄く割れ、微かな呻きが漏れ出す。
「…あら?」
もう起きたのだろうか。
効果がこうも早く切れる訳がない。小首を傾げつつハランもムーアの顔を覗き込む。
──眉間へ深い縦皺を何本も刻み、閉じられた瞼がピクピクと痙攣を繰り返している。
夢、でも見ているのだろう。
「…あまり気持ちの良い夢ではなさそうだけど…」
上位の捕食者たる者がこうも気遣っているというのに悪夢の類を見るとは不敬であろう。
形の良い鼻を鳴らしたハランだが、彼の頭を太腿から退かすことはせず──薄く汗を滲ませる顔を見守り続けた。
ハラン様の従者になりたい!!(クソデカボイス
1.5周年も間近ですね。色々と新発表があり、イベントも含めて楽しみです。個人的には公式の設定資料が是非とも…!
「──ところでおじさん」
「──あ、あの…私達は…いつになったら…!」
……ごめん。そう言えばミカとべロータ、メインストーリーに全然登場しないから……どうしましょうね。