勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
105:シュエン
ミハラ。
106:シュエン
近くにアイツいる?
107:シュエン
居たら伝えて。いつものように。
108:ミハラ
ええ、分かったわ。例のテロ計画書ね。
109:ミハラ
シュエン、今どこ?
110:ミハラ
まさか前哨基地にはいないわよね?
111:シュエン
なに言ってるの?あんな所にいる訳ないでしょう。本社よ。
112:ミハラ
良く聞いて。
113:ミハラ
指揮官室にブービートラップが仕掛けられているそうよ。
112:ミハラ
扉を開けたら爆発する。ムーア中尉は貴女が爆発物処理班を呼んで処理したと思ってるけど絶対に指揮官室には入らないで。
それにしても腕の良い爆発物処理班をミサイルス──もといミシリスは抱えているようだ。少し不満なのか彼は銜えた煙草の紫煙を燻らせつつ先端を上下に意味もなく振ってしまう。
「…指揮官様。C-5なんだけど、どのぐらい仕掛けたの?」
「1.8kgぐらいだ」
「…指揮官。一般的な旅客用のバスを吹き飛ばせる量ですよ」
「…しかし解除されるとは…。まぁ導火管を切れば起爆はせんが…」
「ミシリスの処理班は優秀よ。残念だったわね指揮官。でも良いのかしら?三大企業のCEOを爆殺するつもりだったとしたら問題よ?」
「留守中のセキュリティ代わりだ。誰かを爆殺する意図は微塵もない。起爆した時は…しっかり扉にも“不在につき入室禁止”のプレートを掛けて来たのに、それを無視して入室する方が悪い」
ミハラの携帯端末にシュエンからのメッセージが届いた。それによればムーアに宛てがわれた指揮官室で“テロ計画書”なる物をシュエンが発見したとか。
勿論、彼に心当たりは微塵もない。仮にテロを計画するなら情報が漏れないよう残す筈もないからだ。しかしシュエンが言うにはムーアを始めとした部下達のサインまで──連判の如く綴られていたという。
明らかに濡れ衣だ。しかし作戦拒否を予想した上で彼の退路を絶つのが目的であろう濡れ衣は非常に効果的だろう。
一介の指揮官とミシリスのCEO。どちらが発言力は上か、信頼度は上か。それを見越してのシュエンの脅迫に他ならない。
とはいえ、どうせ作戦からは降りられないと分かり切っているムーアに大した感慨もある筈もない。
それよりも気になるのは──メッセージがミハラの端末へ届く前に発生したラプチャーとの戦闘後、ラピが漏らした一言だ。
事の始まりはミハラとユニが保有する能力について話が及んだ時だ。ミハラは知っての通り、対象との感覚を交換できる。ユニは相手の特定の感覚を無効に出来る能力を有している。
これをラプチャーの捕獲へ利用しているとか。ラプチャーに感覚があるという事にも驚きだが、人間の五感の類も所詮は電気信号に過ぎない。それを応用し、ラプチャーの電気信号を阻害、或いはハッキングしているのではないかとムーアは推測した。
一方のラピはラプチャー向けに開発された能力が人間やニケにも作用する点へ疑問を呈した後、続けた。
──ニケの身体は人間だった頃、理想としていた形をベースに作られる──
故に自身が望まぬ能力を有する訳がない、と彼女は言うのだ。
周知の事実なのか彼女達は誰一人として大きな反応は見せなかったが、それを聞いたムーアは煙草の紫煙を燻らせつつ内心で驚愕していた。
人工物質や人工筋肉の肉体で形作られている彼女達だが、脳のみは生体のそれ。
薄々と勘付いてはいた。しかし改めて告げられると忸怩たるものがあるのは否めない。
人道主義や博愛主義の類から最も遠い位置にいる人間だとは彼自身も理解している。
しかし──ひとりの軍人として、ひとりの大人として、自身へ対してもそうだが、人類という存在に対して忸怩たる感情が漏れ出た。
「…笑わせるな…何が地上奪還だ」
