勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
第1話
間もなく深夜に差し掛かろうとする時刻。飛空艇の一室で暫く響いていた物音が鳴り止んだ。
「──はい。どう?」
「………思ってたより上手いな」
星を宿した瞳を持つ女性──正確にはニケが自信満々の口調で尋ねる。椅子へ腰掛け、散髪用のケープを纏う青年へ背後から手鏡を手渡すと彼は意外な様子だ。
数日前から少し伸びた髪が気になっていた青年が上体に2枚の安っぽい金属板が連なった認識票のみをぶら下げた格好で自らヘアクリッパーを握り、自身の頭髪を刈り上げようとしていた時、居室を訪れた彼女。呆れた様子で彼女は青年の手から道具を取り上げるなり、座るよう促し、数十分後には彼の求める髪型が完成する。
「気になるところはございますか〜?」
青年なりの称賛の言葉と理解している彼女は得意げに美容師の真似事だ。付き合うのは吝かではないが、刈り上げた後は細かい髪を早めに洗い流す必要がある。彼女がケープを解くと彼は道具を受け取り、居室へ備えられた狭いシャワー室に向かう。
洗髪の水音が壁越しに響く最中、彼女は床へ落ちた髪を掃除機で吸い取って掃除を済ませながら部屋の主が戻って来るのを待った。
「……掃除までさせて済まん」
「ああ、大丈夫。気にしないで。……ごめん。そっちは気にした方が良いかも」
「……なにがだ?」
羞恥心というものが欠如しているのだろうか。日焼けした肌と隆起した筋肉を──それも全身を晒しつつ戻って来たのだ。彼女が呆れの溜め息を吐き出すのも無理はない。
双方とも互いの身体は見慣れているのだが、それはそれ、これはこれである。
彼女──リリーバイスは備え付けのロッカーから取り出したバスタオルを青年に向かって放り投げる。それを腰に巻きなさい、という要請に他ならない。
「……減るもんじゃないだろう」
プライベートの空間でどんな格好をしていようとも自由な筈なのだが、ままならぬものである。
腰へバスタオルを巻いた青年は素足のままベッドへ歩み寄り、そのまま仰向けに寝転がる。世辞にも上等なベッドではない。休息を考えた時、辛うじて及第点を貰える程度のそれだ。
両手を組みつつ後頭部の下へ置いて枕にした青年の傍らへ彼女が腰を下ろす。ベッドの端へ座った彼女も少し身軽になりたいのだろう。裏地が薄紫色の肩掛けにしたマントを留めるベルトを緩め、それを軽く折り畳んで膝の上へ置いた。
「──
「……ん?」
ただ一人しか呼ばない愛称。それで呼ばれた青年が傍らに腰掛ける彼女を緩く見上げた。
「……前から気になってたんだけど……ここのこれって……切創?」
「……
生憎と生傷が絶えない生業である。まだ青年は五体満足ではあるが、彼の部下達の何名かは義肢を装具する者も存在する。
体質が原因か大半の傷は痕跡も消える程に治癒されてしまうが、古傷のいくらかは身体へ残っている。その内のどれを指しているのか。青年が逆に問い返すと彼女は手袋の指先を軽く食む。口元へ外した手袋を残し、整った形の爪で彼の肌をなぞりつつ目的の場所まで向かわせた。
肌の上を滑る指先の感触は心地良かった。眉間が解れ、深く刻まれた縦皺が薄くなったのも束の間だ。彼女の指先が止まった位置──脇腹に鋭利な刃物の類が突き立てられただろう痕跡の位置をリリーバイスは指し示す。
途端、青年の表情が強張った。
「あなたのことだから
口元からぶら下がった手袋を膝の上へ置きながら彼女は敢えて冗談めかして尋ねる。しかし青年は再び深々と眉間へ縦皺を刻み直して白状するのを拒否する姿勢を見せた。
