勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
「──指揮官が?アンチェインドを探しに行ったの?ユニの為に?」
若干の幼さも感じる高い声──それを聞き取った狡猾な鴉は肯定の頷きを返す。
指揮官──彼女が口にする青年は、手助け出来なかったことを悔やみ、彼女を解放する為の代物を捜す為に地上へ向かっただろう──そう鴉は囁いた。
「──指揮官が……ユニのNIMPHを無くしてくれるの?」
高い声が尋ねる。それへ肯定の頷きを見せた狡猾な鴉の姿。
「──じゃあ……ユニも、シュエンを痛くすることが出来る……?」
縋るような、確認するような高い声。それにも狡猾な鴉は頷いた。
「──へへ……へへへ!へへへへ!……良かった……ユニとミハラは……捨てられたんじゃなかった……!ユニ達も指揮官に……!!へへへへへ!!!」
幼さを残すも整った顔立ちが歪む。歓喜──それを思わせる笑い声が響いた。
そこに狡猾な鴉は囁く。
準備をしろ、と。落ち込んでいる暇はない、と。
そうだ。その通りだ。準備をしなければならない。
だが、そこでふと気付く。
痛め付けることは出来る──だが、どうすれば良いのか方法が分からない。
それを彼女は問うた。そうすると、狡猾な鴉は再び囁く。
光明を──差し込んでやる。
「──このアークに、とても大きな監獄を作るんだ。お前が閉じ込めたい、どんな奴も逃げられないように。お前の大切な指揮官の思うままに。──お前が、復讐できるように」
ゴッデス部隊の話をしようか。
人類の為に全てを捧げて来た彼女達を、勝利の女神だの、人類の希望だのって持ち上げておいて──アークが完成した瞬間、捨てた。
断絶されていたから簡単に選択出来たんだろうな。
その次は──第一次地上奪還戦。
人類の為に喜んで脳を捧げ、ニケとなった彼女達に再び勝利の女神という称号を付けた。
そして第一次地上奪還戦が失敗に終わると──アークはニケを迫害し始めた。
これも人間とニケの断絶が招いた事態だ。
第二次地上奪還戦の失敗──最初の芸能人ニケ、プリティーの死亡──モデルZXのゴッデスフォール事件──事件が起こる度にアークの世論は揺れ動いた。
ニケを崇めて、迫害して、崇めて、迫害して──これは、ニケと人間の断絶が原因で起きているに違いない。
ニケはアークにいるが、存在していない。
テレビ越しのショーの出演者に過ぎない。
ドラマを観て、登場人物を貶したり、褒めたりするのと同じさ。
何故か?
画面越しの存在だからさ。
アークはラプチャーを怖がらない。
何故か?
画面越しの存在だからさ。
アークはニケに感謝しない。アークはニケを貶さない。
何故か?
画面越しの存在だからさ。
アークはニケについて何も知らない。ラプチャーのことも何も知らない。
──だから教えてやらないと。
ニケのこと、ラプチャーのことを完全に理解すれば──アークはきっと
ムーアと額同士を突き合わせるクロウは、目と鼻の先で濃い茶色の双眸を細め、睨む形を作った彼の頬を細い指先で撫でた。生身の眼、その瞳孔が開き掛けている。無性に背筋がゾクゾクする。
「──その選択の内のひとつに……ショウ、お前があれほど望んでいたニケの待遇が改善される環境が含まれるかもしれない」
地上から帰還して間もなくに出動したと察せられる無精髭が生え揃う顎まで、細い指先を這わせた後に彼女の額は触れ合っていた彼のそこから離れる。
「……クロウ。キミは、何をするつもりだ?」
喉の奥から低い声は、さながら威嚇の唸りにも似ている。
冷徹なまでに冷え切った濃い茶色の瞳が自身を一直線に貫いている──尚も背筋へ走るゾクゾクする気分を味わいつつクロウは視線を机上へ置いたタブレットに向ける。
「──テレビでも観よう」
トン、とクロウの指先がタブレットの液晶画面を軽く叩いた。
