勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
有り得ない──バイパーがその光景を目撃した時、彼女が考えたのはそれだ。
人間とは思えない筋力を有する彼を警戒し、チタンマターで作られた手錠、それも両手首と両足首に巻いたというのに鎖を引き千切って拘束から脱するなど理解が及ばなかった。
クロウが殴り飛ばされ、壁に陥没が生じる程に激突した──それを彼女が認知するか否かの瞬間、ムーアは駆け出していた。
部屋の片隅へ纏めて置かれた装備品へ向かった彼はテトラライン製の突撃銃を握るなり、ボディアーマーのポーチから弾倉を引き抜く姿をバイパーは捉える。
弾倉には対ラプチャー用の徹甲弾や曳光弾が込められているのは言わずもがな。同時に彼女の瞳は彼の手が弾倉だけでなく、擲弾が規則正しく並ぶグレネードポーチから1発を引き抜く光景を認める。
銃撃、そして擲弾が撃ち込まれる──その危険を感じたバイパーはジャッカルの腕を引き、共に床へ伏せた。
弾倉が突撃銃の挿入口へ、そして突撃銃の銃身下部へ取り付けられた擲弾発射器へ太い擲弾が目にも止まらぬ速さで叩き込まれる。
非常に慣れた手付きで槓杆が引かれ、フォアードアシストノブが叩かれた。薬室の強制閉鎖がなされ、ムーアの握る突撃銃の銃口は──あろうことか、窓へ向けられた。
3発の短連射が中途半端に割れていたガラスを破砕し、続けて擲弾発射器の引き金が絞られた。
外へ向けて擲弾が放たれる。彼らしからぬミスだ。
とはいえ、室内で擲弾が炸裂しなかったのは──待て。あの擲弾は破片を飛散させるものだったか。
彼は外に向かって発砲した。この状況でクロウ達にではなく外へ向けて。
何故、外へ──
「まさか──」
床へ伏せていた身を慌てて起こしたバイパーは部屋の外──粉砕された窓ガラスから室内へ赤い煙が吹き込み始めたの捉える。
「──発煙弾!」
御名答──そう言わんばかりに彼が擲弾発射器から撃ち殻を取り出す為、薬室を開く音を鋭く響かせた。
真向かいに見える建物へ向けて発砲したのだろう。跳ね返り、戻って来た煙幕展開用の代物である発煙弾から濛々と赤い煙が立ち込める。
これは大いに目立つのは言うまでもない。
クロウが立ち上がりながら一挺の短機関銃を上着の内側から抜き取り、彼へ銃口を向けようとした瞬間、室内へ一発の銃声が響き渡る。
動きを見越していたのだろうか。先んじて引き金を引いたのはムーアだ。
ラプチャーの装甲を貫徹する為の徹甲弾だ。薬莢内へ充填された発射薬が多く、燃焼時に生じる圧力を高められた弾薬でもある。
撃ち出された弾頭はクロウが抜き取った短機関銃を弾き飛ばしつつ、機関部から破断させて使用不能とする程の効果を発揮する。
彼が握った突撃銃の銃口が僅かに動く。備え付けられた
次は胴を──引き金へ乗った指先が遊びを絞らんとした刹那の時だ。
ガラスが砕け散った窓枠から室内へ飛び込んで来る人影を彼は視界の隅で捉える。
来てくれたか──黒い衣服を纏っているのが窺えた為、ムーアはそれがラピだと勘違いした。射線が重なってしまう。部下を誤射する可能性が脳裏を過ぎり、反射的に彼は銃口を下げた。
「──〈停止〉」
短くも、絶対的な服従を求める声──その響きで聞き慣れた声ではないと彼は気付く。しかし聞き覚えがあった。
果たして何処で聞いたのか。記憶を彼は素早く遡る。勤労に励む脳内のシナプス達がせっせと資料を届け──その声が響いた直後、何が起こったのか、そしてどの場面であったかをムーアに整理させた。
見れば
飛び込んで来た黒い人影──手触りの良さそうな黒い長髪に大きな赤い薔薇の髪飾りを付けた長身の女性が口元をマスクで覆い直しつつ背後の彼を肩越しに認める。
「──エクスターナーのメイデン……だったか?」
「──はい、ムーア少佐。……お久しぶりです」
深紅の瞳が僅かに細められ、目礼を送られる。イングリッドが動かすと言っていた分隊である。顔合わせは以前のマテリアルHを確保する際の任務以来だ。
彼女──メイデンの名はイングリッドが口にした時にやっと知ったが、もう片割れは何処であろうか。
あの金糸の長髪に眼帯を付けた小柄の──
「──久しいな、気高き
やたら勿体ぶった言い回し──それが響いた直後、メイデンは思わず天井を仰ぎ、マスクの内側で深い溜め息を漏らす。
窓枠から飛び込んで来た新たな人影は金糸の長髪を靡かせる少女だ。
腰へ片手を当てつつ彼の眼前へ堂々と立ったかと思えば、片膝を突いているムーアを緩く見下ろし、その両手首と両足首に拘束されていたと伺える手錠の残骸を認める。
「──ほう?