肩を竦めた彼女は履いていた靴を脱ぎ、硬いベッドへ軋みを上げさせながら青年へ身体を向けつつ横たわり、畳み掛ける一言を囁いた。
「──あなた達の
その瞬間、青年の頭と鋭い視線が間近に横たわる彼女へ突き刺さる。
険しい表情はオオカミの威嚇を思わせる。
視線で尋ねられる。何故、知っていると。
「──私もそれなりに機密性の高い情報は知ってるから」
「……あぁ……」
納得はしてくれたらしい。詰問の鋭い視線は天井へ向かうのがなによりの証拠だ。
そもそもとして青年を始めとした彼等の身体能力、戦技全般の能力の高さをリリーバイスは良く知っている。その一員である彼の能力は言わずもがなだ。痴情のもつれで刺される、と言った不覚が取れる訳がない。
身体に残された傷痕は相当に深かったのだろう。それを刻める程の能力を持った相手とは──
「──同じ部隊員?」
ラプチャーとの戦闘で負った戦傷ではない、と彼女は勘の領域で察している。脇腹へ刻まれた傷痕を指先で撫でるリリーバイスの耳朶が低い声を拾った。
「……どの程度を知っている?」
「……叛乱があって、鎮圧された、それぐらい」
「……そうか」
「……何があったの?」
当事者であろう青年へ彼女は問い掛ける。それに答えるつもりはない、という意思表示なのか彼は寝返りを打って壁を向いた。
子供っぽい仕草に呆れるやら、母性を掻き立てられるやら──なんとも形容が難しい感覚を彼女は捉える。
子供っぽい仕草に似合わない広い背中が晒されているのを良いことに彼女は緩い抱擁の腕を腹部へ回す。
「………その
低い声が背後のリリーバイスへ問うた。彼女自身の認識の有無を問うているのか、それとも公式記録としての詳細なのか。判別が出来ない問い掛けである。
「……詳しくは知らないわ」
「……そうか」
暫くの間、ベッド上を沈黙が支配する。
手持ち無沙汰なのだろう。不意に彼女は腕を回した先にある青年の腹部を手の平でトントンと優しく叩き始めた。
子供扱いしている気分にもなるが、柔らかい成長途中の腹部とは真逆の硬い筋肉で覆われたそこはガッデシアム並みの強度すら誇っていそうだ。ラプチャーの銃撃すら跳ね返してしまいそう──と埒もないことを考えていた彼女の聴覚センサーが低く細い声を拾う。
「……
「……鎮圧したのはあなた達?」
刈り上げたばかりの頭部が揺れ、首肯された。
「普通の部隊に鎮圧は出来ないからな」
1個大隊未満──僅か数個中隊が1個師団を壊滅させられる可能性も弾き出された結果、白羽の矢が立ったのは叛乱へ与しなかった彼等だったのだろうと彼女は推測する。
或いは踏み絵だったのかもしれない。人類への忠誠心を確かめる試験。
「……酷かった?」
「……色々と」
色々で済ませられる話ではないのだが、青年はそれに当時の状況や心境を集約させた。
博物館の館内で最後の戦闘が繰り広げられたと彼は短く語る。その脇腹へ刻まれた傷痕のことは──自然と始まった夜の有酸素運動の影響で有耶無耶にされてしまう。
心地良さと余韻に浸りながら彼女は差し出された腕枕の上へ自身の頭を乗せて浅い眠りに入った。
現実と夢見心地の狭間にいた彼女だったが、ふと目を醒まして傍らの青年へ寝惚け眼を向ける。
微かに乾燥気味の唇が震え、寝言が漏れ出ていた。
「──何故ですか……中隊長……ムーア大尉……何故……」
青年と同衾した経験は一度や二度ではないが、彼の寝言は初めて聞いた。
互いの肢体を覆う化学繊維毛布とシーツの中で細い腕が動き、寄り添う相手の脇腹を手の平が撫でる。
傷の深さを彼女は改めて察した。身体ではなく、決して癒えないだろう心に刻まれた傷の。