音量が最大になるよう調整した直後のことだ。
中継が再開されたのだろう。液晶画面一杯に広がっていた黒塗りが鮮明な光景へ移り変わった。
無機質な印象を受ける、最低限の居住環境が揃った何処かの施設内──らしき光景。
次いでタブレットのスピーカーから流れて来たのは荒い呼吸と悲鳴を否応なく感じさせる高い声。
〈──アーク市民の皆さん!見えますか!?──シェルターに……シェルターにラプチャーが攻め込んで来ました!〉
聞き覚えのある高い声──それに気付いたムーアは手脚を拘束されながらも腰掛けた椅子を軋ませながら、タブレットの液晶画面へ映り込んだ光景を注視しようと身を乗り出した。
スピーカーからは、カメラマンかリポーターか、どちらにせよ、カメラを構える者が市民へ緊急事態を伝える余裕のない高い金切り声が響いている。
〈──シェルターに避難していた人々は全員亡くなりました!シェルターに人間がいることにラプチャーが気付いてしまいました!シェルターは安全ではありません!皆さん、シェルターから出て下さい!そこにいたら全員死んでしまいます!〉
液晶画面に映し出される光景を注視する彼は違和感を抱く。
シェルターへ避難していた人間が全員死んだ──にしては
何故、血溜まりすら出来ていない。無惨な遺体のひとつも映っていないのか。
次いでカメラのレンズが別方向へ向けられたのだろう。液晶画面へムーアにとっては見慣れた機影が数機映り込む。
ラプチャーだ。しかし、その挙動は妙でもある。
何故、カメラマンやリポーター、生放送している現場の撮影クルーに襲い掛からないのか。
〈──中央政府を信じないで下さい!彼等は私達の命になんの興味もありません!繰り返します!シェルターは安全ではありません!シェルターは安全ではありません!〉
緊急事態を告げる言葉が次々とスピーカーから流れ、人々の恐怖を掻き立てる──その高い声音に聞き覚えがあったムーアの脳裏に合致する少女の姿が浮かび上がる。
「……ユニ……?」
いや、まさか、そんな筈は──彼の双眸がこれでもかと大きく見開かれる。
その様子を捉えたクロウの口角が吊り上がった。
「──へぇ。あの子、思ったより演技が上手いのね。少し心配してたけど、良かった」
「……ふ、はは……!」
「え?隊長、笑ってるの?じゃあ私も笑う!へへへっ!」
隊長と慕う彼女のその姿を捉えたジャッカルも状況はいまいち分からない様子だが快活で屈託のない笑い声を上げる。
「──何故、ユニが……」
一方のムーアは事態が飲み込めない。何が起こっているのか、それを理解しようと脳内のシナプスを活性化させていた。
いつだ。
彼女、ユニに最後に会ったのは──いや、違う。そうではない。最後に彼女と会ったのがいつなのか、それが問題なのではない。
彼女の様子に
──ラピは記憶が消されてないんだ。ミハラとラピは一緒に記憶消去されたのに。
脳内へ不意に響いた、そして浮かび上がった光景。あれは確か、メティスの3名が侵食を受けてコールドスリープの措置が取られる決定がなされた直後だったか。
──ラピは全部覚えているんだ。ミハラは全部忘れたのに。
あの時、ラピの片腕を掴み、彼女の腕が軋みを上げる程に握り締めていたユニの瞳はどうだった。
──ラピはいいな。アニスとネオンと、指揮官とずっと仲良く暮らせて。ミハラは、ユニとあまり仲良くないのに。──ラピはいいな。
記憶の中──緩々とユニの光を喪った双眸が彼へ向けられた。やや、しかし明確に濁りが生じた瞳の輝きが彼を貫いた。
──ラピはいいな。指揮官に大事にされていて。
「──
彼女が、ユニが何を考えて現在の、或いはこれから起こるだろう状況の顕現へ手を貸そうとしているのか真意は定かではない。
だが、十中八九で眼前の狡猾な鴉に何かを吹き込まれた──それを推測したムーアの双眸が爛々と光り、喉の奥からは獰猛な肉食獣の唸りにも似た低い声が漏れ出る。