──どう反応すれば良いのだろうか。
濃い茶色の瞳へ困惑を映し出しながら彼は腰を上げると、眼前の小柄なニケ──ギロチンを挟んで向かい合うメイデンへ視線を向ける。
どうすれば良いか、それを視線で問うのだが、彼女も形の良い眉を寄せつつ深紅の瞳を彼から逸らした。
だが、時間を掛けられないのも確かだ。深い溜め息を漏らしたメイデンはギロチンへ歩み寄る。
「しかし友よ。その力は禁断のものだ。無闇に使えば世界線が──」
「──ここは私達にお任せ下さい。ムーア少佐は一刻も早く……」
メイデンが小柄な少女の前へ腕を伸ばし、口上を止めさせるとマスクの内側で少しばかり籠もる声を響かせながらムーアへ武装を整えるよう促した。
促された彼は身動きをしないエキゾチックへ一瞬だけ視線を遣ったが、直ぐに頷き返し、集積されていたボディアーマーやヘルメットを纏い始める。
非常に慣れた手付きだ。装具を纏い、背嚢を背負うまで1分と掛からない。
「ニケと人間、ラプチャーが一箇所に集まって戦っています。状況を収拾し、解決すべき人が必要です。そして今、最も近くにいる方はムーア少佐です」
「……果たして解決できるかは分からんが……」
ボディアーマーへ刺さった装填済の弾倉の本数は潤沢だ。背嚢には予備弾薬もいくらかある。手榴弾、擲弾──これでラプチャーをスクラップには出来るだろう。
しかしあの混乱した状況を収拾するにはそれだけでは足りそうにない。
やれることをやるしかない。
彼が突撃銃の槓杆を僅かに引き、薬室を覗く。実包の存在を認め、槓杆を離すと続けて掌底がフォアードアシストノブを叩いた。
「急いで下さい」
「分かった。救援に感謝する」
「友よ。もう一度言うが今あったことは──」
「──あれ?あっ、隊長の言ってたのって
準備を整えた彼が窓枠へ向かう。その後ろ姿を見送ろうとした彼女達の聴覚センサーが捉えた室内へ響いた高い声。特にメイデンにとっては有り得ないのだろう。深紅の瞳を見開きつつ彼女が振り返る。
深紅の瞳へ映り込んだのは嬉々と肉薄する人影──捕獲対象のジャッカルだ。
何故──と彼女の脳裏へ率直な疑問が駆け抜ける瞬間、メイデンの胴へ向かって細い脚が蹴り込まれた。
身体に衝撃が走り、吹き飛んだメイデンが壁に衝突する。
凄まじい衝撃だったのだろう。彼女が衝突した壁は亀裂がたちまち生じた。
「──メイデン!!」
彼女を守らんと金糸の長髪を靡かせ、ギロチンがジャッカルの前へ立ち塞がる。この状況では不釣り合いとしか言えない嬉々とした笑い声を奏で、愉快そうなジャッカルは新たな
ジャッカルはギロチンへ肉薄するなり、跳び上がったかと思えば彼女の肩を掴んで回転の軸にする。
肉薄の勢いを殺さず、その勢いのまま背後の壁へ叩き付けられた格好のメイデンの顔を殴り飛ばしてみせた。
追撃を喰らった形となり、メイデンへ再び衝撃が加わる。とうとう耐え切れず、壁が崩壊し、その瓦礫の中へ彼女の姿が埋まる。
その瞬間だ。
「──……あれ?」
「──……エクスターナー」
それまで停止していた筈のバイパーとクロウの時が再び動き始めた。
どうやらメイデンの
そのクロウへ向かい──犬ならば尻尾が千切れんばかりに振りつつ駆け寄るジャッカルの姿があった。
「へへ!隊長、偉いでしょ?」
「あぁ、良くやった」
「へへ!隊長!私、偉いんだよね?」
クロウがジャッカルの頭を撫で、行動を誉めるのだが、どうにも違和感を抱く遣り取りだ。
そう、まるで──耳が聞こえないような。
「……あいつだけ聴覚センサーを切っておいたのか」
「……なるほど。
違和感の正体がやっと分かった。道理で
その通り──クロウが笑みを浮かべつつ肯定の頷きを見せる。
「──我々の情報を誰から聞いた?」
「さぁな」
知りたければ吐かせてみると良い。余裕の態度を醸し出すクロウをギロチンの瞳が見据える。
状況はあまり宜しくない。三対一──数の差で言えば圧倒的にギロチンが不利だ。あくまでも第三者の目線から見れば。
「──片腹痛いわ」
「……確かに。3分以内で制圧できるな。こちらは
ギロチンが一歩目を踏み出すか否かの刹那、彼女の傍らへ立つ長身の人影がある。
