勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─ 作:一般指揮官
実際、身動きをするだけで激痛が走るのだろう。
それでも彼は歩みを止めない。錆び付いた鉄パイプを杖にしながら、遅々ではあるものの携行する火器を携えたまま歩みを続けた。
目的地である旧時代の空港と滑走路までもう少し──分隊のリーダーが小休止を告げる。
まだ行ける、と脂汗を垂れ流しつつ前進を促す青年へ分隊のリーダーは僅かな時間でも休息すべきだと返しながら周囲の警戒を始める。
青年も流石にしんどかったのかもしれない。やがて大人しく瓦礫の上へ慎重に腰を下ろす。その際、長い黒髪に長身の肢体を持ったニケが彼を支えた。
「──済まないな、ミハラ」
「──気にしないでちょうだい。あと少しだから頑張って」
気休め程度の言葉になるかもしれないが、何も言われないよりはマシであろう。
青年は頷きを返しつつ──ふと思い出したのか、自身の携帯端末を引き抜いた。
「どうかした?」
「……
「あら……」
液晶画面に翳されたQRコードを認めた黒髪のニケは目を瞬かせる。
「助命嘆願ぐらいは、出来るかもしれないからな」
「……ふふっ」
律儀なことだ。
それこそ気休めだろうが──悪い気分でもない。
「──折角ならデートのお誘いにしたいわね」
彼女──ミハラは微笑を浮かべながら自らの携帯端末のカメラ機能でQRコードを読み込み、彼の連絡先を液晶画面上へ浮かび上がらせるとスタンプを送信した。
──メッセージが送信されませんでした。
「……チッ」
クロウとバイパーがミシリス医療センターへ移動した可能性が高く、そしてユニがテトラコネクトの生中継を利用してシェルターへ避難していた多数の民間人を外に出させた旨──その報告を彼は簡潔明瞭にシュエンへ伝えようとメッセージアプリを開いた。
手早くメッセージを打ち込み、既読は付いたのだ。
しかし──
──アンタ、これをチャンスと思って私を叩きのめそうとしてる?
返信は彼の予想の斜め上のそれだった。
いや、予想は出来たのだ。クロウ──エキゾチックが画策し、エターナルスカイへ穴を空けてラプチャーの侵攻を許したという事実で既にシュエンの頭脳は一杯一杯であろう。会社や関連企業の今後、株価の変動──とCEOである彼女の思考が休まる暇はなかった筈だ。
そこに加えて、先般のシェルターの一件である。エキゾチックだけでなく、ワードレスまで──受け入れ難い事実だ。
ムーアはそれを認めたくはないという衝動は分からないでもないが、そのような
「──マスタング社長とイングリッド社長に情報共有は?」
「済ませました」
「こっちも。シュエンの方は?」
携帯端末を破壊されている為、ラピとアニスはそれぞれ内蔵された通信機能を用いて情報を発信したのだろう。どちらも問題なく三大企業の一角へ君臨するCEO2名への情報共有を終わらせたようだ。
アニスが彼へシュエンに対する情報共有の首尾を尋ねれば、ムーアは無言のまま彼女達へ携帯端末の液晶画面を見せた。
「……やれやれ」
「ひとまずミシリス医療センターへ移動しましょう」
アニスが肩を竦める。
ラピの意見具申へムーアは頷きを返す。
指揮官である彼が集合のハンドサインを示した。
すると周辺の警戒に立っていたネオンが戻って来る。
移動手段は──自分達の脚だ。
「──いくらなんでも超過勤務だな。この一件が終わったらイングリッド社長に
「──例えば?」
「──どうせなら
「──おお…!」
「──ダメです」
まだ諦めていなかったのか──ラピは駆け足のまま溜め息を漏らす。
必要があるならば彼女としても前哨基地へそれらの戦闘車輌の配備を進めるのは吝かではないが、整備が行き届くかどうかの不安は拭えない。いざという時に使い物にならないでは話にならないのもあり、徹底して拒否の意見を貫いている。
逆に火力至上主義の師弟──特に弟子の方は眼鏡越しにリーフグリーンの瞳を輝かせているのだが。