「──彼女に、ユニに、何をした……何を言った!!」
手を出せば噛み付かれるだろう獰猛な肉食獣だが、拘束されていては愛玩動物のようなものだ。それを愛でる特権を得られた僥倖に感謝を抱きつつ、クロウは彼女自身も驚くほど柔らかい声音を響かせ、犬歯を剥き出しにする獰猛な獣の頬を撫でた。
「──勘違いしているようだな。あたしは、あいつに指図できる立場じゃない。ただ、
元々、無人のシェルターへ彼女の能力である感覚遮断を利用して捕獲したラプチャーを運び──さながら人類の恐怖がシェルターへ攻め込んで来たかのように偽装して電波で緊急事態を放送する。
「──流石はラプチャー捕獲部隊。監獄を作る才能があるみたいだな」
「──貴様……何が起こるか、分かってやってるのか…!」
「──さぁな。だから……ここでのんびり見守ろう。アークの
肩を竦めるクロウが腰を上げた。
一定間隔の足音を響かせながら彼女は壁際へ向かい、閉ざされていたカーテンを開く。
途端、光りが差し込んだ。
光量が増えたことでムーアの視界が一瞬、眩む。
だがその眩みも落ち着き、彼の視界にはアークの市街地の様子が広がった。
やはり、ここはアークだったか──予想が当たった点は兎も角として、彼が向ける視線の先では量産型ニケの部隊とラプチャーが戦闘を繰り広げる光景が捉えられた。
攻防を続ける量産型ニケ達とラプチャーの群れ。僅かに量産型ニケの部隊が優勢のようだ。
しかし──突如として異常が生じる。
蜂の巣を突付いたかの如く、周囲のシェルターの閉鎖されていた筈の扉が開いたのだ。
その奥から老若男女が──幼子を抱えた母親や、足腰の悪い老人が杖を突きながら、或いはカップルであろう男女が連れ添いつつ路上へ飛び出して来る。
路上──それもラプチャーが放つ光芒と量産型ニケ部隊が応射する銃弾の嵐の真っ只中へと。
途端に幼子を胸に抱えていた母親の肩から上が
舗装された硬い路上、そして母親の亡骸に押し潰された幼子は、まだ柔らかい頭部の後頭部を打ち据えられ、事切れた。
足腰の悪い老人が杖を突きながら路上へ出た。遅々として進まないその老人を押し退ける若いカップルの青年。
連れ添いの若い女性は路上へ倒れてしまった老人を気遣って立ち止まった。手を貸そうと腕を伸ばした瞬間だ。
流れ弾──だったのだろう。対ラプチャー用の徹甲弾が女性の腕を血煙に変え、老人の顔面と言わず全身に肉片や返り血が振り注いだ。
肘から先を喪失したことに気付いた女性は金切り声のような悲鳴を上げながら腰を抜かす。残った腕で助けを求めるように連れ合いの青年へ伸ばした。──その腕は肩から丸ごとラプチャーの光芒が灼き尽くした。
ギャッという悲鳴か断末魔か。声にならぬそれを喉の奥から絞り出しつつ女性が支えを失って路上へ転がる。一度は助け起こそうとした青年だが──躊躇の後に駆け出してその場から逃走を図る。しかし、その脚は跳弾した対ラプチャー用の徹甲弾が付け根から血煙に変える。顔面から飛び込む格好で硬い路上に転がった。
異常事態を把握したのだろう。部隊を率いるリーダーの量産型ニケが射撃待ての指示を下し、民間人保護に駆け出す。
遮蔽物から身を乗り出した量産型ニケ達が駆け出そうとした瞬間、ラプチャーの光芒が何筋も駆け抜け、その内のいくつかに撃ち抜かれたのか胴体や頭部を蒸発させながら路上へ倒れた。
杖が群衆によって何処かへ消えた老人の下まで辿り着いた量産型ニケ。助けを乞う老人が彼女の脚に縋り付く。振り払うことも出来ず、片手で火器を構えながら老人を抱え上げた刹那、一塊となった量産型ニケと老人がラプチャーの光芒の中へ消えた。
パニックになる群衆が眼前に押し寄せ、その背後からはラプチャーが、機械仕掛けの四足歩行で機動する人類の恐怖が迫りくる。刻まれた原初の恐怖が脳裏を過ぎり、NIMPHが持つ制御機能を上回った瞬間、量産型ニケの何名かは逃亡する。
