勝利の女神:NIKKE ─The Last Kiss─   作:一般指揮官

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第4話

 

 

 床へ倒れるシュエンの有り様はムーアと共に院長室へ突入した彼女達を絶句させるに充分だったのだろう。全身に浮かぶ青い痣の数々が痛々しい。

 

 十中八九で暴行を受けたと見受けられる有り様だ。状況から見て、暴行を振るったであろうユニへ彼女達の三対の瞳が向けられる。

 

「──……指揮官がどうしてここに……?」

 

 一方のユニは半ば呆然としながら彼を見上げる。彼女の能力──感覚遮断で一時的に身動きを取れなくしたとはいえ、1時間と経っていないにも関わらずの再会だ。

 

 その回復力に驚いている──訳ではない。純粋に何故、彼が此処にいるのか分からない様子だ。

 

 んー、とユニは一瞬考え込み、やがて予想が思い浮かんだのか弾けるような笑みを浮かべる。

 

「──あ。そっか。一緒にシュエンを殺しに来たんだね?へへへ。指揮官もシュエンに色々やられたもんね」

 

「……まぁ、色々とやられたのは事実ではあるか」

 

「へへへ。シュエンはここだよ。ユニが目を見えなくしておいたし、動けなくしておいたよ」

 

 感覚を遮断し、抵抗を不可能にしたのだろうと彼は察する。床へ転がるシュエンの有り様は──見てくれは悪いが、重篤な状態ではなさそうだ。おそらくは。

 

 しかしユニの状態は明らかに異常だ。ラピが彼の隣へ立つなり、携えた突撃銃の銃口を彼女に向ける。

 

「──指揮官!撃ちます!」

 

「──待て!」

 

「──待ってられない!あの子、おかしいわよ!」

 

 この閉所空間で発砲すれば跳弾が高確率で発生する。跳ねた弾頭が何処へ飛ぶのか──仮にシュエンを直撃したらどうなることか。

 

 ラピは突撃銃を、アニスとネオンが携行する自決用拳銃を構えるのをムーアは止めた。それぞれの人差し指が引き金へ掛かり、遊びを絞るのを認めつつ、彼はユニに一歩だけ歩み寄った。

 

「──ユニ、やめなさい」

 

 努めて、彼は低い声のまま穏やかな声音を発しながらヘルメットを脱ぎ、サングラスを外す。

 

 説得に応じるか否か──

 

「キミは優しい子だ。こんなことをする理由は──」

 

「……なんで?」

 

 長身かつ大柄の青年を見上げるユニは不思議そうに首を傾げる。

 

「どうしてみんな、ユニのこと止めるの?シュエンには何も言わなかったくせにユニには言うの?ユニは、言うこと聞かなきゃダメ?」

 

「……俺は割とシュエンに関して言えば……」

 

 それなりに──いや、かなり横柄な態度で接していたと思うのだが、と彼は続けようとしたが、それは幼さを残す高い癇癪の声が遮った。

 

「──どうして?どうしてユニばっかり!ユニばっかり止めるの!!」

 

 癇癪の声を上げる少女は自らが握る拳銃の銃口を対面に立つムーアへ向ける。

 

 それを目の当たりにしたラピが彼の前へ躍り出ようとする気配を察したムーアは片手で彼女の動きを制しながら乾燥気味の唇を開く。

 

「──俺が手伝おう」

 

「……何を?」

 

「ユニがこうせざるを得なかった理由を俺に話してくれれば……シュエンに罰を与えられるかは分からんが……少なくとも彼女の側からは離れられるだろう」

 

「どうやって?」

 

「キミ達と一緒にトーカティブ(お喋り野郎)を追跡した任務の時よりも、俺にも出来ることは増えた。権限も強くなっただろう」

 

「……だから、どうやって?」

 

 少女の瞳──憎悪や嫌悪で濁った瞳は彼を捉えつつ、方法と手段を問う。

 

「そうだな……悪くはないと思うが……キミ達、ワードレスを前哨基地所属にすれば俺の管理下に置かれる。そこのシュエン(お嬢さん)も易々と手は出せなくなるだろう」

 

「………」

 

 彼の言葉にユニは幾分か考え込む様子を見せる。

 

 反応は悪くない。その証拠に少女が向けていた拳銃の銃口がゆっくりと床へ下ろされ始める。

 

 あともう少しだ。

 