相変わらず冗談なのか本気なのか判別が難しい、と頼りになる分隊のリーダーは溜め息を禁じ得ない。
彼の軽口は本気半分、冗談半分──むしろ本気が半分もあるのだが、それはそれとしてだ。
──何故、クロウはミシリス医療センターに向かったのか。
駆け足を緩めぬままムーアは思考を巡らせる。
ひとつずつ整理をしよう。
先程のシュエンの反応からしてユニとエキゾチックが手を組んだ、協力関係にあることを知らない。認めようとしなかった。
アンチェインドを奪取するよう指示したのはシュエンではない──そもそも彼自身が新たなアンチェインドを所持しているとシュエンは知らない。
クロウはアークの選択を見たいと口にし、それは凄惨な手段で実現してしまった。彼女の目的は達成された──であるのに何故、クロウは逃亡したのか。あまつさえ負傷者を乗せたAZXに紛れ込み、運行中の列車を爆破しようと試みたのか。
アークの選択に対する答えを見る為に敢えて時間稼ぎをしているのか──いや、彼女と行動しているバイパーは捕らえられるのは時間の問題であると察していた節がある。そしてそれは正しい認識なのだろう。
おそらくクロウの目的は逃亡や時間稼ぎのような、ささやかなそれではない。
──AZXの爆破を試みたのは何故か。
現在のアークの状況──掃討が進んでいるとはいえ、侵入したラプチャーはまだ幾らか残っている筈だ。
負傷者を乗せたAZXが運行中に爆破され、大きな事故が発生した場合、まず疑うべきはラプチャーの攻撃であろう。
そうなればどうなるか。少なくはない戦力が事故現場へ集中する。
おそらくは付近に所在するミシリス医療センターを警備・防衛する量産型ニケの何個分隊かも投入される──相対的に施設の警備は弱まるのは必然だ。
ふと、ムーアはミシリス本社でシュエンがエキゾチック全員の首に巻かれたチョーカーを起爆させようとしていた瞬間を思い出す。
携帯端末は彼が
であればシュエンが選択する行動は何か。エキゾチックの確保であろう。手持ちのカード──彼女自身の一存で動かせる分隊は多いだろうが、エキゾチックという分隊を確保できるだけの能力を持った分隊は多くはない。
その内のひとつがワードレス──ユニ、そしてミハラ。
クロウを捕らえた、ミシリス医療センターで捕らえた──とユニがシュエンへ報告すれば、彼女は当該施設へ移動する。エキゾチックがエターナルスカイへ穴を空けるよう仕向けた──その脳スキャンを阻止する為の証拠隠滅を目的として。
ユニとクロウは手を組んでいる──アンチェインド、NIMPHを破壊する代物を携えてミシリス医療センターでシュエンを待ち構える格好だ。
つまりは──
「──マズい」
舗装道路を駆けるムーアの脚が速くなる。
並んでいたネオンとアニスを追い越し、次いで先頭を駆けていたラピも追い抜く程の駆け足だ。
「──指揮官!?」
「──クロウの次の標的はシュエンだ!」
「──シュエン!?ちょっ、どういうこと!?」
「──師匠!速すぎます!──って、師匠!そっちじゃありません!」
「──そこ左折!左折して!!」
もう何度目になるか彼女達も定かではないが、ムーアが人間なのか疑わしい。
対ラプチャー用火器に加え、セラミックプレートをこれでもかと詰め込んだボディアーマーを始めとしたニケ用の装備品──彼の体格に合わせてスケールアップしているので必然と重くなっているが、それらを携え、装具したまま脚を緩める気配もなく舗装道路を駆け抜けているのだ。
途中、路地から姿を見せたラプチャー──単機の敵機と遭遇した際、彼は走りつつ短連射を見舞って撃破していた。
目的地であるミシリス医療センターまで十数分で駆け抜けてみせた。
流石に肩で息をしてしまう。ムーアは後ろ腰に装具している水筒を引き抜き、何口かの水を小分けにして嚥下しようとしたが──随分と軽い。そうか、そうだった──アウターリムの避難キャンプで子供達に飲ませたのだった。