血塗れとなり、身動ぎひとつしなくなった男女の区別も付かない人間を抱えながら走る量産型ニケ。
持ち主を失った対ラプチャー用の火器を持ち上げた男性はおそらく退役した兵士か軍人なのだろう。人間用のそれと大差ない構造と操作法の火器を腰溜めに構えて引き金を引いたが、強烈な反動を制御できる筈もない。一見すれば短機関銃のそれの銃口は男性の頭部へ向き、弾頭が頭部を弾き飛ばした。
倒れた量産型ニケが被っていたヘルメットを幼い子供へ被せる父親らしき人影──その背後からラプチャーが迫る。
血に塗れた腕を伸ばし──掠めたラプチャーの光芒で顔面の半分が灼かれたのか、皮膚と肉や眼球まで蒸発しながらも最後の力を振り絞って助けを乞う人間。その化け物じみた姿に恐怖を覚え、反射的に量産型ニケは伸ばされた腕を蹴り飛ばした。ひしゃげて折れた腕をゆらしつつ人間が路上を転がる。
──地獄が顕現した。
互いが互いを守ると同時に、互いが互いを押しやる。誰もそこから一歩も抜け出せない。
凄惨、という表現すら生温い。
かつて──それこそ100年は昔。地上にあった人類文明が終焉を迎える切っ掛けとなった第一次ラプチャー侵攻の様相を再現したかのような光景。
ズキリ、ズキズキ──と彼の脳内が締め付けられ、軋みを上げる。
「──
無視出来ない程の頭痛が駆け抜ける。頭が燃えそうだ。
彼は拘束された手脚に力を入れた。後ろ手に揃えられた両手首、タンカラーのブーツ越しの両足首を拘束する手錠が軋む。
手錠はチタンマター製のそれだ。
入手するには高価な代物だったが、彼を拘束するのにただの縄では失礼すぎる。相応の
「……これでやっと、お互いのことを完全に理解し合えるだろう。テレビの中の存在は現実となり、リアルに感じられるようになった。……選択できる筈だ。経験を基にした選択、を」
カーテンが開かれ、割れた窓ガラス越しに遥か先で顕現した凄惨な地獄の模様を夢見心地の眼差しで見詰めるクロウが語る。
彼女の背後では手錠──さながら巻き付けられた首輪へ繋がる鎖を引き千切ろうと藻掻き続ける
どんな表情か気になり、彼女は振り向いた。
交わった視線──濃い茶色の双眸を爛々と輝かせ、食い縛った歯列が口唇から剥き出しだ。尖った犬歯が垣間見える姿。向けられる視線には
ゾクゾクする。身震いするほど。
「──じゃあ、もう一度聞こうか」
首輪と鎖に繋がれて、哀れな狼へ狡猾な鴉がデスク越しに相対する。
「──あたし達を捕まえたら、どうするつもりだ?──殺す?それとも許す?」
何度目かの問い掛け。それに唸りを上げる狼が応じた。
「──アークが選択する。貴様が、大好きな、
少し、残念な答えだった。狡猾な鴉が、彼女が望んだ答えとは少し違った。
「……あたしが欲しかった答えじゃないな」
何処までもこの狼は──軍人なのだろうか。期待をしすぎただろうか。いいや、違う。そうではない。違う筈だ。
この
──それを魅せて欲しい。それをあたしに、あたしだけに魅せてくれ。そして──
バキン──と何かが砕ける音が重なって響いた。
それは眼前の狼から聞こえた。
なんだ──と狡猾な鴉は注視した瞬間、頬に熱さを感じる。同時に身体が浮かび上がる感覚を捉えた。
熱さ、衝撃、そして痛み──それを感じながら浮かび上がった身体が横に向かって宙を舞う。
壁に衝突し、建材が陥没しつつ床へ落下した彼女は次いで鮮やかな翠色の瞳を大きく見開く。
両手首に両足首を拘束されていた筈の──首輪と鎖に繋がれていた狼が立ち上がっていた。
引き千切れた鎖と手錠を四肢のそれぞれの末端に残したまま、今さっき硬く握り締めた拳を振り抜いたと思わせる格好のまま立ち上がっていたのだ。
狼が、首輪と鎖を噛み千切り、牙を剥く──その光景を目の当たりにした鴉の背筋が震えた。