「……キミ達を、キミを助けさせて欲しい」

 

 ムーアの言葉に偽りはない。出来るか出来ないかで言えば──おそらく現在の彼であれば可能だろう。

 

 そう、()()()()()

 

「………へへ。指揮官。またそんなこと言ってる」

 

 ユニは困った様子で苦笑いを漏らしつつ、改めてムーアを見上げて言い放つ。

 

「そんなこと言うくせに──ユニ達にこう言ったじゃない」

 

 

 ──俺の力では及ばんだろう。相手は腐ってもCEOだ。一介の指揮官程度でどうこう出来る相手じゃない。

 

 

「──本当に、ユニ達に何もしてくれなかったじゃない」

 

 少女の握った拳銃がユニ自身の腕へ向かい、銃口が押し付けられた。引き金がたちまち引き絞られ、撃針が雷管を叩く。

 

 薬莢の内部で燃焼の瞬間を待っていた発射薬が燃え尽きながら、生じたエネルギーが弾頭を押し出した。銃身の内部を通過したそれは少女のガッデシアムで構成された肌を貫通し、内部で盲管銃創となる。

 

 自傷行為──ではない、と彼が気付いたのは少女の浮かべる笑みを認めた瞬間だ。

 

「へへ。……へへへ。頭がスッキリした。なんでも出来そうだよ。あぁ……これがアンチェインドなんだね。今ならシュエンも指揮官も──殺せそう」

 

 説得は失敗した──元々、説得など不得手である彼だ。その手の特別な教育と訓練を受けた訳でもない。

 

 ならば、最も得意とする遣り方で対処する他ない。

 

「──制圧しろ!実包(実弾)の使用も許可する!」

 

 待ってました──そう言わんばかりに特殊別働隊の3名が突撃銃や拳銃をユニへ向ける。ムーアも握っていたヘルメットとサングラスを投げ捨て、携行する突撃銃の安全装置を外しながら銃口をユニへ指向しようとした瞬間だ。

 

「──ダメだよ」

 

 閃光がユニから放たれた──それを目撃した瞬間、ムーアの全身から力が抜け落ちた。さながら糸の切れた操り人形である。

 

 崩れ落ちたムーアに続き、彼の背後では次々と床へ転がる3名分の人影があった。

 

「──えへへ。アンチェインドってすごいんだね。なんでも出来そう。イメージした通りに出来るよ。へへっ!すごい、すごい!」

 

 念願叶って所望していた玩具の類が手に入った子供を思わせる歓喜の声音。聴覚だけはなんとか生きていると彼は察した。

 

 視覚の方は──色彩は朧げだが、物体の輪郭は把握できている。

 

 だが身体に全く力が入らない。声も──呼吸は出来るが、声帯が動こうとしない。掠れた吐息のみが漏れ出ている。

 

「──みんなの脊髄神経を遮断したよ。一度にこんなに遮断するのは初めてだけど上手くいったね。へへ」

 

 なるほど、道理で──などと彼は脳裏の片隅で皮肉めいた言葉を浮かべるが、頭脳の大半は全神経へ、全身へ動くよう命じるのに忙しい。

 

 そのムーアの傍らへ弾むような足取りで歩み寄った小柄な人影が彼の顔を覗き込む。

 

「心配しないで指揮官。少し経てば元通りになるから」

 

 それは一安心──と、彼の節操のない脳裏の片隅では再び軽口と皮肉の言葉が浮かんだ。

 

「でもユニ、指揮官がユニのことを考えてくれてるって良く分かるんだ。こんなことしちゃってごめんね?」

 

 歪んだ輪郭しか捉えられず、世界の色彩も朧げな視界の中──ユニであろう人影が元いた位置まで戻るなり、鈍い音を何度も奏で始める。

 

 ムーアの歪む輪郭が占める視界では細部の様子まで捉えるのは困難だが、目の当たりにするのは、十中八九でユニがシュエンへ無造作に蹴りを入れている光景だ。

 

「──おかしい」

 

 執拗に蹴りを入れ、痛め付けている──鈍い音が何度も響く中、ユニは眼下を見下ろしながら違和感を抱いた。

 

 何故、シュエンは苦痛の様子を見せないのだろう。

 

 間違いなく彼女の細い肢体を何回も蹴り飛ばしている。床の上を空気の抜けたボールの如く転がって止まるシュエンには衝撃が加わっている筈なのだ。

 