中身は空だと思い出し、彼は代わりに口腔へ滲み出した唾液を飲み込んで我慢する。水筒を戻しつつ医療センターの正面玄関を通り抜ける。
ロビーだけでも人がごった返している。程度の差こそあれ、民間人の負傷者、なんらかの損害を負った量産型ニケが否応なく目に付いた。
それぞれの火器に安全装置が掛かっているかを確認し、ムーアを先頭にして混雑する中を進む。
「──指揮官様、シュエンと連絡は付いた?」
「いや、依然として連絡が付かない。ブロックされたままだ」
「指揮官様からの連絡を避けてるのね」
「どうしてでしょうか?」
「さぁね。ストレスが溜まりすぎて誰かに何か言われるだけでも嫌なのかも」
アニスの推測は当たっているのだろう。おそらくは。嬉しくもなんともないが。
「まずは施設内を捜索しましょう。ワードレスとエキゾチックは既にここにいる可能性が高いです。シュエンも直ぐに来るでしょう」
「或いはシュエン会長も既に来ている、かもしれんな。虱潰しに捜索するしかないか……」
「って言うけど……」
このミシリス医療センターだけで病室や診察室、処置室と言った密室空間がどれだけ存在するのか。
虱潰しに捜索していたら日が暮れるどころか、第二、第三の何かしらが発生する猶予が出来てしまう。
アニスが言外に危惧を口にした直後だ。
ボディアーマーのポーチ内で着信のバイブレーションが起こる。
やっとシュエンがブロックを解除し──罵詈雑言の数々でも文章として送って来たのだろうか。
ムーアがポーチから携帯端末を抜き取り、手袋を外して指紋認証でロックを解除。着信したメッセージの差出人──その名前を見て立ち止まった。
──ミハラだ。
タップし、プライベートのチャットルームに入ると先程の着信以外で送られているのは──いつぞやの、しかし忘れられない任務の最中に送られたスタンプのみだ。
キスマークのスタンプの下に、簡潔極まるメッセージが表示されている。
──院長室、と。
それを認めた瞬間、ムーアは携帯端末をポーチへ戻すなり、直ぐ近くにいた看護師を捕まえて院長室の所在を尋ねる。
いきなりの問い掛けに混乱しながらも看護師は院長室のある階を答えた。
それを聞き取った彼が分隊を引き連れて廊下を駆け出す。
「──エレベーター使う!?」
「閉じ込められたら終わりだ!階段を使う!」
「最上階まで!?」
背後からアニスが文句を垂れ流すが、エレベーターは使えない。途中で動かなく可能性もある──特にクロウならそうするだろう。
ここでも結局は自分達の脚が頼りとなった。
階段を2段や3段飛ばしで最上階まで一気に駆け上がる。
院長室は何処だ──最上階の廊下を駆けながら血眼となって目的の部屋を探す。幸いにも直ぐに見付かった。
扉の前へ立ち、入室しようと開閉のタッチパネルへ触れるが封印が解かれる気配がない。ロックされている。
──死ね!死ね!死ね!死ねよ!!
室内から響く罵声、人体を蹴っているのだろう鈍い音。
状況は宜しくない、と察せられた。
「──ネオン!」
彼は扉の前から離れるなり、自身の弟子を前に出した。委細承知しているのだろう。彼女は携える
1発、2発と立て続けに銃声が廊下に響く。対ラプチャー用の散弾で施錠の掛かった箇所は部品ごと砕かれたのだろう。
続けてムーアが右側に、ラピが左側に立ちながら、それぞれの片手が扉を掴む。
力一杯、真横へ滑らせると、それまで固く閉ざされていたのが嘘であるかのように院長室の扉が開いた。
彼等の目に飛び込んできたのは──まず床へ倒れるシュエンだ。全身に痣を刻みながら痙攣を繰り返し、呻き声を繰り返している。
次いでミハラ──彼女は小柄な人影の暴挙を押し留めようとしていたのだろう。肩を掴むが、その手は振り払われていた。
ミハラの手を振り払った小柄な人影──ユニは拳銃を引き抜き、扉が開かれた先に立つムーアの姿を認め、目を大きく見開く。
「──……指揮…官……?」
「──やぁ、ユニ。さっきぶりだな。元気そうでなによりだ」