僅かに怒りを滲ませる声音は幸い誰にも聞かれることはなかった。銜えていた煙草を地面へ吐き捨て、ブーツの靴底で踏み潰した後、彼は呼吸を整えてから吸い殻を拾い上げた。
「──今日はここで野営にしましょう」
「──野営?…23時。シュエンに指定されたタイムリミットは2日間、48時間だろう」
残された足跡を辿ること何時間が経っただろう。
既に太陽は西へ沈み、夜の帳が降りた中でラピの静かな提案が響いた。
ヘルメットへ暗視眼鏡を付けた彼の視界は薄緑色に染まっている。仕様なので致し方ないが、周囲に照明等の光源がないのもあって輪郭は兎も角として色彩の判別が不可能に近い状態だ。
しかし時間を喰うと、あの我が儘なお嬢さんがどのようなことを仕出かして来るか分かったものではないと彼が暗に告げる。
その視界の端からラピが腰まで届く長い髪を揺らしつつ彼へ歩み寄って来るや否やムーアを見上げた。
「視界や視野の確保も困難な上に指揮官は私達とは異なり、体力を回復する必要があります」
「…俺なら問題ないぞ」
「そうですか。──失礼します」
不意にラピは右手を何も握っていない彼の左手へ伸ばし、グローブが嵌められた手の甲へ自身の手の平を重ねて一瞬だけ押し黙った。
「──コンディション・イエローと判断されます」
「お世辞にも
──なにその機能。
純粋に彼は驚いた。体力の消耗は確かに感じてはいたが、余裕があると見込んでの発言だった筈──なのだがラピに搭載された機能は全くの別の判断を下した。
わざわざ診断と告知がなければ末期癌に気付かない人間も世の中にはいるのだ。自身の判断ばかりでは見誤るのは世の常なのかもしれない。
「──指揮官。4時間程度なら凌げるでしょう。遅滞を懸念されるのは分かりますが……もっと御自分を労って下さい」
人工物質で作られた瞳が微かに揺れる。薄緑色に染まった視界の中でもそれを認め、重ねられたままの彼女の一回りは小さく感じる手の平へ僅かに力が込められる。──彼は頷く他なかった。
倒壊した民家であっただろう建物へ入り、整頓されているとは言い難いがそれなりに広い空間の一室へ全員が移動する。
ケミカルライトのスティックを曲げ、内封された薄いガラスのアンプルが砕けてシュウ酸ジフェニルと過酸化水素との混合溶液の化学発光が始まり、室内が赤い蛍光に包まれた。
ラピが唯一の光源となるスティックを床へ転がすと、デコイを撒きに向かう。それを見送った全員は腰を下ろした。
ムーアは背負って来た背嚢を開け、中から戦闘糧食を引き摺り出し、封を切って手早く中身を胃袋へ流し込んだ。
「…食べるか?」
「良いんですか?」
「…あまり好きじゃないんだ」
真空となったパウチに詰められた大判の1枚のクッキー。最後まで残していたそれを彼はネオンへ投げ渡すと片付けを済ませてしまう。
突撃銃の簡単な整備も済ませ、弾倉を抜き取ってから槓桿を引いて薬室にあった銃弾を取り除く。排出したばかりの銃弾を弾倉へ戻し、それを突撃銃の弾倉挿入口へ叩き込んだ。
「……少し寝る。2時間経ったら起こしてくれ。何かあっても起こしてくれ」
「分かった。子守唄は必要?」
「…そもそも知ってるのか?」
アニスと軽口を叩き合ったムーアは背嚢を再び背負い、それへ凭れ掛かるような姿で床に座り直す。突撃銃を抱えた格好のままヘルメットを被った頭が少しずつ床へ向かって行けば──
「……寝たね」
「みたいですね。師匠もお疲れだったんでしょう。アニス、食べますか?」
寝付きは良い方なのだろうか。瞬く間にムーアが眠りに落ちたのを察するとネオンは彼から貰ったばかりのクッキーが詰められた封を切り、1枚を等分に割ると片方をアニスへ手渡した。
「ねぇ。ムーア中尉だけど…本当に士官学校を最近卒業したの?」
「その筈だよ」
一見すれば力尽きた死体のような格好で眠るムーアの横へアニスとネオンが腰掛ける対面には揃えた脚の上へ寝息を立てるユニの頭を乗せるミハラが座っている。