 一際、強く少女はシュエンを蹴り飛ばし──そこで背後を振り向いた。

 

 視線の先では長身の人影──ミハラが全身を襲う痛みに耐えている様子がある。

 

「──ミハラ。シュエンと感覚交換したでしょ。」

 

「……ユ……ニ…やめ……て……!」

 

()()のくせに。感覚交換は10分くらいでしょ?少し我慢して」

 

 余計なことをしてくれたものだ。冷徹な眼差しを向けるユニは再びシュエンへ向き直るなり、無造作に握っていた拳銃の弾倉を抜き取った。

 

 アンチェインド弾のみを込めていた弾倉は既に空。それを床へ投げ捨てた少女は実弾が装填された弾倉を取り出し、挿入口へ叩き込んだ。

 

 スライドが元へ戻り、薬室に初弾が送り込まれる。

 

 その銃口がシュエンへ向けられ、引き金に細い指先が乗った。

 

「──シュエン。バイバイ」

 

 クッ、と引き金の()()が絞られた瞬間だ。

 

 

 

「──ユニィィィィ!!!」

 

 

 

 射線上へ割り込んだ人影が、シュエンへ覆い被さった。

 

 引き金が完全に引かれ、射出された弾頭が──シュエンへ覆い被さった人影の頭部へ弾着する。

 

 撃ち殻の薬莢が飛び出し、床へ落下した音を奏でる最中、銃声の残響が、硝煙の鼻を突く匂いが室内に満ちた。

 

「──ミ……ハ……ラ?」

 

 何故、そこにいるのだ。

 

 シュエンへ覆い被さった長身の細身の人影──艶のある長い黒髪は乱れているが、間違いなくミハラだ。

 

 シュエンを狙った筈なのに──何故、ミハラを撃っているのだ。

 

 何故、ミハラの、彼女の頭部から赤い液体触媒()が出ているのか。

 

 自分自身に感覚遮断を掛けた訳でもないのに、ユニの手から力が抜け落ち、握っていた拳銃は床に落下する。

 

 拳銃など、シュエンのことなど最早、どうだって構わない。

 

 これは現実なのか──それを確かめる方が先決だ。

 

 少女は半ば呆然としたまま折り重なって倒れる二人へ歩み寄るなり、シュエンへ覆い被さる格好の長身の人影を抱き起こす。

 

「……ミハラ……?」

 

 反応は──返って来ない。うんともすんとも言わない。

 

「……どうして……シュエンを、かばったの……ねぇ?」

 

 肩を抱き、揺り動かしてみる。

 

 長い睫毛は震えず、閉じられた瞼は開く気配もない。

 

「……ミハラ……ねぇ、ミハラ……答えて……こたえてよ……ねぇ……!」

 

 傍らではシュエンが藻掻き、苦しむ無様な姿を晒している。

 

 頭部にある()()を取り除いて欲しい、と懇願するが知ったことではない。

 

「──あ、あぁ…!!あああ……!!」

 

 撃ってしまった。殺してしまった。

 

 誰が?自分(ユニ)が。

 

 誰を?彼女(ミハラ)を。

 

 濁った瞳が徐々に元の色へ戻っていく。

 

 漸く事態を飲み込めた。理解してしまった。

 

「ミ、ミハラ!頭から血が……血が……!!」

 

 どうしよう。どうすれば良い。

 

「お、起きて!ミハラ!ミハラ!!」

 

「だ、誰か…私の頭から、()()取り…出してぇ…!」

 

 お前なんかに構っていられない。その口を閉じていろ──とユニが目尻に溜まった涙を拭いもせず、シュエンへ鋭い眼差しを向けた直後だ。

 

 ブシュッと重低音の気の抜けた音が響いた。

 

 それをユニの聴覚センサーが捉えるか否か──突然、自身の頭部に衝撃が走り、掻き抱いたミハラの上へ少女は崩れ落ちる。

 

 消音器で抑えられた銃声──と気付いたムーアは次いで朧げな視界の中に映り込んだ二人組の輪郭を認める。

 

 ピントが合っていないカメラや光学照準器を覗き込んでいるような視界だが、世界の輪郭と色彩は辛うじて捉えられる。

 

「──……殺したの?」

 

「──あぁ」

 

「──手伝うんじゃなかったの?」

 