火竜──ニヒリスターの攻撃、応戦による射撃、重迫撃砲の効力射が集中すれば当然であろう。
ムーアを始めとしたカウンターズ、そしてポリとミランダは待機するというエニックを残して施設を抜け出る。
「──………弁償とか、ないよね?」
「請求書が来たら中央政府に送ってやる」
やや不安げな様子のアニスは肩越しに研究所の有様を見遣るも、ムーアは既に意識を別の存在へ向けている様子だ。
彼が意識を向ける存在──それが目と鼻の先から歩み寄って来る。
片手でニヒリスターを引き摺りつつ、武装したムーアを認めるなり──ドロシーは微笑を湛えながら双眸を細めた。
「──こんにちは、ムーア少佐、皆さん」
「──あぁ、こんにちは。久しぶりだ」
「──ドロシー」
和やかな挨拶へ同様のそれを返した彼に対し、傍らへ控えるラピは無意識に携える
警戒心を露わにするラピに続き、アニス、そしてネオンも程度の差はあれど眼前のドロシーを訝しむ。
「歓迎したいところではあるんだが、見ての通りで状況が状況でな。いくつか質問をさせて貰っても?」
「えぇ、勿論です」
「何故、アークに?」
ムーアが問う。するとドロシーは満面の笑顔を浮かべながら答えた。
「──招待されたんです」
招待とは誰に──それを彼が尋ねようとする寸前、ドロシーは細腕で握り、引き摺っていたニヒリスターを乱雑な手付きで彼等へ向かって投げ捨てた。
舗装された路上を転がり、仰向けの格好となるニヒリスターの頚部には光芒が貫通したのか焼け爛れた穴が穿たれている。文字通り、首の皮一枚で胴体と頭部が繋がっている有様だ。
ピクリとも動かず、見開かれた真紅の双眸。その瞳孔は開き切っている。
「……この方、死んだのでしょうか?」
「ひとまずは、そうですね。首が完全に貫通しています。普通であれば死んでいる筈です。しかしヘレティックですから。もうすぐ自己修復するでしょうね」
ネオンが恐る恐るといった様子で路上のニヒリスターを伺う。今は死んでいる状態──仮死状態のようなものなのだろう。ドロシーは、おそらくを前提とした口振りで推測を述べた。
「それで
アニスは丸っこい瞳に警戒心を浮かべ、路上のヘレティック、そして眼前の泰然としたピルグリムの双方へ視線を向けつつドロシーへ意図を説明するよう促す。
「…意図したことではありませんでしたが……そうですね。アークへのプレゼントとしておきましょう」
「……プレゼント?」
あまり趣味が良い贈り物には思えず、ムーアはサングラスで隠れた双眸の眉根を寄せてしまう。
「えぇ。開けようが何をしようが、どうぞご勝手に」
「……あまり俺の趣味ではないな」
率直極まるムーアの感想だ。ドロシーは細い肩を竦めながら言葉を続ける。
「やりすぎのような気もしますが、アークとの初めての出会いですから。長い断絶の溝を埋めるにはもってこいでしょう」
「…爆弾とか埋めてないでしょうね」
ムーアの前では比較的しおらしい態度──だと思われる。
アニスやネオン、そしてラピはドロシーを前にして警戒を続け、彼女が妙な行動を取れば直ちに応戦を始めるつもりでいた。
彼女達がそうする理由──ニヒリスターと初めての戦闘へ及ぶ以前、ムーアへ渡された拳銃へ装填されたアンチェインド弾の順番が口頭で説明されたそれとは実際には異なっていたことが切っ掛けだ。
明らかに彼や彼女達を欺こうとした気配を察してしまう。
ムーアへ対しての謝罪はヨハンが済ませており、彼女自身も彼に謝罪を述べたが──あの一件自体が消え失せた訳ではない。