長身のメイデンよりも更に上背のある人影──ムーアが立っていた。
「少なくとも貴様の得意な
「……確かに」
2名──それはギロチン、そしてムーアを含めた人数を指している。ギロチンだけなら、なんとかなる──かもしれない。おそらくは。
だがここに彼という予測不能の存在が加わると話は別だ。
数の暴力であるリンチにはなり得ない。
それを察したクロウは──逃亡を決心する。
「──ジャッカル!ある程度、戦ったら逃げ……あ、聞こえないか」
クロウに続き、バイパーも駆け出し、室内へ設けられた扉の奥へ消える。
追い掛けようとするギロチンの前へジャッカルが嬉々と立ち塞がり、舌舐めずりを見せる中、ムーアが突撃銃の引き金を絞る音を彼女が捉えた。
眼前のジャッカルから目線を逸らさず、ギロチンは彼へ言い放った。
「──友よ!ここは我に任せて、
彼が放とうとする銃弾は一発も無駄にはさせない──その一発は誰かを救う為に使われるべきだ。
彼がやるべきこと、すべきことは、最早この場には存在しない。
ギロチンが言外に告げる言葉は彼の意識を外へ再び向かせるのに充分だったようだ。
「……任せる。
ギロチンの細い肩へ片手が置かれ、ハードナックルグローブ越しにも温もりが伝わる。
駆け出したのだろう。少女の足下の床から衝撃が伝わる。一際強い衝撃が走ったのは窓枠から外へ飛び出した様子を彼女に想起させる。
さて──と少女は自身の右眼を
ムーアは──勢いを付けすぎて飛び出したからだろう。舗装道路の硬い路面で前転するなり、立ち上がって改めて駆け出す。
目指すのは老若男女の市民達を巻き込んだ鉄火場となった渦中だ。
履き慣れたタンカラーのブーツの靴底が舗装された道路を蹴り飛ばし、彼の身体は加速を続けた。
見る見る間に混乱の様相が近付く最中、彼の左手はボディアーマーのポーチを漁る。
ハードナックルグローブで覆われた手に握られた無針注射器。その表面を構成する金属の筒が冷たい光を放っている。
それを彼が首筋に宛がおうとする時、脳裏に反響したいくつかの声。
──しかし友よ。その力は禁断のものだ。無闇に使えば世界線が──
つい先刻、ギロチンが放った一言が反響する。
──以前の話を覚えていますか?貴方から預かった注射器についてです。やはり、交感神経に作用する強力な薬物が含有されていました。
次いで反響したのはセシルの報告だ。ついでとばかりに余命宣告の言葉まで思い出してしまう。エデンを発つ前に彼女からは錠剤が詰め込まれたケースが渡され、毎食1錠ずつを服用している。これでセシルが診断した
──ただし…劇薬だ。多用は避けなさい。
最後に響いたのはアンダーソンからの警告。わざわざ寿命の前借りとまで断言した上で、この代物を手渡した上官の意図はいまだに分からない。
翔ぶが如く駆け続けた彼の目と鼻の先──禍々しい赤い単眼を光らせる怨敵の姿を複数捉える。
その内の一機が量産型ニケに庇われた少年へ砲口を指向した──それを目撃した瞬間、彼の親指は無針注射器の薬剤を注入するボタンへ添えられた。
両親は死んだ。亡骸とも言えない程に損壊した父と母の遺体は混ざるように血の海へ沈んでいる。
少年はその亡骸の前へ膝を突き、纏ったズボンの生地に両親の血や体液を染み込ませつつ、ただ呆然としていた。
まだ10代にもなっていない少年の脳で、この事実を受け入れるのは難しいのだろう。いや、理解はしているのかもしれない。理解をした上で、発狂しそうな少年の最後の一線を脳が防御する為、思考を放棄させ、身動きひとつ取れないままにしているだけなのだ。
「──坊や!立って!立ちなさい!」
まるで水の中にいるかのように少年の耳は周囲の音を拾う。
全ての音が──怒号や悲鳴、銃声に爆音、人間の精神を容易く砕くであろうそれらの情報の流入で理性が音を立てて崩れないよう脳が防御しているのか、すべての音がくぐもって聞こえる。水中にいるようだ。
視界も霞んでいる。
自分が泣いているのか、それとも笑っているのか。それすら分からない。
少年を呼ぶ声すら遥か遠方からの呼び掛けに聞こえた。