「──()()()()だろ。シュエンを殺せるように。実現できなかったのは残念だがな」

 

 聴覚だけは生きている。その生きている感覚が、ムーアへ現状を理解させた。

 

 クロウ、そしてバイパーだ。

 

 何処から現れたのか、何処で見ていたのか──それは後回しで構わないだろう。

 

 クロウは消音器を取り付けた拳銃を収めると、バイパーから離れ、床の上へ転がるムーアに歩み寄った。

 

 彼の眼前で立ち止まり、片膝を突いて顔を覗き込む。

 

「──ここまで良く来たな。それは誉めてやろう。だが、お前には何も出来なかった」

 

 淡々とした口調のままクロウは事実を列挙し、並び立てつつムーアの顔を更に覗き込んだ。

 

 焦点の合っていない双眸が忙しなく動いている様子を認めながらクロウの形の良い唇が開かれる。

 

「どうしてお前がこんな目に遭ったのか──気になるだろ?」

 

 教えてやる──と言わんばかりの口調でクロウはムーアの身体を仰向けにした。纏ったボディアーマーはさておき、背嚢があるせいで上体がやや起きた格好となった彼の目と鼻の先まで彼女の顔が近付く。彼へ自身の声を良く聞かせたかったのか、クロウはムーアが身に付けていたヘッドセットを外し、間近から覗き込んだ。

 

「──あたしには見たいものがふたつあったんだ」

 

 ムーアの視界──捉えられる世界の限界の一杯にクロウの整った顔立ち、その輪郭が映り込む。

 

「ひとつ目はアークの選択。ふたつ目は──」

 

 彼女の姿をなんとか捉えたのだろう。濃い茶色の虹彩が浮かぶ双眸がクロウに向けられる中、彼女は彼へ語り掛ける。

 

「ショウ。お前の破滅。──シュエンはただのオマケさ。まぁ、あれくらいで充分だろ」

 

 解せない。一介の指揮官とミシリス・インダストリー──三大企業の一角であるCEO。この両者を天秤に掛けた時、政治的、経済的に比重が重いのはどちらか。火を見るより明らかだ。

 

 眉間へ深い縦皺が寄ったのを認めたクロウは薄く笑みを浮かべつつ彼の無精髭が生えた頬を細い指先で優しく撫でる。

 

「──気になるか?どうしてあたしがお前を破滅させたいのか」

 

 教えてやろう。その理由を。

 

「──お前は、あまりにも英雄(ヒーロー)すぎる。なんでも解決してしまうんだ。どうってことないように」

 

 更に眉間へ刻まれる縦皺が深くなった。訳が分からない、或いは──そんな柄ではない、と言いたげだ。

 

「勘違いしないでくれ。それが不満だって訳じゃない。──ショウ、あたしはお前のことが好きだ。尊敬していると言っても良いくらいにな」

 

 矛盾が過ぎる発言と告白である。その感情の発露がこのような真似に発展するとは──彼が世間の流行に鈍いからか、随分と進んだ遣り口が流行っているのだろうか。

 

「でも、アークの為にもお前を破滅させる必要があった。──ニケとお前は、同じだ。アークの為に馬鹿みたいに犠牲になるだけ」

 

 否応なく、今回のアークへラプチャーが侵攻した一連の事件、或いは事変によってニケと人類の両者は、互いを見詰める視線が変わっていく──とクロウは断じる。

 

「面白い絵が出来そうだが……お前が邪魔なんだ。お前はまたニケと人間の為に仲裁へ入るだろう。そうなると──ジャーン。お前が活躍(解決)して、また今まで通りのアークに元通りだ」

 

 容易に想像が出来てしまう。彼なら、この男なら、どんな困難でも解決してしまう──馬鹿みたいに駆けずり回り、東奔西走の果てに、なんとかしてしまう。

 

「ショウ、お前は高貴な存在だ。おそらく今後、二度と現れない英雄(ヒーロー)だろう」

 

 残念でならない。テロリストですら尊敬を抱く英雄を破滅させるなど──

 

「だからこそ、お前がアークに及ぼす影響はお前が想像する以上に大きいだけでなく──絶対的なんだ」

 

 それにこの男が気付いているのかどうか。──おそらく気付いていまい。

 

 自己評価が低いきらいのある性格と思考の持ち主だ。自分自身を単なる武器(道具)とすら考えている手合いとクロウは感じ取っている。それは概ね正しいだろう。

 