地上基地エデンで過ごす中、インヘルトの面々と多かれ少なかれ交流を持ったカウンターズだが、ドロシーの話題になるとインヘルトの彼女達の歯切れが悪くなったのが印象として残っている。
ドロシーの評価を総合すれば、秘密主義者といったところだろう。何を考えているのか分からない、というそれだ。
彼女達も程度の差こそあれ、人類、ひいてはアークへ対しての悪感情は抱いているが──ドロシーのそれは一線を画すものである可能性も示唆された。
果たして過去に何があったのか──いずれにせよ、対峙する格好となったアニスが問うと優雅な様子で深窓の令嬢の如きピルグリムが笑みを深くする。
「ふふ。そんなことをする理由がありませんよ。──爆弾なんかより、確実な手段を持っているので」
深い笑み──それが歪んで見えてしまうのは気の所為だろうか。背筋に冷たいものが突き刺さる感覚をアニスは捉え、思わず生唾を飲み込む。
「……パピヨンはどうなったの?エデンはこのことを?」
気圧されてアニスは一瞬、怯んでしまう。それに代わってラピが尋ねれば、ドロシーは深々と溜め息を吐き出した。
「いきなりの登場に驚くのは分かりますが、そう質問攻めにしないで下さい」
マナーがなっていない。嘆かわしいことだ。そう言わんばかりにドロシーは泰然と、優雅な態度のまま彼女達を窘め──再び深い笑みを口元に形作る。
「──まるで怯えているように見えますよ?」
怯えるな──と言うのも難儀な話だ。ヘレティックを一撃で仕留める存在が突然現れたのだ。警戒してしまうのも無理はない。
だがこれ以上、無用な時間を過ごすのも問題だ。ドロシーは細く溜め息を漏らし、改めて彼等へアメシストの瞳を向ける。
「そう身構えないで下さい。私は話をしに来たんです」
「……話?」
「えぇ、そうです。──ムーア少佐」
鸚鵡返しに聞き返したムーアへドロシーは何処からか取り出した黄金に輝くリンゴの実を下手から投げ渡した。
突撃銃の握把を握る右手の逆の手で投げ渡されたリンゴを受け取った彼へドロシーは笑みを浮かべる。
「お気に召していらっしゃったので」
「……御親切に」
相変わらず不老不死になりそうなリンゴである。彼は掴んだ果実の皮を戦闘服の袖で拭い、口元へ運ぶと歯を立てて齧った。
「お味は?」
「あぁ、美味い」
「──質問に答えて」
堪え性がないのだろうか。せっかちすぎる。折角の再会なのだから、もう少し友好的でも良かろうに──ドロシーの何度目かの溜め息に紛れ、リンゴを咀嚼する音が響く。
「──パピヨン様なら大活躍されていますよ」
質問に答えないといつまでも話が進まない。それを察したドロシーが淡々とした口調のままエデンで
エデンへ滞在中、アークとドロシーを繋ぐ役割を請け負ってくれたのだそうだ。エデン──ヨハンやセシル、そしてインヘルトの面々へ内密で。
「エデンはアークを嫌っていますからね」
「……なるほど」
確かにその通りだ。エデンに所属するムーアの
ドロシーの言葉は嘘ではない。ただし真実でもなさそうだが。
バリバリとリンゴを咀嚼するムーアは可食部を平らげてしまい、続けて芯を──旧時代の人類は基本的に可食部としていなかった部位も頑丈な歯と顎を使って種ごと頬張り始める。
その姿を目の当たりにしたドロシーは一瞬だけ双眸を大きく見開くも、頭を左右へ緩く振る仕草を取り──改めて口を開いた。
「では、再会の挨拶はこれぐらいにしておきましょう。──ムーア少佐」
声を掛けられた彼はリンゴの芯を何等分かに分けて噛み砕き、頬の内側で咀嚼しつつドロシーへ続きを促す。
「──バーニンガム副司令官様はどちらに?」
放たれた問い掛けに咀嚼を終えてリンゴを飲み込んだムーアの双眸が鋭い形となった。