慈母のような優しげな手付きでユニの桃色の頭を撫でる彼女が眼差しをムーアへ向けながら問い掛ければ、アニスが受け取ったばかりのクッキーを咀嚼しつつ頷いた。
「──不思議な人ね。資料で経歴は知っているけれど、まるっきりの
「あ、それこの前見た映画の台詞にそっくり」
「旧時代のB級映画でしたよね。研究施設で冷凍人間になっていた昔の兵士を蘇らせて戦場に送り込むっていう」
「そーそー。なんていうの?B級映画らしくマニアックな感じだった」
ボリポリとクッキーの咀嚼音を響かせながらアニスとネオンは前哨基地の宿舎で数日前に催した映画鑑賞会の感想を言い始める。
「貴方達のところは楽しそうね。指揮官──ムーア中尉に怒られないの?」
「指揮官様に?」
「師匠は滅多に怒りませんよ。今日、初めて怒鳴り声を聞いたぐらいです」
「あ、でも4日前だっけ?いきなりモップ渡してきて「掃除しろ」ってドスの効いた声で…」
「あれはアニスが悪いんですよ」
もう少し声を落とした方が良いのではないだろうか。これでは起きてしまうと部下でもないのにミハラは彼を気遣うのだが──この程度では動じない性格なのかムーアは身動ぎすらせずに寝入っていた。
「──…どういう状況なんだ」
ムーアは入眠からきっかり2時間後に目を覚ます。相当に体内時計が正確なのだろうか。
目を覚ました時、彼の両隣は挟まれていた。寝ている間に一体何があったのだろう。
「──指揮官。お目覚めになりましたか」
「…あぁ、ラピか」
左にアニス、右にはミハラ、ついでにだらしなく伸ばした脚の太腿にはユニの頭が乗っている。──何故にこのような状況になっているか、まるで分からない。
全員を起こすべきかどうかと逡巡していた時、室内へラピが静かに入ってくる。
デコイを撒きに行った後、そのまま周辺を警戒していたのだろう。2時間経てば誰かが交代せねばならない。
「…次は俺が歩哨を──」
「いえ、ネオンにやって貰います。指揮官は少しでも体力を回復なさって下さい」
「──んぅ〜〜」
太腿へ頭を乗せながら寝入っているユニを退かそうとしたのが悪いのだろうか。彼女は表情を不快そうに歪ませながら寝返りを打って彼の腹部へ顔を向けるや否や、腰へ両腕を回して強く抱擁する。
──ボディアーマーには防弾のセラミックプレートが入っている。つまりユニの、ニケが腕力を頼りに抱擁すれば彼の腹部は容赦なく圧迫されてしまう。
腹筋を鍛えていて良かった、と思うが無自覚に抱擁してくる為、胃袋へ収めた筈の糧食が逆流寸前の感覚を彼は味わってしまった。
呻き声は辛うじて耐え、ラピから勧められるままムーアはもう一度、浅い眠りに落ちたのだが──東の空が白み始めた頃に全員が起床し、追跡を再開して間もなくから彼はユニに懐かれたのだろうか。頻りにムーアの隣を歩きたがるどころか手を握りたいと語るのである。
「──ねぇねぇ、指揮官!さっきのもう一回やって!」
「…ん?…あぁ……というか煙草、嫌なんじゃなかったか?」
流石に両手が塞がるのは宜しくないが、これぐらいならと強請られるまま彼は煙草を銜え、オイルライターで火を点ける。
紫煙を肺まで吸い込まず、喉で止めながら舌を引っ込ませ、口の形をOと発音するように開きつつ顔は仰角に。
そのまま少しだけ息を吐き出せば──空中に紫煙が輪を描いた。
「もっともっと!さっきみたいに回転かけて!」
燥ぐユニへ付き合いながら彼は求められるまま再び紫煙を燻らせる。
その背後でネオンは──
「──まるで親子みたいですね」
そのように表現していたが、聞こえていた彼からすればこんなに大きな子供がいた記憶はないと声を大にして返したかった。
とはいえ──自分に子供が出来たならこんな感じになるのだろうか。脳裏をよぎった埒もない自らの考えに困惑しながらもちょうどいい位置にある桃色の頭を軽く撫でた。