「それならどうすれば良い?お前をアークのクズ共と同じようにしなければ。──だから、お前を破滅させるんだ」

 

 クロウの細い指先が無精髭の生える頬から顎に向かう。愛撫の如く肌を撫で──乾燥気味の唇へ指先を這わせる。

 

「どうすればお前を破滅させられる?腹に穴を空けるか?信じていたニケに裏切られるよう仕向けるか?」

 

 いや──そんなことでこの男が揺らぐ筈はない。

 

「あたしが今まで見てきたお前は、そんなことじゃ破滅しないように見えた」

 

 腹部に風穴を穿たれようと、この男は必ず立ち上がる。倒れなどしまい。

 

 ニケに裏切られようと、やはりこの男は立ち上がるだろう。

 

 それを既に彼は実証している。

 

 ならばどうすれば良いか──

 

「──だから、あたしが下した結論は、()()だ」

 

 ムーアの唇を這っていた細い指先が離れた。次いでその指先はクロウが収めた消音器を取り付けた拳銃へ向かう。

 

 抜かれた拳銃の銃口が指向される先──それを目の当たりにしたバイパーが短く息を飲んだ。

 

 重低音の銃声が立て続けに3発。床に転がる薬莢の軽やかな残響。

 

 ──何を撃ったのだ。

 

 彼の眉間へ深い縦皺が何筋も寄る。

 

 クロウが握った拳銃を向けた先──そこには何がある。

 

「──ッ」

 

 ──部下達だ。ラピ、アニス、ネオン──彼女達も感覚遮断で床に倒れている筈だ。

 

 クロウは──ムーアの部下達を撃った。

 

 それを察した彼の双眸──生身の隻眼が徐々に充血を始める。表情筋に少しずつ力が入り始めたのだろう。ムーアの顔が強張りを生じさせた。

 

「──お前が憎悪に塗れて、お前が、お前の判断で、お前の感情によって、ニケを殺すことになったら、お前は真の意味で破滅するんじゃないか?」

 

 ムーアという個人、或いは軍人はクロウが知る限りにおいて人間やニケの殺傷へ躊躇を持たない。

 

 ただし、それは任務上、必要な場合に於いては──という但し書きが存在する筈だ。

 

 彼が衝動的に少なくともニケを、ムーアの感情の赴くままに殺傷した過去は存在しない。

 

 良くも悪くも彼は()()()()()だ。

 

 部下達を、彼が何より信頼する彼女達を撃ち殺せば、どうなるか。

 

 ──読みは正しかった、とクロウは自己評価を下す。

 

 大当たりだ。

 

 目と鼻の先──眉間に深く刻まれた縦皺、顔へ血管が浮かび、息を荒げるオオカミの姿を目の当たりにし、彼女は我知らず口角が緩む。

 

「──あぁ…そうだ。それで良い」

 

 やっとだ。

 

 やっと見せてくれた。

 

 これが、これこそがこの男(ムーア)の本性だ。

 

 怨敵を食い千切り、噛み砕かんとする獰猛なまでの攻撃性と衝動が露になっている。

 

 どれほど恋い焦がれただろう。一日千秋の思いで待ち侘びた光景だ。

 

「──あたしを憎め」

 

 彼女は拳銃を収めると改めて彼へ向き直った。

 

 背嚢を背もたれのようにして仰向けとなるムーアの下腹部へ跨って座るクロウは彼の太い首に細い両腕を巻き付けつつ額同士を擦り合わせる。

 

「──あたしを殺せ」

 

 気分はどうだろうか。自分自身の部下達を撃ち殺した者に跨がられる気分は。

 

 クロウの気分は──最高だった。ゾクゾクする。敵意と憎悪に染まった濃い茶色の瞳が背けられることなく一点へ集中しているのだ。背筋が、下腹部がゾクゾクと疼いて仕方ない。

 

「──お前の仲間達の復讐の為に」

 

 うっとりと蕩けた翠色の瞳。口角が緩むのを抑えられない。

 

 我慢は難しかった。

 

「──そして、破滅しろ」

 

 愛撫の如くムーアの頬をクロウの指先が撫で──次いで形の良い唇が、乾燥気味の唇に押し当てられる。

 

 ニュル、と彼女の舌先が彼の唇を割った。喘ぐように呼吸をしている影響で、ムーアの歯列は開いている。その奥へ難なく侵入を果たしたクロウの舌先は、彼のそれを絡め取る。

 