それでも緩く見上げると、量産型ニケの背中が見える。
携えた火器で応戦しているのだろう様子を少年の双眸は捉えるが、それも一瞬のことだ。
視界がドロリとした赤い何かで覆われる。
両親から浴びた返り血か、それとも──眼前にいる量産型ニケの片腕が吹き飛んだことで液体触媒が振り注いだのだろうか。
赤く染まった視界の中でも一際、赤々と輝く単眼──ラプチャーだ。
テレビの中の存在が迫っている。原初の恐怖が、そこにいる。
にも関わらず少年は声ひとつも上げられなかった。
悲鳴のひとつでも上げられたなら、身体に力が幾らかは入ったであろうに。
片腕が吹き飛んだ量産型ニケは弾切れになった火器を投げ捨てる。
眼前にまで迫ったラプチャーの一機の砲口が指向され、砲身の腔内に光が収束する様子が見える。
完全に捕捉された──量産型ニケは少年を残った腕で突き飛ばし、地面へ伏せさせると射線上に立ち塞がった。
呆気ない最期になるだろう。放たれた光芒の一閃が瞬く間に
覚悟は出来た。満足も出来た。
彼女は最期の瞬間を迎える僅かな時間でも、敵機の動向を見逃さぬようバイザー越しに爛々と双眸を光らせた。
射撃準備が整ったらしい。ラプチャーがその場で停止、機械仕掛けの四肢を僅かに曲げて重心を落とす。
射撃準備、そして射撃姿勢も取られた。
今にも光芒が放たれるだろう。
さぁ、来い──彼女が覚悟を改めて決めたその時だ。
ガンガンガン──と規則正しく、連続した装甲への弾着と貫徹を報せる音が響いた。
それに量産型ニケが気付くのと同時に禍々しい赤い光を放っていた単眼が漆黒へ変わり、やがて機体が動力源を失ったからかガクリと力尽きたかの如く完全に動作が止まった。
「──逃げるな!戦え!!」
部隊としての統制が崩壊し、敵前逃亡が絶えなかった戦場へ鋭い声が響く。
「──この声が聞こえる全ニケへ達する!俺はニケ管理部所属、ショウ・ムーア少佐だ!緊急事態につき、臨時で指揮を執る!」
指揮官──その存在が混乱する鉄火場へ現れた瞬間から空気が一変した。生存した量産型ニケは後にそう語った。
「──負傷し、自力で行動できるニケは民間人を保護しつつ後方に退け!健在の者は俺に続け!クソったれのブリキ共を残らずスクラップにしてやるぞ!」
銃声に爆発音、悲鳴に怒号、蛮声──混乱の只中にある戦場へ、その声は良く轟いた。
この場に存在する多くの老若男女、そして量産型ニケ達は目撃した。乱戦の様相を呈した戦場で──ラプチャーの一機が吹き飛び、ビルの壁面へ叩き付けられる光景を目の当たりにし、誰も彼もが己の目を疑った。
文字通りのスクラップとなった敵機が重力に引かれ、粉砕された四肢の関節部を散乱させながら路上へ落下するなど悪い夢でも見ている気分だ。
「──指揮官!!」
「──指揮官様!!」
「──師匠!!」
「──来てくれたか!!」
「そんな大声出してたら、何ブロック離れてても分かるわよ!」
続けて、件の指揮官へ呼び掛ける気安い声が複数響いた。
自称ではなく。どうやら正真正銘の指揮官であるらしい、と量産型ニケ達はこの時やっと察した。
「──命令は聞こえたな!動け!!」
一喝が響き渡る。有無を言わせぬ低い声。弾かれるように混乱していた量産型ニケ達が各々の役割を思い出し、それぞれが最善ないし次善と思われる行動を開始する。
ある者は血塗れとなり、四肢のいずれかを欠損するか破片が突き刺さって虫の息となった民間人を搬送する。
まだ動ける民間人に負傷した者へ肩を貸すよう促し、その護衛に片腕が吹き飛んだ量産型ニケが残った腕で火器を携えつつ後方へ下がる。
そして健在の者達は──隊伍を整えた。臨戦の覚悟を抱きつつ、彼女達は火器を握り直した。
「──カウンターズ、前へ!他のニケも続け!」
戦線が作られた。戦線が整理された。そんな気分を味わいながら量産型ニケは片腕を失ったまま身動きが取れない少年を抱き上げる。
量産型ニケの液体触媒、そして両親の返り血を浴びた少年の赤く染まった視界の中──敵機が蠢く真っ只中へ銃撃を浴びせながら突入する長身かつ大柄の人影が映り込んだ。
勇将の下に弱卒なし