 深い口付けを交わし、彼の味を堪能したクロウの顔が離れる。細い銀糸の橋が互いの間へ架けられ、やがて途中から千切れ落ちた。

 

「──ク……ロ……ウ……!!」

 

「おっ、なんだ。話せるのか。……やはりおかしいな。お前の回復力は普通じゃない」

 

 まだ呂律が回っていない。舌足らずだが、発声と発音が可能となるまでは回復したらしい。

 

 その様子を目の当たりにしたクロウはやや驚くが、本音を言えば、そうでなくてはならない──という歓喜も抱いた。

 

 水中から揚げられた魚の如く、唇をパクパクと──懸命に言葉を紡ごうとする様子のムーアへ彼女は期待をした。

 

 きっと、彼女が望む言葉が放たれるのだろう。

 

「──キ……サ…マ…!……殺…す……!!」

 

 ──嗚呼、やっと言ってくれた。

 

 穏やかにクロウは微笑を浮かべつつ、彼の頬を撫でた。

 

「はは、そうだな。そうしてくれると嬉しいよ」

 

 ここまで恋い焦がれさせ、待たせてくれたのだ。そうしてくれないと割に合わない。

 

 クロウは立ち上がる寸前、強張り続けるムーアの頬へ軽く唇を落とし、続けて彼の耳朶を甘噛みした後、耳元で囁いた。

 

「──また会おう。()()()()()()()()

 

 濃い茶色の双眸だけが、ギョロリとクロウへ向けられる中、彼女は跨っていた彼から立ち上がり、バイパーを引き連れて院長室を後にする。

 

 2名分の足音が遠ざかる──そして聞こえなくなった頃だ。

 

「──ッ……グッ……!!」

 

 両腕の指先、両脚の指先に力が入った。懸命に、動け、と脳から意識して全身に信号を送り続けた甲斐があったのかもしれない。

 

 或いはやっと感覚遮断の効果が切れたのか。

 

 しかし、身体が重い──まだ完全には解けていない可能性もあった。

 

 背もたれとなっている背嚢には予備弾薬や着替え──地上から帰って来たばかりの出動だったのもあり、入り組み品はそのままだ。重くて仕方ない。

 

 肩紐を外し、背嚢を下ろしてしまえば随分と軽くなった。

 

 覚束ないながらも身体を起こし、膝へ力を入れて立ち上がる。

 

「……ハァ……ハァ……」

 

 ムーアの見開かれた双眸──生身の隻眼は血走り、瞳孔も開いたそれが周囲を見渡す。

 

 ユニは──倒れて動かない。

 

 ミハラは──ユニが覆い被さったままの姿のまま身動ぎもしない。

 

 シュエンは──口元から泡を噴き出しながら痙攣を繰り返している。

 

 ネオンは──動かない。

 

 アニスは──動かない。

 

「──ラ……ピ……」

 

 縺れる呂律のまま彼は頼りになる分隊のリーダー、自身の副官めいた立場の彼女へ視線を向ける。

 

 ラピも──動かない。

 

「────」

 

 義足である右脚の挙動は幾分かマシだ。ムーアは左脚を引き摺る格好で進み出す。

 

 院長室の外、廊下へ向けて遅々とした挙動で進み出した。

 

 やっとのことで院長室から抜け出した彼は廊下に立つと──黒煙が何筋か立ち昇るアーク市街地の様子が見て取れる窓ガラス越しの光景を認め、スリングベルトで吊るされた突撃銃を窓へ向ける。

 

 短連射で3発の射撃──対ラプチャー用の徹甲弾が厚い窓ガラスを砕いた。

 

 同時に銃声が医療センターの廊下へ響き渡る。

 

 非常ベルの代わりだ。これで数分と掛からずに量産型ニケかスタッフが駆け付けるだろう。

 

 これで彼女達のことは任せられる。

 

 彼は──すべきことがある。誰にも譲れないことだ。

 

 誰にも譲ってやるものか。

 

 これを奪おうとする者は誰であれ実力をもって排除する。

 

 ──クロウを追い掛ける。

 

 ──クロウを見付ける。

 

 ──そして──

 

「──殺す」

 

 その一心のみで、彼は覚束ない足取りのまま歩み始める。

 

 その姿は──さながら幽鬼の如しだった。

 






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